びっくりばこ

びっくりばこ





思えば彼女という存在は、予想外の連続だった。

大の大人を振り回してくる、小さくて活発なお姫さま。

何が飛び出してくるか分からない、オモチャ箱のようなきみ。



………

…………

……………



「えらん」

 名前を呼ばれて。

「うん」

 返事を返す。

「えらん」

「なぁに」

 同じようなやりとりを、何度も何度も繰り返す。

「えらんー」

「はいはい」

 そうしていると、自然とお互いの声音から力が抜けてくる。呼びかけも返事もだんだんと適当なものになってきて、クスクスと笑い声が混じるようになる。

 柔らかくほどけた空気の中、スレッタ・マーキュリーとエラン・ケレスが笑い合っていると、クーフェイ老が苦笑しながら部屋に入ってきた。

「ヒヤヒヤしたもんだが、何とかなったな」

「クーフェイさん」

 やはり部屋の外で様子を伺っていたらしい。エランが怪我をしたことにも気付いていたようで、片手には救急セットを持っている。

「早いとこ治療するぞ。どうせお前さんは病院へは極力行きたくないんだろうからな」

「確かに、そうですけど…」

 こちらの事情を考えてくれている言葉に、どこか煮え切らない返事をしてしまう。気になるのはスレッタの反応だ。

 傷の事を思い出させてまた泣かれたらどうしよう。エランがそんな事を考えて躊躇していると、老人は呆れた顔になった。

「治療せずに悪化したほうが気に病むだろ。ほら、スレッタお嬢さんからも何とか言ってくれ。これを使えばすぐ治るのに、意気地なしなツルツル星人はいやがってるんだ」

「えらん。…なおしてもらお?」

 クーフェイ老の言葉を真に受けたスレッタが、眉をへにょんと下げながら話しかけてくる。彼女の中でのエランは『弱っちい』ツルツル星人だ。今はそれすら通り越して、治療を怖がって拒否しようとしているか弱い生物……のように見えているかもしれない。

 正直なところ、反論したい。

 自分はそんな怖がりじゃないと、はっきりと主張したい。

 けれどエランはすべてを飲み込んで、代わりの返事を口にすることにした。

「…わかった」

 ここで変な意地を張るよりも、彼女に悲しい顔をさせないことの方が重要で大切なことだ。

 笑顔になった小さなスレッタが、励ますようにエランの手を握ってくる。

「がんばろ」

「………」

 温かで柔らかい熱を指先に感じながら、エランはこくりと頷いた。


 大量の水と石鹸で傷口を念入りに洗い、清潔なタオルで水気をふき取る。準備を終えた腕を差し出すと、目の前には薬をたっぷりと乗せた指が待ち構えていた。

「…お願いします」

「おう」

 少し染みるぞ、という言葉とともに、傷口に遠慮なく抗菌薬が塗りつけられる。雑でもないが、丁寧でもない、テキパキとした仕草だ。

 ひやりと冷たい薬が傷口の熱を奪って心地いい。

「いたそう。…ごめんね」

 隣で見ていた小さなスレッタが、眉をへにょんと下げたまま謝ってくる。エランはできるだけ彼女が気にしないように、意識して小さな笑みを作った。

「全然痛くないから、謝らなくていいよ」

 ほんとう?という顔で見てくるスレッタにこくんと頷く。実際に嘘ではなく、エランにとってはこれくらいの痛みは無視できる程度の刺激でしかなかった。ペイルでの生活で痛みへの耐性はできていた。

