やべー女トレーナーの恋人概念4・前編
トレーナーにとってはやべー女とのデートはいつまでたっても初恋の人とのデートぶおおんと冷風ドライヤーを浴びる。一般的に髪を乾かすといえば、熱風だけで行ってしまいがちなのだが、そうすると温度が高くなり過ぎて髪が痛む。だから冷風と温風を交互に使って髪を乾かさなければいけない。それは専門学校で最初に教わったことだった。家でまでそんなことする必要はないと言えばないんだけどね。やっぱり、自分の髪を担当する美容師さんの髪が傷んでいたら嫌じゃん。だからヘアケアには力を入れている。これは私なりのプロ意識。
多分、朝から晩まで練習で日光に晒されているウマ娘の髪よりは、私の髪の方が傷んでいない。これはちょっとした、ほんとうにちょっとした自慢。
仕上げにお気に入りのヘアオイルをつけた。ほんのり甘い蜂蜜の匂い。普段使っているシャンプーとリンスは無臭だから匂いは喧嘩しない。これをつけているとあなたは後ろから抱きついて「良い匂いだね」って嬉しそうにする。あれ嬉しいけどちょっと恥ずかしいんだよな。そんなにこの匂いが好きなら、ってオイルをあげたけど、あなたは結局使い方が分からないらしくて、結局うちに置いて行った。あなたがすぐ寝なくても大丈夫そうな時、余裕のある時しか使わないから、あなたの分のオイルは全然減らない。高い棚に置かれたオイルは使われことも少なくてちょっと寂しそう。
「きっと君は来〜ない、一人きりのクリスマスイヴ」
なんとなく懐かしの名曲を口ずさんだ。今日はクリスマスイヴじゃなくてクリスマスだけどね。まあ大体同じようなものでしょ。きっとあなたが来ないってことは変わらないもん。
本当はあなたに会いたいよ。でもあなたはG1に教え子が出走したらその次の日はお祝いか反省会を開いている。だから、クリスマスとかそういうの関係なく、多分今日は無理。しょうがないよね、お仕事なんだもん。ローレルちゃんの凱旋門のためって、ひいてはオルフェーヴルの夢の続きのためってなったら、しょうがないよ。悔しいけどね。
あなたが部屋に来る前提で買った2人用ソファーは、1人で腰を下ろすと空きが大きくて寂しくなる。会いたいよ、ってLANEしようか迷った。今はまだ午前7時。この時間だと祝賀会前にLANEを見ることになるかな。そうしたらきっと困っちゃうよね。もっと祝賀会の真っ最中、スマホを触らないようなタイミングで送って、全部終わった後にあなたが見るくらいに送っちゃおうかな。ちょっと私の中の小悪魔が目覚めていた。
うちの美容室は着付けも出来るのが売りで、初詣や成人式のある年明けは死ぬほど忙しい。私も何度か経験したがあれは戦場だ。一般的には正月太りというがむしろ逆で正月痩せになる。そのハードな期間を乗り越えるため、その直前の年末1週間は休みにするというのがうちの店長の方針だ。というわけで今日は何も予定はない。どうしようかな、こんなにまとまった時間があることも余裕があることもそうそうないし、映画でも見ちゃおっかな。今日1日あるなら3本くらい見れちゃうな。1本見終わったらあなたにLANEしちゃおう。パソコンを開いて、普段は送料無料と当日配達のためにしか使ってないアマプラで映像作品を漁ろうとしたその時、スマホが鳴った。
「誰だろ?」
スマホを開くと、そこにあったのはあなたからのLANEだった。
『今日の午後と明日って空いてたよね?』
「えっ、あ、」
クリスマスに、あなたと会える! 喜んだ弾みでスマホを落としそうになって慌てて拾う。文字を打ち込む。『うん』
『ちょうど、会いたいなって思っていたの』
送った後で、重いかなってちょっと後悔した。だって本当にそうなんだもん。テンションあがっちゃった。
『良かった。じゃあ、13時に君のところに行くよ。デートしよう』
『了解。お昼も外?』
『うん。とっておきのお店、連れてくよ』
『楽しみにしとく笑』
そこでラインは途切れた。あなたと会える。あなたと会える! クリスマスに会える!
