どうかこの手を離さないで

どうかこの手を離さないで



深く吸い込み、吐き出す。燻らせる紫煙が蒼天に溶けてゆくのをローはぼんやり眺める。


「あん?ローが煙草とは珍しいな」


休憩がてら煙草を吸いに甲板に出たサンジが、その先客に話しかける。相手の海賊と兼任している職業柄、意外に思ったのだろう。


「今日は気が乗ってな……肺に悪ィからたまにしか吸わねェが」


ゆるりと振り返り、ローは煙草を咥えたまま答えて、ついでに持っていたライターに火を点け、サンジに差し出した。

お人好しでいい奴なのは、ほとんど面識もない二年前、自分の船長を助けてくれた事でよく知っているが、良くも悪くもマイペースなので気が利くタイプではないことも同盟時に思い知らされている為、サンジは少し面食らいつつ、ありがたく頂戴してから問うた。


「へェ。なんかいいことでもあったのか?」

「いや、まだだ。もうちょっと待ってろ。面白ェもんが見れるから……あァ、来た」


相手の行動を機嫌の良さだと解釈して尋ねると、否定でも肯定でもない答え方をされ首を傾げたが、ローの答え通りそれはすぐに来た。


「トラ男トラ男トラ男!ほら、帽子落ちてたよ!」

「ぐ、……急に飛びつくなって何度も言ってるだろ……!」


我らの船長にして、サンジが割と頻繁に嫉妬の発火をしそうなほど一途で積極的でけれど幼いぐらい純真な恋する乙女であるルフィが、いつものようにその恋心のままにローへと飛びついた。


その手には見慣れた、白に斑点のモフモフとした帽子。煙草という違和感があったから見落としていたが、そういえばルフィ並みにトレードマークとなっている帽子を被ってなかったことに、今更サンジは気づきながら二人の様子を眺める。


「ねートラ男、帽子!また落としてた!」

「分かった、分かったから肩を叩くな!……ハァ、届けてくれてありがとうな」


飛びついたローに拾った帽子を被せてから一旦は離れてバシバシ彼の肩を叩くルフィ。

そんな彼女へいつものように面倒くさそうな声と動作で振り返り、告げる。

一点だけいつもと違うのは、ルフィの顔に吸い込んでいた紫煙を吹きかけたこと。


どう見ても、事故ではなくわざとだった。


「わぷっ、けほっ、それはいいけど……」


もちろんそんなことをされたら、非喫煙者のルフィはむせて咳き込む。

そんな彼女の様子を、頭ひとつ分はある高さから見下ろしながら、軽く鼻を鳴らしてローは笑った。


「ふ、おこちゃまにはまだ早いか」

「あー!!また人のこと子供扱いする!大体煙一気に吸ったらむせるのは当たり前でしょ!トラ男のバカ!」

「ばっ、頭を叩くな!」


ローのからかいにルフィは怒って、先ほどの肩より勢いよく、能力を使って腕を伸ばしてより反動をつけてバシバシ頭を叩く。

流石に覇気までは使ってないが、結構本気の攻撃にローもルームを展開してシャンブルズで逃げる、お互いに能力と体力の無駄遣いすぎる追いかけっこが始まった。


それを眺めながら、サンジは煙草の煙と一緒に吐き出した。


「……ロー、お前さァ……」


ルフィちゃんに何してんだゴルァ!!という怒りを上回ったのは、呆れである。

いつものサンジならば、ルフィに限らず女性、特に非喫煙者に煙を吹きかけるなんて行為は、女性への暴力並みに嫌い、軽蔑する行為なのだが、……ローは間違いなくルフィの反応を面白がっているが、本気で嫌がっていないからこそしているのを理解しているのもあって、呆れるしかない。


「フッフッフッ、お前もお子ちゃまだろと言いたいんだろう、黒足」

「その通りだが、何でいるドフラミンゴ」


後ろから自分が思っていることを言い当てた男に、振り返りもせず突っ込むサンジ。

もはやこのバグってクソ面倒くさいけれど無害なヤンデレと化したドフラミンゴがいつのまにかいることには慣れたが、馴れ合いたくはないし仲間だと思われたくもないので、一応律儀に突っ込むことにしてるようだ。


