たとえ虚しくとも
「……サオリじゃん。あんたもどう?」
「何だこれは」
「アビドスで取れるらしい砂糖。でもね?これさ、スーッて一気に吸うとすんげぇ気持ちよくなれるんだわ。昨日の仕事はあんたが居てくれて助かったし、タダで一回吸わせてあげる」
「………要らない。じゃあな」
「そう?まあいいや」
ブラックマーケットでの仕事を続けていれば、自然と顔馴染みの半グレも増えていく。目の前で砂糖を摂取している少女も自身の知り合いだ。といってもそんなに深い仲ではない。彼女がどうなろうと、そこまで不安はない。なないのだが……
「………あの砂糖、どこかで………ッ!」
かつて、どこかで、あれを見た気がする。あの時は私も今よりも世間知らずだったから何もかもを聞き流していたけれど、本当は聞き流してはいけないものだったはずなんだ。完全に忘れていたのは、今の彼女たちに目を向けていなかったから。今の仲間が辛く苦しくとも何処かで懸命に、細やかな幸せを得ながら生きていると思っていたから。でも違う。その前提が間違っていた。その幸せを成り立たせているものこそがあってはいけない災厄で……
『……サッちゃん。サッちゃん聞こえる?』
「!アツコか。どうした!?」
『指定した座標に今すぐ来て。ヒヨリが、ヒヨリが大変なの……!』
「ヒヨリ!しっかりしなって!」
「いやぁっ!!苦しいっ!生きるのが辛い、苦しいですっ……!!」
「っ、錯乱してる。これじゃ……」
「生きることは苦しいのはわかってるし、それでも頑張ってます!でも、それでもぉ……っ!この苦しみは嫌っ!!!」
「落ち着け」
ヒヨリの耳元で囁かれる低い声。剣呑ながらも確かな優しさを込めたその声の主がサオリであると把握する前に、ヒヨリの首は締め付けられる。しっかりと、強靭な腕が絞めているのだ。確かに極まっているのでヒヨリは抵抗できずに落ちるだろう。無我夢中に乱射をしてはいるものの、脚に何発か当たっただね。急所に当たるようなものではない。どれだけもがいても、爪で腕を引っ掻いて肉を裂いても、サオリの腕の力が弱まることはなかった。それこそ、ヒヨリが意識を落とすまでは。
「………気絶したか。今のうちに縛るぞ」
「ヒヨリ、どうしたんだろう。誰かに毒を盛られた訳ではないと思うけど」
「あれでしょ。……ほら、あのニュース」
連邦生徒会が注意喚起を及ぼしているのは一種の砂糖と塩。アビドス砂漠から採れるそれは使用者に多大な幸福感を与えるとともに……残酷なまでの精神の変容をもたらす。摂取している時はまだしも、その効能が切れたときの凶暴性が恐ろしい。そのような危険な調味料……いや、麻薬だ。
「いったいいつから……」
「大々的に広まったのが最近なだけで、ヒヨリは以前から服用してたってだけでしょ。………然るべき機関に預けるべきだと思う。病院とか、あとミレニアムって学校も中毒者を受け入れてるんでしょ?」
「でも危険だよ。私たちはお尋ね者だから……私たちはともかく、長期入院させるとなるとヒヨリが捕まっちゃう」
専門的な対処をするにあたって、病院や特定の学校に駆け込む術はある。しかしアリウススクワッドは現在指名手配のテロリスト。ヒヨリ以外は逃げられても、ヒヨリは逃げられない。真っ当な裁きを受けるだけならまだしも、満足な治療すら得られずさらに悪化してしまう可能性がある。かといって私たちの間で匿っていても、それはそれで悪化してしまう未来しか見えないし………
“いつでも大人を頼っていいんだよ”
「………シャーレに行くぞ。先生ならきっと、ヒヨリを助けてくれる」
「………大丈夫?」
「先生を信じろ。あの人ならきっと大丈夫だ」
シャーレは今現在、連邦生徒会や三大校とはまた別の方針で活動を進めていた。しかしながらもいささか人手が足りない。アリスと他生徒の数人がこちらに向かっているというのをモモトークでは聞いているが、未だこちらに合流するまで時間がかかる。FOX小隊やワカモ、アキラはいるがシャーレに常駐して連携をとっている訳ではない。動きたいところだが、シッテムの箱のバリアがあるだけで自分は強いわけではない。今のキヴォトスで満足な活動をするならば人手が必要だ。しかしそれがなく……
「っ、先生!私だ、サオリだ!アリウススクワッドのみんなもいる!」
“サオリ!?……待ってて、今鍵を開けるから”
「すまない、助かる。……先生。ヒヨリをどうにか助けられないだろうか」
サオリがドアを開けると共にアツコとミサキがヒヨリを運んできた。シャーレもこの事態に伴って要救護者を寝かせておくベッドは作っている。拘束機能も並大抵の生徒ならば縛りつけられるほどに頑丈だ。
“………アロナ、どうかな”
「ミレニアムから受け取った研究データと照らし合わせてみると、重度の中毒者に分類されます。然るべき医療処置をしないと体調が悪化する可能性も……」
