ひと時の休息

ひと時の休息


斗勝家の修練場で斗勝愛宕が一人木刀を手に稽古に勤しんでいる。

基本の構えから始まり、素振りで現在の調子を確認しながらシン陰流の各種型を一つ一つなぞっていく。

丁寧に、正確に、頭の中で思い浮かべる理想の動きと実際の動きのズレを重ね合わせ修正していく地味な作業。

しかし愛宕は一切手は抜かない。先祖代々受け継がれてきた龍蟲僻邪という呪いを宿す彼女には。

少女ともいえる年齢で呪術の極致領域展開と極の番へと到達しているとはいえ、いまだ2体の荒ぶる怪物の調伏が出来ていない。

さらに領域展開は完成度が6割程度で生得領域へ封じられている怪物を世に解き放ってしまうリスクがある。極の番も現状広範囲に大規模な呪術的汚染を残す非常に使い勝手が悪い技。

だからこそシン陰流の鍛錬には力が入る。リスクの高い領域展開に代わる領域対策として。そして何より自ら前に出ることで仲間を守るための術として。

修練はさらに続く。

今度は過去に戦った術師や呪霊を頭の中に思い浮かべそれが目の前にいるものとしてのイメージトレーニング。間合いの取り方、攻撃を仕掛けるタイミング、防御、カウンター……。

流れる汗に気にも留めずひたすら打ち込んでいく。



「ふぅ……」

愛宕が一息つくと修練場の張りつめていた空気が緩んでいく。本日の調子はまあまあといった表情で木刀を定位置に立てかける。


くぅ~

特級術師にふさわしいトンデモ反射神経で周囲を見渡し誰もいないことを確認し安堵する愛宕。過酷な境遇と呪いに翻弄される運命とはいえ年頃の娘でもあるので、こういった生理現象をちょっと恥ずかしく思ってしまうのだろう。

時計を見るともう昼食の時間になろうとしている。今日の昼食の献立はなんだろうかと思いを巡らせる愛宕に一つのアイデアが浮かぶ。

「久しぶりに外に食べに行こうかな」

どうやらお腹はそれにしようと急かすように強く空腹感で主張している。

t次の予定を決めると手早く長袖シャツにズボンとラフな格好に着替え制汗スプレーで軽く整えたのち、近くにいた斗勝家の人間に行きつけの蕎麦屋に行く旨と予定帰宅時間を告げる。愛宕は昔からでかけるにしても門限はしっかり守る方なので門限は守ること、遅くなりそうなら一報入れること、車に気を付けること程度の注意で済む。


「いってきます。」

財布と家のカギを持ち玄関の戸を開ける。念のため呪具の刀も竹刀袋にいれて持っていく。

雨が降るほどではないがやや曇りがちの天気だ。空腹感に急かされ気持ち早歩きで目的地へ向かう。

「あれここの蕎麦屋さんそういえば……」

目的地はもう少し先だが足を止める。

まだ入ったことのないが呪霊と戦った際や福岡分校の級友とここを通ったりしたりでここに蕎麦屋があったことは以前から知っていたが、いまだ入る機会がなかった店。

店の外観を見る感じそこまで高級路線ではなさそうでどちらかというと庶民向けの印象。ストレスを食べることで発散する愛宕にとって価格よりも味はなにより重要視される。斗勝家は数百年続く名家で経済状況もかなり裕福であり、愛宕自身も特級術師としてかなりのお金があるため無自覚ではあるがそこそこ舌が肥えていた。

しばし悩む。家の者に伝えた通りいつもの店に行くべきか、はたまたちょっと冒険してみるか。

結論は後者だった。ほんの少しの罪悪感を覚えながら暖簾をくぐる。



「いらっしゃっせ~!!」

50代くらいの白衣の男が大声で叫ぶ。同じくらいの年頃のエプロンとバンダナを付けた女に席へと案内される。夫婦で経営しているのだろうか。客は定員の7割ほどといった感じで家族連れやOLのランチなどでにぎわっている。回転率も悪くなさそうだ。

