でも私の方がキスが長いです
「キす、し手ミタいノ」
虚な顔、閉じたままのカフェの口がそう訴えた。
マンハッタンカフェが引退して数ヶ月。
トレーナーとの関係に「元」がついて間もなく、新たに深い繋がりが生まれた年の春先のことだった。
後輩の選抜レースの応援に訪れ、一声かけたら帰るつもりだった。
しかし有終の美を飾ったばかりのウマ娘に沸く新入生たちに囲まれ質問責めに。
ようやく解放されてトレーナー室に転がり込んだ頃には日が傾いていた。
少し珈琲の香りが薄れた部屋を2人懐かしんでいると、
斜陽の
陰か ら
「ヰいナぁ」
反射的にトレーナーと陰の間に滑り込んだカフェがギクリと天を仰ぎ、振り向いた瞳に意志はなかった。
この手のものに慣れきったトレーナーは極めて落ち着いた声で望みを聴き、異なるものはそう答えた。
「ワたし妥って」
「捨てキなトレーナーさん汰ッたノニ」
「わタシが、弱いセい名のに」
「遺ナクなっ知ゃッた」
「奇スしてクレたらマンぞくすル可ら」
「わたしだってこいしたかった」
カフェの顔でとめどなく涙を流す懇願にトレーナーはすっかり参ってしまっていた。数ヶ月ほど前からこの顔には勝てない事になったばかりだ。
しかし、恋人の身体で他人とキスすることはできない。
「意識をカフェに戻すこと。この条件だけは呑んでもらう」
「位イヨ。ワたしは、かンジる楕けデも」
再び身体を固く揺らすと、淡い金色の瞳が灯った。
「できれば一言相談してほしいです……」
「ごめん。こちらからの条件提示を急ぎたかった。今どんな状態?」
「意識は明確ですが、身体は動きません……この子の意志でのみ動くみたいです」
言うや否や、油のきれたブリキ人形のように動き出した。
ぎこちなく歩み寄って爪先で立ち、目を閉じる。
トレーナーが応えなければ、この身長差では届かない。
「カフェ」
「浮気にはカウントしませんから。……埋め合わせは、してくださいね」
少し悪戯っぽい声音に観念して、肩に手を添えて。
「愛り ガ とう」
数秒重なるだけの交わりは、深煎りのような苦い味がした。
「こういうのも懐かしくはあるけど…………なんか罪悪感がヒドい」
「お疲れ様でした……困った子でしたね」
差し出された愛用の白猫マグを受け取り、一息。
ひどく消耗したトレーナーに対してカフェはむしろ機嫌が良い。
「アナタは少し……所作を変えていました。私の時は、頬に触れてくれますから」
「そこは、まあ。せめてもの抵抗というか」
「素ッごい なかヨし。カナわナいナー」
「え」
「あ、成仏とかはしないんだ!?」
「子こ、イゴこち井い。まタあそンでネ、スて奇な斗レーなーサン」
「さっきみたいなのは2度としない──カフェ?」
ゆらり、と隣のカフェが膝を立てた。
金の瞳がじっ、と訴えかけてくる。
「……埋め合わせ?」
「はい……今、ください」
トレーナーが頬を撫ぜると、覆い被さるようにカフェが口づける。
降りてきた髪ごと頭を抱き竦めて、誰にも見えない帳の中に閉じ込める。
私の方が。私だけを。あなただけを。あなただけに。
精一杯の独占欲に、背中を撫でて応える。
回数を一つ増やして抱えた頭を撫でて、また回数を増やして耳をくすぐって。
長い永い、深煎りの甘ったるい交わり。
「──っ、はぁ……」
『カフェ』
「……ずっと見てたの?」
『マア 新入ノコトハ マカセトケ
ソレヨリアイツ サンケツデ シニソウ』
「え。あ……!トレーナーさん、トレーナーさん!?ごめんなさい長くしすぎました……!」
「天国見えた……」
『ヤレヤレ ダゼ』
【一日3つまで】と書かれた飴の入った箱から、ミントキャンディーがひとつかみ虚空へ消えていった。