「それを恋って呼ぶんだよ」
鮮やかな夕映えが目に焼き付いている。
溌剌とした笑顔が、明るい声が、優しい瞳が、ありふれた善性が。それはデイビットとなったひとりの存在が焦がれて、求めて、縋り付きたくなるほどの憧れだ。
「デイビット」
心地がいい。彼女に名前を呼ばれると暖かくなる。彼の1日は彼女の声で始まっていると言っても過言ではない。過言ではなくなってしまった。
その理由を、まだ知らない。
「先輩をお探しですか?先輩は現在、微小特異点にレイシフトしています」
マシュ・キリエライトの言葉はこのカルデアであれば当たり前のことだ。マスターであるならば特異点に赴き問題を解決する。当たり前だ。
「おや、マスターを探しているのか?先程レイシフトから帰ってきてゴルドルフ新所長に報告しに向かったよ」
帰ってきた彼女に会うために食堂に向かえばそこにはいない。台所にいる赤い弓兵に尋ねればどうやらすれ違ったようだ。
「マスターに会いに行くのだろう?ならばこれを持って行ってくれ」
渡された籠にはパウンドケーキと紅茶の茶葉など、いかにもお茶会に必要なものが詰まっている。
「せっかくならマスターと一緒に食べてくれ。感想は……うん、君が覚えていたなら伝えて欲しい」
記憶する。彼の料理が美味しいことをデイビットは知っている。ならこのパウンドケーキも美味しいことは想像出来る。感想はちゃんと伝えなければ。
「立香ちゃんかい?さっきまで報告しに来ていたけど……うん、今はシュミレーターにいるよ」
幼いダ・ヴィンチに告げられた一言に肩を落とす。またすれ違ったようだ。そんなデイビットを見たゴルドルフは咳払いをし、籠に何かを入れた。
「これは私特製のチーズクッキーだ。これは彼女も気に入っているから一緒に食べたまえ。感想?私の料理は美味しいに決まっているだろう」
自信満々に告げられたそれを記憶する。彼女はゴルドルフの作ったチーズクッキーが好き。確か彼とのBBQも楽しんだことがあったと記録している。それは少し……いや、とても羨ましい。自分も彼女との思い出が欲しい。例えそれを覚えていなくても。
「残念だな。お嬢は今マイルームに行った……おい蹴るな蹴るな、だから蹴るのをやめて叩けとは言ってねえ」
デイビットを見た戦神は何を言いたいのか分かっていたのか、笑いながら告げた。シュミレーターに行ったのはどうやらテスカトリポカが原因のようで。つまりすれ違ったのはこの神のせいだ。
八つ当たりにも似たデイビットの攻撃を軽く流しながら甘い香りのする籠に何かを入れる。
「なんだって顔しているな。チョコレートだよチョコレート。バレンタインでお嬢から貰ったのを……そんな怖い顔するなよ。まあそれを元に俺が作ったやつだ」
「何が目的だ」
「おいおい目的も何も戦士を労うのは当たり前だろ?」
「……分かった」
「頼んだぜ」
パウンドケーキ、チーズクッキー、チョコレート。彼女のために用意された甘いもの。食堂で美味しそうに食べる彼女を記録している。目を細めて、大きく口を開けて、幸せそうに笑う。それを見ているだけでこちらも幸せになれる。
デイビットにとって食事は栄養補給に過ぎない。生命の維持のために必要なだけであって、こだわる必要はない。
でも、例え覚えていなくても、その幸せを彼女と共有したくて同じものを食べるようにした。わずか数秒だが赤い弓兵が作る料理を、円卓の騎士に山盛りに盛られたご飯を記憶している。
それを見て笑う彼女を記憶している。
「あ、デイビットこんにちは。かわいいもの持っているね」
「エミヤから渡された。君と食べるように言われた」
「本当?わ、パウンドケーキだ!わたしこのフルーツ入っているの好きなの。これは新所長のチーズクッキー!これ美味しいからオススメだよ。あとは……チョコレート?」
「テスカトリポカからだ」
「え、ポカが?」
「労いらしい」
「労い……うん、神様らしいね」
マイルームでようやく出会えた彼女はベッドに腰掛けて本を読んでいた。表紙は無地で何かと問えばアンデルセンやシェイクスピアなど作家サーヴァントの合作本らしい。贅沢だよね、と彼女は笑う。
「あ、私紅茶の準備するね」
「ではオレは中身を並べていよう」
シンプルなテーブルにお菓子が並んでいく。紅茶の香ばしい香りが無機質なマイルームに広がる。
パウンドケーキを頬張る彼女はとても幸せそうに笑っていて、胸が満たされる。彼女オススメのチーズクッキーを一口かじる。確かに美味しい。
「それ本当に美味しいでしょ」
「ああ。手が止まらなくなる、とはこのことを言うのだろうな」
「後で新所長にお礼しに行こうね。大丈夫、私が覚えてるから」
何気なく告げられる、覚えているから。それは間違いなくデイビットへの救いの言葉だ。善いことを当たり前に出来る、デイビットの目指す星で。
「チョコレート美味しい……さすがカカオの神様」
細い指がチョコレートを口に運ぶ。ちらりと見えた赤い舌にバグを起こしたかのように心臓が跳ね上がる。
唐突に今までの記憶がリプレイされる。いつの間にか積み上がっていく彼女の記憶。デイビットの任務には何も関係のない、無駄とも言える彼女の喜怒哀楽。それを記憶したのはデイビットだ。その理由を彼はまだ知らない。
胸を押えて目を丸くするデイビットに彼女も目を丸くする。先程までチョコレートを掴んでいた指がデイビットの頬に触れた。
「どうしたの?体調悪い?」
「……」
「デイビット?」
「……分からないんだ」
「分からない?」
「気付いたら君を探している。気付いたらオレの1日は君から始まって、君で終わる。気付いたら……気付いたら君の記憶が増えて」
「待って待って」
彼女は手のひらをデイビットの口に当てた。記憶にないくらいに顔を赤くして慌てている。新しく増えた表情に心臓は今だ落ち着かない。
「えーと……デイビットは、その、私をたくさん覚えているんだね?」
「そうだ。君の表情や君の声を、例えオレの任務に関係なくても、君に会えないのはとても……」
「わーわーわー!」
言葉を遮るように叫び、再び手のひらを口に当てて目を泳がせる。眉は下がり、瞳は涙が出そうなくらいに潤んでいる。息を荒くしていた彼女は深呼吸して、そっとデイビットに触れる。
彼の耳に唇を近付けてそれを告げた。