そして、彼女の願いは叶う。

そして、彼女の願いは叶う。


 兄達が、夫と子供が、従兄弟達が、クル族全ての戦士達が、戦場へと向かい暫く。

 女であるから、戦う術を知らぬから、ただそれだけの理由で独り残された彼女は、普段の快活な笑顔は鳴りを潜め、自室にて物憂げな表情で窓の外を眺めていた。

 此度の戦争は彼女の長男が、味方からの静止や反対すらも押し切って始めたものだ。だから長兄か、或いは長兄が執拗に命を狙っている従兄弟達全員かのどちらかが亡くなるまで続けられるのだろう。

 その事実に、どれ程の命が散ってしまうのだろうかと、彼女は深く溜息を吐いた。犠牲を少なくするのであれば、長兄が戦死する方が望ましいことは理性で判断できるし、臣民達もそれを望んでいる。そのことに彼女は気づいているが、それでも彼女にとって長兄は、優しくて、大切で、愛おしい家族であることに違いはないから、生きて帰ってきてほしいと願うのは当然で。

 ふつり。

 お調子者の兄達のことを考えていたからか、それとも、その生まれ故に元々備わっていたからか。兄達と彼女が、同じ肉塊より産まれた証がひとつ途切れたことを感じ取り、彼女はひゅっと息を吞む。

 ああ、ああ。恐れていたことがとうとう起きてしまった。

 大切で、大好きな兄達の誰かを、喪ってしまった。

 何故、自分はこの安全な場所で待っていなければいけないのだろう。彼女は初めて、己の性別と戦いの術を磨かなかった過去の自分を恨んだ。こんな静かな場所で独り、兄妹達にしか分からない喪失感を味わわされるくらいなら、戦場に着いて行って命のやり取りを行う方が遥かに良いと、この時彼女は、本気で思ってしまった。

 ふつり、ふつり、ふつり。

 戦場が激化しているとでも言いたいのか、次々と繋がりが絶たれていく。嫌だ嫌だと彼女が首を振ったところで、その感覚は治るどころか悪化するばかりだ。

 その事実に、彼女は己の唇を強く噛み締める。

 全てが終わるまで意識を失っていたいと思わないのは、カウラヴァの姫としての矜持であり、正当性のない戦争を起こした長兄の妹としての責任だ。この喪失は、兄達を止められなかった己への罰なのだと、泣き叫びたくなる気持ちをぐっと堪え、ただ只管に耐えているその時だった。

 どくり。

 彼女の心臓が大きく音を立て、突如として平衡感覚を失い、その場に蹲る。

 先程まで味わってきた喪失による絶望など、比べ物にならないくらいの衝撃だった。

 

「な、に……これ……」

 

 どうにか落ち着かせようとしても、動悸も呼気も荒くなるばかりで、いつの間にか滲み出た脂汗が彼女の頬を静かに伝う。今までに無いほどの苦しさを味わっていた彼女だが、ふと、兄達との繋がりがおかしくなっていることに気づいた。

 数こそ少なくなったが、繋がりはまだ残っている。だが、雑音が混じったかのようにはっきりとしたものではなくなり、泥水が混じったかのように濁っていた。そのことに彼女の顔色が土気色へと変化していく。

 

「兄さん達に、何か、あったの……?」

 

 そう呟くと同時だった。

 大地が唸り声を上げ、蹲っていても分かるくらいの揺れが辺り一帯を襲う。部屋に飾り付けられた調度品の数々が次々と床に打ち付けられ砕け散る中、怪我をしなかったのは運が良かったのだろう。揺れは治まったものの、体調の悪さはそのままにゆっくり立ち上がった彼女は、ふらつく身体を叱咤しながら部屋から出る。そして、目に入ってきたものに絶句した。

 それは植物だった。彼女が住まう宮殿を優に超えるほどの巨大な植物だ。

 何故あんなものが……と、彼女が思ったのも束の間、頂点にある美しい色合いの蕾が花開いた。それが蓮の花だと気づいた瞬間、花の中心から慣れ親しんだ香りと共に幾匹ものカリが零れ落ち、大きな産声を上げた。

 

 ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

 

 国が、都が、滅ぼされた。あの巨大な蓮の花より産まれ出たカリ達の仕業である。腕に覚えのある戦士達は皆、戦場に出向いているが故の悲劇だった。臣下も、従者も、召使も、民達も、老若男女問わず皆等しく狩り尽くされた。夫に留守を任された国を、彼女は護ることができなかった。それどころか、皆に護られ逃がされた。その事実に胸が軋み、喉を掻き毟りたくなる程の衝動さえ込み上げたが、それすらも耐えて彼女は裡にある導きのまま走る。

 

「役目を果たす前に壊れ殺戮機構と成り果てたアレを、どうにか出来るのは貴女だけです」

 

 それは、彼女を助けた聖仙の言葉。

 

「機構の元へ向かいなさい、導きは貴女の裡にある。そして、貴女の思うままに行動するのです。さすれば、此度の騒動は治まるでしょう」

 

 齎された預言に嫌な予感がした彼女だったが、自分の行動でこの災厄を終わらせることが出来るのならと、裡に導かれるがままに彼女は走り続けた。

 走って、走って、走って。

 そして、災厄の原因であろうソレに辿り着き、目にした瞬間、彼女はその場に立ち竦んだ。

 

