こぼれ話(お盆休み)
※オリジナルキャラがゲストして登場します
唐突だがエランが今住んでいるこの地域では、夏のある時期に一斉に休みを取る習慣がある。
どうやら『お盆』という催しがある為なのだそうだが、最初は名前を聞いても意味がよく分からなかった。
夏ごろに長い連休がある。…少し前のエランが知っていたのはそれくらいの事だったのだ。
だが休みが近づくにつれて、『お盆』という言葉を耳にするのが増えてきた。どうやら何かのイベントらしいと推測していたものの、その詳細はしばらくの間分からなかった。
懇意にしている老人や夫人に教えてもらい、ようやく意味を知る事ができた。『お盆』とは先祖の霊を自宅に招いて供養する期間らしい。
各自の家にある『仏壇』に色々な飾りや食べ物を飾り、霊界から帰ってきた先祖の霊を家に招いて丁重に敬う。そして親戚で集まって会食をしたり、お坊さんにありがたい呪文を唱えて貰ったり、お墓を綺麗に掃除したりする。
各自がそんな感じで静かに過ごすそうだ。そういう話を聞くと、連休中に遠出しようと浮かれていた自分が恥ずかしくなる。
気まずい顔をしていたエランに対して、老人は少し呆れた顔をした。
───土地に根ざした風習だから、来たばかりのお前たちは好きに過ごせばいい。どこか遊びにでも行ったらどうだ。
そう言って最後に笑い飛ばしてくれた。
老人の心遣いに、エランも気兼ねなく計画を立てることにする。逃亡でも旅でもなく、スレッタとただ遊ぶためだけに遠出するなんて、考えただけでわくわくする。
まだ予定の日まで一カ月はある。スレッタと一緒に話し合って、まずは大まかなところから決めることにした。
「海はどうかな」
多少の下心を隠して提案してみる。まだエランとスレッタは海で泳いだことはないし、夏なら海はピッタリだと思えた。
ここは山に囲まれているが、車で数時間も移動すれば海に着くことができる。昼は海でたくさん遊び、夜は互いに疲れた体をくっつけて眠る。非常に魅力的なプランだ。
「海ですか、いいですね!」
スレッタも楽しそうに笑っている。これで決まりかと思えたが、残念ながらしばらく後に海へ行くのは中止になってしまった。なぜならお盆の海には入らない方がいいと忠告を受けたからだ。
お盆の時期にはクラゲが大量発生したり、大波が発生しやすくなったりするらしい。何より冥界から出てきた霊に連れて行かれるという言い伝えがあるらしい。
最後はともかく、事故が起きる可能性がある時期にわざわざ行くのもどうだろう。そう考えたエランとスレッタは海への遠征は自粛することにした。
代わりに海へはもっと早い時期…今度の連休あたりに行くことにして、改めてお盆の大型連休にどこへ行くか話し合う。
「うーん…」
「急に新しい場所を考えようとしても、難しいですね」
ポツポツとアイディアは出るものの、しっくりくるものが思い浮かばない。少し気合を入れすぎているのかもしれない。
そうこうしている内に大型連休は近づいてくる。うんうんと2人で悩んでいると、タイミングよく兄からお誘いが来た。
『やぁ■■■。もうすぐ連休があるんだって?よければ何日か家に遊びにおいでよ』
「兄さんの家に?」
『まだまだ途中だけど、弟夫婦を迎え入れられるくらいには綺麗になったからさ。歓迎するよ』
「まだ夫婦じゃないよ」
『ふふふ』
エランの従兄である〇〇兄は、最近になって生まれ故郷である廃村一帯をまるごと買い上げてしまった。
この土地をいつか大きな牧場にする!モビルスーツ乗りを引退したらファラクトと一緒に牧場経営するんだ!…と冗談か本気か分からないことを宣言している。
『別に無理にとは言わないけど、2人の邪魔をしたい訳じゃないから。けどもし来るなら迎えを寄こすし、交通費とかは全部俺が出すよ』
「気前がいいね」
『自分でもびっくりするくらいには、そうだね。正直使い切れないくらいあるお金をどう使おうか悩んでるくらいだ。そういうことだから、遠慮しなくていいよ』
「うーん…」
現在とある理由でお金を溜めているエランにとっては、兄の話はとても魅力的に思える。
