やべー女トレーナーの恋人概念2

やべー女トレーナーの恋人概念2

彼としばらく会えてない+クリスマスイブにひとりぼっち+師弟のスキンシップ=爆発


 朝一番だというのに年末の中山は予想通り人でごった返していた。思わずバックのショルダーを抱きしめた。唇を強く噛み締め、この人混みを掻き分け自分の席に着く覚悟を決める。こういうとき、トゥインクルシリーズの人気は年々上がっているだなあと実感する。高校生の頃からG1レースは見に来ていたし、あなたがトレーナーになってからはなるべく教え子たちが関東のレースに出るときは応援しに行っていたけど、それでもやっぱりダービーと有馬記念の混雑には慣れない。

今日はクリスマスイブ。同僚にはクリスマスパーティーに誘ってもらえた。気心の知れた女友達と料理を持ち寄って、おしゃべりしながら過ごす聖夜。ぶっちゃけすごく魅力的。有馬記念とクリパ、どっちに行こうか迷った。だって有馬記念を見に行ったって、多分あなたには会えない。教え子がG1に出ているトレーナーは忙しいのだ。

でも、会えなくてもウマ娘ちゃんたちのレースを見れるだけで楽しいからね。それであなたの教え子が勝ってくれたらもっと最高。現地観戦で応援してる子が勝ってくれたら超絶ハッピーだけど、負けちゃったらしばらく悲しくなっちゃう。そんなことを同僚に言うと「ギャンブルじゃん」と笑われた。そうかもしれない。それでも私たちトゥインクルシリーズのオタクは応援をしに行く。あの子が頑張っている、かっこよくて可愛い姿を見たいから。私の場合はウマ娘だけじゃなく、恋人の頑張っている、かっこよくて可愛い姿を見に行くんだけどね。

マヤノちゃんが配信をやっていることもあって、あなたは割と知名度が高いトレーナーだ。だから迷惑になったら嫌だと思って、周囲にはあなたと付き合っていることはおろか付き合っている人がいることも伝えていない。自意識過剰かもしれないけどさ。あなたの担当ウマ娘の耳に入ってモチベーション下げるわけにいかないし。だから恋人を見に行くという説明もなしに、有馬記念を見に行くと言って誘いは断った。同僚は「相変わらずギャンブラーじゃん!」と爆笑しながら「じゃあ次からはG1のない日に誘うわ」と言ってくれた。本当に人に恵まれたと思う。

リュックの中にはとびっきりの可愛いがぎゅっと詰まっている。あなたの教え子のぱかぷちたちだ。ローレルちゃん、マヤノちゃん、アルダンちゃん、ヘリオスちゃん、ゼファーちゃんのぱかぷちはひとつ、ロブロイちゃんだけ私が自分で取ったものと、あなたがくれたものでふたつ。クレーンゲームが苦手なあなたがぱかぷちを取れるなんて思っていなくて、ロブロイちゃんのぱかぷちがゲームセンターに並んだ日に速攻取りに行ったのだ。


『見て見て、じゃん』

思い出すのはあなたがロブロイちゃんのぱかぷちをくれた日のこと。あなたはワクワクしているのを隠しきれない顔をして、後ろ手に隠していたロブロイちゃんのぱかぷち制服verを見せたんだったね。

『あ、ロブロイちゃんのぱかぷちじゃん。ちゃんとメガネも再現されてて可愛いよね』

『だろ? とれーなーの贔屓目抜きに俺もそう思う』

その言葉に心がささくれ立つ。恋人の前で他の女の子のこと褒める? いやでもしょうがないよね。本当にロブロイちゃんは可愛いもん。丸くて大きいお目目に、大きな眼鏡、太い三つ編み。スタイル抜群なのに、危険な色気以上に万人に好かれる可愛さがある。ロブロイちゃんの柔らかい魅力は私にはないもん。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、あなたはにこにことして私にぱかぷちを差し出した。

『あげるよ』

きらきらとしたあなたの笑顔。私、思わず目を逸らす。いや、嬉しいんだけどね?

