それはそうとして誕生日は祝いたい
地下監獄最下層第八監獄「無間」。
その空間の主人、藍染惣右介が口を開かない限り常に静寂が広がる場所なのだが。
ぐしゃ。
嫌な音を立てて、黒い何かが降って来た。
それは何度も目にしたことはあるが、何度見ても悍ましいとしか思えない物体___正確に言うなら生き物だった。
昔、滅却師との戦いで分裂した彼の欠片が落ちて来たことを思い出す。届けに行けと言わんばかりのその欠片に押されて地上に出たが、碌な目に遭わなかったのを覚えている。
ただ、その時より遥かに大きな禍々しい泥の沼が目の前に広がっていた。
その泥はゆっくりと一箇所に集まっていき、沼が塊に変わる。縦に長く纏まったと思うと人の形になった。見慣れた死覇装と前髪の長い紫髪だった。
「じゃーん。お久しぶりです、惣右介さん」
かつての副官である五番隊副隊長。両手を上げたダブルピースでポーズを決めながら、ニッコリ笑顔で立っていた。会うのは数年ぶりになる。
「…君、何故ここにいるんだ」
「…もうちょっと驚いてくれませんかね。ここまで来るの割と大変だったんですよ」
感動の再会を演出しようとしたんだろうか。ここに来たことは驚きだが、あの泥の塊からの再会に感動も何もないだろう。
思った反応が得られなかったのか、手を下ろして淡々と説明し始めた。
「前に滅却師たちが侵攻してきた時に、俺たちの一部がここに来たことあったじゃないですか。それの応用です。俺の意思でここまで形を崩せるようになるのに、俺たち結構頑張って特訓したんですよ。隊長と雛森ちゃんにはかなり迷惑かけましたが…」
根本的に彼への認識がおかしい平子真子と、数々の戦いと経験を経て異様に図太くなっただろう雛森桃が、悪態をつきつつも微笑ましく「それ」を眺める様子は容易に想像できた。
「あ、平子隊長たちには俺が来たこと秘密にしておいてください。俺一人でこっそり来たんで」
「拘束されている身でどうやって伝えろと言うんだ。それにその特訓とやらを平子真子たちが手伝っているのなら、君がそうする理由を察しているだろうな」
しまったと困り顔をしたと思えば、彼は「まいっか」と小さく声に出した。
とにかく、聞きたいことはそこではない。
「どうやって来たかを聞いているんじゃない。何のために来たのかと聞いているんだ」
彼は私が来た理由を知らないのが意外、とでも言うような顔をしている。
前髪が長いために目元はほぼ見えないが、彼の表情は案外分かりやすい。
「今日って何月何日か知ってます?」
「五月二十九日だろう」
「その状態でも日付けが分かるってすごいですね」
彼は私の正面に立ち、一呼吸置いた。
「藍染惣右介さん。お誕生日おめでとうございます」
彼の言葉が響き、沈黙が流れた。
今、何て言った?誕生日?
確かに今日は私の誕生日だが、不死身になった今ではもう誕生日など関係ないだろう。
「はっぴばーすでーとぅーゆ…」
「歌わなくていい」
肩を落としてしゅんとしている。居た堪れなくなるから勘弁してほしい。
中央四十六室からの通達をこんな不法侵入者がする筈はないと思っていたが、流石に予想外だった。
「本当は三角帽子と星型サングラスと『本日の主役』の襷を持って来たかったんですけどね。手ぶらですみません。惣右介さんに付けたかったなあ絶対似合うのに」
「仮に持って来たとしても付けないぞそんなもの。それで君、まさか人の誕生日を祝うためだけにここまでやって来たのか?」
「そうですけど?」
また沈黙が流れる。
髪の奥に隠れた瞳を見る限り、どうやら真面目に言っているらしい。
とうの昔に存在の理解を放棄していた相手だが、行動の原理も理解し難い相手であることは改めて理解した。
「ずっと前言ってたじゃないですか。『自分の誕生日を知っていることそれ自体が既に幸せなんじゃないか』って。覚えてます?」
昔の話題を投げかけて来る。
かつて私が五番隊隊長だった頃。日番谷冬獅郎の誕生日を祝った時だったか。
「そんな言葉、よく覚えていたな」
「あの頃、あなたが俺の名前と誕生日を知っていたことが俺にとって救いだったんです。なので、俺もあなたの名前と誕生日を覚えておきたいんです」
当時、育ての親と友人を失った彼は精神的に酷く困憊していた。姿を保てなくなった時に名前を呼び続けていたのは確かに私だった…が。
「だとしても私が君の家族を分断し、君を双極で殺しかけたのは事実だろう。ついでに言うのなら、終わりの無い命に歳を取ることを祝うのは意味がないと思うがね」
「…やったことは非常にアレですし、俺も全く許してません。でも誕生日は生まれて来たことの祝福とこれから一年の健康を願う日なんで、寿命関係無しにお祝いしたほうがいいですよ。俺一人が祝うくらいならギリ大丈夫じゃないですかね」
「…相変わらず、君は理解し難いな」
「生まれて来たことの祝福」。
それに強い拘りがあるように見える___と言おうとしてやめた。
結局、彼の正体も考え方も理解できるものでは無いだろう。
「理解し難いのはお互い様です。それに、まだ一万九千九百九十回以上会う機会があるんです。お互いどれくらい理解し合えるか、試すのも有りじゃないですか?」
彼はその場に腰を下ろした。本格的に長話をするつもりらしい。
「ケーキも蝋燭も無いんでなんか話しましょう。ここじゃ何も起きてないと思うんで俺の近況から話しますね。最近の尸魂界はとりあえず平穏です。そうだ、平子隊長がやっと髪を伸ばし始めたんですよ!!」
「そういえば、彼は現世に逃げた時髪を切っていたな。雰囲気を大分変えて、黒崎一護の同級生までやっていると知った時は驚いたものだ」
「誰のせいだと思ってんですか…あと弟と妹ができました。数が多くて育てるのが大変なんで、五番隊の皆さんに助けてもらってます」
「兄弟ができた?まさか平子真子が結婚でもしたのか?」
「いやなんというか…できたというかでてきたというのか…」
「でてきた?」
……………
「ちなみに惣右介さんって何歳なんですか?割といい歳いってますよね?」
「それを言うなら君に成長と老化という概念はあるのか?常に何かしらの霊を取り込んでいるだろう」
「話逸らさないでくださいよ」
……………
「それじゃあ隊長と弟と妹たちが待ってるんで。今日は帰ります」
気がつけば、かなり長い時間たわいもない話をしていた。かつて隊長と副隊長として話していた頃とは違う雰囲気が流れていたと思う。
「また来年来ますね。それまで元気にしててくださいよ」
そう言って、彼の形が崩れる。どす黒い泥の塊に変わったかと思うと、そのままずるずると移動し扉の隙間に消えていった。
怖いもの知らず、もしくはお人好しと言うべきか。この拘束が何の意味を果たさないことを彼もよく知っているだろうに。
最後に「もう来るな」とも「再会を楽しみにしている」とも言えなかった。彼の来訪に対して私がどう感じたかを結論付けるには、まだ時間がかかるだろう。
___また来年か。
数年後、地下監獄最下層第八監獄「無間」。
三角帽子と星型サングラスと「本日の主役」と書かれた襷を付けた死神と、一緒に伝令神機で自撮りをするもう一人の死神がいたとかいなかったとか。