はじまりの日

はじまりの日



※怪盗ifミンゴPH侵入&勘違いSSの裏側説明とヴェルゴ視点です。




 ある日、子どもを拾った。

 その子どもは道端に倒れていた。なんとなく連れ帰り、土に敷いた藁の上へと横たえる。

 ひどい発熱と発汗。意識もなく魘され続ける子どもを見下ろし、少年は思った。


 もたないだろうな。


 スラムには何もない。雨風を凌ぐ庇も、まともに身体を支えるような床も、侵入を防ぐ扉も、食物も、水も、道徳も、何もかもがない。

 あるのは汚泥に血。腐敗。暴力。その全てに耐えて生き抜いたとしても、ひとたび病が流行ろうものなら、当たり前のように一角ごと焼き払われるようなそんな場所。

 それがここ、スラムだ。

 未だ意識を取り戻さない子ども。その皮膚はところどころ白く、色が抜け落ちている。

 見たことのない病だ。ここに連れ込んだと露見すれば、己ごと殴り殺されるに違いない。


 だが、もう、それで良かった。


 数日前、必死に生きていた仲間が死んだ。果実一つを盗んだ彼は酷く打たれ、痛みを訴えながら死んでいった。最後は、寒い、寒いと呟きながら、死んでしまった。

 今、子どもが横たわる藁。そこには死んだ仲間の血が染み付いている。

 ここで出会った別の仲間もいる。癖はあるが気のいい奴らだ。悪事にも長けおり、生き残る力もある。

 だが、同じ場所から共に逃げた仲間は、死んだ彼が最後だった。

 だから、もういいのだ。


 やっと終われる。


 子どもが呻き声を上げる。外に聴こえてはならないと思い、咄嗟に口を塞ごうとして笑ってしまった。

 馬鹿だ。もういいのに。

 そう思うのに、何故だろう。

 手は子どもの頭を抱え、何とか楽な姿勢を取らせようとする。頼りなく伸ばされた子どもの手を掴み、背中を摩った。

 馬鹿だ。こんなことをしても、死からは逃れられない。

 そう思うのに。

 少年は子どもを抱えるようにして眠る。


 少しでも、寒くないように。





 金属が露出した床を踏み、一人の男が歩いていた。

 一目見て軍属とわかる出で立ちに、隙のない足運び。服の上からでも分かるほどに鍛え上げられた身体。

 男は後ろ手に腕を組み、ただ歩いているだけだと言うのに、漏れ出る威圧が辺りの温度を引き下げている。

 無言で扉を開け部屋に入った男に気付き、モネが振り返って首を傾げた。


「あら。戻ってきてくれたの?」

「キミがそう合図したんだろうに」

「気付いてくれるとは思わなかったもの」

「シーザーは?」

「先に行かせたわ。大丈夫、護衛はつけたし、疑われるようなこともない」


 ジョーカーによって派遣された彼女は、目の前に映るいくつかのモニターを監視し続けている。

 先程は消えていたモニター。そこに映るのは各セクションを走る闖入者達と、巨人族と思しき者を含む子ども達。

 ヴェルゴは眉間に皺を寄せ、画面を見つめる。

 『研究の便宜を図れ』とはジョーカー、己が主の指令。故に、研究者シーザーに乞われ、基地長の権限を用いて子どもの誘拐事件をもみ消した。だが、記憶を辿る限り、巨人族の子どもなど一人もいなかったはずだ。


「あれは何だ。巨人族か?」

「そう。やはり、あなたも知らないのね」


 モネがため息をつく。その顔には焦りと仄かな怒りが浮かんでいた。

 ここにシーザーがいない意味。それは、あの研究者が問題行動を起こしたということなのだろう。

 続きを促す。


「私がここに来た理由は知っている?」

「彼の代わりの視察と聞いたが」

「そう。『SAD』の製造状況と資金の流れの確認、報告とのずれがないか……要は監査ね。ジョーカーがカイドウに頼まれた仕事よ」


 人工悪魔の実の元となる『SAD』。この島で作られる薬品の名だ。ここで作られた『SAD』はドレスローザを経由し、カイドウ傘下のワノ国へと輸送されている。

 ジョーカーは研究所のオーナーであるカイドウより頼まれ、輸送中継とたまの視察を行ってきた。

 だが、主は多忙を極めている。カイドウとて主本人が視察に出向くとは思っていない。また、視察も特に重視はしていない。ただ、これを口実に連絡を取り、死合に持ち込んで憂さを晴らそうとしているだけなのだ。

