たぬき娘と魔法使い
「エランさん、エランさん!私です、スレッタです!大丈夫ですか!?」
「ど、して」
聞こえる筈もない問いかけを無意識に呟き、エランは呆然とした。
何故スレッタがここにいるのだ。
エランの呪いは家の外にまで及ぶ。だからこそエランは森の奥深く、草木も動物もいないような場所に住処を構えているのに。そもそも結界はどうしたのだ。万が一のことを考え、エランは家の外にも結界を張っていたというのに。
まさか、それを破ったのか。スレッタが。
そんな馬鹿な、と考えて、今はそれどころじゃないと我に返る。呻き声ばかりが漏れる口を必死に動かして、エランは声を上げた。
「くる、な!帰ってくれ、!離れ、て……ぐっ、!」
「エランさん!?……待っててください、今行きますから!」
「な、待っ……」
「うぅぅ……!えい!」
ガチャン!と音がして、エランが家の扉に張った結界が壊れる。唖然としてそれを見ていたエランの目の前で扉が開き、血相を変えたスレッタが部屋へと飛び込んできた。
「エランさん!?大丈夫…じゃない!どうしたんですか!?あの、すぐにお医者さんを…」
「触るな!」
「っ!」
蹲るエランに向かって伸ばされたスレッタの手を叩き落とすように、強い言葉を投げつける。弾かれたように手を引っ込めたスレッタの瞳が揺れて、けれどそれは一瞬のことだった。
「そ、そんなこと言ってもダメです!えっと、お薬はないんですか!?」
「くすり、なんて、ない、…はな、れて、まりょくが、うばわれ、」
「ま、魔力なら私、いっぱいあるので大丈夫です!……えい!」
「なっ…!?」
短い言い合いの後のスレッタの行動に、エランは呼吸も忘れて目を見開いた。
──スレッタは、ぎゅうとエランに抱きついたのだ。
エランに近付けば近付くほど、奪われる魔力の量は増える。ましてや抱きつくなど言語道断だ。下手をすればものの数分で命を奪われてしまう。慌てて振り払おうとするエランに、ぎゅうぎゅうとスレッタが強くしがみつく。徐々にスレッタの顔色が青褪めていくのを目の当たりにして、エランは絶望的な気持ちになった。
「はなれて、たのむ、から…!きみに、なにかあったら、!」
「いや、です!絶対に、離れたり、しません!」
「なんで…っ!」
「だ、だって…!ひとりぼっちなんて、そんなの、寂しい、じゃないですか…!」
「……っ!きみに、なにがわかる!!」
スレッタの言葉に、エランは思わず声を荒げた。頭にかっと血が昇り、わなわなと唇が震える。
どうしてこの少女はこうも頑ななのだ。
人間からも動物からも植物からも忌み嫌われるエランの孤独など、誰にも分かるはずがない。いつも暗く、無口で何にも興味を示さなように生きてきたエランと違って、スレッタはにこにこと笑い、しょんぼりと悲しみ、ころころと表情を変え、何に対しても真っ直ぐに一生懸命な少女なのだ。そんな愛されるべき少女が、エランの苦しみを理解できるわけがない。
(きみに、傷付いてほしくないのに……!)
スレッタを傷付けたくないのに、呪いに巻き込みたくないのに、どうしてこんなにも分からずやなのだ。
本気の怒りを纏ったエランの言葉に、それでもスレッタは引かなかった。ぐい、とエランの襟元を引っ張ると、──ちゅう、とその頬に口付けたのだ。
「……っ!」
口付けられた箇所から、一気に大量の魔力が流れこんでくる。途端に楽になる呼吸に、けれどエランは真っ青になった。これ程大量の魔力を奪われたら、スレッタは。
スレッタ、大丈夫、と名前を呼ぼうとした瞬間、エランの頬に熱いものがぽたりと落ちた。
ぽろぽろと涙を零しながら、スレッタは声もなく泣いていた。空色の瞳は涙を溜めてゆらゆらと揺れ、溢れる雫は光を反射してきらきらと輝いている。その煌めきに見惚れているエランの眼前で、スレッタはゆっくりと唇を動かした。
「分かり、ます。……私も、ひとりぼっちだから」
エランは瞠目した。──ひとりぼっち?スレッタが?
「お母さんは、ずっと前にどこかに行っちゃって、帰ってきてくれません」
「森の動物たちも、仲間に入れてくれなくて」
「町の人たちは、化け狸めって……」
静かに零される言葉を、エランは信じられない思いで聞きながら、けれど心のどこかで合点がいっていた。
スレッタの持つ魔力量は桁外れだ。これほど強い魔力を持っていれば、群れの長として担ぎ上げられ利用されるか、或いは迫害され追い出されるかのどちらかだろう。突出した何かを持った者は、時としてそれに居場所を奪われる。
何も言えずにただ見つめるエランの頬に、ぽたぽたとスレッタの零した涙が伝っていく。たくさんの涙を流しながら、それでもスレッタは嬉しそうに微笑んだ。
「だから、あなたに助けてもらったとき、本当に嬉しかったんです」
「スレッ、タ……」
「あなたの役に立ちたい、あなたの側にいたいんです」
きゅう、とエランを抱きしめて、スレッタはその傷に寄り添うように静かに言葉を紡いだ。
「お慕い、しています……」