その背に唯一の影を見た話

その背に唯一の影を見た話


やむを得ず麦わらの一味と行動を共にして数日が経ち、漸く揺れない地面に足をつけた事で息を吐く。

食料の買い込みと船の点検の為の小休止として降り立った島はこじんまりとしてはいるが人で賑わい、牧畜も盛んなのか肉の焼ける匂いにつられたルフィは真っ先に飛び出していった。

「おい、あれ追っかけなくていいのか?」

「ほっときなさい。騒ぎが起きたらそこにいるわ」

ニュースクーを読みながらナミが言う。

「それよりあいつ買い出し班なんだけど判ってるのかしら」

「大丈夫ですナミすゎん!俺が行くついでに回収して荷物持たせますからぁ!」

目をハートにしながら買い出し用の袋を背負うサンジを見て、ローは彼らと会ってから何度目か判らない困惑に陥る。

船長に対して扱いが雑すぎるような気がするが、もしかして他の海賊団はこれが普通なのだろうかと。

そんなわけがないという否定を出来る相手は残念ながらいなかった。

「でもトラ男くんまでいいの?」

「乗せて貰ってる以上仕事はする。それに他船の内部を勝手に見るわけにもいかないだろう」

事実、前回間借りしたアクアリウムバーと今現在寝床としている展望室、食堂や浴室など必要な部分しか出歩いてはいない。自分の船でやられて嫌な事はしないだけだが、印象は悪くないだろう。

「じゃあ悪いが行ってくるな。チョッパーとロビンちゃんは本屋だったか?」

「おう!新しい医学書に出会えるかもしれねえからな!」

「私も歴史書を探したいの」

そう言って降りていく二人を見送り、ローも渡された袋を背負う。

「つーわけだクソマリモ!ちゃんと船番しとけよ!」

「うるせーなクソコック……」

甲板であくび交じりにゾロが呟き、その視線がローへと向く。

「ないてねえな」

「鬼哭か?ああ、大人しいもんだ」

「そっちもだが」

言い淀んで結局への字に口を曲げたまま見据えてくるゾロに自分が悪いわけでもないのになんとなくいたたまれず帽子を下げて視線を遮る。

「…まあいい、うちの船長の回収と買い出し頼むぜ」

「ああ、判った」

そう言って島へと向けた視線が何かが吹っ飛ぶのを捉えた。

嘘だろもう騒ぎが起きてる。

隣に視線を向ければ遠い目をしたサンジが力無く行くか、と呟いた。

諦めが多大に含まれたそれに、ローは頷くしかなかった。


結局騒ぎの原因は他の海賊がルフィが食べていた店で肉を丸ごとタダで寄越せと暴れたのを殴り飛ばしたというだけで、寧ろ恩人として肉を貢がれているのを見てサンジが「そんなこったろうと思ったよ」と呟いて終わったのだが。

相変わらずどうなってるんだと聞かずにはいられない膨らみ方をしたルフィを横目にせっせと買い物を済ませていく。

ハートのクルー達も目利きは出来る方だが、やはりプロのコックの選び方は勉強になる。

こんなに必要かと思えたでかい鞄が三つパンパンになるほどに詰め込み、更に買い食いしながら船に戻る背中を見ていたローの視界に白いものが映って思わず顔を向ける。

「(海兵…)」

すれ違う程には近くないが、これほど騒いで気付かれないのか。

気付かれたとしても夕方にはもう出航すると言っていたし問題無いのか。

そう考えて少し遠くなった二人に追いつこうと踵を返そうとした時、見えた横顔に足が止まる。

それが誰であるかを理解して吸い損ねた息が喉の奥で悲鳴に似た音を立てた。

どうしてここにいる。

どうしてこんなところにお前がいる!

