ひとつだけたしかなこと
※ワンピっぽくない暗い死ネタ
※メルニキは脳内の九割が弟で占められてるので、どんだけ愛を重くしてもいいと思ってる人間が書いています
※読む人を選ぶ可能性大
神斬鋏と呼ばれる男のもう一つの顔。その鋏のもう一つの使い道。キャメルにとってはそれがパタンナーだった。
「え? 仕事をしばらく受けないって?」
「うん、急で悪いんだけどね。再開の目処もたってない」
「アンタがそんなこと言うなんて……らしくねェが人様の事情だ、詮索はしねェよ」
「助かるよ」
今日は職人としての腕を買われてもう長いこと世話になってるファッションメーカーのオーナーに挨拶をしに来ていた。そのブランドが界隈で名の通ったものになる前からの付き合いだ。
お詫びにと持ってきた品はキャメルイチオシのチョコレート。
「はいコレ。そのまま食べてもモチロン美味しいし、ミルクに溶かすのもオススメだよ」
「相変わらず顔に似合わねェモン食ってんな。まぁ、アンタが勧めるんなら美味ェんだろうな。ありがたく頂いとくよ」
そう言ってヒラヒラと手を振った男には「仕事を休んで何かやりたいことでもあんのか」とか「事前に、それも詫びの品まで持ってくるとはらしくない」とか言いたいことはあったが、強面のくせして穏やかな雰囲気を纏ったソイツにそれを今言うのは野暮な気がした。
仕事を休む理由とやらが片付いて、またひょっこり顔を出したときにでも聞けばいいと思った。
その日は当然来ると思っていたから。
「それじゃあね」
「おう、またな」
そんな軽い言葉で別れを済ませ、まさかそれが今生のものになろうとは思ってもいなかった。
◇◆
さざ波の揺れる音が聞こえる浜辺に一人、男が海を眺め座っている。
神斬鋏なんて呼ばれ畏れられているはずの男の背中は、落し物を探す子供のように丸くなっていた。
「さて、そろそろかな」
鋏の要をカチリと外した男の名はキャメル。二週間とちょっとくらい前に弟を亡くした。それはもうあっさりと、訃報だけ知らされて。
どうして死んだのかとか、何か伝えてくれていたような気もするが、その時のことはあんまり覚えていない。それほど冷静では、いられなかった。
「あーぁ、どこに行っちゃったんだろう」
三日くらいだろうか。キャメルはプツンと何かが切れたみたいに暴れて、すっかり荒地になった眼前を認識してから少しだけ冷静になった。それからグゥと鳴いた腹の音に、こんな時でも腹が減るんだと苛立ちも湧いた。
「……お兄ちゃんは寂しいよ」
その後は早かった。パタンナーとしての営業の停止やショコラの生活場所の確保を終えて。
そして、今。
男の手には、もう何も無い。何も価値を持たなくなってしまった。
大の字に寝転んで空を見て考える。どうすれば、失わずにすんだのか。けれどそんなこと、失ってから考え出したところで無駄だから。
赤黒く汚れたままの愛鋏、カロリナを空高くに放って、その刃が自身の首に降ってくるのをただ待った。
────あぁ、驚いた。お前が存在するってだけで世界はあんなに輝いて見えていたなんて。
目を閉じて思い出すのは弟との記憶。
初めて弟を見た時、あまりの小ささにビックリして、その小さないのちを守りたいと思った。
小さな弟が初めて自分を呼んでくれた時、自分をお兄ちゃんにしてくれた。その時の笑顔が可愛くて。少し大きくなってからはその笑顔もあまり見れなくなってしまったけど。弟は相変わらず可愛いままだった。
初めて自分で作った服を弟にプレゼントした時、今考えてみれば不格好だったそれを弟は満足気に着てくれた。
どれだけ成長したって。自分より大きくなったって。周囲からどう思われようが。気持ちが空回ってしまうこともあったけれど。自分の記憶の中には常に弟がいる。愛おしくて、世界でたった一人しかいない大切な弟。
「会いたいなぁ……」
最期に呟いた言葉は、青くどこまでも雄大な空に吸い込まれて消えていく。
そのときフイと風が吹いて、隠されるように傷口は砂に包まれた。
それはキャメルにとって、きっと最高の餞になるのだろう。