ひび割れた誓い
どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。
エレジアから帰って来て少し経った後、山賊とのいざこざがあった日。
溺れるルフィを助けようとシャンクスが海に飛び込み、近海の主に腕を食べられた。
シャンクス本人は全く気にしておらず、赤髪海賊団の皆も同じ。
だから私があれこれ言う必要は無い。
そう分かっていても、受けたショックは大きくて。
私を優しく撫でてくれた、ゴツゴツしたシャンクスの手。
それが片方無くなってしまった現実が受け入れられず、海から引き揚げて貰ったルフィへ怒りをぶつけてしまった。
「ルフィのせいだよ…ルフィが弱いから…だからシャンクスは…!返して!シャンクスの腕を返せよ!!」
掴みかかり怒声を浴びせる私をシャンクスが引き離し、我に返った時にはもう遅い。
呆然とした顔で涙を流すルフィを見て、馬鹿な事を言ったと後悔した。
悪いのはルフィを攫って海に突き落とした山賊だ。
それに私よりも、シャンクスが腕を失う瞬間を間近で見たルフィの方がショックは大きいだろうに。
咄嗟に謝ろうとしたが、それより早くルフィは私に背を向け走り去って行った。
その日以来、ルフィはずっと部屋に閉じこもったまま。
シャンクスやマキノさんが呼びかけても出て来てはくれない。
一度だけ私も部屋の外から呼んでみたけど、返事は無かった。
そうこうしている内にあっという間にフーシャ村を出港する日が来ても、ルフィは顔を見せてくれない。
シャンクス達に頼んで出港時刻を遅らせてもらったが、結局ルフィが見送りに来る事は無かった。
フーシャ村から離れても暫くの間、私はずっと泣いていた。
ルフィは新時代を誓い合ったライバルで、大切な友達だったのに。
私のせいでこんな別れ方をする羽目になり、後悔だけが湧き上がる。
「ごめん…ごめんね…ルフィ……」
会って謝りたい。
どれだけ思っても、赤髪海賊団がその後フーシャ村を訪れる事は無かった。
それから10年後、私達は驚きのニュースを知る事になる。
なんとルフィが海賊になり、しかも懸賞金まで付いたのだ。
手配書で見たルフィはフーシャ村にいた頃の面影を残しつつ、立派に成長している。
ルフィが海に出たと知って、私は居ても立ってもいられない。
もう会えないかもしれないと思っていた幼馴染。
ルフィに会ってあの日の事を謝りたい。
シャンクスに何度も頭を下げ、ルフィの所へ連れて行ってもらえるとなった。
私の事を覚えているだろうか。
覚えていたとしても、私を嫌いになっているんじゃないか。
可能性はある。嫌われてもおかしくない事を言ったのだから。
正直、ルフィに会うのは恐い。
でも会わなければ。会って謝らないと駄目なんだ。
いよいよルフィと再会する日がやって来た。
ルフィの仲間達はどうやら気を遣ってくれたらしく、私達が二人で話せるようにしてくれた。
彼らに感謝しつつ、いざルフィと対面する。
私よりも背の低い男の子はもうおらず、背の高くなった精悍な顔つきのルフィが目の前にいる。
「ウタ?お前ウタか!?」
ルフィは私の事を覚えていてくれた。
驚く顔が一瞬で喜びへと変わり、私もつい目頭が熱くなる。
あんな別れ方をしてしまったのにルフィは私を覚えていて、再会を喜んでくれている。
「うん…久しぶりだねルフィ。あんたが海賊やって、しかも賞金首なんてビックリしちゃった」
「しししっ!当たり前だろ?おれは海賊になってワンピースを手に入れるんだ!そんで…」
きっと次の言葉は海賊王になる、だろう。
ルフィの事だ、それくらい途方も無い目標を掲げているに決まっている。
10年前は私のせいで傷付けたけど、やっぱりルフィは私の知るルフィのままなんだ。
その筈なのに、ルフィが口にしたのは私の予想を大きく裏切る内容だった。
「シャンクスを海賊王にして、ウタの新時代を実現させるんだ!」
「えっ?」
言っている意味を、すぐには理解できなかった。
シャンクスを海賊王に?
どうして?
