アオイちゃんがアオキさんと飯を食うだけ
あらすじ:ジムテスト後の宝食堂でアオキさんと夕食
なおスパイスは3種類回収(あま、にが、しお)。平均に比べて半分程度の味覚。
「——はい、写真ありがとうございました!」
チャンプルタウンの宝食堂にて、わたしはジムリーダーのアオキさんに勝利した後にせっかくならと夕食を取ることにしていた。
「っとと、料理にも写真撮っとかないと……」
手元に戻ってきたスマホロトムに映った写真を確認して、そう呟きながら目の前の定食を撮影する。
文化によって形を変えるスシなどとは違い、俗に言う『和食』はパルデアでは初めてで、メニューはジムテストで答えた焼きおにぎり、鮭の塩焼き、だし巻き卵、豚汁、お新香——丁度いいと思わせてくれる献立だ。
「それじゃあ、いただきます!」
「ん……お先に頂いてます」
手を合わせるわたしの隣で、アオキさんは既に大量のおにぎりを頬張っていた。
ひとつひとつ丁寧に海苔を巻かれたおにぎりは、シンプルな塩むすびもあれば鮭や梅干しなどのメジャーな具、変わり種にからしやネギキムチなど様々……というか全部具が違うのではないだろうか。
彼の線の細い身体とくたびれた顔からは想像もつかないほどの食事量で、わたしが写真を撮っている頃にはもう食べ始めていたことから食い意地が強い人でもあるっぽい。それとボールの投げ方がカッコよかった。
「……おいしい」
焦がし醤油がうまみを引き出す焼きおにぎりを一口食べて、わたしは思わず感想を零す。
「おっ! 嬉しいこと言ってくれるね! おまけに焼きおにぎり、もう1個サービスしてあげるよ!」
「あっ、ありがとうございます女将さん……」
わたしは味覚障害を抱えている。数日前まではアイスの甘さも、コーヒーの苦みも感じることは出来なかった。
しかしペパーと出会って、ひでんスパイスを食べてから……わたしは少しずつ味を感じられるようになっていった。まだ大雑把な味しか分からないけど、その感覚が愛おしくてたまらない。
前までは食事なんて栄養補給と空腹を満たすだけの行為だったけど、今では毎日食べたものを写真に収め、食後に感想を書くぐらいには食事を楽しんでいる。ブログでも作ろうかな。
「美味しいですね焼きおにぎり、次来るときも食べたいです」
「ああ、それはジムテストの時にしか出ないんですよ」
「そ、そう……なんですか……」
アオキさんの淡泊な返事にわたしの語尾が弱まってしまう。ううん……ペパーにも食べさせたかったな。
味覚が芽生えていくのにつれて、わたしはペパーをつれて食べ歩きをするようになった。当初はスパイス探しの前に店で作戦会議をするための繋ぎだったのに、行く理由が勉強会とかなんとか適当になって食べるのが目的になっていったのだ。
最近は良い感じの言い訳……いや、ペパーが納得してくれそうな理由が思いつかなくて悩んでいる。理由も無しに誘うのは……なんか、気恥ずかしい。
「ふう……ごちそうさまでした~!」
ほんの少しの疲労感と、それすらも心地よく感じる満腹感に顔が緩んでしまう。
つい無言で味わって最後まで食べてしまった。ふとアオキさんの方を見れば食後のデザートにぜんざいを既に3人前食べ終えていて……うちのホシガリスどころかペパーのヨクバリス以上の食欲かもしれない。
「ごちそうさまです。ではお会計を……お代出しますよ」
「あ、ありがとうございます。でも……いいんですか?」
「もちろん。これでも大人なので」
「は、はあ……っ」
ペパーと食べる時はいつも割り勘なので、このように奢られるという感覚はどうにも落ち着かない……大人になったらこの辺りも分かるのかな。
「ほんと、いいお店で……今度友だちを誘ってきてみます」
「ぜひそうなさってください……ここの料理は味があってうまいんです」
「え……」
「きっとご友人も気に入るでしょう」
立ち止まるわたしを見ずに歩くアオキさんの言葉が……少し、引っ掛かった。
「…………あの」
宝食堂の外に出て夜風に当たる。一歩先を歩くアオキさんに手を伸ばす。
「どうかなさいましたか?」
もしかして——と思った。
「味が……わからないんですか?」
「……? いいえ、特には」
そんなことはなかった。
「あ、あー……えっと…………」
「…………」
……気まずい。
「……すいません。味があって、って言ってたので……普段は感じられないんじゃないかなって……ごめんなさい」
「ああ、そういうことですか。舌が肥えてきた感覚はありますが、それでも味が分からなくなったことは——」
「あ、あはは……すいません……」
うわー、恥ずかしい。夜風が普段以上に涼しく感じる。
「…………いえ、ありましたね」
「え?」
「味が分からなくなったことです。ジムまでの道のりに少しお話しましょうか」