叫びそうになる口元を片手で覆い、それでも視線を外さずその動向を探る。

彼に駆け寄った数人の海兵と話し込み、何か指示をして去った海兵たちから離れて電伝虫で連絡を取り始める。

どうやら何かを探しているようだが、先程の騒ぎで麦わらの一味がいるとでも情報が入ったのだろうか。

ならばそこに合流したローの事も、もしかしたら。

「トラ男!」

力強く腕を掴まれ名を呼ばれて大きく肩が揺れる。

「どうしたんだお前、いきなり立ち止まったら邪魔になるだ、ろ…」

振り向いたローの蒼褪めた顔を見てルフィも何かを察したのか、そのまま手を引いて歩き出す。

「お、おい」

「いいから戻るぞ」

常のものより幾分低い声に動揺で荒れていた呼吸が僅かに楽になる。

「…悪い」

「トラ男が悪くないのに謝んな」

むくれたような声に目を見開き、眩しそうに眼を細める。

何でこうなったかは知らないくせに正しく理解して落ち着かせてくれるその姿が彼と重なって見えて首を振った。

そのままサンジと合流し、もの言いたげな視線を無視して船まで戻る。

「おかえりー…って何かあったの?」

「ちょっとな。サンジ、食料の仕分けしたらトラ男借りるぞ」

「…判った」

「フランキー!点検終わってるか!」

「おうよ!すぐにでも出れるぜ!」

「チョッパーとロビンは?」

「さっき戻って来たぜ」

「ちょっと待て麦わら屋、夕方過ぎて他の商船が出るのに紛れるって話だっただろう」

さっさと出港準備にかかる一味にローが慌てて静止をかける。

港から離れた場所に止めてあるとはいえ帆と書かれたジョリーロジャーは隠せないのだから、せめて海軍が追ってくる時に追いにくくするためにそうするのだと今朝話したばかりだというのに。