パソコンを閉じて、クローゼットを開く。とびっきりのオシャレをしなくては。忙しい分、トレーナー業はお給料も多い。特にあなたはG1ウマ娘を複数担当するトップトレーナーの1人だ。ということはまあまあな高級店に連れて行かれる可能性がある。可愛いだけじゃなくて、きちんと感のある服装がいいかな。
いくつかコーディネートをしてみて、ベッドの上に並べる。シフォンブラウスに黒いオーバーオール、カーキのトレンチコート。せっかくデートならズボンよりスカート履きたいな。大きい花柄のワンピースにキャメルのダッフルコート。うーん私服寄り過ぎ? 大人ピンクのチェスターコートにタートルネックの白いリブニット、バーバリーチェックのラップスカート。お、これアリなのでは。ショートブーツを合わせたら多分良い感じ。そこそこ脚を出すことになるけどね。寒いけど我慢。
これならコートに合わせてメイクはピンク系、髪は軽く巻いて下ろすのが可愛いかな。あんまり膨らみ過ぎないようにフィッシュボーン入れてハーフアップにしよう。思いっきりフェミニンに可愛く行こう。あなたは結構王道可愛いが好きだ。それで、折角ならあの人がくれたゴールドのリングをゴールドのチェーンに通してネックレスにしようかな、ピンクだからゴールド系のアクセサリー合いそうだし。
考えているだけで頬が緩む。ウマ娘で目が肥えたあなたが気づいてくれなくったっていい。あなたとクリスマスに会えるって、とびっきりスペシャルな機会に、とびっきりスペシャルな私でいたいのだ。あなたとクリスマスに会えるってことは、私にとってこんなにスペシャルなことなんだよって全身で伝えたいのだ。
今日のスタイルのプランが決まったから、軽く朝ごはんを済ませて、昨日のお弁当箱と一緒に食器も洗う。ふふふ、私、これからデートするの。クリスマスに、好きな人とデートするの。煩雑な家事もそれだけで楽しくなる。
家事を終わらせて、LANEで仕事の打ち合わせを済ませて、服を着替えて、メイクをして、ヘアアレンジをした頃にインターホンが鳴った。お、グッドタイミング。
「はいはーい、いらっしゃい」
ドアを開くと、そこにはダッフルコートを着たあなたがいた。あれ、仕事帰りのスーツじゃないんだ。あなたは開口一番叫ぶ。
「ウワッ、可愛い!」
「もっと可愛いウマ娘ちゃんたち普段から見てるでしょ」
「君は特別だよ」
「ふふふ、ありがとう。もう出掛けられるよ」
「よし、じゃあ行こう」
あなたはいつか私が送ったキーケースを指に通してくるっと一回転させて笑った。
「お昼っていうか、スイーツ寄りだけど。前行きたいって言ってたから」
「すごい。本当ありがとう。え、やばい。わ、わ、本当にインスタで見た通りだぁ……。ここのヌン茶半年とかずっと予約埋まってるのに、よく予約取れたね」
「ヌン茶?」
「アフターヌーンティーのこと」
「ヌンチャクかと思った。先輩にちょっとお願いしまして」
「そっか、トレーナーって結構名家の人多いもんね。お礼言う時、ヌンチャク美味しかったです、って言っちゃ笑われちゃうよ」
「分かってるって」
軽く揶揄うと、頬を突かれた。完全予約制のそのアフターヌーンティーは、全く並ぶこともなく席へ案内される。案内してくれたウエイターさんのシャツは折り目正しく、均一な白と黒。内装までオシャレで洗練されている。本当は写真を撮りたいけど、そうするのを躊躇うくらい上品な空間だ。
「私、浮いてないかな?」
「そんなことないよ」
「どうしよう急にテーブルマナー不安になってきた」
「俺も分かんないから大丈夫」
「うー」
少しするとすぐに紅茶とアフターヌーンティーが届けられた。
「良い匂いだな」
「うん。苺のフレーバーティーかな?」
「はい、苺のフレーバーティーでございます」
私の当てずっぽうに、ウエイターさんが穏やかに答えた。あなたは「すごいすごい」とはしゃぐけれど、聞かれていると思わなかった私はちょっぴり恥ずかしい。無言でぺこり一礼した。ウエイターさんもそれに会釈を返してくれて、立ち去ろうとしたその時あなたが声を掛けた。
