だって貴方の選んだ色でしょ
「ローに化粧したい」
重たい罪を告白するかのように、告げられた言葉に拍子抜けする。
十代の頃から私に劣情を向け続けているくせに、良識があり過ぎてちっともそういった触れ合いをしない想い人は、何故か頭を抱えながら絞り出すような声で「化粧をしたい」と言う。
「……すればぁ?」
何とも気の抜けた声でそう返事をした。
化粧という行為には不慣れだけど忌避感はない。化粧という単語に何か隠喩があるとも思えなかった。
言葉の裏を考えるにしてもこの人は私に対していつも正直過ぎる。わざわざ怪しい言い回しをするわけがない。
「その言い方やめろ、可愛いから」
「ありがとぉ」
「やめろって……」
可愛いと言われたからお礼にわざと語尾を伸ばせば、三白眼が恨めしそうにじろりと向く。
この人は息でもする調子でさらりと褒めるので、こちらもお返しだ。
頭をガシガシと掻くと、腹を括ったかのように想い人は息を吸う。
「お前なんにも分かってない!おれがやりたいのは、お前やイッカクが化粧するんじゃなくて、おれ自身がお前に化粧したいの!気持ち悪いだろそんなの!」
「……別に?」
「だろ!気持ち悪、えっ?」
「コラさんが私にお化粧してくれるの?どうぞ?」
「えっ、いや、待って……」
ぐいっと距離を詰めて座っていた想い人の膝に乗り上げる。
上体を仰け反らせて体が密着するのを避けようとするので、腕を伸ばして抱きついた。そのまま体から力を抜けば、支えようと想い人も腕を回す。おそるおそるといった力加減が重力から私を守ってくれる。
本当に額面通りの意味だったのは拍子抜けしたけれど、想い人にされて嫌なことは数えるほどしかなかった。
ちなみに嫌なことは「置いて行かれること」と「他の女に目移りすること」だ。
「気持ち悪いって思うだろ?」
「全然」
何故か眉を下げる想い人の眉間を指でつつく。
私にしたいことがあるならこの際洗いざらい言いなさいよ、と詰め寄ったのにこの人の願いはなんというか変わっていた。
もっと性的なことを乞われるのも覚悟していたのに、この人は変わった願いをとんでもない大罪かのように告白するのだ。
「させたい」ではなく「したい」である。
つまり化粧をした私が見たいだけでなく、手ずから化粧を施したいというのが、想い人の要望だった。
どこから取り出したのかと思うほどの化粧道具を並べ、想い人は丁寧に私の肌にスキンケアを施し、今は私の肌の色に何が似合うかを真剣な面持ちで吟味していた。
「その道具どうしたの?」
「今までの商売道具だな」
「コラさんがお化粧してたの?」
「人にしてた。婚礼用の化粧とか、舞台の化粧とか、人に見られるための顔を作る仕事だったら覚えがあったから」
私の知らない面をさらりと覗かせながら、想い人はこちゃこちゃと道具を選んでいく。
詳しくは聞いていないけれど、想い人は海軍の諜報機関に在籍していた過去がある。そして自身も潜入調査のためにクラウンメイクのようなものをいつも施していた。スパイの技術として叩き込まれたものを応用したのかもしれないと、曖昧に頷いておいた。
「ロー」
呼ばれて向けば顎に想い人の指が添えられた。
普段は触るのにもおっかなびっくりといった具合なのに、自然な動作だった。
色んな人に同じことをしたのだろう、と嫉妬にひりつきそうになった胸を想い人の視線が宥めてくれる。
少し上を向かされて、こちらを覗き込む想い人とかなり近い距離で見つめ合う。
様々な形のブラシに顔を撫でられ、今の自分がどうなっているのかを知ることも出来ないまま、想い人の視線に絡め取られたかのように制止していた。
視線を、思考を、独占している喜びに打ち震えるほどにこの人が好きだと自分の心が訴える。
そしてこの行為をしたいと申し出たのが、想い人である事実が今になって嬉しかった。
性的な触れ合いに類するのではないかと疑ってしまうほど、化粧をするというのは深い触れ合いのように思えた。
想い人が何故あんなに重苦しく提案したのか、今なら分かるような気がした。
「できた」
ずっと息を詰めていたらしく、完成を告げる声は少し掠れていた。
仕上げにと引かれた口紅の感触が落ち着かなくて、キスしてもいいかとねだってしまいたくなった。