『……あー、私、もう持ってるんだよね』

『もう!? これ昨日からだったろ』

『うん、だから昨日仕事終わった後速攻ゲーセン行ったんだ。品切れしたら嫌だもん。300円で秒殺』

『まじか……』

丸くて大きいお目目に、大きな眼鏡、太い三つ編み。ロブロイちゃんの柔らかいかわいさがぎゅっと小さくまとめられたぱかぷちだもん。取らない手はないよ。クレーンゲームの機体の取り出し口から取り出した瞬間、思わずときめいて頬擦りしちゃった。我ながらやばいね、冴えない成人女性に許される挙動じゃない。

『そっかぁ……』

あなたはしょんぼり。まるで子供みたい。でもそんなところが可愛い。頬が緩んじゃう。

『ぱかぷちはあればあるだけ幸せになるからね、もらってもいいかな?』

『もらってくれるのか?』

『うん。私のためにもらって来てくれんでしょ?』

『いや、自分で取って来た』

『え? そうなの? どれくらいかかった?』

てっきり企業から提供されたとばっかり思ってたからびっくりした。あなたはクレーンゲームは下手くそなのだ。しかも、取れないとムキになる。私は最推しのありとあらゆるグッズをクレーンゲームで取って来たので割と得意な方で、見かねてあなたの代わりに取ったことも結構あったなぁ。あなたは私の後ろから肩に手を回して、『えへ』と笑う。

『あー、誤魔化したなぁ?』

『でも前よりずっと上手くなったから、ほんとだから。これから先、うちのウマ娘のぱかぷちは全部俺が自分で取ってあげるから』

『本当かなぁ。私、自分で取れるけど』

『俺が自分で取って渡したいんだよ!』

『それは、オトコゴコロってやつ?』

『オトコゴコロってやつ』

真面目な顔で力強い主張だった。付き合ってから知った彼の一面、結構カッコつけたがり。かっこいいのにカッコつけようとするところが本当に可愛い。

『……ふふ。分かった。楽しみにしてる』


 そんな経緯があってうちには二つのロブロイちゃんのぱかぷちがある。今流通してるロブロイちゃんのぱかぷちは基本的に秋古馬三冠記念ver.か勝負服ver.で、この制服ver.はかなりレアだ。SNSを見ると新規ファンがロブロイちゃんのぱかぷちの制服ver.がどこにもないと嘆いているから、それを二つも持っているのはちょっぴり申し訳ない。でもこの2つのぱかぷちには思い出が詰まってるんだもん。許してほしい。転売は駄目だしね。

 人並みに飲まれるまま、流されるまま客席に向かう。クリスマスイブだというのに、いや、クリスマスイブだからこそか、すごい人混みだ。揉み合い、へし合い、息が苦しい。なんとか流れから抜けてすっかりくたくたになっていた。本当はパドックと往復して全部見たかったけど、こりゃ無理かな。高校生の頃のようにはいかないか。スマホ片手に歩き回っていた若い体が恋しい。

 指定席に腰を落ち着けて持参したお茶を飲んだ。うう、寒さに染み渡る。トイレ以外はこの先移動する予定はない。お昼もこの席で食べる。レストランに行列ができることはわかってるからね、今日のお昼は作って来たお弁当だ。冷えても美味しいミートボールとポテトサラダ、あとはフランスパンサンドイッチ。普段はこういうときは湿気やすいフランスパンは避けるんだけど、今日はクリスマスイブだからね。1人寂しく過ごすとは言え、ちょっとでもそれっぽく。