「提案。レッドウィンター連邦学園からもらった例の液体を投与するべきです。弱毒化の効果は経口接種でも最低30%は保証されています」
“わかった。アツコ、ミサキ、手伝って欲しい。これをヒヨリに飲ませてあげて。サオリはこっちに来て。その怪我を処置しなきゃ”
「私はいい。それよりもヒヨリを」
“良くない。サオリも私の生徒だからね。ほら、こっち来て”
「………わかった」
治療は滞りなく行われた。ヒヨリは安定した状態で眠っていて、サオリは別室で安静にしている。しかし問題はヒヨリだ。シャーレは専門の医療機関ではない。ミレニアムのような優れた設備が多数置いてあるわけではない。このままではヒヨリが悪化することはなくとも良い方向に転がることもない。しかし誰かに頼ることはできない。なぜならアリウススクワッドは今贖罪の旅の道中だからだ。彼女たちが彼女たちなりに答えを見つけるまではやはりその道を壊すのはやめたい。ならば……
“………ミレニアムでの治療薬開発に協力しないとね”
「危険すぎるよ先生。……虚しいだけだよ」
“大丈夫。私の…シャーレの味方はいるからね。今はちょっと別のことで忙しくて連絡がつかないけど……”
「じゃあ私たちが先生の護衛をするよ。それでいい?」
意外というべきか、むしろ当然ともいうべきか。アツコが進言するのは生粋の優しさだろう。とある事情によって話すことはないというだけで、人が嫌いなわけでもない。思いやりに長けた子だ。
“……いいのかな?”
「非常事態だし、私たちもヒヨリを助けたいの。良いよねミサキ」
「リーダーも多分賛成するしね。私も良いよ」
「ならそういうことで。それと……先生、サッちゃんの様子、見に行ってあげてくれないかな。サッちゃん、私たちに何か……」
“サオリ”
「……先生か。ヒヨリはどうだ?」
“安静にしてる。……何かみんなに言ってないことあるよね”
「そうだな。………私は、多分ヒヨリが麻薬を使うようになった原因を知ってる。あれは……ミカだ」
かつて、秘密裏にアリウス分校とミカが繋がっていた時。ミカはヒヨリにあの砂糖のようなものを勧めていたのを覚えている。もちろんそれは善意からくるもので、薬物のように摂取するのではなく、あくまで調味料として摂取することを勧めたものだ。たとえば飲み物に溶かして飲むだとか、そういう簡単なもの。ただ、それでも、ヒヨリを狂わせるには十分だった。そしてミカと私たちの繋がりが絶たれたあの日以来、ヒヨリはあの薬物を確保する手段を喪失した。今までずっとその苦しさに耐えていたものが決壊したんだ。
「………ミカは悪くない。あの時の表情に悪意などない。それにアイツは純粋な子だ。まず悪意があればバレる。きっと誰かに誑かされたんだろう。罪があるとすれば、それは私だろう。私が無知で愚かだったから」
“それは違う。サオリがそれを知る方法なんてなかった。私だって知らなかった”
「なかったでは済まされない。私はアリウススクワッドのリーダーだから。……ミカ。そうだ、ミカはどうしたんだ先生。アズサもだ。アイツらは無事なのか?」
“アズサは大丈夫だよ。ミカは……今、ミレニアムで治療してる。症状が重くて隔離室から出てこれてないんだ”
「そうか。……そうか………」
罪の意識を背負うこと。それは悪いことではない。人が成長するには必要なものだ。しかし重すぎては潰れてしまう。今のサオリはつまるところそれだろう。ヒヨリと、ミカ。二人に対しての罪悪感に苦しんでいる。それが自分のせいではないと言われても、サオリがそれを肯定できない。
“サオリ”
「………すまない、けれど私は、私の内側のこれを解消できないんだ。自分が嫌になって、こんなことをした奴らが許せなくて……虚しいだけだとわかっているのに」
“ミカから伝言があるよ”
「………ミカから?」
“私のせいでごめんね。私のことで気に病まないで。サオリは、もう誰も恨まないで”
ミカは知っている。恨みの連鎖が、虚しさが、多くの不幸を呼び寄せることを。だからこそミカは危惧していた。サオリが罪悪感に潰れ、主犯格となったアビドスへの憎悪が止められないこともわかっていた。止めようと思っても止められないことも。
自分で自分を止められない時に、自分を止めてくれるのは他人だ。ミカがあえて伝言を残したのは、それが関係しているのだろう。わかっていても止められないサオリを止めるために、あえて言葉にした。ミカ自身がそうだったから。
「………私は、どうすればいい」
“サオリ自身が決めることだよ。でも、そうだね。アツコたちは私を手伝ってくれると言ってくれたよ。治療薬を完成させるための護衛薬をね”
「そうか。………そうだな。誰かを傷つける戦いではなく、誰かを守る戦い。私もそれに倣おう。先生、私たちアリウススクワッドは、シャーレの活動に協力する」
“うん。よろしくね”