「まったく、煙草の煙を吹きかける意味を知らない奴が、よく大人ぶってからかえるもんだ」


しかしドフラミンゴの方も、突っ込まれることにはもう慣れているのでスルーして話を勝手に進める。


「大人だって言うんなら、ちゃんと責任をとってもらおうか」

「何する気だ、テメェ……」

「いやなに、麦わらに意味を教えてやって、やらしい雰囲気にしてやるただの親切心だ」

「やらしさがルフィちゃんの健全さに消し飛ばされるにウソップのデザートを賭ける」

「なら俺はローが漢を見せるにローの記念硬貨を賭ける」

「負ける気しかないだろお前」


今更ツッコミ一つで線引きなどできるわけない馴れ合い会話を交わしながら、ローの割と自業自得な今夜の受難は決定づけられた。


※   ※   ※


昼間にルフィをからかって無駄に能力を使ったからか、その日のローはベッドに入ってすぐに眠りに落ちた。


それに加え、相手に敵意や悪意の類は皆無かつ、何よりロー自身は絶対に認めないが自分のクルー達並みが下手したら彼ら以上に警戒していない相手だった為、この懸賞金30億の準四皇は見事に不意打ちを喰らった。


「トラ男〜〜!遊びに来たよ〜!!」

「グエッ!?」


遠慮も躊躇もなくローのベッドにルフィはダイビングしでかし、ローの腹に小柄な方だがしっかり筋肉がついた女性の全体重がかかって、一瞬ローの呼吸は完全に止まった。


「ゲホッ!ゴホッ!!」

「わあっ!ごめんトラ男!!でも寝てるなんて酷いよ!!」

「何が酷いだ麦わら屋!!殺す気か!?」


文字通り飛び起き、激しく咳き込むローの背中をルフィは摩りながら流石に謝るが、それでもちょっとした不満を口にする。

その不満に、呼吸が回復したローがブチ切れた。


「夜中に他人の船に性懲りも無く勝手に来て、寝てる人間起こして何が酷いだテメェ!!」

「む!勝手じゃないもん!約束忘れて寝てるトラ男が悪いじゃん!」

「あぁ!?誰がいつ何の約束をした!?」

「トラ男が!今日の夜!こっちにおいでって!!」

「してねェよ!!!!」

「え…………」


ブチキレながら、もう麻痺しかけていたがたとえ同盟中でもすべきではないルフィの問題行動を叱りつけるローに、ルフィは頬を膨らませて反論する。

が、ローからしたら全く心当たりない「約束」を怒りつつも自信満々に答え、それを否定されたら目を見開いて、困惑と哀しさが入り混じった顔となる。


その表情にローの方も冷静さを取り戻す。

ルフィは基本的に嘘はつけないし、つけたとしても壊滅的に下手なのはよく知っている。

なので彼女にとってはその「約束」が真実であったことを理解したローは、気まずげにベッドの上で胡座をかいてスペースを作る。


その作ったスペースをポンポンと叩いて示し、言った。


「……あー、なんか行き違いか誤解があったみたいだな。とりあえず座って、どうしてそんな約束をしたと思ったのか話してくれ」

「……ん」


ルフィが珍しく静かでしおらしい反応で、ローの隣に座る。スンスンとかすかに鼻を鳴らすのは、泣きそうになっているのを堪えているのだろう。

それほどにローとの「約束」を楽しみにしていたことを思い知らされて、本気で自分は忘れてるのではないかと焦りつつ、彼はルフィの小さな頭を撫でて彼女からの答えを待った。


「……ミンゴがね、言ったの。最初は私だって信じてなかったよ!ミンゴの言うことだもん!!……でも、サンジとかフランキーとかブルックとか、ロビンも本当だって言ってたから……」

「????ちょっと待て麦わら屋、悪いがマジで心当たりがねェ。ドフラミンゴやロボ屋達だけじゃなくて、黒足屋とニコ屋もか?」


最初は「またドフラミンゴの口車に乗せられたのか……」と思ったら、流石に学習していたルフィは他の者からも肯定されたから信じてやってきたと知り、ルフィを責める気が根絶した代わりに疑問が増した。


フランキーやブルックなら、余計な世話を焼いて便乗はありえるかもしれないが、サンジはルフィの恋を応援しているがローに対しては面白くないと思っているので、便乗はしないだろう。ロビンも余計な世話は焼くが、嘘までは吐かないので、その二人から肯定されたらそりゃルフィも信じて突撃する。