「急ぐのはトラ男と関係あるんだな?」

「…っ」

肯定するようなものだと判っていても酷い顔をしている自覚はある。

咄嗟に帽子を下げた。

「さっき海兵見てからおかしいからよ、早く離れた方がいいと思うんだ」

「そうね、本屋の方でも数人見かけたけれど何かを探していたようだし、それが騒ぎを起こした船長さんという可能性もあるし」

「にしし、否定はしねえ!」

そう話す中、ルフィの手はしっかりとローの手首を握ったままだ。

シャンブルズで逃げるかもしれないと判っているからだろうか。

「そう言う事なら仕方ないわね、天気も荒れる気配無いし次の補給地点まで早く着くなら向こうでゆっくりすればいいわ」

「じゃあ決まりだな!」

明るく締めくくり、出航準備に入る面々に唖然としていればルフィが下からローを覗き込む。

「食料仕分けしたら展望室行くぞ。ゾロも今日のトレーニングは終わってるらしいから」

つまり邪魔は入らないという事だ。

だが確かに話しておいたほうがいい。

あの海兵の事を――ヴェルゴという男に関して。


「……ああ、確かに確認した。何があったか麦わらの一味と行動を共にしているようだ」

『フッフッフ、そうか』

サングラスをかけた電伝虫から特徴的な笑いが漏れる。

「すぐにでも捕らえられるが」

『まあ待て、ヴェルゴ。俺の愉しみを奪うな』

「そうだなドフィ、一番会いたいのはお前だったな」

電伝虫を持ったまま宿舎の窓から海を見れば一隻の海賊船が離れていくのが見える。

「ローを捕らえたらどうする気なんだ、ドフィ」

『…フ、フッフッフ……お前ともあろう奴が判り切った事を聞くのか?』

歪んだ笑い声が響く。

『俺の右腕が十三年ぶりに戻るんだ、盛大にもてなして赦しをくれてやる』

――かつて父と弟へ与えたものを、自らのコラソンへ。

その声に混ざった感情はもはやドフラミンゴ自身にも判っていないのだろう。

それを聞くヴェルゴにも、また。


「こういうのは全員に話しておいた方がいいんじゃないのか」

「だってトラ男嫌だろ?」

「……」

展望室で向かい合ったまま、ルフィのストレートな意見に口を噤む。

ローも包み隠さず話すつもりはない。

かいつまんで話すにも自分の弱さを晒す事になるわけだし、確かに多くの人に話したいわけではない。

「……とりあえず、だ。俺が見かけた奴はとある海賊団の幹部でヴェルゴという。海軍へのスパイだって事がわかってればいい」

「うん」

「俺はそいつと同じ海賊団にいたが、散々戦闘訓練で痛めつけられた、から、未だに顔見るだけで震えちまう」

「違ぇな」

すぱりと切られた言葉に下がっていた視線を上げる。

「トラ男、怪我とか痛ぇ事されても睨み返すじゃねえか。でもさっきのは違った」

振り向いた揺れる目にあったのは怒りと苦しみと怨嗟。

けして相手に怯えるだけの表情ではなかった。

「なあ、トラ男。お前あいつに、何されたんだ」

真っ直ぐな視線に晒されてローの脳裏にあの日の記憶が蘇る。

間違えた選択肢。

全てが終わってしまった日。

抱えていた鬼哭を掴む手に力が籠る。

「俺は、あいつに」

月が澱む。

帽子の下で影になった目が昏く沈んだ。

「……あいつを海兵だと思って、大事な情報を渡しちまった。恩人の死を、呼び込んだ」

言葉にすればそう言う事だ。

大事な人を失う一押しをしてしまったのはロー自身。

もしもあの時ヴェルゴではなく他の海兵に助けを求めていたなら。

珀鉛病である自分は駆除されたとしても同じ海兵であった彼を救う事は出来たのではないかと未だ考えるのだ。

ぐっと唇を噛み、肩を震わせる。

同盟相手の前で泣くなと自分に言い聞かせる。

「そっか」

ルフィが動く気配がして顔を上げようとすれば視界が暗くなる。

ブランケットを被せられたのだと気付き怪訝な声が出た。

「麦わら屋……?」

「あいつが許せないのと同じくらいトラ男自身が許せないのか」

その指摘に胸を刺し貫かれたような痛みを得た。

「だからあんなに怒って、苦しそうだったのか」

選択肢を間違えた自分に怒って。

恩人の最期を引き寄せた事に苦しんで。

「でもそれはトラ男のせいじゃねえだろ」

「違う、おれがまちがえた」

「その時そのヴェルゴって奴がスパイだって知ってたのか?」

「……」

「知らなかったんだろ。ならトラ男のせいじゃねえ」

ブランケット越しに影が揺れる。

帽子の上に重みが加わり、頭を撫でられていると理解する。

「騙した方が悪ぃんだ、そんなの」

『騙す方が悪いに決まってんだろ、そんなもん』

「っ!?」

重なった声に顔を上げればその動きでブランケットが落ち、照明を背に笑うルフィと重なる面影にとうとう目の端から涙が零れて慌てて帽子を下げる。

「ん?どしたトラ男?」

「る、せぇ……っ」

泣いているのはもう気付かれているだろう。

それを指摘しないのは優しさからか。

「わかった。つまりヴェルゴって海兵はスパイで海賊で悪い奴だってことだな!」

「……その認識でいい。そしてとんでもなく強いし残忍だ。この先戦う事になったら注意しろ」

「おう!」

にか、と笑うルフィにローも唇を緩める。

「よし、じゃあそういう事だって話してくる!あ、トラ男の事は言わねえから」

「気遣い感謝する」

「にししっ!もうじき夕飯だし、出来たら呼びに来るからちょっと寝とけ」

そう言うが早いかベッドに転がされ、落ちたブランケットを再び被せられる。

「いや、支度の手伝いくらいは」

「いいからいいから」

笑って出ていくルフィに言い募っても無駄だろうと大人しく転がり、沈む夕日を窓越しに見る。

「…まったく、いい船長の器だよ」

ローにとっての唯一の海賊王をその背にみるくらいには。

抱き締めた鬼哭が僅かに色を変えた事に気付かず、言われた通り仮眠を取るべく目を閉じた。


廊下を進み、食堂に入る手前で声を掛けられる。

「どうだったんだ、と聞くまでもねえな」

「ゾロ」

「大丈夫なのか」

「おう、ちゃんと話は聞いた」

に、と笑うルフィにゾロが眉を跳ね上げる。

「それにしちゃあ物騒な気配だ」

「いやぁ、気付いた事があってさ」

ゾロの前を通り過ぎて扉に手をかけたルフィが振り返る。

「俺、トラ男はいつものバカやってる時の目のが好きだなって」

「馬鹿やってんのはお前といる時だけだよ」

「うん、だからさ」

あんな顔させた奴、すっげえ腹立つ。

呟かれた声に纏った覇気にゾロが嗤った。

「そりゃ確かに腹が立つな」

「だろ?でも今は……腹減ったーー!!」

「うるせえ!」

ばたばたと騒がしくなった食堂に溜息をつく。

「(この分だとあの妖刀にも変化が出ているかもしれないから一度手合わせしてぇな)」

そう思いながら、酒を要求すべく騒ぎの中へと足を進めた。


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