テーブルに備え付けのメニューを開く。いかにもザ・蕎麦屋という感じの王道メニュー。まずはシンプルにいくべきだろう。

「すみませんざるそば大盛下さい」

注文し期待感で胸を高鳴らせながら水をちびちび飲み届くのを待つ。

来た。

緊張感を抑えながら箸を取る。

「いただきます」

最初は薬味を何もつけず蕎麦をめんつゆにつける。蕎麦のかおりがふわりと鼻を通っていく。

コシがあり、確かな歯ごたえ。めんつゆの鰹節の風味が同時にやってくる。

「美味しい」

思ってた以上にいい店を見つけたかもしれない。薬味の投入を解禁しひたすらそばをすする。

先ほどの女性の店員を呼び追加の注文をする。

追加注文がとどくまでまだすこしかかるので付け合わせの漬物にもいく。

白菜だ。よく漬けてあり、シャキシャキとした特有の触感はそのままに口の中がさっぱりとしていく。

食べるペースを落として注文したのが来るのを待つ選択肢は頭の中からとうに消え去り残りも食べ続ける。

「あいよっおまちどうさんっ!女の子なのにたくさん食べていいねえ」

厨房にいた白衣の男が注文した品と蕎麦湯を持ってきた。いつのまにか周りの客はいなくなっていて店の中には愛宕一人だけらしい。

術式のせいでストレスが溜まりがちな愛宕であるが好物をたくさん食べいい店も発見しなかなかいい気分転換になった。これで午後からもまた頑張れる。



「ご馳走様でした」

蕎麦の切れ端も残さずきれいに食べ終え手を合わせる。

気が付けば昼の営業時間の終わりになろうとしていた。会計を済ませようとテーブルに置かれた伝票を持ちレジへと向かい白衣の男に渡す。

「この間な、小学校からの仲だった友達が病気で死んだんだよ。あれやこれやとあっという間に通夜になってな。騒ぐのが好きだった奴だから通夜もみんなでバカ騒ぎしてなあ」

唐突に男が愛宕を見ながら語り始めた。

「その帰り道だっけな、酔っぱらって家に帰ってる途中で脚がたくさんついたおっかねえ化物に襲われててよ。俺ももう死ぬのかって時にすごいお嬢ちゃんにそっくりな女の子が刀もってその化物をズバーって真っ二つにしちまってさ思わず腰ぬかしちゃったわけよ。で、気が付いたら家で寝てたんだよな。通夜の後だしもしかしたら酔っぱらって変な夢でも見てたのかもしれないな」

「……」

確かに数日前に2級程度の呪霊に襲われてる一般人を助けた記憶がある。おそらく愛宕で間違いないだろう。

しかし一般人に呪霊に関することは話してはいけない。愛宕は男の話を黙って聞いている。

「もしかしたらアイツがこっちに来るのはまだ早いって助けてくれたんかなあ……。昔から他人のために動けるやつだったしな……あぁ代金はこれでな」

そう言って男はレジに表示された代金を示す

「あの……少し足りないのではないですか?もうちょっと食べてたと思うんですけど」

「あーいいのいいの。この歳になると君みたいな女の子と話す機会もなかなかないからさ。ジジイのつまんない独り言聞いてくれたお礼って事でざるそば1枚大盛はサービスだ。カミさんがうるさいから内緒で頼むよ?」

真剣な男のまなざし。結局愛宕は言われた通りの金額を払い店を出ようとする。

「あの……お蕎麦とっても美味しかったです。その……また次も客として来ますね」

言わずにはいられなかった。これまで数多くの呪霊を屠ってきた愛宕でそれで呪霊被害を抑えてきたと自負してはいたが、こうして自分が戦って救われた人がいたということに。

「またおいで、たくさん蕎麦打って待ってるよ」


斗勝の家への帰り道は心なしか軽やかだった。

曇っていた福岡の空に一条の日の光が差し込んでいた

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