ローも納得してしまったが、いくら記憶を掘り返してもそんな約束や、誤解を与えてしまいそうな言動の心当たりはない。

なので「悪い、本当に悪かった」と謝りながら、ベッドの上で向き合ってもう一度尋ねる。


「麦わら屋、ドフラミンゴになんて言われたか正確に思い出せるか?」


ローの問いに、楽しみにしていた約束は初めからなく、好きな人に怒られてたことはショックだが、それ以上にローに迷惑をかけたことに落ち込んでいるルフィは、まだ泣くのを我慢している潤んだ目で見上げて答えた。


「……煙草の煙を吹きかけるのは、『夜のお誘い』だって」

「………………は?」


その涙は、自分の答えで固まったローの反応で吹っ飛んだ。


「???と、トラ男?」


ハンコックのメロメロ甘風でも喰らったかのような石化っぷりに、ルフィは戸惑いながら目の前で手を振ったり、肩を揺さぶってみたりするが、反応はない。

ようやくローの石化が解けたのは、たっぷり5分は経ってからだった。


「…………あ、ああああああっっーー!!」

「!?え?なになに、どうしたのトラ男!?」


しかしそれは再起動を果たしとは言えない。

むしろぶっ壊れた。


急激に顔を真っ赤にさせたかと思ったら、ベッドに倒れ込んで枕に顔を埋めて叫び出すローと、さらに困惑するルフィ。

あまりの錯乱っぷりに、ルフィはハートのクルーを呼びに行こうとするが、それは悶絶したままだが何とかルフィの腕を掴んで阻止して恥の上塗りを防ぐ。


「やめろ大丈夫だ!頼むからやめてくれ!!」

「え?そ、そう?本当に大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。それと麦わら屋、悪かった。本当にこれは俺が悪かった。もう二度としないから、お前もされたら俺だろうが俺以外だろうが殴れ。つーか、今俺を殴れ」

「何で!?やだよ!!やっぱトラ男大丈夫じゃないよ!!」


どう見ても全然大丈夫じゃないし、ルフィからしたら訳わからない事だらけだが、とりあえず煙の意味は正しかったが、ローも知らずにやっていたからこそ起こった誤解と行き違いであることは理解できたので、まだ枕に顔を埋めているローに笑って言った。


「トラ男でも知らないことってあるんだー」

「……うるせェ」

「ししし、そんな真っ赤な顔で睨まれても怖くないよー。

ねーねー、誤解だったけど来ちゃったから泊まってもいいでしょ?ほらほら、お土産におにぎりも持ってきたんだ!一緒に食べよ!」


いつもの調子を取り戻したルフィは、いつも通り図々しいことを言い出しながら、持ってきたランチボックスを開ける。

そこには艶々に粒がたった白米の、少し歪な形に握られたおにぎりが十個ほど並んでいた。


「……作りすぎだろ。夜中にどんだけ食う気だ」


ローがコツとも言えない初歩的なことを教えてやって作れるようになったからか、最近のマイブームはおにぎり作りであることを知っている。

なので、その数に呆れながらもローはようやく起き上がって、おにぎりに手を伸ばす。


羞恥に勝ったのは、遠い日の思い出。

母親に教えられて作ったおにぎりを、勉強していた自分と教えてくれていた父に持ってきてくれた妹を思い出したから、もうローにはルフィへの罪悪感を抜いても、そのおにぎりを無碍にすることなどできなかった。


もそもそとふんわりと柔らかくほぐれるおにぎりを頬張りながら、機嫌を直してニコニコ笑うルフィから目をそらし、改めてローは言う。


「……あー、その、……悪かったな。誤解うんぬんを横に置いても、そもそも煙草の煙を吹きかけるなんて、医者としても人としてもしていいことじゃねェのに、完全に面白がってやって……」

「ん〜、別に良いよ〜。気にしないで。煙草の匂いとかはサンジので慣れてるから平気だし」


ルフィが「夜のお誘い」と言う意味を知らなかったこと、知っても健全すぎる受け取り方をしたことにホッとしつつ、冷静になればなるほど今回に関しては愉快犯のドフラミンゴよりも自分が悪いとローは自覚したので謝るが、ルフィは自分もおにぎりを食べながらのほほんと答える。