「スレッタお嬢さん、大丈夫だ。ちょっと血は出てたが、表面を撫でた程度だからすぐ治るぞ」

 クーフェイ老もエランの言葉の後押しをしてくれる。薬を塗り終えた老人は救急セットをごそごそ探ると、中から大判のシートを取り出した。

「傷用のシートだ。子どもを預かってると色々とあるからな。最新の道具を取り揃えてある」

 見ればスペーシアンが使っているような有名なメーカーのものだった。おそらく宇宙議会連合で働いているという娘夫婦が取り寄せたものだろう。

「大きさはちょうど良さそうだな」

 老人はスレッタにもよく見えるようにパッケージを掲げると、すぐにバリバリと包装を破って中身を取り出してみせた。

「ほれ、スレッタお嬢さん」

「え?」

 そして出てきた中身をスレッタにひょいっと手渡した。小さなスレッタはびっくりしながら渡されたシートをマジマジと見ている。

「これでけが、なおるの?」

「おう、ピタッと貼ればすぐ治る。よければスレッタお嬢さんが貼ってやれ」

「スレッタが?」

「ジジイの手じゃ裏のテープを剥がすのが億劫でな。なぁに、そんなに難しくないから大丈夫だ。まずはな…」

 腕を差し出しているエランをそのままに、突発的なレクチャーが始まった。一生懸命に説明を聞いているスレッタの邪魔をすることもできず、同じ姿勢のままジッと待つ。

 しばらくしてキリリと眉を上げたスレッタが、シートを見せながら宣言してきた。

「えらん、やるよ!」

「わかった」

 勇ましい声に、こくんと頷いて返事をする。シートがぐしゃぐしゃになっても我慢しようとエランは思った。

 スレッタはペリペリとシートの一部分をはがすと、えいっと気合を入れてエランの腕に貼り付けた。予想に反して、きちんと傷口を覆う事ができている。

 後はそのまま内側のテープを剥がして腕に巻きつけていくだけだ。

「うう、ん…。むぅ~…」

「………」

 けれど今の小さなスレッタにとっては大仕事のようだった。ときおりテープを剥がすのに手間取ったり、指先がエランの腕を引っかいたりしている。

 エランはスレッタの邪魔にならないように、ピクリとも動かずにその様子を見守った。真剣な表情のスレッタは十七歳の少女のように見えて、なんだか胸がムズムズする。

 腕をシートが一周した時には、安堵でほうっと息をついた。

「ふぅー。これでいい?」

「おう、上出来だ。最後に表のテープも剥がせば終わりだな」

 どうやら表面にも薄いテープが付いていたようだ。スレッタは指先で端っこの部分を探ると、ジリジリと表面のテープを剥がしていった。

「おわったぁ」

「ありがとう」

 お礼を言うと、スレッタが嬉しそうな笑顔になる。少し前までへにょんと下がっていた眉は、今はいきいきと上を向いていた。

 エランは腕を上げ下げして、ズレたりしないことを確認してみた。シートはしっかりと腕に吸着して、きつく締めつける感覚もない。普通に動かす分にはまったく問題ないようだった。

「これ、いくらするんです?」

「妹夫婦が常備してるやつだから、値段なんて知らん。まぁ使わずにいるだけじゃ宝の持ち腐れだからな。遠慮なく使っちまえ」

「またそんな事を言って…」

 相変わらず甘い事を言うクーフェイ老に呆れながら、貼られたばかりのシートをジッと見る。

 テープを取り払ったシートは、見た目的にはただのガーゼのように見える。けれど明らかに現在の地球で流通しているものよりも高性能な代物だ。

 内側には特殊な薬品が沁み込んでいて、傷を保護するとともに治りを早めてくれる。正確にいくらするのか分からないが、相応に値段も高くなるだろう。

 現在の地球で売られている薬や医療具は一昔前のものがほとんどだ。二十世紀か二十一世紀くらいのもの、まだ人類がスペーシアンとアーシアンとで区別される前に使われていたもの、が主に生産されて流通している。

 何世代の前の薬や医療具でもそれなりの値段はするもので、貧困層は薬ひとつ用意できないこともよくある話だった。エランが幼い頃など擦り傷程度なら水で洗ってそのまま放置していた。

 クーフェイ老が惜しげなく使ってくれた抗菌薬や傷用シートは、一体どれくらいの値段がするのか…。気になったエランが頭の中で計算していると、それを邪魔するようにシャツの裾が引っ張られた。

