それは願いか幻か
目の前に、逆さになったエランさんがいる。
ぱちりと目を瞬かせ、私は眼前の光景を必死に飲み込もうとした。そうしているうちに視界がぐるんと回り、正しく視界が戻される。宇宙空間のようにふわふわと漂う体、目の前でベッドに座り込んでいる裸の彼、そして―――彼の下で全身を投げ出している、私。
私が、いる。
『……えええぇぇぇぇ!?』
思わず大きな声を上げてしまうが、エランさんが気づいた様子はない。むしろ、眠っている私を気遣うよう、ぐっと『私』に顔を近づけた。
「……スレッタ・マーキュリー?」
頬を撫で、首を指をなぞり、耳朶に唇を寄せる。吐息が触れた気がして思わず右耳を押さえるも、それが錯覚なのは分かっていた。
だってそれを感じるはずの体は、いま、私の目の前で横たわっているのだから。
ぷにぷにと頬をつついていたエランさんも、私に意識がないことに気づいたのだろう。ゆっくりと体を起こし、少し考え込むような素振りを見せた。私と体を繋げたまま。
―――今日は、久しぶりの何も無いお休みで。明日もお休みの日で。だからお泊まりして、当然のように『そういう』流れになった。私も期待していたし、きっとエランさんもそうだったと思う。
そうでないと、ドライヤーで私の髪を乾かし終わってすぐ、彼に引き倒されるようにしてベッドへなだれ込んだことへの説明がつかない。
互いにキスだけで夢中になって、知らない間に寝巻きが取り払われて、途中で気づいた私が電気を消すように求めて。人口の月明かりが差し込む薄闇の中、会えなかった時間を埋めるよう何度も何度も欲しがった。
そうして、何度目かも分からない甘い快楽の海が過ぎ去った後。ふつりと目の前が真っ暗になって―――気がついたら、自分の体を見下ろしていた。
『……えっと』
これは、あれだろうか。いつかコミックで見た幽体離脱というものだろうか。それともあのまま眠ってしまって、夢でも見ているのだろうか。
そんなことをぐるぐると考えていると、エランさんはひとつ頷いて、ぐいと私の腰を抱え込んだ。当然、意識のない私の上半身はだらりと投げ出されたまま。
「……僕を置いて、先に眠った君が悪いよ」
だからもうちょっとだけ付き合って。言葉にはしなかったが、何度も何度も言われたそれが耳奥に響いて、かあっと頬が熱くなった。そしてその直後、ぐいと腰が引き寄せられる。
「……っ」
ぐちゅり、と明らかな音が響いて、エランさんが荒く息を吐く。肌と肌がぶつかり合う破裂音のようなものが響き、私も思わずほうと息を吐いた。実体なんてないのに、それをされているのは『私』じゃないのに、彼を教え込まれた身体は容易に熱を持つ。
奥に打ち付けられるたび、体の中で小さな爆発が起きるような衝撃が背を駆け抜けるのも。閉じられなくなった口からあられもない声が漏れてしまうのも。どうしてかエランさんはそれを可愛いと言って聞きたがり、自分の指を噛ませようとするのも。全てが鮮明に思い起こされ身震いした。生まれた熱は確かな疼きとなって、もどかしさに変わっていく。
息遣いと水音の合間、まるで合いの手のように響く肌の打擲音が、空気を淫らに染め上げていった。
「は……っ、く、」
珍しく険しい顔をしたエランさんが、何かに耐えるよう眉を寄せる。そうして持ち上げていた私の腰を降ろしたかと思うと、今度は上から打ち付けるようにして穿ちはじめた。
『ひ、……っあ、』
嬌声じみた声を上げてしまい、慌てて口を押さえる。しかし聞こえていなかったのだと気づいて、そのままふわふわと自分の頭の方に移動してみる。『私』はやはり眠ったままのようで、力なくエランさんに組み敷かれされるがまま。そんな私の頬を愛おしげにひと撫でし、しかし優しくない荒々しさで彼は意識のない私を蹂躙していく。
どこか余裕そうだった表情が崩れ、その唇がゆっくりと吊り上がった。―――笑っている。心底満足げに、どこか煮えたぎるような狂気を孕んでいるようにすら見える顔で。
「……ッタ、スレッタ、マーキュリー……ッ」
何度も私の名前を呼んで、少しばかり恐怖を覚えるほど激しく私を抱くその姿は、今まで見たことがないものだった。いつだって優しく、愛おしげに、まるで壊れものに触れるかのように大切にしてくれていたから。彼の気持ちの具現化のようなそれを、不満に思ったことも無かった。―――無かったのだ、本当に。
『えらん……さん』
「っ、く、」
熱っぽく名前を呼んだ瞬間、目の前の体がぶるりと震えた。何度か奥へと叩きつけるよう腰を動かし、ようやく脱力する。
達したのは明白なのに、エランさんはまだ抜く気はないようだった。繋がったまま、ゆっくりとベッドに腰を下ろす。そのままぐいと倒れ込むようにして、触れるだけのキスをする。
