せめて人として

せめて人として



確かにコイツは最低の野郎として語り継がれるに相応しい大馬鹿者だ。それは間違いないだろう。

けれど、それを「それは人でなかったから」「殺されて然るべき化け物だったから」と単純化されるのは我慢ならなかった。

俺達の苦悩が、この戦争の悲劇が、ただの「英雄譚」とされてしまうのは阻止すべきこと。

だから俺は、あの男を何が何でも殺すことにした。




アイツのことを殺してやると思っていた。殺されて然るべきだとも思ったとも。その殺意は否定しないし、臍より下を砕かれ大地に転がるその状況もざまぁ見ろとすら思っている。

だが、それだけじゃなかったことも主張させてくれ。俺の抱くものは殺意だけではなかった。

仮にも従兄弟だ、アレらとは幼い頃に遊んだことがある。全くの他人ではなかった。

だから知っている、あの男は理性のない化け物などではない。下らない奴らばかりを的確に惹きつける光だった。

棍棒術で俺と渡り合えるような、ただの魔性がいるものか!

単純な悪として、「英雄」とやらに簡単に討たれていい存在なものか! コイツはもっと複雑で、最低で、最悪にどうしようもない奴なんだよ。


もう既に立ち上がることもできない男の、その無駄に整った顔を踏みつける。

一度では足りなくて、二度三度と踏み躙る。乾いた笑い声が溢れた。

何度踏みつけにしても、それでも異常を示す「角」はしっかりと生えたままだ。俺の全力でも折れねえのかよ、なあ? ンなことあるか? 笑うしかねえだろ。

そうこうするうちに、肌まで異形のものへと移り変わっていくじゃないか。

ああ止まれ、止まれ止まれ止まれ! 変転よ止まれ!

お前はその無駄に厚い人望のお陰で、どうせ残った遺体は盛大に弔われるのだぞ! この有様で人前に出る気か。ふざけるな。

早く死ね、死んでくれ、頼むからとっとと死んでくれ。せめて人として死んでくれ。

純粋な苛立ち。今までの仕打ちに対する怒り、積年の恨み。ほんの一つでも思い出せば、身が焼けるような心地になる。

純粋な憂い。宿敵が単純な悪として語られ、討つ側の苦悩も何もかもが無かったことにされてしまうことへの、うまく言い表せない感情。それは嫌だ。お前は人だ。

胸の内で嵐が起きているのか、どうもこの思いはまとまりそうもない。


紛れもなく死を願っているくせに、この男の今後を憂いている自分が馬鹿らしい。本格的に狂気に堕ちてしまったのだろうか。

いいや狂人は狂気を自覚しない、まだ大丈夫だ。

「ぁは、ハハハハッ!!」

この笑い声だって、もう笑うしかないと思いながら笑っているだけで。

それにしても本当にムカつく野郎だった。お前の行いの報いを受けさせると何度怒りを燃やし、どんな思いで誓いを立てたか。

なのにお前が化け物だということになったら、存在こそが悪だとされたら、その誓いすらも果たせないじゃないか。

お前の行いではなく、その出生を罪と定義付けられてしまったら!

ああ、この怒りはどこへ向けろというのか。アレは生まれが悪だから……とかいう、見当違いの理由に向けて八つ当たりしていろと?

出来るわけなかろうが、卑怯な奴め!




ぼきり。不意に軽い音がして、長らく足の裏で感じていた抵抗が消える。ようやく折れたのか。

何度足を下ろしたか分からない。顔は全く酷い有様で、これなら顔色の悪さも青痣だと言い張れるような気がした。まだ死んでねえけど。

頑丈だなお前本当に。そのまま、じっと見下ろす。

こうも蹂躙されれば、浮かべている表情もよく分からない。何か言いたげなのは聞き流した。どうせ碌なことは言っていない。

少し気が抜けて落ち着けたのか、漸く周囲の制止の声が耳に届くようになった。

声に従ったのではなく聞こえるほど冷静になれた、ということで因果は逆なのだが……もうあの男を踏みつけにするのはやめる。

「は、ぁ……」

深く息を吐きながら、周囲を見回す。

怒る者、称賛する者。嘆く者。勝鬨を上げる者。痛ましげに目を伏せている者、興味本位で観戦していた者。そこにはまあ、色々な奴がいたが……。


震えているのだろうか? 集団の中にふと、自らの口元を押さえて立ち尽くす弟の姿が見えた。

今更一騎打ちの最中を思い出し、(悪い)と無声の謝罪を贈る。唇だけを動かして、音はこぼさない。

それだけで伝わったのだろう、アルジュナは小さく首を横に振ってから手を下ろした。

他の奴がどうかは分からないが、アルジュナのやつはとても目がいいからな。あの場からでも「何か」が鮮明に見えてしまったのかもしれない。それであれば、先程の行動も理解できる。

ならばきっと、俺が何を言ったのかも、何をしたのかも。耳で分からずとも目で理解するだろう。

そして、アルジュナは見えたものについて何も言わないだろう。……言えないだろう。


さて。

深く息を吐いたならば、次に来るのは深く吸う動作と決まっていた。肺に空気を詰めて、よく響くように喉を鳴らす。

「────俺は後悔しねえぞ、全てはあのドゥリーヨダナの野郎の自業自得だ!! 全ての報いがアイツの元に返ってきた、アイツの行いが故にこうした結末になったんだ!! ハ、ざまぁ見ろ!! 人間、因果応報ってやつだなぁ!?」

誰もに届くような大声で。誰もが知るように暴風に乗せて。

心の底から嘲る。それと同時に、なにか、べつのものも乗せている気がしたが無視で良い。

確かに俺は法を犯した。行うべきではないことをした。戦士としての誇りは失われたのかもしれない。道理はきっと通らんだろう。

だが、それに勝る何かを俺は得た。……のだと思う。恐らくは。

この争いが起きてしまった時点で、全ては手遅れだと言われればそうかもしれないが。

……それでも、きっと何かは掴めているはずなのだ。これだけ悲惨な戦いで何も掴めていないとか、それこそ道理が通らんだろ。

何億もの命が死に絶えた。全くもって誇りのない凄惨なこの争いを、無意味なことだったと片付けるなんて、俺には出来ない。

そうでなくては、「彼らは何のために死んだのか」「お前たちは何のために生き残ったのか」と問われた時に、何と返せばいい?

だからこれは望んでいた勝利で、俺は勝者で、これは意義のある結末だったと胸を張ろう。


もう立ち上がることのない人の形をした肉塊を、その場に残して歩き去る。無様な敗者のことなど、もう目に留めてやる気もなかった。あの傷なら、どうせそう遠くないうちに死ぬ。

背後から聞こえてくる、踏み付けにされた当人による「ひきょうもの」と詰る声も勿論聞き流す。ああ全く、わりと元気だなお前。ほんとに。


「…………卑怯なのはそっちだろうが」

仮にも百王子の長男が、あんな姿で人前に出てくるんじゃねえよ大馬鹿野郎。

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