「は、い……」
味が分からなくなること——先天的に味の感じられないわたしにとって、再び美味しいと思えなくなるのは……それはもう胸が張り裂けそうなほど辛い出来事なのだろうと、想像するだけでも不快になる。
「アオイさんは仕事で疲れて……いえ、そうですね……直近でものすごく疲れたことはありますか?」
「もの、すごく? うーんと…………あっ、ペパーと——友だちとおっきなミミズズと戦って、その子を追いかけてあっちこっち行ってはバトルして……倒した頃にはクタクタでしたね」
あの時はあの子を全力ダッシュさせたのはもちろん、それに振り回されたりバトルでも地面を潜ったりするものだがらかなり苦戦したことを消えたはずの筋肉痛が教えてくれた。
「では、その疲れのまま家に帰ったとします。想像してみてください——」
アオキさんの言葉通り、わたしは彼の紡ぐ情景を思い浮かべる。
「時刻はもう夜中。家には誰もいません。電気も点いていないでしょう。アオイさんは最低限の灯りをつけ、通った後は消しながらキッチンまで歩きます。疲れて眠りたい、けれどそれ以上にお腹が減って仕方がない……と、します」
「…………」
「そして夕食は——帰り際にテイクアウトしたサンドイッチ。貴女が一番気に入っている店のサンドイッチです。適当なドリンクを用意して、席につき、『いただきます』とだけ静かに告げて……それを食する」
「…………」
「——そのサンドイッチは、美味しかったですか?」
脳内でサンドイッチにかぶりつき、飲み込んだそれを感想にして……吐き出す。
「…………ええと、あんまり……?」
「そうでしょう。だから——私はあの店を気に入っています」
「……?」
ジムの前に到着して、アオキさんが宝食堂の方へと振り返る。
わたしは彼の言葉の真意に気づけずにいながらも同じように振り返り、先ほどの食事についても振り返る。
騒がしく居心地の良い、宝食堂での……沈黙が苦にならないあの風景を——
「——あっ」
そこまで思い浮かべて、ふと結論に至る。
『味がある』……というのは、そういうことを言うのだろう。言葉にしようとすると少し難しいけれど、それでも……『そういうこと』なのだろう。
そしてわたしは同時に、以前から思っていた疑問を解消した。
——ママの料理がおいしいって思えたのはきっと、アオキさんの言う『味がある』ってことなんだ。
味覚があっても美味しいと思えないと感じることがあるように、味覚がなくてもおいしいって感じられたように…………そっか、そう……だったんだ。
「それではアオイさん。またどこかで」
「はい……ありがとうございます、アオキさん!」
アオキさんと別れて報告するべくジムの中へ。長年の疑問が解消されたわたしの足取りはなんとなく軽く思えた。
わたしはチャンプルタウンを後にして、4匹のイキリンコが運ぶ空飛ぶタクシーに揺られていた。その間、わたしはスマホのある番号に電話をかけ——そこで相手と繋がる。
〈もしもしアオイ?〉
「あっ、ママ! ごめんねこんな夜に……」
〈いいえ、それは全然大丈夫よ。それで……どうしたの?〉
「えっと、いきなりで悪いんだけどさ……今から帰ってもいい?」
〈ええ。それは構わないけど……何? 急に寂しくなっちゃったの〜?〉
『そうじゃないよー』などとわたしが笑うと窓の外に風が吹き抜け、電話越しにその音が母の元に届く。
〈あら、タクシーに乗ってたの?〉
「うん。これから寮に帰ろうかなって思ったけど……それと、久しぶりってほど久しぶりじゃないけど——ママのご飯、食べたくなっちゃって」
「え…………」
ママの声が、止まった。
「…………」
「……ママ?」
「……あ、ああっ、そうなのねっ……けどもう夕飯食べてきたんじゃないの?」
「うん。食べたし、お腹もいっぱいだけど……もうちょっと、食べたいかなぁって」
「そう……そう、なの…………」
わたしの言葉を少しずつ咀嚼して、頷くように言葉が紡がれる。
「…………ママ?」
「うんっ、待ってるわ。夜食なら軽めのモノが良いわよね」
「ありがとママっ! じゃあ楽しみにしてるから——」
わたしが電話を切ろうとして……電話の先から誰かの啜り泣く音を聞きながら、勢いのまま赤いボタンをタップしてしまった。
「ママ……どうしたんだろ……」
「お客さんっ! 行き先はこのままアカデミーでいいのかいっ!?」
「あっ、すいませーんっ! コサジタウンまでお願いしまーすっ!」
「あいよ——っ!」
一瞬だけ激しく揺れる車内でわたしは切り際のママについて考え……やがて『あっ』と気づいて瞳を潤す。
「……そっか」
初めて、食べるんだ。
味のある、味を感じられる、ママの料理。
「…………楽しみだなぁ」
食事を楽しめるようになったのは、いつからだろう。