「おけが、もうなおった?」

「え?」

 振り向くと、小さなスレッタがワクワクした表情でエランを見ていた。

 先ほどまでのしょんぼりした様子はどこかへ消えて、期待した目でエランの言葉を待っている。

「えっと…」

 けれど当然、エランの怪我は治っていない。いくらスペーシアン御用達の高性能な医療具だとしても、魔法じみた事ができるわけじゃない。

 傷だけでなく鬱血のあともあるので、綺麗な肌になるまでは早くても数日はかかるだろう。

 クーフェイ老の『すぐ治る』という言葉をそのまま受け止めてしまった彼女に、エランはどう答えようか困ってしまった。

「えーとね…」

 嘘を言うのはあまりしたくない。でも元気になったスレッタを悲しませることもしたくない。

 迷った末に出たのは、曖昧な答えだった。

「もう痛くない。きみのお陰ですごく楽になったよ」

 もちろん言葉自体には嘘はなく、本当のことには違いない。スレッタもパッと笑顔になってくれた。

 けれど正解を引けたと気が緩んだエランに、スレッタはさらに追い込みをかけてきた。

「なおったってこと?」

「えっとね…」

 この聞き方では、イエスかノーかで答えるしかない。ニコニコと笑っているスレッタは、怪我が治ったと信じて疑っていない様子だった。

 今度こそ完全に返事に困っていると、可笑しそうに笑っているクーフェイ老の姿が目に入った。

 元はと言えば、老人がすぐに治ると自信ありげに言い切ったのが原因だ。自分の目がジトっと半目になっていくのが分かる。

 エランの視線に気づいたクーフェイ老が、仕方ないとばかりにこちらに目配せしてくる。スレッタを宥めてくれるらしい。

「すぐに治ると言ったがな、スレッタお嬢さん。一日やそこらじゃちょっと早すぎるな」

「まだきず、あるの?」

 残念そうにしているスレッタに、クーフェイ老は残りの傷用シートを手渡して言い含んだ。

「何回か交換すれば治るだろ。これを渡しておくから、スレッタお嬢さんが治してやりな」

「スレッタが?」

「やり方はもう分かるだろう?そうだな。明日と明後日と、明々後日。一回ずつ貼り替えれば、治るだろうさ」

 明々後日、という言葉に首をかしげたスレッタだったが、一日に一回という意味は分かったようだ。

 コクンと頷くと、大事そうに傷用シートを握りしめた。

 同時に、グゥ…、とお腹の音が聞こえてくる。

「おなかすいた」

 スレッタの素直な言葉に目をぱちりと瞬かせる。いつの間にかすっかり夜の時間になっていたようだ。

 もうこんな時間か、と時計を見てつぶやいたクーフェイ老が、気を取り直したようにニカリと笑った。

「たしかに腹が減ったな、飯にしよう。夕飯はこのジジイが作ってやるぞ」

 クーフェイ老は意外と料理が上手だ。あまり食べ慣れないながらも、美味しいと思える食事を作ってくれる。

「お前もちょっとは手伝え」

「はい」

「スレッタもてつだう!」

 やる気になったスレッタと一緒に、みんなで夕飯を作る事になった。

 とは言っても、実際のところエランとスレッタに出来ることはほとんどない。せいぜいテーブルの上を拭いたり、食器をセッティングしたりするくらいだ。

 素人二人が慣れないキッチンでうろうろしている間に、気が付いたらいつの間にか素材が料理に変身している。そんな印象を受けるくらい、クーフェイ老の手際は鮮やかだった。

 唯一、スープだけは最初から最後までじっくりと作る所を見る事ができた。鍋に水を入れて、すぐに顆粒の何かを入れて、煮立った後にあらかじめ用意していた具材を入れて、最後に茶色いペーストを溶かす。

 具材は『トーフ』と緑色の乾燥した何かというのは分かった。お湯に浸けるとすぐに緑色の何かはフワリと解けて、見た事のある海草の一種に変わる。

 確か『ワカメ』という名前だったはずだ。クーフェイ老のアパートにお邪魔していた時に、何度か食べた事がある。

 クーフェイ老はスープを丁寧に作りながら、色々と気にかける手順を教えてくれた。

 かならず水から作る事。『ダシ』を忘れない事。素材によって入れる順番がある事。『ミソ』は出来あがる直前に入れる事。

「俺の思いつく中で一番栄養があって応用が利くのが味噌汁だ。人は白米と味噌汁さえあれば十分に生きていける。お前らには食べ慣れないかもしれないが、これくらいはまぁ、覚えとけ」