「お写真お願いしても良いですか」
「喜んで」
あなたの顔を見つめた。私が写真を撮りたいと思いつつ気が引けていたことに気づいたのかな。なんか、嬉しい。
「ありがとう」
私が小声で言うと、あなたも小声でどーいたしましてと言う。2人でピースをして、あなたのスマホに映った。
アフターヌーンティーのスイーツは、どれも絶品だった。今の時期はイチゴがメインだそうで、ナポレオンパイには食べづらいくらい大きなイチゴが挟まっている。
「ね、これどうやって食べる?」
「確かに。これ、割るの難しそうだな」
「ね。イチゴも大きいし」
「となると、小さいし一口で一気とか?」
言うなりあなたは大きく口を開けて、フォークに刺したパイをパクリと一飲みにした。若干お行儀悪いきらいはあるが、パイ生地も落ちずに綺麗だ。真似をしてフォークに刺して一飲みにしようとしたけど、若干私の口には大きい。なんとか口を閉じると、少し口の端からカスタードクリームが溢れる。
サクサクの生地と、カスタードクリームの甘さと、苺の程よい酸味が混じり合って、口の中が幸せでいっぱいになる。噛み締めるたびにイチゴの果汁が溢れ出してくるのが堪らない。私が夢中になって味わっていると、彼が人差し指で私の口端を拭った。クリームをとってくれたのだ。そのまま彼はヒョイと自らの人差し指を舐めた。私はよく噛んで、ナポレオンパイを飲み込んでから、「ありがとう、ごめんね。ちょっとお行儀悪かったよね」と言った。あなたは「可愛かったから大丈夫」と笑う。
「まーた上手いこと言って。何か苦手なものでも入ってた?」
「そういうわけじゃないんだけどな。あ、このキウイもらってくれない? はい、あーん」
悪戯っ子のように笑って、あなたはキウイを刺したフォークを私に突きつけた。そのフォークを受け取ろうとすると、そのまま口元まで寄せられる。ちょっと周りを見回して、そのまま直接食べた。
昔からあなたはキウイが苦手だった。苦手、というのは、食べれなくもないが食べなくて良いなら食べたくない、という彼のスタンスを考慮しての表現だ。トレーナー寮の食堂ではしわしわの顔になりながら食べている、らしい。彼は結構そう言うものが多くて、私といると私に押し付けてくる。
美味しいと思うんだけどな、キウイ。私はキウイは果物の中で一二を争うくらい好き。酸味と甘味のバランスが良い。
もぐもぐしている私の対面の席で、あなたは楽しくて仕方ないとばかりの満面の笑みだ。
「このキウイ美味しいよ。完熟っていうか、極限まで完熟って感じ。食べなくて良いの?」
「俺は良いの。美味しかった?」
「うん」
彼は満足そうに笑った。
「この後ってどうするの?」
「ちょっとデパート見て、それからディナーに行こうと思ってる」
「いいね。私、クリスマスコフレとか見たい」
「コフレ?」
「あー、コスメのこと。コスメに限らずだけど、クリスマス限定品ってが大体デザイン凝ってて、ウインドウショッピングしてるだけで楽しいよね」
「いいね。ウインドウショッピングじゃないけど」
「え? あ、……ごめんね、私、クリスマスコフレとか買うほどそんなにお金持ってきてないって言うか……」
「大丈夫だよ」
「あのね、ここでアフターヌーンティー食べて、これからディナーもあるとなると、ちょっと心許なくて」
「俺が全部払うよ。俺が君と来たかったし」
「え?」
「クリスマスプレゼント。この後も色々巡ろうね」
「え?」
「あ、店長が好きなブランドだ。ここのベース系全部肌に優しいんだよね」
「欲しい? 買うよ?」
「待って待って待って」
「猫ちゃんのデザインだ可愛い〜。そういえばシルバーのアクセサリーあんまり集めてこなかったな」
「欲しい? 買うよ?」
「待って待って待って」
「こういうキリッとした匂いもアリかも。これだったらあなたがつけても違和感ないかな。お揃いの匂いで匂わせとか。なんちゃって。いや冗談だよ?」
