その輝きを抱いて
その日進入したL社支部は、今までの場所とはずいぶん様子が違っていた。まず、珍しくどの団体にも占拠されておらず長く放置されていたにもかかわらず、手入れがきちんとされていること。次に、大罪たちはみんな作業をしたり理解できない鳴き声で話し合ったり?していて、ほとんどこちらに興味を向けなかったこと。そして、本来なら敵対するはずの幻想体が、無抵抗で道を明け渡してきたこと。
《ここまでスムーズだとなんだか不気味だ…》
「そうですね、さっさと枝を回収して帰りましょう」
《うん。だいぶ近づいたと思うんだけど》
この先かな、と扉を指し示す。重厚な鉄でできたそれは、しかし見た目に反してかるく押すだけで開くことができた。視界いっぱいに飛び込んでくる光。目が慣れてくると、そこには暖かな日光が降り注ぐかわいらしい庭園が広がっていた。
「…こういう不思議な現象には慣れたと思ってたんですけど」
「おそらく、私たちではなく宿主となっている幻想体に共鳴しているタイプでしょう。油断はしないほうがいいかと」
「ま、いつも通りさっくりやればいいってことだな」
扉を抜けて庭園に立つ。植物や小さな噴水、池など、どれも豪奢ではないにしろ丁寧に手入れされているのがわかる。あくまでイメージだが、片田舎のちょっとした名士の家ってこういう感じなんだろうか。もしくは小さな町に隠居した品のいい老婆とか。
ほどよく整えられた庭だが、あちこちにある不思議なものも目についた。たとえば手を取って踊る男女の像。たとえば男の子を象った風車。たとえば柵にかけられた青色の石がついたネックレス。たとえば微笑む少女のタイル絵、梨を実らせた偽の樹木、水底を泳ぐ機械仕掛けのうつぼ。どれもこれも不自然と言うほどではないにしろ、普通の庭にはあまり置かないような代物だ。
「こんな美術品を無造作に外に置いておくとかある?よっぽどお金持ちなのかしら」
「幻想体が金銭や経済の概念をもつかは不確定ですので、その考察はあまり意味をもちませんが…確かに、この状況はあまりに具体的ですね。特有の抽象性が感じられません」
「今まで戦ってきた幻想体固有の空間はもっとはっきりした個性があったが、ここにはそういったものが見られない。むしろ人為的だ」
人がしたように整えられた庭。誂られた品々。私たちより前に黄金の枝を手にしていた者がいるんだろうか。
そのうち小さな建物が見えてきた。白い柵に囲まれたそれは、温室が併設された家屋のようだ。道はそこに向かって続いており、温室の扉が開いている。柵の前には看板が立っていた。
《美術工房 リンネ?》
「なに!?管理人殿、それは確か都市悪夢に指定されている謎の工房ですぞ!」
《知ってるのか、ドンキホーテ?》
「うむ!なんでも迷い込んだ者を美術品にしてしまう、とか!」
「違う。ま・ど・え・だ」
「迷い込んだやつの同意を得てからだ、ですか?」
芸術に関心をもつ者として、良秀も一応把握していたらしい。シンクレアの確認を無視して煙草をくゆらせているのを見るに、そこまで興味はなさそうだけど。
「じゃあここに入ったら枝だけぶんどっておさらばすりゃいいって話か」
「されど、両人の話をまとめるに、私たちが見し美術品は尽く人ならずや?いかでさしもあまたある」
確かに来る途中で見た美術品の数は少なくなかった。口八丁手八丁で丸め込まれたのか、みんなが美術品になることに同意したのかはわからない。はっきりしているのは、警戒を続ける必要があるということだ。
少しの物音も聞き逃さないよう耳を澄ましながら、とりあえず扉が開いている温室に入ってみる。中にはさまざま植物が植えられており、どれも綺麗に咲き誇っている。天井から吊るされた鉢植えからも花や青々とした葉がちらちら見えている。途中にある棚を覗くと、小さなガラス瓶に人形や苔、ごく小さいサイズの植物を敷き詰めたものが飾られていた。
「こういうのなんだっけ、えーっと…テラリウム!」
「生物をガラス容器で飼育・栽培する手法ですね。近年はインテリアとしての需要もあります」
「あ、水槽もありますね〜。アクアリウムって言うんでしたっけ。実家でもこれよりもっと大きな水槽でやってましたよ」
「こっちは…人形の家?ドールハウスだったか…なんかこう、ここまでたくさんあるとちょっと怖いな?」
確かに、執拗に大量のガラス瓶や水槽、ドールハウス(しかも中に人形も入ってる)が並べられていると、一種の怖気を覚える。でもそこには威圧や敵意は含まれていなくて、むしろよく見ると一つ一つ違う中身やコンセプトからはそれらへの愛情が垣間見えた。今まで少しも攻撃されてないし、この工房の主は平和主義者なのかもしれない。
《うーん、まだちょっと遠い…?もう少し進んでみようか》