何より兄の家はエランにとっても思い入れのある場所だ。生まれ育った場所なのだから当然の事だが、もう一度行けるならぜひとも行ってみたかった。
心の天秤は兄の誘いを受ける方に傾いている。もし出掛けるのがエランだけだったら一も二もなく頷いていただろう。
けれど今回の旅行はスレッタと一緒だ。なので即決はせず、少し時間を置いて返事をする事にした。
「返事は後でいい?スレッタと相談して決めるから」
『いいよいいよ。夫婦は話し合いが大切だ。じゃあ、スレッタさんによろしくね』
「もう、だからまだ夫婦じゃ…」
『ふふふ』
再開してからよく聞くようになった含み笑いを最後に、兄からの通話は切れた。
「………」
エランはため息を吐いた後、少しだけ口角を上げた。
兄は明らかに遊んでいる。けど、まったく不快じゃない。
それは心から嬉しそうに笑っていると感じるからだ。幼い頃に別れた兄は自分以上に苦労をしたのだろうが、それを微塵も感じさせないほど楽しそうに日々を過ごしている。
「ふふっ」
何だかとても嬉しくて、同時に幸せな気分になって、気付いたらエランも同じように笑っていた。
「ただいま帰りましたー。あれ、エランさんなんだかご機嫌ですね?」
「おかえりスレッタ。あのね、今兄さんから連絡があったんだけど───」
家庭菜園から帰ってきたスレッタに、さっそく兄からの話を伝える。少し弾むような口調になってしまったかもしれない。
エランの気分が伝搬したのか、スレッタもすぐに楽しそうな様子になった。
「エランさんのお兄さんの家って、プラムの木があった場所ですよね?うわぁ、行きたいです!」
兄の家はスレッタも無関係ではない。ペイルからの逃亡中に2人で立ち寄った思い出のある場所だ。
スレッタが大事に育てているプラムの故郷でもある。
「気温も今の時期ならとても涼しくて過ごしやすいよ。夏休みのバカンス先としては意外と良いかもしれないね」
「植物図鑑も持っていきます!去年とは違うお花が見れるでしょうか?」
「乗り気だね。じゃあ行くって返事をしていい?」
「行きます!楽しみです!」
そうして、夏の大型連休の行き先はあっさり決まる事になった。
自力だと行くだけで休みを全部使ってしまうが、そこは金と力だけはある!と豪語する兄がすべて何とかしてくれた。
何とこの家まで直接小型の航空機で乗り込み、途中で軌道エレベーターを使ってショートカットをした後、また別の航空機で移動することになった。どこかの王族だろうか。
移動だけでいったいいくらの金がかかるんだろう…。すっかり小市民になってしまった金銭感覚で計算するが、怖くなったので途中で考えるのをやめた。心の中で怯えているエランとは対照的に、スレッタはひたすら楽しそうに兄やファラクトとおしゃべりしている。
そう、驚いた事に、ファラクトは自力で思考を獲得して喋るようになっていた。意外と滑らかな合成音で挨拶された時には仰天するあまり、エランは暫くの間固まってしまった。
行きと帰りの航空機を操作しているのもファラクトらしい。これで人件費がかなり抑えられると兄は自慢していたが、正直なところファラクトに命を握られていると思うとうすら寒い気はした。
兄が信頼しきっているので、多分大丈夫なんだろう…。
そう思いはするが、最初はどこか不安だった。
けれどエランの心配とは裏腹に、機内は何のトラブルもなく平和な時間が流れていった。
楽しそうなスレッタや兄と一緒にいる内に、だんだんと心がほぐれていく。そうしていつの間にか、エラン自身も気にすることがなくなっていた。
ファラクトから目的地に近づいているとアナウンスが入った時には、みんなで一緒にスレッタの植物図鑑を見ていたくらいだ。気付かぬうちに、相当リラックスしていたらしい。
「植物図鑑はまた後で見よう、名残惜しいけどね」
兄の言葉に頷いて、それぞれの座席で着陸の準備をする。とは言っても手に持っている荷物を仕舞い、もしもの時の為のベルトを締めるだけだ。手持ち無沙汰になったエランは、何となく窓の外を眺めることにした。