 そう言って、クーフェイ老は小さな小皿を二枚用意すると、それぞれにスープを掬ってエランとスレッタに手渡した。

 味見をしろという事らしい。

 スレッタはクンクンと匂いを嗅いだあとに、くいっと躊躇なく口をつけた。エランの方はすでに何度も飲んだスープなので、特に戸惑いなく口に含む。

 口の中に独特の風味と、塩気だけでは説明のつかない複雑な味が広がっていく。ザラリとした舌触りは他のスープにはないものだ。少し匂いはきついが、味自体はとても美味しい。

「おいしーい!」

 小さなスレッタも気に入ったらしい。ニコニコと笑顔になっている。

「気に入ったか?」

「うん!」

 二人の会話を聞きながら、次に作る時はもう少し手伝わせてもらおう、とエランは思った。


 クーフェイ老が用意してくれた食事をテーブルに並べていく。これくらいはエランにも出来るし、小さなスレッタも一生懸命手伝ってくれた。

 メインに老人のアパートで食べた事のある『野菜炒め』がどんと置かれて、その周りをいくつかの料理が取り囲む。どれもエランの目には手の込んだ料理に見えて、どれも短時間で仕上げたものとは思えない。

 それだけでもすごいのに、あらかじめ買っておいた総菜が冷蔵庫から出されると、最終的にどれから食べればいいか迷ってしまうほどの数になった。

「すごい…。これ、ぱーてぃ?」

 スレッタが感動したように呟いている。確かに何かのお祝いだと思っても仕方ないほどの量と質だ。

 エランは特に否定はせず、彼女の言葉を肯定してみせた。

「そうだね、きみの為にクーフェイさんが作ってくれたんだよ」

「スレッタの、ぱーてぃ!」

 小さなスレッタは目をキラキラさせて喜んでいる。

 クーフェイ老は大げさだと言いたげに苦笑しながら、子ども用の可愛らしいフォークを彼女に差し出した。

「ほれ、スレッタお嬢さん。好きなもんを食っていいぞ」

「ありがと」

 スレッタはクーフェイ老にお礼を言うと、さっそく目の前の野菜炒めにかぶりついた。

 シャキリとこちらにも届くほどの音がして、齧った本人も驚いたように目を丸くしている。

「これ、なぁに?ぱりぱり」

「ん?それはキャベツだな」

「これは?」

「豚肉だ。うまいぞ」

「これは?」

「キノコ…シイタケだな。子どもは苦手な子が多いから、もしまずかったら食わなくてもいいぞ」

「ううん。おいしい」

「そうか。たくさん食いな」

「うん」

 一口食べるごとにスレッタは興味津々で質問してくる。朝や昼に食べた出来合いのものとは違い、目の前で調理されたものなので更に興味が湧いたようだ。

 握り締めたフォークを使って、目についた皿の料理をどんどん食べていく。

 その間にエランも手早く料理を口にしていった。早く食べ終えてスレッタの世話をするためだ。今はクーフェイ老が相手をしてくれているので、スレッタよりも早く食べ終わる事ができそうだった。

 どんどん口に含みながら、それでもひとつひとつの料理をきちんと味わっていく。

 半透明の白くて細い野菜『もやし』を調味料で味付けしたもの。ポテトをベーコンで巻いて炒めたもの。茹でたブロッコリーにマヨネーズを添えたもの。ピーマンにひき肉を詰めたもの。ピクルスとは微妙に味付けが違う漬け物。

 食べた事のあるものや、食べた事のないものがある。どれもが老人から生み出されたとは思えないほど優しくて繊細な味がする。

「…ッ!?うぐ」

 ただひとつ、玉子を溶いて焼いたものだけは、口に入れた瞬間に吐き出しそうになった。

 甘い。

 ただひたすらに甘い味がする。

「おう、どうした」

「だいじょぶ?」

「ん、ぐ…。なんですか、これ」

 咀嚼できずに何とか塊のまま飲み込んで、味噌スープの味で上書きする。一瞬で半死半生のような有様になっているエランの姿を見て、クーフェイ老が困惑したような顔をした。

「何って卵焼きだが…。スレッタお嬢さんのために甘い味付けにしてみたんだ。これがな、幼かった頃の娘にも好評で…」

 老人が昔語りを始めているが、大人しく聞いているだけの心の余裕はない。味噌スープを飲んでもまだ口の中に甘ったるい砂糖の味が残っている。

 エランは甘味が苦手だ。はっきり嫌いと言い切ってもいい。フルーツや一部の調味料のような酸味の加わったものならある程度は食べられるが、明らかに甘味だけで構成されているものについては拒否反応が出る。