 故に、ほぼ形式上のものであるが、モネはジョーカーの代理としてここ数回の視察を担当している。


「何度かこちらには来ていたけど、子ども達のことは今回初めて知ったの。偶然見てしまった、というのが正しいかしら」


 廊下に転がってきたボールと、それを追いかけてくる子どもを見て、モネは驚いたという。

 子ども達はカイドウが運営する研究所には似つかわしくない楽しげな様子で、またその姿は巨人族のようだった。


「ジョーカーの名代としてヴェルゴが子ども達を手配している。シーザーはそう言っていたけど、間違いはない?」

「ああ。だが、手配というよりは隠蔽だな。奴らが子どもを誘拐し、おれがそれをもみ消している」

「そう。あなたが関わっていると言うから『SAD』関連の研究なのだと、私も最初はそう思っていたのだけど……どうも様子がおかしい」

「どういうことだ?」


 何かを躊躇うに口を引き結んだモネは、やがて意を決したように話し出す。


「調べたところ、『SAD』と子ども達の研究には関連がないの。巧妙に隠されていたけれど、出資者もカイドウではなく別の四皇だった」

「何? カイドウは了解しているのか?」

「いいえ。しかも、当社の資金は早々に尽きて、今は『SAD』の資金が流用されている。資金難はおそらく、あの毒ガスの研究のせいね」


 モニターに映る紫のガス。全てを蝋の如く固め死に至らせる毒。

 シーザーの個人研究だ。

 4年前の事故以降、この研究所は、その権限の全てをカイドウが買取り、運営されていた。しかし、シーザーにもある程度の自由は許されている。

 個人研究の結果を競売にかけることも、自由のうちではあった。

 モネが問う。


「あなたはシーザーから何を聞いて、誘拐の隠蔽を?」

「研究に必要、としか。内容そのものは聞いていない。ジョーカーからは『研究の便宜を図れ』と言われていた……ただ、おれは彼に確認をとれる立場にないからな」

「……もしかして、なのだけど。私達は、いえ、ジョーカーとカイドウも、あの男に上手く使われているのではないかしら」


 モネと顔を見合わせる。

 そもそも、研究所のオーナーはカイドウであり、その主目的は『SAD』の製造だ。ジョーカーはあくまで輸送中継者で、監査の代行はしても研究や管理には関与していない。『便宜を図れ』という指令にしても『SAD』に関する研究のみを指しており、その意図とて盟友カイドウの勢力強化につながるから、ただそれだけだ。

 オーナーがカイドウである以上、全ての研究はその指揮下にあるものと思い込んでいた。否、カイドウもそう考えているだろう。まさか、別の四皇が出資する研究が自身の支配下で秘密裏に行われ、かつ資金が流用、着服されているとは思うまい。

 何にせよ、ジョーカーもカイドウも、協力する謂れのない研究に加担させられたということになる。シーザーは迂遠な指揮体系を逆手どり、資金と人的資源を不正に搾取しているのだ。


「殺すか?」

「待って。証拠を固めないとジョーカーに不利よ。それにまだ問題があるの」


 モネが瞳に憂慮の色を浮かべ、モニターを眺める。

 その視線の先にあるのは録画映像のようで、今は無人のはずのビスケットルームで子ども達が過ごす様子が写し出されていた。

 子ども達は、カラフルな壁紙に囲まれ、積み木やおもちゃが散らばる部屋で、幸せそうに過ごしている。

 そう、幸せそうに。

 誘拐されたはずだというのに。

 子ども達は一様に座り込み、幸せそうな、茫洋とした目で宙空を眺めている。

 その姿には、既視感があった。

 スラムで痩せ細った人々が、何にも抗えず死を待つだけの彼らが、やっとのことで幸福を感じるための数少ない方法。


「まさか」


 ヴェルゴの呟きを肯定するように、モネが目を閉じる。


「ドラッグ。私には組成までわからないけれど、それに類する物だと思う」

「……彼には?」

「さっき報告をあげたところよ。こちらに来ると言っていた」


 主とその盟友を虚仮にされた。何より、知らずとはいえ、己がそれに加担してしまっている。こみ上げる怒りを抑え、ヴェルゴは踵を返した。


「どこへ行くの?」

「予定通り、侵入者に対処する。シーザーの処遇は彼とカイドウが決めるだろう。それまではここを守らねば」


 羽ばたいて横に並んだモネがヴェルゴの顔を覗き込んで苦笑する。


「分かった。私はシーザーの援護に回る。私も潜入には慣れているし、あなたったら彼をうっかり殺してしまいそうだものね」

「すまないな。さて、おれは部下共と目障りな小鳥を斬り殺してくる。おや、剣はどこだ?」

「あなた、剣士じゃないじゃない……」


 やや呆れた様子の彼女と別れ、ヴェルゴは歩み続ける。

 やがて、闖入者達の姿が見えた時、彼は長年培ってきた笑みを浮かべて彼らへと近付いた。


 喝采が男を迎える。


 そう。

 この声を全て苦鳴へと変え、最後に静寂を齎すのが男の使命だった。



 