「了解しました。おい、お前たち」
ウーティスがやんややんやと見物している囚人たちに声をかけようとしたとき、ファウストの身体が崩れ落ちた。
「!」
「ファウストさん!?」
たまたま近くにいたイシュメールが抱きとめる。しかしファウストの膝から下の膨らみはすでに失われ、ズボンの裾からなにかがこぼれ落ちていく。さらさらと砂のように流れていくのは。
《数字?》
「痛っ!?」
今度はホンルが声を上げて左目を抑える。
「いっ、いつっ、うぅッ!?」
「んだよ、目になにか入った、のか」
ヒースクリフの言葉が途切れる。ホンルの左目からこぼれた涙が、翡翠の宝石となって床に転がった。何個も、何個も。
《まずい、撤退しよう!》
危機感に指示を出すが遅かった。囚人全員に異変が起きはじめたのだ。
「ぁ、なにっ…!?」
イサンの両腕が鳥の翼に変貌していく。本能的にばさり、と広げられたそれから白と黒の模様が美しい羽根が飛び散った。
「これは…痛み、はないようですが」
ファウストの身体の崩壊は止まったようだが、数字の羅列に変えられた身体はもとに戻る様子もない。なにより下肢を失った彼女はこれ以上戦うことができなくなってしまった。
「あわわわわ腕っ、腕がぁ!?かっこいいがこれでは槍を振るえあ゛ーーー落ちた!?」
大慌てするドンキホーテの左腕が甲冑に置き換えられてガシャンと落下する。これ、時計を戻せば治るのか?
「っ…あつ…」
ぼそっとこぼした良秀は、右手首から先が炎に包まれていた。不思議なことに服や身体の他の箇所には延焼しておらず、火傷の様子もない。
「ッ…!」
尻もちをついたムルソーの右足首から鈍い光沢がチラつく。足首から先が金属に変わりばっきり折れてしまっている。
「ぐっ、うぅ…ごろごろします〜…」
痛みは引いたようだが、目を擦るたびにホンルの左目から小さな宝石が飛び散る。涙が宝石になる話、どこかで聞いたことがあるようなないような。
「あ゛!?くっそ服が、てかなんだこれ身体から生えてんのか!?」
ヒースクリフの胸からは服を突き破って錆びた有刺鉄線で造られたバラの花が咲き誇る。触れれば確実に相手を傷つけるそれは、本人には少しも苦痛を与えていない。
「えっ、わっ!?なんですかこれ!?気持ち悪い!」
必死に掻きむしるイシュメールの腕には、オレンジの地に白の水玉模様の貝殻がびっしりと付着していた。剥がしても剥がしても完全になくなる気配はない。
「ッ!?げほっえほっ…げ、ぇ…!」
声を発そうとしたロージャが激しく咳き込みなにかを吐き出す。赤や黒、緑の鮮やかなそれらはどう見てもカジノチップだ。
「だ、ダンテさ…どう、しましょう…!?」
自身の顔の右半分も小ぶりの枝に覆われたシンクレアが半泣きで指示を請う。比較的行動に支障がないのと、自分以上に取り乱している人を見て冷静になったのだろうか。
「管理人様、動ける者を連れて一時離脱を!時計を回すのは安全な場所でなくては!」
私のことは置いていってくださいと苦虫を噛み潰したような表情で倒れているウーティスの左脚は、大量の空薬莢に変わっていた。少し焦げた臭い。使われたばかりなのか?
「い、や。連れてく余裕もない、一人で逃げろ旦那!これもいつもの発作じゃない!」
叫ぶグレゴールの身体からは確かに虫の特徴が飛び出していたが、彼のEGOは今日は一度も使っていない。それに普段のそれより一層節操なく、あらゆる虫の部分が少しずつ表出していく。
まともな戦闘行動をとれる人員がゼロになった。私もいつこうなるかわからない。ウーティスとグレゴールの言う通り、一度私だけでも引き返して時計を回さなければならないだろう。
《わかった!みんな少しだけ待ってて、時計を回したらまたすぐにもど》
最後まで針を紡ぐことはできなかった。突然視界が途絶え、私は意識を失ったから。
ダンテが目の前から突如消えたことに囚人たちは少なからず動揺を見せる。
「ダンテッ!」
「管理人様!?」
「ダンッがほっぉ゛え゛ッ…!」
叫ぼうとしたロージャが嘔吐く。口を開くたびに喉の奥からチップがせり上がるせいでろくに話すことができない。うずくまった彼女の背をシンクレアが必死にさする。
「ど、どうする…!?」
「どうするもなにも奪還するしかないだろう!このままでは私たちもここで這いつくばったまま死を待つのみだ!」
「消えた先もわかんねえのに無茶言ってんじゃねえよ!」
「…いえ、この状況から考えて、行き先は予測できます」
膝から上を使って器用に起き上がりながらファウストが示したのは、温室のさらに奥。
「この工房の情報から察するに、おそらくダンテは作品にされようとしている。であるなら、連れて行かれた先は作業場以外にありません。こちらでなければ家屋のほうを当たりましょう」