 というわけでリュックに押し込めていたぱかぷちたちを取り出した。リュックは地面に下ろして、代わりに膝の上にぱかぷちを並べる。本当に可愛い。

「今日はあなたたちのモデルが走るからね〜」

ぱかぷちの頭を撫でた。柔らかい手触りにキュンとする。いい年した大人がやばい絵面だっていうのは正直分かってるんだよ。でもウマ娘グッズの中では一番ウマ娘のかわいさが詰まってるのはぱかぷちだと思うし、そんな可愛いぱかぷちたちに、あなたたちのモデルはこんなにカッコよくて可愛いんだよって見せたいのだ。いやこの思考自体がアレなのは自覚してるよ? でも本当に可愛くて、洗ったり天日干ししてる間にどんどん愛しくなって来ちゃったんだもん。付喪神思想みたいなもの……っていうのは図々しいかな。

 第1Rのウマ娘が入ってくる。ジュニア級の未勝利レースだ。あなたのチームでいうと、マヤノちゃん、ローレルちゃん、ヘリオスちゃんはメイクデビューで負けて未勝利レースから上がって来た子たちだったね。特にマヤノちゃんはなかなか未勝利レースを抜けられなくてあなたは悩んでいたなあ。最初の担当ウマ娘であるロブロイちゃんが比較的テンポ良くダービーまで辿り着いた反動か、ローレルちゃんとヘリオスちゃんは1ヶ月以内に未勝利レースを脱したからか、かなり自分を責めていた。

 ぐるぐる悩んでいるあなたを見るのは心配だったよ。でも私はトレーナー業のこと何も知らないからさ。マヤノちゃんみたいに天才じゃないし。あなたの仕事に、マヤノちゃんの青春に適当なこと言うわけにはいかないもん。話を聞いて。相槌を打って。そしてマヤノちゃんが未勝利レースを勝った日にはちょっと豪華な晩ごはんにした。

 トゥインクルシリーズのファンでも見ない人もいる未勝利レースには一つ一つの陣営にドラマがあるし、このレースに出た子が活躍する可能性だってあるのだ。それに、走ってるウマ娘はみんな綺麗でかっこいい。

 未勝利レースが続いて、4Rにメイクデビューのレースがあり、6Rのクラシック級の1勝クラスが始まる頃には更に客席が混んできた。うーん今行っておかないとタイミング逃すな。そう思ってリュックにぱかぷちを戻して背負う。トイレぐらい大丈夫でしょと思うけど、万が一盗まれたらずっと後悔する。

 トイレは既に並び始めていた。覚悟はしてたけど長蛇の列。トイレ行きたくなる前から並んでおいてよかったな。回転は悪くないんだけど、いかんせん人が多い。そうして並んでいるうちに「おかーさんもう飽きたー」という声が私のちょっと前から聞こえた。小さな女の子。私の前に並んでいる親子だった。

「トイレまだなのー? 立ってるの疲れたぁ。トイレ行かなくていいし座りたい」

「ごめんね。でもこれからもっと混むから、おしっこ行きたくなる前に行っておきましょう」

「やだやだやだ! 疲れた! 飽きた! やだ! 座るの!」

「あーもう周りの人に迷惑になるでしょ、お願いだから静かにして、ね? 良い子だから」

「みお良い子じゃないもん!」

お母さんは困り果てた様子で気まずそうにあたりを見回している。子育てお疲れ様です。私はお母さんと目が合った一瞬になるべく不信感を抱かれないように微笑み、しゃがみ込んで女の子と目線を合わせた。

「こんにちは」

私が声をかけると、女の子は怯えたようにお母さんの後ろに回り込んだ。あ、いや、知らない人に急に声をかけられるって怖いよね。ごめんね。

「今日は有馬記念を見にきたの?」

「はい」

女の子、ぎゅっとお母さんの足にしがみつく。防犯感覚があってよろしい。私は怖くないよ、怖くないよと精一杯にっこりする。

「お姉さんも有馬記念を見にきたんだ。一緒だね。誰を応援するの?」

「アルダンちゃん。おひめさまでかわいい」

おお、流石アルダンちゃん。この子はきっと名門メジロ家は知らないんだろうけど、溢れ出す気品を嗅ぎ取っているのだろうね。おひめさまというのはなかなか秀逸な形容だった。すごいな、この子。