 『卵焼き』とやらはまだ二切れ残っている。先ほどと同じ味の物をあと二回。到底食べきれるとは思えなかった。

「なんだ、そんなに甘いものが苦手だったのか。すまんな。無理して食わなくてもいいぞ」

「すいません…」

 エランの心を読んだのだろう。珍しくクーフェイ老がエランに対して謝ってきた。

 次いでこちらによこせという動作をしたので、素直に卵焼きを乗せた小皿を老人側に寄せて、もう食べられないと意思表示をする。

 クーフェイ老とエランのやり取りを見ていたスレッタが、自分側に置いてある卵焼きをちょんちょんと突いた。まだ彼女は卵焼きを食べていない。だからこそ起きた悲劇だと言えた。

「えらん。これ、きいろいの。いやなの?まずい?」

 警戒したように見ているので、いいや、と首を振る。自分にとっては嫌な味でも、小さなスレッタにとっては好きな味だと予想はできた。

「僕が苦手ってだけ。きみが食べたら美味しいと思うよ」

 エランの言葉を聞いたスレッタは、ほんの少し迷ったそぶりをした後に、えいや、とフォークを突き刺した。目の前に掲げてまじまじと見たあとに、大きく口を開けてぱくりと頬張る。

 とたんに顔がふにゃりと蕩けて、幸せそうな顔になる。

「おいふぃー」

 モグモグと食べながら、すでに次の卵焼きをフォークに差して準備している。予想通り、小さなスレッタは甘い味が気に入ったようだ。

「そんなに気に入ったなら、ツルツル星人の残した卵焼きも食べるか?」

 クーフェイ老が卵焼きを差し出すと、スレッタが嬉しそうな笑顔になった。そのままフォークを突き刺そうとして、何故かハッとしたように手を引いてしまう。

「ん、どうした?」

「スレッタ・マーキュリー。食べないの?」

 二人で声をかけても、スレッタは手を引っ込めたまま動こうとしない。大きな目は物欲しそうに卵焼きを見ているのに、どうしてだろう。

 もしかして食べかけなのを気にしているのだろうか。そう思って心配ない事を伝えてみる。

「残った卵焼きには手を付けてないから、汚くないよ」

「…んーん、いいの。がまんするの」

 それでも彼女の表情は浮かないままだ。いつのまにか物欲しそうだった顔はハッキリと我慢している顔になり、どこか決意を込めた表情にも変化していた。

 クーフェイ老と顔を見合わせ、二人で首を傾げてしまう。どうしてこの場で我慢する必要があるのか、それが分からなかったからだ。

「我慢って、なんで」

 エランが質問すると、小さなスレッタはぷんと頬を膨らませてしまった。まるで何故こんな簡単なことが分からないのか、そう言っているようだった。

「おなかいっぱいになったら、たべられないもん」

「他のおかずが?でもあと少ししか残っていないけど」

 テーブルの上を見ても、ほとんどの料理は手を付けている状態だった。それにスレッタの食べる量はそれなりに把握している。これくらいならすべて問題なく食べ切れるはずだ。

 エランの言葉に、スレッタはますます頬を膨らませてしまった。

「ちがうもん。もっとすごいの、でてくるもん」

「すごいの?」

 何のことだろう。本当に答えが分からない。クーフェイ老も同じなのか、困惑している様子だった。

 今日一日、ずっと一緒にいて少しは慣れたとは言え、まだまだ小さな子どもの相手は難しい。

 何を考えているのか、何をして欲しいのか。その果てに何が飛び出してくるのか。まるで分からず予想がつかない。

 思わず首を捻っていると、察しが悪い二人に焦れたように、スレッタが大きな声で言い放った。

「おたんじょうびケーキだもん!きょうはスレッタの───たんじょうびなんだから!」

「「───はぁ!?」」

 思いもしなかった言葉に驚き、クーフェイ老と同時に声を上げる。本当に、まったく、予想もしていないものが飛び出してきた。


 そこから先は、大騒ぎになった。








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