こんなに早く故郷に着けるなんて何だか実感がない。けれど窓から見える森や遠くにある湖の姿は、とても既視感のあるものだった。
「大型連休じゃなくても、普通に来れてしまいそうだね」
二泊三日、もしかしたら一泊二日でも十分に楽しめてしまうかもしれない。もちろん、その度に兄に送り迎えをしてもらう必要はあるが。
エランの言葉に、前の座席に座った兄は嬉しそうに「遊びに来たくなったらすぐに言って」と笑っていた。
そうこうしている内に地面が近づいてくる。専用の離着陸場などはなく、普通の平原に止めるらしい。
兄の所有する航空機は飛行機とヘリコプターの機能が一緒になったような性能をしている。昔にあったオスプレイという航空機を、もっと小さく高性能にしたような機体だ。
平坦な地面があれば離着陸できる為、エランとスレッタが住んでいる家の近くにも直接来れる。
…とは言え。
「こんな高性能機を野原に置いておくの?」
つい気になって聞いてしまう。防犯対策もしてあるだろうが、それにしたって無防備だ。
心配のあまり小言のような事を言うエランに対して、スレッタはまったく心配していないようだった。
「ファラクトがいるから大丈夫ですよ!ね?ファラクト」
スレッタの言葉に、ファラクトが『YES』と合成音で答える。どうやら野ざらしにする訳ではなく、エラン達を降ろしたらそのまま専用の格納庫に収納しに行ってくれるらしい。
航空機内に残ったファラクト自身はどうなるんだろう?疑問に思ったがその場で言及はしなかった。話を長引かせるよりも早く外に出たかったからだ。
地面を踏みしめ、解放された安心感でホッと息をつく。顔を上げるとすぐそばに村の入口が見えていた。
「村の外はまだ全然整備できてないんだ。まぁ、ゆっくりやるよ」
兄の言う通り、去年ここへ訪れた時とあまり変わりない様子だった。何だかすごく昔の事のように思えて、なつかしい気持ちが湧いてくる。
「…覚えてます。この場所でご飯食べましたよね」
「うん」
それはスレッタも同じようで、少しの間2人で去年と同じように村を見つめた。
まずは休憩しようという事で、さっそく兄の新しく建てた家にお邪魔する事になった。
村の中の道は背の高い草などは取り除かれていて、去年より格段に歩きやすくなっている。
兄はいずれはエランとスレッタの住んでいる山の家のように、土がむき出しの小道も綺麗なレンガ道にしたいと思っているようだ。この辺りの地域は道にも建築にもレンガがよく使われているので、兄の考えは自然な事のように思えた。
大きい家を過ぎ、小さな家を過ぎ、中心より少し外れた所でその家が見えてくる。柔らかな白い漆喰が塗られた一軒の家。窓の縁など、所々飾りのように下地のレンガ壁が剥き出しになっている。
朽ち果てた家々の中で、ここだけが光を放っているように綺麗だった。
「物語の中の家みたいです!」
スレッタが華やいだ声をあげる。兄は彼女の言葉に満足そうに頷くと、簡単に新しい家の事を説明してくれた。
「可愛いでしょ?見えてるレンガは元の家のものを使ったんだ。少しだけそのまま残ってるものがあったから」
「そうなんだ…」
瓦礫や土で埋まってしまって、もう家としては機能していなかった元の家。去年はその姿を見続ける事が出来ず、すぐに裏庭に回ったものだが…。
兄は目を逸らさずにできることを考え、実行していたのだ。
エランが兄の強さに改めて感じ入っていると、先に玄関に入った兄がドアを大きく開けて迎え入れてくれた。
「…おかえり、■■■。スレッタさんも、ここをもうひとつの家と思って、存分に寛いで」
「…ただいま、〇〇兄」
帰宅の挨拶を告げながら、エランは十年ぶりに生家に帰って来たと感じていた。ここは元のオンボロな家とは違う、新しく綺麗な家だけども…。
それでも、温かさだけは一緒のように思えた。
家の中に入ると、どこか牧歌的で落ち着いた雰囲気に迎え入れられた。どっしりとした家具の上に、見覚えのある工芸品が色々と飾られている。家具やインテリアは全体的に木で出来たものが多い。
「素敵な匂いがします」
スレッタがうっとりと深呼吸する。地球に来てから好きな物が増えた彼女だが、木々や植物の匂いも好きなものの中に入っている。