さっきの荒々しさが嘘のような、初々しさすら感じるそれを終えた彼が、ゆっくりと息を吐く。
「……ごめん」
ああ、ずるい。
寝ている間に少し手荒くされたぐらいで怒るつもりもないが、そんな風に謝るなんて。汗で張り付いた髪を払い、確かめるように触れていくその手つきは決して官能的ではなく、本当に私の身を気遣っているようだった。ぺたぺたと一通り確認し、ようやくゆっくり自身を引き抜く。
こぽ、と溢れ出た白濁の多さと、彼のかたちに広がったそれを目の当たりにしてしまい、慌てて視線を逸らした。
『……っ』
きっとこれから、最奥に吐いたものを掻き出して、汗や体液で濡れた全身も拭き清めてくれるのだろう。こんな風に最中に気を失い、翌朝目覚めた時はいつもそうだったから―――案の定、エランさんは私を抱き上げるようにして、秘部に手を伸ばす。指をそえて入口を広げれば、注がれたものが重力に従いぼたぼたとシーツに落ちてきた。
『ひぇ……』
いつも、あんな風にしていたのだろうか。寝ている間のこととはいえ知らなかった、とうるさい心臓を押さえながらさっきのエランさんのことを考える。
あんなに荒々しい一面を持っているなんて、知らなかった。そう思ったけれど、思えば決闘の時の彼にはそういう一面があった気がする。でもそれを普段の私に見せないのは、彼なりの遠慮だろうか。それとも、まだ私に見せたくないと思っているからだろうか。どちらにせよ寂しいと思う。
蒸しタオルでも作りに行ったのか、私にだけ服を被せて、エランさんは全裸のまま部屋を出ていく。途端にすぅと意識が遠のいて、私の目の前は再び真っ暗になった。
◇
「……ぅ、」
ゆっくりと瞼を持ち上げる。目の前に驚いたようなエランさんの顔があって、私もびっくりしてしまった。
「っえ、えらんさんっ」
「うん。悪いね、起こしてしまって」
ぶんぶんと首を振る。気だるさを振り払うよう身じろぐと、胸のあたりがじんわり温かいことに気がついた。
「あ……後始末、して、くれてたんですね」
ありがとうございます。そう告げると、またうんと短い返事。淡々と作業を続けようとするその手に触れて、私はぼんやりとさっき見た『夢』のことを思い出していた。
「……エランさん、私に遠慮、してないですか?」
「…………急に、どうしたの」
一瞬言葉に詰まったような表情が、返事になっていないその返答が、答えのようなものだった。
「え、遠慮とか、我慢とか、しないでほしい……です。わたし、パイロットですから、きっと……エランさんが思ってるより、丈夫、です」
震えそうになる声でそう告げると、薄闇の中でも鮮やかな緑の瞳が細められる。起きてたの、と口にしたそれはきっと独り言だったのだろう。
手にしていた濡れタオルをポトンとベッドの下に落とし、エランさんは私の肩口に頭をうずめた。
「遠慮してるつもりはないよ。……でも、我慢はしていたと思う」
やっぱり。そう思って、さらさらの髪に指を滑らせる。
「君は丈夫だと言ったけれど、それでも僕とは違って女の子だから。力加減を間違えて傷つけてしまわないよう我慢していた」
「……はい」
やっぱり、エランさんは優しい。そういう優しい所が好きだけれど、でも。
「君を大切にしたいと思っての努力だから、我慢ではあったと思うけど決して『無理』していたわけじゃない。……これだけは、取り違えないで」
分かっています。言いながら、ぎゅうっと大きな体を抱きしめ返す。愛しさが伝わるように。
エランさんは優しい。そういう優しい所が好きだけれど、でも―――夢であれ現実であれ、彼に荒々しく奪われることを知ってしまった今では、もっと欲しくなってしまう。
私だってあんな風に、貪欲に激しく求められたい。
「……我慢、しないでください」
ぴくり、手の中の毛玉が震え、ゆっくりと持ち上がる。
至近距離で見下ろしてくる緑の双眸は、どこか飢えたような輝きを秘めていた。
「欲しいだけ、いっぱい、してください。き、気遣ってくれるのは嬉しいですけどっ、……私だってエランさんに、もっと……」
言い終わるより早く、荒っぽい口付けが降ってくる。勢いがつきすぎて歯が当たってしまったが、すぐにそんなことも気にならなくなった。
滑り込んできた舌が上顎をくすぐり、歯列をなぞり、じゅうっと舌を吸い上げる。ぞくぞくと背筋を快感が駆け抜け、全身が弛緩した。
「は……っぁ……」
「言ったのは君だよ」
それはきっと、最後の確認だったのだろう。分かっていた。分かっていて、その先をねだるように手を伸ばす。
望んだとおりの口付けが再び降ってきて、私はそっと目を閉じた。
―――その後。枯れそうになる声を振り絞って「もうむりです」と告げるも「君が望んだことだよ」と一蹴されてしまい、私が一日ベッドの住民となったことは―――ここだけの秘密にしてほしい。