「う、そ……」

 

 ソレは、蓮の花の姿を模した犇めく肉塊だった。彼女をいとも容易く呑み込めるだろう、巨大な肉塊の怪物だった。

 

 ――――怪物である、はずなのに。

 

「は、はは……」

 

 同じ肉塊より産まれ出た、彼女だからこそ気づいてしまった。この肉塊は、この怪物は、彼女の兄達なのだと。

 

「どう、して……」

 

 それはつまり、今この災厄を引き起こしたのは、民達を殺し、国を滅ぼした元凶は――彼女の、兄達なのだと、理解させられた。

 

 頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。ぐじゅり、と嫌悪を覚える音と共に、肉塊が蔓のようなものを模している様子が、そしてその蔓の先端を彼女に差し向けるような仕草が目に映っているのにも拘らず、彼女は衝撃のあまり身動きひとつ取れずに佇むままだ。

 そして、肉塊の先端が、彼女の左胸に届こうとする、その時だった。

 

「わし様の妹に何仕出かそうとしているこんの化け物がぁ!!」

 

 兄ではない『兄』に、助けられた。

 

 ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

 

 『兄』と、兄の宿敵でもある『従兄弟の次男』、そして『従兄弟の三男』と、『三男によく似た人』を一緒に連れてくるというとんでもないことを仕出かしている人は、カルデアのマスターと名乗った。話を聞くに、この世界に起きた歪みを正すために未来からやって来た組織の人達らしい。人選が人選だったから信じることが出来たが、そうでなければ多少疑っていただろうなと、彼女の記憶のままの『兄』の様子に、彼女は久しぶりに笑みを零す。

 

(ああ、良かった……)

 

 この世界が間違っていると言われ、思うことが無かったと言われれば噓になる。でも、けれども、あの怪物に成り果てた兄達は本来なら存在しないのだという事実は、確かに彼女の救いになった。

 

「その……私にも、あなた達のお手伝いをさせてくれないかな?」

 

 それは、戦う術を持たぬ彼女が唯一選べる選択肢。

 

「カリ達の魔の手から逃がされる時、聖仙様に預言されたの、この騒動を治められるのは私だけなんだって」

 

 嘘は言わず、しかし残酷な事実も教えることなく、カルデアのマスターへと、彼女は真っ直ぐ目を向けた。

 

「お願い、私を連れて行って」

 

 ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

 

 カルデアの人達や従兄弟達の協力もあり、兄達との繋がりにあった雑音が、濁りが消えたことを察した彼女は、颯爽と肉塊≪兄達≫の前に躍り出た。

 何をしている、戻って来い、という、これまでの戦闘により消耗し、膝をついて動けないでいる『兄』の言葉は聞こえるが無視だ。精々、周りの反対を無視して色々強行してきた自分の行いを傍から見て、歯痒い思いをすれば良いなどと、意地の悪いことを考えながら、彼女は肉塊≪兄達≫へ言葉を向ける。

 

「全く、何やってるのよ! この馬鹿兄貴達!!」

 

 背後から息を呑む声が聞こえた。

 この事実を、行動を共にしていた彼らは知らなかったのだろうか。それとも、彼女がそれを知っていたことに驚いているのだろうか。それを確かめようとは、彼女は思わない。

 

「周りの反対を全部一蹴して戦争を起こしておいて? 勝手に死んで暴走してこんなことするなんて、ホンット馬鹿も程々にしてよ!!」

 

 彼女の声に反応してか、肉塊≪兄達≫が震える姿を見せる。それはまるで彼女に悪事がバレ、所在なさげな様子を見せてきているみたいで、彼女は笑みを浮かべた。

 

「もう、良いよ」

 

 一歩一歩、ゆっくりと。肉塊≪兄達≫へと近づいていく。

 

「もう、こんなしたくもないことは、しなくて良いんだよ」

 

 優しい声色でそう言いながら、彼女は肉塊≪兄達≫へ向けて、両手をいっぱいに広げ――

 

「私もここに居るからさ――――ほら、一緒に還ろう?」

 

 ――肉塊≪兄達≫へと、躊躇なく抱き着いた。

 

 元は同じだからだろう。彼女は容易く、肉塊≪兄達≫へと同化する。

 

 嫌だ。止めろ。取り込みたくない。止まれ。

 

 そんな意思が彼女に届くが、もう遅いのだ。彼女は自分の意志で、兄達と共に逝くことを選んだ。それは、この世界のためではない。勿論、この世界に生きる人々のためでも、ましてや兄達のためでもない。

 

 彼女のためだ。もう、兄達と離れるのは嫌だという、彼女自身のエゴのためだ。

その、彼女の思うがままの行動が、肉塊≪兄達≫に人間性を取り戻させた。

 

 ソレはもう、不死性を持つ怪物でも、人間全てを殺し尽くすまで動き続ける機構でもない。

 

 ただ、ただ。

 

 誰よりも大切な、たったひとりの妹を喪い嘆く――――人間《兄達》でしか無かった。

 

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ここからこの特異点のラストバトルが行われ、人間に戻った殺戮機構はカルデアの協力の元この世界の五王子の手によって斃されます。その後百王子+一姫は、五王子とカルデアが見守る中神々の祝福の花と共に天へと昇り、遺された聖杯を回収して修復完了です。

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