とある老戦士との出逢い
扉が開き、空き場所を見つけた日本の空気がすうっと機内に乗り込んでくる。
すれ違う。或いは生暖かい風に出迎えられて、一人の少年が空港に降り立つ。
(日本は……時間通りに運行するのが何よりも良い……)
今度は電車に身を委ね、うたた寝をしつつ日本への賛辞を想う。
『…まもなく、西讃ヶ峰、西讃ヶ峰………The next station is Nishi-Sangamine.』
扉が開き、空き場所を見つけた讃ヶ峰の空気がヌルリと機内に乗り込んでくる。
「暖けぇ…」
深夜帯にも関わらず、祖国アイスランドよりも遥かに温暖な気候。少なくとも今の季節なら野宿をしても凍え死ぬ事はないだろう。
「さて…山に行こうか、森にしようか。……森にはもう先客がいる気がするな」
およそこれから戦に身を投じるとは思えない適当さ加減で、少年は駅から徒歩30分ほどの低山に歩みを進める。
「…さて、そろそろ始めるか」
風と、木々と、小動物の音。それだけが、山林を支配する。
その中で…異国の少年は、手に持った鳩の死体を投げ捨てる。丁寧に切り裂かれた首元からは血液が流れ落ち、地面に描かれた魔法陣の塗料として扱われたであろう事は想像に難くない。
少年は魔法陣の中心に小さな剣片を置き、2歩ほど下がって汚れた紙片を取り出す。
「過去の英雄…の影とは言え、こんなチャチな魔法陣と俺みたいな半端者が喚びだせるモンなのか?まぁ…できるからコイツが出たんだろうけど…」
紙片と右手に浮かび上がった赤い紋様…令呪を見つめながら、未だ半信半疑な表情を浮かべる。それでも…その"信"の中には、微かな期待が含まれていた。
「まぁ…失敗したらそれまでか。シグルドでも、シンフィヨトリでも…なんならオーディンでも出てきやがれ!」
勢いよく右手を翳し、身体の表裏を反転させる。ビクリ、と神経が反応する。ザクリ、と肉体に痛みが走る。ドクリ、と精神が震え立つ。
「────素に銀と鉄、礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
魔術師としての鍛錬など受けた事がない。せいぜいが姉や父の真似事程度。故にこそ、興奮が痛覚を凌駕する。やっと、同じ世界に立てたのだと。やっと…雪辱を果たせるのだ、と。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに五度。 ただ、満たされる刻を破却する」
不安と、緊張と、惑いと、怒りと、希望と。
全てを混ぜ合わしたような胸中を吐き出すかのように、叫ぶ。
「――――告げる!
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!
誓いを此処に、我は常世総ての善と成る者、 我は常世総ての悪を敷く者。 汝三大の言霊を纏う七天、 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
光が、木々で作り出された闇を切り裂く。その閃光に、思わず目を閉じる。
眼を開く。確かな手応えと、成功の喜びを抱きながら。
魔法陣の中心には、一人の老人が立っていた。生憎、片目は潰れていない。
「………お前さんが、儂のマスターかい?」
「………ああ」
威厳を損なわず、不安を悟られぬ為に、二言返す。
「ふぅむ……齢は?」
「それより先に、お前の真名を教えてもらう。…大体の予測はできてる…がな」
老人はニコリと笑いながら、胸に手を当て一礼する。
「サーヴァント、セイバー。真名をシグムンド。宜しく頼むぞ、魔術師殿」
「俺は…魔術師じゃない。歳は14、で…名前は…ソルヴィ。ソルヴィ・アーリソン」
狼狽と、緊張と、威厳を出さんとする喉が三位一体となり、ソルヴィの舌を絡ませる。
シグムンドはそれに笑うことなく、優しそうな瞳を大きく開けてソルヴィを見つめる。
「…まだ子供ではないか」
「だからっ…だからなんだ!お前には…関係ないだっ…」
「いや、あるな。儂はな…」
黒い籠手に、ムンズと頭を掴まれる。いや、正確には…
「…お前さんのような小童が戦死するのが許せんのさ」
祖父が孫を撫でるように。夜風の冷温を溜め込んだ金属が、何故か温かかった。
「……あ………は、離せ!」
シグムンドは手を戻し、続けてソルヴィに問いかける。
「さて。お前さんはどうして聖杯戦争なんぞに参加したいのか教えてもらえるか?巻き込まれただけなら無事に帰すだけで済ませられたが…」
瞬間。ソルヴィの雰囲気が落ち着く。何度もリピートした言葉を暗唱するように、滑らかに口が動く。
「復讐」
飽くまでも感情を出さず、端的に。先ほどまでの困惑や緊張を忘れたように、覚悟を決めた顔だけが残る。
「………いや違うな。復讐じゃないや」
「ほう」
ソルヴィの口が軽くなった事を喜びながらも相槌を打つ。
「魔術師連中の鼻を明かしたい。魔術師同士の殺し合いと呼ばれるこの聖杯戦争で…奴らの土俵で戦って、勝ちたい。けど、俺だけじゃ勝てない。だから、お前に頼りたい」
真っ直ぐにシグムンドを見据え、そう答える。愚者の驕り、若気の至りと鼻で笑われるような、そんな動機に、老王は頷く。
「そうか。ああ…良かった。復讐が動機だと吐かされた時は令呪ごと腕を飛ばそうかと思ってたぞ」
「え」
「案ずるな。お前さんの目的も、儂のエゴも…双方叶えてこその英雄さ。だからな…」
"剣"の手が、固まっている"主"に伸ばされる。正気を取り戻した主は、剣を手に取る。
「宜しくな、マスター」「……ああ!」
桜は散り、夏へと移ろぐ晩春の夜。
少年の運命は、動き出した。