「煙たいのはそりゃ嫌だけど、私は煙草吸ってるトラ男を見るの好きだよ。

凄く、優しい顔してるから」


自分の非を認めているからこそ、気恥ずかしくて背けていた顔がルフィと向き直る。

ポカンとした珍しい表情のローに、ルフィが小首を傾げると、ローは目を見開かせたまま問うた。


「……優しい顔なんて、俺はしてるのか?」

「?うん。トラ男はタバコ吸ってる時、美味しそうとかじゃなくて、なんか凄い優しい顔してる。笑ってなくても笑ってるように見えるくらい、優しい目をしてるよ」


ルフィは笑って告げる。

愛おしげに、優しい目をして。

きっと自分もこんな目をしているのだろうと思わせる目だった。


医者という立場を抜きにしても嫌いだった煙草を嗜むようになったのは、嫌いだった理由と同じ。

大好きな人は愛煙家だった。

肺病よりも火災の心配が必要な人だったのに、それでも煙草を手放さなかったくらいに、煙草とその人のイメージは結びついていた。


だから、ドレスローザの件で彼の本懐を果たし、彼の義父から「愛」の答えを得たことで、煙草はようやく悲しい離別の思い出から、愛しい日々の思い出を象徴するものになったから、彼が吸っていた煙草の銘柄も義父から教えてもらったことで時たま嗜むようになった。


そんな自分の心境を、何も語っていないのに見透かしたように「好き」と言う少女に、今度は気恥ずかしさも忘れて呆然とローは見つめる。

今、夜中に男女でベッドの上に座っているというこの状況を許しているのは、妹の面影を彼女に見たから。そのはずなのに。

彼女に対して抱く愛おしさは、妹に向けたものと同じはずなのに。


「あ」


またしても硬直してしまったローに、また困り果てていたルフィが声を上げ、咄嗟にローの方に手を伸ばして受け止める。


「セーフ!」

「あ、悪い」


ローが持つ一口齧ったおにぎりの形が崩れてベッドのシーツ上に落ちかけた米の塊をルフィが掌で受け止め、それに気づいたローが謝る。

謝り、自分の手元のおにぎりを見て、気づく。


「……麦わら屋。……これ、お前が作ったんだよな?」

「もぐっ、ん、そーだよ。……しし、焼いたり味付けはサンジだけど、私だって成長してるんだから!」


溢れた米を自分で食べてから、ルフィは胸を張って答えた。

ローは、塩むすびだと思っていた。彼女に教えたのは握る時の力加減と、その力加減は何を基準にしたらいいかだけ。

中の具材は自分が能力で放り込んでいたから、彼女一人で作るのなら具なしの塩むすびにしかならないと思い込んでいた。


形が崩れて現れたおにぎりには、粗くほぐした焼き魚が入っていた。

自分の好物だった。


「ね、トラ男。食べてみて。美味しい?」


前に乗り出し、ローに期待の眼差しを向けて尋ねるルフィ。

その目から彼はまた顔を背けてしまう。

けれどその手は口元へ、口はおにぎりにかぶりつく。

しばし無言で咀嚼し、真剣な顔と眼差しで答えを待つルフィにローは口の中のものを飲み込んでから答える。


「美味い」


花咲くような、輝くような笑顔になったのは、見なくてもわかった。

わからないのは、その笑顔に抱く愛おしさの正体。


妹に向けるもの。

恩人に向けるもの。

そのどちらとも同じものだと思っていた。同じものであるべきだと訴える自分が大半なのに、自分の中のほんの一欠片が異議を唱える。




この愛おしさは、

この子に伝えたい「愛」は




「もうちょっと、強く握れ」


二つ目のおにぎりに手を伸ばし、ローはそっけなく言った。


「形が崩れるから?」

「こぼれ落ちそうだからだ」


おにぎりのことだと思ってルフィが聞き返すと不思議な返答をされたが、先ほどのことからしてやはりおにぎりのことだと思って「わかった!」と元気よく返事した。






もっと強く握ってほしい。

こんな優しい力加減とだと、溢れ落としてしまいそうだから。


愛しさの正体はまだわからないけれど、愛しているのは確かだから。


だから、だから

どうかもっと強く握って




この手を、掴んで

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