「ありがとう。仕事中は金属に囲まれてるから、余計にこんなのが恋しくてね」
兄が小さな木でできた人形を突きながら言う。最近はよく近くの町にぶらぶらと遊びに行っては、気に入った工芸品を買って来ているそうだ。
しばらくは飲み物片手にゆっくりと喋ったり、植物図鑑を開いたりして穏やかな時間を過ごす。兄は殊更にエランとスレッタの話を聞きたがった。旅の途中にこの村に立ち寄った話などは特に熱心に聞いていた。
そうして夜になると、兄が予め用意していた夕食を運んできてくれた。
「張り切って色々と買って来たんだ。美味しいと思うよ、オーブンで温め直してもらったから」
家の奥から料理がどんどん出てくる。エランと同様、兄もあまり料理が得意ではないそうで、すべて店で買ってきたものらしい。自信がないので温めるのもファラクトにやってもらったようだ。
ファラクトが居ないと俺の生活は立ち行かないね、と冗談めかして言いながら、兄は大きな木目のあるテーブルに料理を並べた。
冷製スープや肉入りのパイ、黒パンにクリームチーズ、それにエランの大好きなジャガイモの肉詰めもある。
「懐かしい?」
「たまにスレッタが作ってくれるから、そんなには。でもすごく嬉しいよ」
「新婚…ふふふ」
ニヤニヤと笑われて、正直に言わなければよかったと後悔する。ふてくされるエランの頭を兄がガシガシと撫で、スレッタは困ったような照れているような顔で笑っていた。
温かい空間の中で、なごやかに夕食を取る。ここでも兄は旅の途中の話を聞きたがり、エランとスレッタは旅の間に起きた様々な出来事を兄に教えた。
腹が満ちたあとも話は尽きず、気付けばもう夜更けになっている。
まだ外はうっすらと明るいが、もうそろそろ寝る時間だ。兄と別れたエランとスレッタは、用意してもらった客室でぴったりと体をくっつけて眠った。
翌日は村の中を見て回る事にした。今日一日はここでゆっくりと過ごし、明日は近くの町の市へと遊びに出掛ける予定だ。良いお土産が見つかるかどうか、少しだけ…いや、大いに楽しみだった。
心を明日の市に奪われつつも、エランの足は村の中を歩いていく。兄がぜひ来てもらいたい所があると言ったからだ。
牧場の予定地だろうか?そんな事を思いながら民家がまばらになっている場所を進んでいくと、見覚えのある場所に出た。
スレッタも気付いたようで、ハッとした顔をしている。
「あ、ここって…」
「そう、村の墓地だよ。俺たちの両親がそれぞれ眠ってる」
元からあまり植物が進出していなかったが、兄の手で更に綺麗にされているようだ。短く切られた草が芝生のようになっている。
エランはひとつの墓地の前に行き、ゆっくりと跪いた。今なら分かる。母の墓だ。
兄もエランの隣に跪き、しばしの間祈りを捧げた。そうして、すんと鼻を鳴らした。
「…この場所に帰ってきた時、たくさんの花冠が供えてあった。俺以外にここへ来て、みんなを弔ってくれた人がいる。俺はそれが、とても嬉しくて…」
来てくれて、ありがとう…。
兄の震えた小さな声が、風に攫われていく。エランはそこでようやく気付いた。どうして兄がこの村に自分たちを呼んだのか。
兄はお礼を言いたかったのだ、彼らを弔った自分たちに。───特に、花冠を作ってくれたスレッタに対して。
兄弟の祈りを邪魔しないよう後ろで控えていたスレッタが、明るく笑った。
「じゃあ、今日の予定は決まりですね。花を集めましょう!」
「もしかして、また花冠を作るの?」
「当然です!それにちょうど『お盆』の時期だし、もしかしたら皆さん帰って来てるかもしれませんよ」
「皆さんって、えっと、誰が…?」
お盆の事を知らない兄が首を傾げている。スレッタは丁寧に説明しながら、すでにその足は花の咲いている村の外へと向かっていた。
エランは苦笑しながら、強くて優しい2人の後についていく。
「綺麗な花冠をたくさん作って、喜んでもらいましょう!」
その日の午後、静かな墓地はたくさんの花冠で賑やかになった。まるでいつでも帰って来ていいと、死者と生者に伝えるように。