「そうなんだ! お姉さんもアルダンちゃん好きだよ。その髪飾りはアルダンちゃんとお揃いかな?」

「うん! おかーさんが作ってくれたの!」

「すごーい、お母さん上手だね」

女の子はどんどん機嫌が良くなって、小さくて丸い頭を見て見てと私に突きつけてくる。長く待たされている中、子供の声でピリついていた空気が和らぐのを感じた。

「私もアルダンちゃんが好きでね、じゃん!」

リュックからアルダンちゃんのぱかぷちを取り出して見せた。

「アルダンちゃんのぱかぷちだー!」

「お姉さんの宝物だからあげられないけど、並んで待ってる間は見てていいよ」

「いいのー!?」

「いいよぉ。アルダンちゃん好き仲間だからね」

女の子にアルダンちゃんのぱかぷちを握らせて、立ち上がった。この子ならきっとぱかぷちを乱暴に扱うことはないだろう。同担を信じるのだ。お母さんと目を合わせる。

「勝手なことをしてすみません。髪飾り、素敵ですね」

「いえ。……ありがとうございます」

強張っていたお母さんの顔が安心したように緩んだ。うん、迷惑じゃなかったみたい。良かった。女の子はアルダンちゃんのぱかぷちを抱きしめて、くるくるその場を回っている。可愛いに可愛いが合わさって最強に可愛い。

「おねーちゃんはアルダンちゃん以外にもぱかぷち集めてるの?」

「そうだよ、ロブロイちゃんのぱかぷちは制服版を持ってるんだから」

「ロブロイちゃんの制服のぱかぷちって、すごく珍しいものですよね?」

「はい。レアかもしれません。あ、ごめんなさい変な自慢して」

「いえ、お気になさらず」

お母さんは穏やかに笑った。大人の対応である。うぅ、恥ずかしいな。いい年してフォローされちゃったよ。

 その内にトイレの順番が回って来て、女の子は私にぱかぷちを返してくれた。

「ありがと、おねーちゃん」

「どういたしまして。これからもアルダンちゃんを応援してね」

「うん!」

「ありがとうございました」

「いえ、なにも」

トイレの個室にその2人が入っていく。「ねーママ、私クリスマスプレゼントはアルダンちゃんのぱかぷちが欲しい!」と、無邪気な声が聞こえる。

「もう、ママからのプレゼントはもうあげたでしょ」

「じゃあサンタさんにお願いする」

「そんな急に言われてもサンタさんも困るんじゃ無い?」

「サンタさんは奇跡起こせるもん、サンタさんならできるもん!」

この通りだと思うよ。君のサンタさんはきっと奇跡を起こしてくれる。だって、君のお母さんはターフィーショップの紙袋を持っていたからね。多分、バレないようにこっそり勝って来たんだろうね。なんとなく微笑ましい気持ちになった。

 そして別のトイレが空いてすぐに入れた。ガチャリと鍵をして気づく。ハートフルな光景で忘れてたけど、これからもアルダンちゃんを応援してね、って誰目線だよ。ていうか何様だよ。いや担当トレーナーの恋人なんだけどね。私がアルダンちゃんを応援してても、アルダンちゃんは私のこと知らないのに。

「恥ずかしい……」

思い上がっている自分を突きつけられたようで、ちょっと落ち込んだ。

 くよくよしていたって仕方ない。用を足して手を洗って席に戻った。もう8Rが始まろうとしている。更に人混みは増えた。これはぱかぷちを出したら無くしちゃうかもな。本当は取り出して、あなたたちのモデルはこんなにかっこよくて可愛いんだよって見せてあげたかったけど、無くしたら元も子もないもんね。あまりリュックを開かずにお弁当を取り出した。お昼を食べるにはちょうどいい時間だもん。お手製のお弁当は冷え切っているけど、我ながら美味しくできていた。

 今頃あなたは何を食べてるんだろうなあ。G1レースに出場するウマ娘とそのトレーナーにはURAからお弁当が支給される。きっと私の料理よりおいしいものを食べているんだろうなぁ。そりゃG1ウマ娘に提供されるような食事と比べたら数段落ちるのは仕方ないけどさ、ちょっと悔しい。

