すれ違い、勘違い
・
・
・
ペパーのことが好き、と伝えたとき、目の前の彼の目がみるみるうちに輝くのを見た。
オレもだ、と満面の笑みで返してくれたことを今でも鮮明に覚えている。
──だというのに。その短いやりとりの後からもペパーとの関係は変わらなかった。
二人で外に出たり、部屋に遊びに行ってなんてことないやり取りを交わしたり。こうして食卓を囲むときの空気だっていつも通り。
なかなか先に進めないことに私がじれじれしているのにも気付かず、ペパーは楽しそうにフライパンを振るっていた。
「あちゃ、飲み物切らしてんな……ちょっと買い出しちゃん行ってくっからテキトーにしててくれ。5秒で戻ってくるぜ」
盛り付けという段になって天を仰いだペパーはそのまま扉の方へ向かおうとする。
「一緒に行くよ」
「購買部だから大丈夫だって。その間に机いい感じにしといてくれりゃいいからさ」
ぱたぱたと出ていくペパーを見送って、言われた通りにご飯の準備をする。
あらかたできたところで点けっぱなしだったテレビから『パルデアの恋愛事情』と明るいナレーションが聞こえて、ふと私はそちらを見やった。パルデア以外にも放送されている広域チャンネルみたいだ。
『パルデアの人はなんといっても情熱的!交際相手とはその日のうちにキスするなんて当たり前、中にはベッドインしちゃうなんてことも……!?』
ピキリ。自分の体が固まった音があるとすれば、それはこんな音だろう。
あまり困らなかったから忘れていたけど、世の中には文化の違い、というものがある。私とパルデアの人は本来かなり違ういきものであるはずなのだ。
賑やかな足音と共に帰ってきたペパーに、私は恐る恐る呼びかける。
「ねえペパー」
「ん?」
「パルデアの人が情熱的って話……ほんと?」
「なんかテレビでやってたか?情熱的?まー確かに一般的にはそうかもな」
ペパーが言うのを聞いて、私の頭にかみなりが落ちた。ペパー本人も認めたってことは、きっと本当のことだ。
パルデアではすぐに手を出すのが当たり前。
つまり、ペパーとの関係性がなかなか先に進まないわけではなく。
進むべき関係性なんてペパーの中には存在しなかったのでは。
その後、一緒に食べたご飯の味は正直なところよくわからなかった。心配させないようにいつも通りに振る舞うだけで精一杯だったから。
どこか現実感を失ったまま、ふらふらと自分の部屋に帰ってきた私はそのまま自分のベッドに倒れ込む。
そして外に漏れないよう枕に顔を埋めて叫んだ。
「失恋したー!」
正確には失恋ではない。フラレたわけではない。
一世一代の告白は、友情としての好意を告げるじゃれ合いにとられてしまっていたようだ。
ペパーは友達想いだから、そりゃあ喜ぶだろう。
ちょっと勘違いされて、ちょっと勘違いしただけ。
「うあー……私のバカバカバカ……」
恥ずかしすぎる、とひとしきり足をばたつかせて、気が済んだところでぐいと顔を上げた。
何も始まっていないのだからまだチャンスはある。
くよくよするのは今日だけにして、まず改めてペパーに意識してもらうところから始めよう。
そんなわけで翌日から始まった私のアピールに対するペパーの反応はまちまちで、赤くなって照れたり、いつもと変わらない笑顔で受け入れたり、気まずそうに距離を取ったり。
最初と次のはともかく、最後のはちょっと傷つくなあ!