「買うか……」
「待って待って待って」
「あのね、ちょっとし、……下着は恥ずかしいかなって。ね、その、ね?」
「安心して。俺は外で待ってる。カードだけ渡しとくよ」
「そんなの言われたって困るよ! あと、私のサイズってあんまり店頭で売ってないもん」
「そうなのか? 大きい店舗だからあるんじゃないか?」
「大きいサイズって、あんまり置いて無いんだよね」
「そうか………」
本当に本当に色々巡った。
「まさか下着まで行くとは……」
「どんなの買ったんだ?」
「え、それはまあ。ナイショ!」
「そうか……。じゃあ、次のお店」
そして彼が立ち止まったお店の前で、私は凍りついた。誰もが知ってる、世界的ブランド。ドレスも靴もファンションは一通り揃うブティック。
「すっごくオシャレしてくれたのに、ごめんね。次のお店、ドレスコードあるんだ」
「え」
「俺、荷物置いてくるから」
「え」
「ドレス、選んでて。戻ってきたらすぐに一緒に選ぶから」
「え」
「じゃ」
「待って待って待って」
店内にある商品の値札を見て怯え切った私の背後に、音もなく女性が忍び寄る。
「本日お客様を担当させて頂きます。よろしくお願いいたします」
「はへ、あぁ違う、はい、よろしくお願いします、はい」
「髪型やメイクはご自分でなさったのですか」
「はいぃ。そうです」
「大変素敵ですね。ではそれに似合う物にいたしましょう」
「あ、ありがとう、ございます」
店員さんの上品な笑みが重い。とりあえず、引き攣った顔で愛想笑い。あなたは平然としているけれど、私には縁のない世界だ。高級ブティック、怖すぎるよぉ!
それから私は店員さんの質問にあれこれ答えて、いくつか案を絞ってもらった。いや成人式でドレスに合わせた髪型とかやってなきゃ絶対ドレスのこととか何も分からなかったよ。仕事に救われた。
そうして絞り込んだ二つのドレスを、駐車場から戻ってきたあなたに見せた。
「……露出度、高くない?」
「イブニングドレスってこんなもんだよ」
「そうか」
「ウマ娘の勝負服なんてもっと露出度高いのもあるじゃん」
「それはそうなんだけど、でも君は特別っていうか……」
「どっちがいい?」
あなたは口元に手を当て、熟考し、そして、ゆっくりと一方を指した。
「いがーい。総レースの方にするかと思ってた」
「そっちは………その、胸のところが……」
「ああ、まあレースあるとなると浅くなるよ。谷間見えるくらいとはいえレース越しなのに」
「うん……」
「そっか。でも意外だなあ。じゃあ着替えてくるよ」
と選ばれた方を掴もうとして、やめた。値札が見えないけど、これ、多分すごい高い。
「あの、店員さん、着せてもらってもいいですか……?」
「はい」
完璧な笑みを浮かべる店員さんの手を借り、ドレスを着る。間違ってもメイクがつかないよう、汚さないよう、慎重に、慎重に。ドキドキしながら時間をかけながらも着替え終わると、やっぱり少しスースーする。肌が晒されている感覚が慣れない。それでもあなたが選んでくれたんだ!と勇気を出して更衣室を出る。
「どうかな?」
「良い。すごく良い。すごく、似合ってる。すごく、良い」
「えへへ」
語彙力がないながらも褒めてくれるあなたに気分が良くなって軽くターンすると、突然呻き声がした。
「どうしたの?」
「…………せなか…………」
「ああ、これ? そういうデザインだよ。あなたが可愛い系じやなくてセクシー系選ぶの意外だったから。もしかして、背中も布あると思ってた?」
「うん………」
「そっか。もう一個の方に変えれるか、聞いてみる?」
「いい………」
「いいの?」
「うん………せなか……………」
「ねえ大丈夫?」
「大丈夫、俺が君の背中を守るから」
「ありがとう?」
その後彼も着替えを済ませていつも以上に男前になった。日本人の癖に異様にタキシードが様になっていてちょっとずるい。「かっこいいね」と言うと、彼は自慢げにニヤリと笑う。そんなニヒルに振る舞いながらも、私の背後にピッタリへばりついて、背中を見た瞬間目を逸らす謎の挙動を繰り返す彼と、ディナー会場に向かった。