 ご飯を食べ終えて、お茶を飲んで、一息ついて。だんだん心臓がうるさくなっていく。耳奥で、どくん、どくんと低く響く。頭が熱い。手が自然と編まれ、祈りを捧げる形になる。手に口元を埋めて、ただ祈る。全員無事で、全員悔いなきレースを。頑張って、頑張りすぎて食が細くなっていたあなたが、どうか、どうか報われますように。今日はクリスマスなんだ。神様、どうか。

 ファンファーレがなった。お馴染みの高らかな金管楽器の音色。それよりもっとずっと大きく響く心音。

 有馬記念が、始まった。




 そして、今日の勝者は先頭でゴール板を通過し---栃栗毛のショートカットを揺らして、客席に向かって両手を大きく広げた。それは彼女がG1を勝利した時のパフォーマンス。

 第××回有馬記念。勝者、サクラローレル。

 「う、うおおおおおおおおおお!!!!」

気づけば私は大声をあげていた。勝った、勝った、勝った! あなたの教え子が、ローレルちゃんが有馬記念を勝った! その強さに鳥肌が立つ。周りも大いに興奮して叫んでいる。

「おめでとうー!」

「お前が最強だー!」

「フランスでも頑張ってー!」

「凱旋門も勝てー!」

ローレルちゃんは凱旋門を勝つのがずっと夢で、今回の有馬記念を優勝したら来年度は凱旋門に挑むことを公言していた。これで、彼女は夢に一歩近づいた。ローレルちゃんが予後不良になる夢に悩まされていたあなた。その夢を現実にするまいと必死に足掻いていたあなた。あなたとローレルちゃんが見た夢が、現実に一歩近づいた。身体が燃えるように熱い。ああ、やっとだ。やっと、あの日あの人が叶えられなかった夢が、とうとう叶うかもしれない! ああ、なんて最高のクリスマスプレゼント!

 ローレルちゃんの1番のライバルのマヤノちゃんが、やり切ったことが分かる快活な笑顔で真っ先にローレルちゃんを祝いに駆け寄る。真摯な目でローレルちゃんを讃えて握手の手を差し出すロブロイちゃんには、昨年王者の風格があった。アルダンちゃんは悔しさを滲ませながらローレルちゃんに何か話しかけた。適正距離より4ハロン以上長い距離を走ってヘロヘロになりつつ、ヘリオスちゃんがローレルちゃんに飛びついて抱きしめた。ゼファーちゃんが飛び出して来る。その後を追って、スーツで動きにくそうにしながら走って来る。

 なんて、なんて素敵なチームなんだろう。なんて良い仲間達なんだろう。スタンド総立ちでローレルちゃんの強さと、チームの絆を讃えている。私も座ってなんかいられない。熱い、熱い、じっとしていられない!

 ゼファーちゃんが手を合わせて喜ぶ。よろよろ遅れながらあなたが現れ、感激してローレルちゃんを抱きしめた。

 その瞬間、私は急に身体が冷たくなって、落ちるように座席に座り込んだ。指先が震える。身体が冷たくなったのに、心臓のバクバクは止まらない。幸せそうなトレーナーさんと、ちょっと潤んだ瞳のローレルちゃんが抱き合う光景が頭にこびりついて離れない。

 それは本当に美しい光景だった。本当に、本当に、美しくて、悔しかった。誰がどう見ても、お似合いだって言う2人だった。絵画のような様子だった。

 私の恋人なのに。私の、男なのに。

 みんな叫びながら立っているので、何も聞こえない何も見えない。それでも、頭の中であの絵画のような様子がこびりついて離れない。美しくて、美しいだけ残酷だ。

「あ……あっ………」

 ああ、どうして包丁を持ってこなかったんだろう。

 私、もう、耐えられないよ。

 だって、こんな美しい光景を見たら、みんなお似合いだって思うじゃん。素敵な2人って思うじゃん。私の、私の恋人なのに。いやだ、そんなの嫌だよ。あなたは私の恋人なんだもん。そりゃ私には、何にもないけど、何の取り柄もないけど。可愛くないし、スタイルも良くないし、セクシーでもない。でも、それでも私が恋人なんだもん。

