ちいさいねがい

ちいさいねがい

ぐえるがおもいだしたぜんぶと、ぐえるのねがい

スレッタに抱きしめられた時、母を思い出した。優しくて、いつも暖かくて。それでも…父には逆らえない人だった。でも、いつも自分を抱きしめてくれる人だった。家庭教師が出したテストの点数が悪くて、父に水を浴びせられ外に出された時も、ピアノが上手く弾けず父に怒鳴られた時も、父が怒鳴ってグエルを殴る時は、そこから目を逸らしつづけて、助けてくれない人だった。顔を腫らし、ぐったりとするグエルを抱きしめ、愛してる、次頑張れば認めてくれる、頑張りましょう、愛してる愛してる愛してる愛してる。…壊れたようにそんな言葉しかくれない人だった。

………いい人だった。でも、好きな人ではなかった。だからと言って、恨んでしまうほど嫌いにもなれなかった。


いつもの日常。朝から父怒鳴られ、腹を蹴られ、顔を殴られ、首を絞められながら「お前は役に立たない、ジェタークには不要だ」といつもの暴言を吐かれ。そうやって満足した父は、きらきらした顔で今日も仕事に行っていた。父は、どうして自分をいじめるのか理解できなかった。そしていつも、父は自分を殺してくれない。いっその事、死なせてくれたら良かったのにとさえ思う。そんなグエルに対し「今日も頑張ってね?」と笑いながら、蜂蜜のたっぷりかかったふわふわのパンケーキと、カリカリに焼いたベーコンと卵を皿の上に乗せて差し出す。グエルが、パンケーキが嫌いなことを知らずに。でも言わない、言ったところで母はかわらない。優しい人だから、きっとショックを受けるだろう。…受けるだけ。でも、ショックを受けて泣いている母を見るのは嫌だった。

いつも通り、ナイフとフォークでパンケーキを食べる。美味しい?と聞かれ、美味しいよ、と答えようとした。

ぱん、とクラッカーの音が鳴る。

同時に、顔に暖かいものが、べちゃりと着いた。

母の体が、床に倒れている。悲鳴をあげようとして、誰かに口を塞がれた。叫ぶな、動くな、静かにしろ、大人しくしろ。素直に従え。誰かが低く怖い声で言うので、グエルは言われた通りに大人しくした。逆らえばどうなるか分からなくて、言われた通りに大人しくしていたのだ。そのせいだろうか。

パンケーキを貪り、男たちが母に群がり、蹂躙する。まだ息のあった母が、やめてと悲鳴をあげるも男たちは母を貪っていた。地球のドキュメンタリー番組で、肉食動物が獲物をいたぶりながら貪る姿と、今の母たちが重なる。怖くて体が震える。母の声がどんどん小さくなり、男の1人が、母の頭を、撃ち抜いた。

グエルの目の前で母は死んだ。血溜まりの中で、グエルが大人しくしていたせいで、母は、死んだ。血溜まりの中、母の頭を撫でる、ごめんなさいと言葉を紡ぎ続け、謝り続ける。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

突然べちゃりと床に倒され、生暖かい血を背中に感じながら、首を絞められる。グエルは苦しさに藻掻いた。がりがりと腕に爪を立てるも硬い腕に爪は立たなくて、息苦しさの中でもがき続ければ、ふと首を絞める力が弱まった。息も絶え絶えに「どうして母を殺したのか」と自分の首を絞める男に問いかけるも、男は答えない。代わりに別の男が「お前が素直にしとけば母親は死ななかったんだよ」と笑った。父の言葉と重なる。いつも反抗するな、素直に言うことを聞けと言う、父の言葉と。今日も、そうだった。自分の中では素直だったはずだが、父にとっては素直ではなかった。そうかわたしのせいだったんだ。わたしがはじめっから、すなおでいたら、こんなことにはならなかったんだ。

「わ…たし、の…せ、い…」

「…そうだ」

「…そ、か…じゃ、あ…しなな、きゃ…」

父はよく、グエルに死ねと言っていた。きっと彼らは、父の命令でここにいるのだろう。母を殺したのは、グエルへの仕置なのだ。ぜんぶ、ぜーんぶグエルが悪い。グエルのせいだ、グエルが素直に父の言うことを聞いていればよかったのだ。男の手に、自分の手を添える。殺しやすいように、その手が、逃げないように。ちゃんと、首を絞めて貰えるように。

ぎち、と音がする。意識が、少しずつ落ちていく。もう暴れないよ、もう大丈夫だよ。首を絞める男の顔が、歪む。酷く脅えた顔をする男に微笑む。男の顔が、父と重なった。そんな顔をしないで欲しかった。だって、グエルが全部悪いのだから。だから、ちゃんと、殺して欲しい。

「ご、めん…な、さ……お、とお、…さ……」

手が離れる。一気に空気が入ってきて、グエルはげほげほと咳き込んだ。咳き込みながら、男を見る。なぜ、なぜ殺してくれないの?なぜ、死なせてくれないの?男は目を逸らした。その仕草は、父にそっくりで、あぁ、また、お父さんに殺して貰えなかった。血溜まりの中で、グエルは薄らと笑う。殺す価値も、無いのか。ばきりと何かが壊れてぐちゃぐちゃになっていく。自分は、一体なんだったのだろうか。

髪の毛を掴まれ、持ち上げられる。男たちが何か話しているが、グエルにはもうどうでもよかった。

そこから先のことは、よく覚えていない。グエルが最後に覚えているのは、炎に包まれている小さな家があったことだけだ。


思い出さなくてよかったことを全部思い出した。あの後、別の男に金払いがいいという理由でペイルの研究所に売られたんだ。あの男は、そうやって子供を攫ってはペイルの研究所に売り、金を稼いでいたのだろう。手際が良かったことを覚えている。


(俺のせいで、母は死んだ、ぜんぶ、ぜんぶ俺のせい…本当は、死んだ方がいい人間だ)


それでも、それでも。


(ごめんなさい、おかあさん、わたしは、…みんなと、いきたいです。……しにたくない、しぬのは、こわい…生きて、生きていたい…)


本物の空を、生きて皆でみたいんです。

ワガママな私を、どうか許して。


───空を見たら、ちゃんと全部、償うから



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