「め、メジロホテルだぁ」
思わず声が裏返った。メジロ家といえば言わずと知れたウマ娘の名家であるが、そのメジロ家が運営するホテルである。当然、メジロ家に相応しい品格のホテルであり、まあ私のような庶民は一生行けないような場所である。
「そうだよ、メジロホテルだよ」
しかし、あなたは何ら気負う様子もなく回転ドアの入り口へ進んでいく。
ねえ、私たちが高校生の頃さ、回転ドアがあるような高級なところ、行ったことなかったじゃん。私はその頃のまま、回転ドアとかどうやって入ったらいいか分からないんだけどさ。あなたはもう、違うんだね。高級で、一流の物の物に囲まれて、そんな世界であなたは生きている。多分、金銭感覚も違うし、価値観も違う。あなたにとっては教え子の馴染みの場所でも、私には一生に一度行くか行かないかの場所なのだ。
今の私と今のあなた。きっともう、同じ物を同じように見ることはできない。同じ目標に、同じように熱く取り組む担当ウマ娘たちとあなたの方が、私よりよほど同じ世界を共有している。
寂しいよ。悲しいよ。不安だよ。私はドレスを着た時の歩き方なんて、分かんないよ。ドレスコードがあるようなお店のテーブルマナーなんて、分かんない。知らない、知らないよ。あなたが今いる世界でのマナーなんて、知らない。あなたの担当ウマ娘だったら若いから多少の粗相があっても許されるんだろうけど、私はもう立派な成人女性なのだ。社会的に正しい振る舞いが出来ないのは、普通に問題なのだ。
今だってほら、ドレスにヒールを履いた状態でどうやって回転ドアを通れば良いか分からない。ただ、扉の前で立ち尽くす。
動かない私に、あなたは声を掛ける。
「どうしたの?」
惨めだった。良い年して、ドレスアップした状態での振る舞いが分からないなんて。しょうがないじゃん。勝負服を着るウマ娘と違って、優れた見目を理由にパーティーや広告塔としての役目を果たすことの多いウマ娘と違って、私、ドレスなんて全然着たことないんだもん。
「回転ドア、怖い?」
怖いんじゃない、分からないんだよ。返事を出来ない私を前に、あなたは暫し逡巡して、右手で手を取り、左手を私の腰に回した。
「大丈夫、俺についてきて」
優しい、と思った。そう思えば思うほど、あなた頼りではなく、あなたと一緒に歩めるウマ娘が羨ましかった。
無事に回転ドアを潜り抜けると、そのままの手を引かれ、エレベーターを待つ。
「ねえ」
「何?」
「ここに来るの、何回目?」
「エントランスまでなら何回かあるけど、中まで入るのは初めてだよ。今まではアルダンを迎えにきただけだったから」
「そっか。アルダンちゃん、メジロのお嬢様だもんね。アルダンちゃんだったらこういう場所似合うんだろうな」
「ああ、実際、周りにすごく馴染んで、一枚の絵みたいだった」
「素敵だね」
慣れたもので、当たり障りのない肯定の言葉が喉から滑り出る。本当に、本当に綺麗なんだろうなと思えてしまって、あなたが絵画のようというのもその通りなんだろうなと思ってしまって、何より納得が勝ってしまって、それが悔しかった。おかしいな、ある程度割り切れたと思ったのに。私、また駄目になっている。
「中にはウマ娘のサインがいっぱいあるんだって」
「すごいね」
「楽しみだね」
あなたが私の方を振り返りそうになったその時、エレベーターが来た。あなたに導かれるまま、エレベーターに乗る。エレベーター内の沈黙が妙に重い。
「これから行くレストランも各テーブルにメジロ家ゆかりのウマ娘のサインがあるんだよ」
「知ってる、楽しみ」
会話はそれ以上続かなかった。あなたは妙に口数が少なかった。あなたの手にはうっすら汗が滲んでいた。私はそれを気付かないふりをした。気付かないふり、見ていないふり、気にしていないふり。なかったことにするのは得意だった。