「よし、余裕がある者は手を貸せ!分断されるのは悪手だ、多少効率が落ちても団体行動を優先する」
ウーティスの指示に姿勢が安定している囚人が足が欠損した囚人を助け起こす。目をしぱしぱさせながらファウストを背負ったホンルは、呆然とした様子の良秀に声をかけた。
「良秀さん、どうしましたか〜?」
「………」
ちらっと見せた良秀の右手首から先はいつの間にか燃え落ちており、切り口からは炎が吹き出している。芸術家にとって手は重要な感覚器官だ。それを失ったことに衝撃を受けているらしい。
「あ〜…残念でしたね。僕も良秀さんの手好きだったんですけど」
でももう行きましょうね。大丈夫、ダンテさんが時計を回してくれれば戻ります。子供をあやすように言い聞かせながら残った左手をとり、ほかの者にやや遅れてホンルも温室の奥へ足を向ける。良秀は借りた猫のように大人しくそれに従った。
植物の密度が増えてやや視界が悪化したが、それでも優しく降り注ぐ陽の光は変わらない。口さえ開かなければ問題ないロージャとある意味ではいつも通りのグレゴール、そして万が一の撤退時に進路を塞がぬようイサンが先頭を行く。それに要介護者のウーティスとムルソーに肩を貸したイシュメールとヒースクリフ、ホンルたちが続き、殿はシンクレアとドンキホーテが。ひっそりと息を潜め、自分の得物を引きずりながら、囚人たちは最深部へ到達した。
「…ここが一番奥、みたいですね」
そこは、彼らが想定していたより遥かに清廉で神秘的な作業場だった。白く清潔な机に並べられたたくさんのドライフラワーや鉱石、透明な液体が詰まったいろいろな大きさの瓶。ハサミとともに放置されているのはなにかの蔓だろうか。そのそばの棚にも、薬瓶のようなものやさまざまな素材がぎっしり詰め込まれているのがわかる。おとぎ話に出てくる優しい魔女の部屋だ、とドンキホーテはなんとなく思った。
「ダンテさんはどこに…」
「…あ!」
小さな悲鳴は誰のものだったのか。全員がその方向に視線を向け。は、と息を呑む。
巨大な試験管の中で、ダンテが逆さまにたゆたっている。頭の炎のゆらめきは屈折した日光の中で一層美しく、それは、無垢な幼子のようだ。誰ともなく近づき試験管に触れれば、彼の周囲を漂う物体が自身から生じたものであることに気づく。
黒と白の模様の羽がふわり、ふわりと舞う。数字の砂が入れられたフラスコがゆっくり揺れる。輝く甲冑の左腕がダンテを引き止めるようにその手を掴み、炎に包まれた右手が彼の文字盤を撫でる。鈍く光を反射する鎖が足首に巻かれ、宝石は炎を彩るように頭の下を陣どる。有刺鉄線の茨が執念深く腕に絡みついていたかと思えば、貝殻があちこちに装飾されている。胸ポケットから見え隠れする鮮やかなチップが沈んでいく先では、右半身を覆う木の肌がそれを受け止める。全体には空の薬莢が散りばめられ、小さな虫の模型がその隙間を飛び交っている。そして、それらがすべて一人の時計を中心に配置され、彼を守っているようにも見えてしまう。
「…ハーバリウム、ですね」
「はー…なんて?」
「ドライフラワーや鉱石などを詰めた瓶に専用のオイルを満たしたインテリアです。テラリウムとは違い、用途は専ら観賞です」
観賞。その言葉に、説明したファウスト自身でさえむっとしない囚人はいなかった。
「…壊すか」
「壊そう」
「壊しましょう」
異口同音にそう吐き捨て、可能な者は武器を振り上げる。それが瓶に接触した瞬間。
ぱ き ん
なにかがひび割れる音と、閃光。気がつくと囚人たちは五体満足で立っており、目の前にはカチコチと時計を鳴らしながら起き上がるダンテがいた。
《……あれ?ごめん、寝てた?》
「管理人様!!お怪我はありませんか!?」
《う、うん大丈夫…あれ?》
ポケットの違和感にダンテが懐を探ると、ぽんっと黄金の枝が転がり出た。なんのこっちゃと首を傾げるダンテと安堵する囚人たちは、こうしてこの奇妙な工房を後にした。
────後日、通常郵便物など届くはずもないバスにこんな封筒が置かれていた。
〘 先日は美術工房リンネに足をお運びいただき、まことにありがとうございました。また私の興奮により皆様に多大なご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。お詫びとして黄金の枝を差し上げましたが、さらなる謝意を表明したくこうして筆をとらせていただきました。
さて、改めてこちらはお詫びの品である身代わりのアクセサリーでございます。皆様それぞれに専用のデザインであしらわせていただきました。また、ダンテ様にはさらに記念撮影時の写真も同封いたします。
今後とも美術工房リンネをよろしくお願いいたします〙