ルフィがシャンクスに憧れていたのは知っている。
でも、おかしいよ。
ルフィが私と同じ赤髪海賊団の船員なら、大頭であるシャンクスの為にそうしようとするかもしれない。
だけどルフィは自分の仲間と船を持ち、今や立派な海賊団の船長だ。
それなのに、幾ら憧れの相手とはいえ他所の海賊船の船長の為にワンピースを手に入れようとするなんて、どう考えても普通じゃない。
もう一つ、ルフィは聞き捨てならない事を口にした。
新時代。
あの時の誓いを覚えてくれているのは嬉しい。
でもどうして私のなの?
「ね、ねえルフィ。私の新時代を応援してくれるのは嬉しいけどさ…。あんたにだって創りたい新時代があるでしょ?」
そうだ、新時代は私一人が創るものではない。
ルフィだって実現させたい世界があるだろうに。
当然の疑問をぶつけると、ルフィは首を傾げ訝し気に私を見る。
その顔は、冗談でもふざけているのでもなく、本気で言っている意味が分からないと言いたげだった。
「なーに言ってんだお前?おれが創ったって何の意味もねェだろ?シャンクスの腕を奪っちまうような奴の新時代に、価値なんかある訳ねェよ」
ヒュッと、やけに大きく喉が鳴った。
その言葉は、私への当てつけなどではない。
顔を見れば分かる。
ルフィは昔から嘘がつけない奴だ。だから今言ったのは全て本心からの言葉。
さっきまでの能天気な自分を蹴っ飛ばしてやりたい。
何がルフィは私の知るルフィのままだ。
自分の新時代を意味が無いと切り捨て、シャンクスが腕を失ったのを自分の罪だと思っている。
その原因は考えるまでも無い。
「あ…ル、ルフィ……ごめんなさい…!」
私だ。
ルフィを責めた私の言葉が、10年経っても彼を苦しめている。
心のどこかで期待していた。いや、楽観的な方へ逃げていたのだ。
私からの罵倒なんて気にせず、ルフィは自分の夢を追いかけているのではと。
そんな愚かしい事を考えていた自分に怒りが湧く。
「ごめんなさい!あの時酷いこと言って…本当にごめんなさい!ルフィは何も悪くないのに…なのに…」
「お、おいウタ?急にどうしたんだよ…?」
私の謝罪に、ルフィはただ困惑するばかり。
それどころか、もっと信じられない事を言う。
「別にお前が謝る事じゃねェだろ?ウタの言う通りおれが弱いのが悪かったんだ。それによ、いっそあの時死んでりゃ良かったのかもなぁ。それならシャンクスだって左腕を無くさずに済んだろうし」
「ぁ……」
そう言ってルフィは、ニカッと笑いかける。
でもその顔は、私の知ってるルフィの笑みではない。
10年前、新時代を誓い合った日に見せたものとは違う。
大事ななにかが欠けてしまった、どうしようもなく壊れた笑い顔だった。
「あ…ああ…!」
私のせいだ。
私が八つ当たりなんてしたから。
私がルフィに酷い言葉を投げ付けたから。
私がルフィの夢を奪った。
私がルフィの心を壊した。
「あああああああああああああ…!!」
全部、私のせいだ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!わたし…ああ…そんな…わたしのせい…ごめ…ごめんなさいルフィ…!ごめんなさい……」
「ウ、ウタ?お前ほんとにどうしたんだよ?何でそんなに謝るんだ?」
純真無垢な子供のように不思議がるルフィの姿に涙が止まらない。
今のルフィは心の底から、シャンクスが腕を失ったのは自分の罪だと思っている。
そんな事ないのに、ルフィにとっては事実として根付いてしまった。
話を聞いてようやく理解した。
ルフィの行動には一つとして「自分の為」が無い。
きっとあの日以来、ルフィの行動原理はシャンクスへの償いのみになったのだろう。
そうさせたのは私だ。私の言葉がルフィの中から「自分の為」という選択を消し去った。
あの日、八つ当たりなんてしなければ。
扉を壊してでもルフィの部屋に入り、ちゃんと謝っていれば。
こんな事にはならなかったのだろうか。
「ごめんねルフィ…ごめんね……」
「ウタ…」
泣き続ける私の頭を、ルフィが戸惑いながらも撫でてくれる。
シャンクスとは違うけど優しい手付きに、私はただ涙を溢れさせるしかできなかった。