とかく浮世は
すー、すー、と寝息を立てる立香を畳に寝かせる。来客用のものは用意していない為、普段使っている布団を敷いた。
立香を布団に寝かせようとした際、ふと髪飾りに目がいった。俺が贈ったバンスクリップだ。使ってくれていたのか。
寝る時には外し方が良いだろう、とバンスクリップに手をかける。纏めていた橙が、さらりと零れ落ちた。
立香を布団に横たえ、掛け布団をかけてやると、気持ちよさそうに寝返りを打つ。
……きっかけはそう、事故のようなものだった。
セイバーと廊下を歩いていると、ふらりと現れた立香が抱きついてきた。
「伊織だ〜! えへへ……」
そんな声を漏らす彼女を見て困惑していると、立香を追いかけてきたのか、マシュが現れる。
「せんぱ……はっ! し、失礼しました!」
「ま、待ってくれマシュ殿!」
弁明の暇もなく逃げられてしまったが、何か事情を知っているとみたセイバーが追ってくれた。聞けば、立香は誤って酒を飲んでしまったのだという。周囲が心配する中、彼女はふらりと立ち上がると、誰かを探しに徘徊を始めたのだとか。
誤解が解けたマシュを連れてセイバーが帰ってきたところで、彼女は立香を引き剥がそうと試みた。
「先輩! お休みするのでしたらマイルームへ!」
「んぅ……やぁ……」
立香は横に首を振る。むしろ抱きつく力は強くなるばかりで、何やら柔らかな感触も覚えた。これは良くない、と天を仰ぐが、セイバーは一向に助けようとしなかった。ニヤニヤとこちらを見るだけだ。
「……すまない立香、一度離れてくれないか」
意を決して伝えると、彼女は顔を上げる。酒が回ったのか、その頬は赤らんで、目も潤んでいた。思わず、鼓動が速くなる。
「いおり、わたしのこと、きらい……?」
立香が随分と悲しそうに尋ねるものだから。
「……まさか。嫌いな訳があるものか」
そんな風に口走ってしまった。
「ほんと? よかったぁ……」
ますます抱きつく力が強くなる。これは完全に失敗した。
「先輩……伊織さんにご迷惑が……!」
おろおろするマシュに、セイバーが声をかける。
「マシュ、ここは私たちでなんとかする。この様子じゃ、マスターは酔いが醒めない限り、イオリから離れないだろう」
「ですが……!」
「悪いようにはしない。私が保証しよう」
セイバーの誠意に応えてくれたのか、マシュはそこで引き下がってくれた、のだが。
「……という訳だイオリ。あとは頼んだ」
「ちょっと待てセイバー。手伝っては……くれないのか?」
「マスターは君を探してここへ来たのだ。君が介抱してやるべきだろう」
さも当然といった顔で立香を押し付けて、セイバーは去ってしまった。
そうして今に至る訳だが。
……立香は本当に俺を探していたのか?
酔った彼女が最初に見たのが、偶然俺だっただけなのではないか?
一度考え始めると止まらない。
己のことが嫌いか、と尋ねる彼女の顔を、他のサーヴァントが見ていたとしたら。
こうして介抱しているのが、別の誰かだとしたら。
それは何というか、星の見えない曇天のような心地になる。
……己の心が分からない。この靄をもたらす立香のことが分からない。
今はこれ以上の思考は無駄だ。一旦気持ちを切り替えよう、と立ちあがろうとした瞬間。
立香に、袖を掴まれた。
「いおり……」
「立香? 起きてしまったのか、なら……」
「いかないで」
消え入りそうな声で、そう伝えてくる。
「いかないて、いおり……いっちゃ、やだ……」
きゅ、と袖を引き寄せられる。
「……俺はここにいる。安心してくれ」
思わず手を伸ばして、立香の頬に触れた。その手に、彼女の手が重ねられる。
「いっしょに、いてくれるの?」
その表情は大層嬉しげで。
「ああ。共にいよう、立香」
「えへへ、やったぁ……」
にこやかに微笑むと、立香は手を伸ばす。俺の首に腕を回すと、そのまま眠ってしまった。
「……離しては、くれなさそうだな」
彼女を起こすのは諦めて、隣に寝転ぶ。
甘えたがりの立香のために、今宵は共に過ごすとしよう。