 今すぐローレルちゃんを刺してしまいたい。ローレルちゃんだけじゃなくて、私よりずっとあなたにお似合いなあなたの担当ウマ娘全員。全員刺して、そして私の恋人だと叫んでやりたい。あなたと恋人でいることに不安も何もなくなって、それであなたの恋人でいたいんだよ。

 憎い。かっこよくて可愛いウマ娘たちも、ウマ娘とトレーナーの絆も、それを讃えるファンも、全部全部全部憎い。

 大好きなトゥインクルシリーズが、憎い。

「やめて………返して………私からあの人を奪わないで………!」

目を閉じて、耳を塞いで叫んだ。でも興奮した群衆の中でそれは埋もれて消える。ちっぽけだ、本当に、ちっぽけで、情けない。私が殺意を持ったって、何にもならない。誰にも届かない。

 何やってんだろう。今日、クリスマスイブなのに。最低だ。最低だよ、私。

 ローレルちゃんが勝って、本当に嬉しかったの。本当だよ。嘘じゃないもん。悪夢と戦いながらサポートしてきたあなたの苦労が報われるのも、ローレルちゃんの夢が一歩実現に近づくのも、本当に嬉しかった。あの人が叶えられなかった夢が、今度こそ叶うかもしれないって、本当に嬉しかったんだよ。本当に嬉しくて、身体が熱くて、心が熱くて。

 でも、あなたとローレルちゃんの美しい光景を見たら、何もかもめちゃくちゃになってしまった。怒り、とか、悲しみ、とか、そういうんじゃないの。すごく、綺麗だと思ったの、綺麗だと思っちゃって、それが悔しいんだよ。みんなお似合いだって思うんだろうな、そりゃそうだろうなって、それが一番悔しいんだよ。私があの人に並んでもあんなに綺麗にはなれないんだもん。私は可愛くないし、美人じゃないし、スタイルも良くないし、セクシーでもないし。

 何の取り柄もないヒトミミでも、ウマ娘を刺すことぐらいできると思ってた。包丁さえあれば、いつでも、どこでもって。でも包丁なんて持って来てないよ。何にも出来ないよ。みんながあなたとローレルちゃんがお似合いだなって思ってるのに、何にも出来ない。

 私、あなたの恋人なのに。

 頭を抱えて、耳を塞いで。それでも脳裏にはあの美しい光景がこびりついて離れない。私、どうすればいいの?

 これから勝者とその担当トレーナーのインタビューが始まる。インタビュアーが「最高のパートナーですね」とか「お似合いですね」って言ったらどうしよう。それにあなたが頷いたらどうしよう。怖い。怖いよ。あなた本人の口からそんなの聞いたら、私が恋人だって強がりも言えなくなるじゃん。

 悔しい。悔しいよ。だって今日、クリスマスイブじゃん。こんなのおかしいよ。どうかしてるよ。どうかしてる、私。ローレルちゃんのことも、あなたの担当ウマ娘も、ウマ娘も、レースも、トゥインクルシリーズのファンも、大好きなのに。今は、全部が、憎い。

 トゥインクルシリーズが、憎い。

 私は、熱狂の渦の隙間を縫って逃げ出した。競馬場を出て、歩いて駅へ向かう。街を行く人たちはみんな楽しげで、大切な人と歩いている。みんな思い思いにクリスマスイブを楽しんでいた。競馬場でも、街でも、私だけが場違いだった。

 帰ろう。家に、帰ろう。G1がある日、大抵あなたは忙しくてうちに来られない。トゥインクルシリーズの熱気からも、クリスマスイブの陽気からも離れて、場違いな私ひとりぼっちで家にいられる。

 それはとてもいいことなのに、何故だか唇が歪んだ。


Report Page