 そして、戦いは終わり、崩壊する研究所、その奥深く。

 傷付いた鬼が宙空に張り付けられ、項垂れていた。

 床に落ちた電伝虫は繋がれたまま、互いの音を拾っている。


『──聞こえるか?』


 その声は低く、静かだった。

 最後まで変わらない至上の声。


「ああ、聞こえているよ」


 身体が動かない。

 様はない、と男は自嘲した。状況を見誤ったのはジョーカーではない、男自身だ。研究者に騙され良いように使われた挙句、大昔に見逃した小鳥に喉元を食い破られるとは。


「計画を狂わせてしまうな」

『頃合いだ、別にかまわねェ。それに、お前とは一番古いつき合いだからな』


 その言葉により、懐かしい記憶が蘇る。


 初めて会った時は、身体の弱い、突けば死にそうな子どもだった。同じ年頃とは思えぬほど小さく、病に冒されて魘され続けるような非力な存在だった。

 そのくせ、爛々と光る暗い瞳が恐ろしく美しかったのを、男は今も覚えている。

 スラム育ちにはない気品と知識、冷たく重い憎悪、天性のカリスマ、強大な能力、身を削るような研鑽。

 彼の全てが王たるに相応しく、彼が何かを成し遂げる度、誇らしくて仕方なかった。

 彼が国を欲するならその地を堕とそう。彼が戦乱を望むなら地獄を作ろう。彼が望む世界の終わりを、必ずや実現してみせよう。

 そう思い、彼の目的の為に生きることがたまらなく誇らしかった。

 いつしか冷えて濁った金の瞳は、されど変わらず美しく、その目が男に注がれなくなっても男の心は変わらなかった。

 何故なら、彼と誓ったのだ。

 世界が害しか齎さないなら、こちらから世界を壊すしかない。その先に何がなくとも全て壊し、壊し尽くしたその後で、くそったれた世界の終わりを共に見よう、と。


 命じられることの歓喜が、共に歩むことの喜悦が、彼の目的の礎となれることの欣幸が、これまで男を生かしてきた。

 それも、ここで終わりだ。

 彼の望みを叶えることが出来ないまま、終わるのだ。


『今日まで、ごくろうだったな』


 ああ。

 何ということだろう。

 男は絶望する。

 己の失策が主の道を穢した。

 そして、己の死が更なる地獄へと彼を突き落とす。

 確かに、彼は冷徹だ。狂いもせず、飽きもせず、全てを壊すためだけに力を奮い続けてきた。世から見れば、彼は悍ましいバケモノであっただろう。

 だが、男は知っている。

 神のごとき力を持ち、人智を超えた智慧を湛え、止まぬ敬愛と罵倒を一身に受け、誰にも穢されることなく前に進み続けることができたとしても、それでも。

 彼は人間だった。

 今も、人間なのだ。


「ロー、すまない。お前を傷付ける」


 男の声は微かに震えていた。

 男は思う。

 敗残者たる己は彼の側に相応しくない。だが、彼はそんな己の死をも悼むだろう。そして、その痛みを焚べ、さらに地獄へと突き進むのだろう。

 男は想う。

 電伝虫の向こう、沈黙が続くそこで、主は何を思うのだろうか。

 自らを責めていないだろうか。苦しんでいないだろうか。その素振りを見せることも許されない煉獄に身を焼かれていないだろうか。

 寒さに震えてはいないだろうか。


『──ヴェルゴ』


 名を呼ぶ声は相変わらず、凪いでいる。


『お前ともあろう男が何を勘違いしている』


 青い被膜が広がり、電伝虫が消えた。

 かつりと、ヒールが床を踏む。


「おれはお前に死を許可した覚えはねェ」


 大太刀による一閃。崩れ行く工場を越え島全土に及ぶ程の斬撃は一文字に空間を裂き、宙空に縫い止められていた男を地へと落とす。

 膝をつき俯く男の頭上、影が差した。

 否、それは光。

 鬼火のような光だ。


「待たせて悪かったな」


 声が嗤う。


「歯車は壊れた。時が動くぞ」


 浮き上がった瓦礫が再び沈み、重い音をあげて崩れ出す。

 顔を上げた男の目に映るのは黒衣の男。

 何もかもが形を無くしていく中、彼の姿だけが確かにそこにあった。

 今もなお美しい、凍てついた金の瞳。


「世界の終わりを見せてくれるんだろ?」

「──ああ、お前が望むなら」


 能力の展開する音と共に、二人の影が消える。


 再び現れた電伝虫を、崩れ落ちる天井が押し潰した。








(蛇足)

 海軍潜伏中のためifローに報連相ができず、うっかり巻き込まれたヴェルゴの視点による説明回です。

 この話は、乱暴に纏めるとカイドウがPHをまるっと買い取り、『SMILE』事業を一括運営している√となります。大小矛盾は薄目で見過ごすガバ設定です。


 ifローは遠くの自船から広範囲ROOMでモネとヴェルゴにベビー5とバッファローを回収、子ども達や負傷者に隠れ辻医者した後、ルフィ達の宴を眺めつつ休憩してから、行き掛けの駄賃でスモーカーいびりをして帰ります。


 ifローからみたifミンゴは『(もうそろそろ軍から退かそうとしてた)ヴェルゴを巻き込んでカイドウに喧嘩売った上シーザーを実質保護する』という奇行に走っているため、割と真面目に『何やってんだこいつ』と思われています。

 事が大きいため、カイドウにはifローが状況説明(拳)をしますが、やはりカイドウからも『喧嘩うるならすぐこっち来ればいいのに』と思われています。

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