「どうすれば好きになってもらえるんだろうねぇ〜」
「アギャ?」
大切な相棒をよーしよしよしと撫でながら絶対に意味を理解していない背中に語りかける。
その時、スマホロトムが着信を告げた。
「はい、アオイです」
『アオイ!今夜空いてるか?メシ食いに来いよ!』
今(一方的に)恋の悩みを相談していた相手の元気な声が響く。
この誘いにもきっと深い意味はないはず。
「もちろん!お腹空かせて行くね!」
だから私も笑顔で乗っかるのだ。
「今日のメニューおいしかったね!」
「そ、そうだな。今日は特に気合い入れてみたから気に入ってもらえたなら何よりちゃんってやつだ」
今日のペパーは少し様子がおかしい。気もそぞろというか、視線が泳いでるというか。言ってしまえば挙動不審だ。
ベッドに並んで座っているのもいつも通りなはずなのに、なんだかやけに緊張されているような気がする。
「ねえペパー?」
どうかしたの、と言葉が口から出る前に、両肩にぽんと手が乗せられた。
真正面から見つめられて、心臓がとくりと跳ねる。
「アオイ……その……いいか?」
いつかと同じように私の頭の中にかみなりが落ちた。
二人きり、ベッドの上。
いいか、なんて声をかけられたら連想するものは一つしかない。
そんな、アピールは始めたけどまだ効果出てない、というか付き合えてないのに!?こ、心の準備が!ていうかどうして!
思ってもいなかったお誘いに考えがぐるぐると回る。
アピールが効いた?お試しで食べてみたくなった?……あるいは、単にそういう欲を発散したくなったとか?
でもこの空気に待ったをかけてしまったらペパーはきっと離れていってしまう。なんだったら別の女の子のところに行っちゃったりするかもしれない。
ええいままよ、と目を瞑る。この際カラダだけのカンケーから始めるというのもアリだ。アリだということにした。
そうして目を閉じる。
……こない。何もこない。無限とも思える沈黙が流れて、いよいよ何かあったのかと問おうとしたその時。
閉じた唇に何か柔らかいものが当たって、すぐに離れていった。
「……え?」
目を開けると、目の前には心底幸福そうに、照れくさそうに微笑むペパーの顔。
ちゅー、された。だけ。
「……おわ、り?」
呆けて呟くと、きょとんとしたペパーが何かに気付いたようにバッと後ずさった。
「お、オレたちまだ付き合って一ヶ月くらいだろ!?チューより先は百年早いちゃん、つかオレの心臓がもたないの!」
「付き合って……一ヶ月?」
思わずの返答だったけど、それが悪手だったことは一瞬でわかった。
「え?……は?」
訝しげだったペパーの顔から一瞬で血の気が引いていく。
「いや、だってオレのこと好きって……それに最近は特にくっついてきてくれてたし……」
可哀想なほど固まってしまったペパーに慌てて、私は言葉を探す。
とにかく本当のことを言ってしまうのがいいに違いなかった。
「……パルデアの人は情熱的だから、恋人ができたらすぐ手出すのが普通だって、でもペパーは手出してこないから、恋人じゃないのかと……?」
ハッと動きを取り戻したペパーがわたわたと慌てだす。
「前言ってたのってそういう……!?バラエティ番組の雑な話をあんま真に受けんな!」
「ペパーもそうだって言ってたよ?」
「いやオレ見てねーし、もっと抽象的な話だと思っ……つーか、個人差だ、個人差。オマエの住んでた地域だって別にみんながみんな性格そっくりちゃんじゃねーだろ」
そこで体がペパーの方に思いきり引き寄せられる。抱きしめられたのだと後から理解が追いついた。
「聞いてみ。オレの心臓、バックバクだろ」
激しい鼓動が耳を打つ。
「チューしてぎゅっとしただけでこれだ。正直先行き不安ちゃんってやつ」
だから、とほとんど囁くようになった声が続く。
「段階、段階を踏ませてくれ、頼むから」
ああ、急いでいたのは私ばっかりで、ペパーはこの関係を大切に大切に育ててくれていたんだ。ほとんど懇願になった言葉を聞きながら、私はその心地良い腕の中に身を預け続けた。
「で、今んとこオレが付き合ってるわけでもない女の子に無理矢理チューした事実だけが残るのな……」
「付き合ってたことにしてもいいよ、じゃなくて、ええと……付き合ってたことにしたいな、させてください……」