この電話番号は

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 愛用のライフルを背負って来週の仕事の狙撃待機場所の下見にコルンと来ていたキャンティは、ふと気づいてビルの階段を上る足を止めた。後ろにいたコルンも足を止める。

「ねえ、あたいら何階くらい上ったっけ?そろそろ屋上に着いてなきゃおかしくないかい?」

「……確かに、時間、かかりすぎてる」

 もうだいぶ階段を上っている気がするのに、一向に目的地に着かない気がしてならないのだ。踊り場の窓の向こうには夕暮れが広がり、周りの建物を黒いシルエットとして浮かび上がらせている。見える高さ的にはまだこの13階建てのビルの半分くらいしか上っていない。しかし体感的には上り切っているはずである。

 キャンティはしばらく眉をひそめて窓の外を眺めたが、気のせいだということにして大げさに肩をすくめると、再び階段を上り始めた。後ろにコルンが続いている。

 踊り場。階段。踊り場。階段。踊り場。階段。踊り場。階段……

 どれだけいくら上っても屋上につかない。窓の外の景色も変わらない。同じ高さの、同じ夕暮れ。黒々とした建物のシルエットの群れ。そもそもそれもおかしい。明るいうちに射線を確かめようとしていたのだから、階段を上り始めた時はまだ日が落ちるような時間じゃなかったはずだ。

 もはやヤケになって上り続けていたキャンティは、ぜえぜえと息がきれてきたところでついに立ち止まり、両手を上げて吼えた。

「いったいどうなってるのさ!?ぜんっぜん屋上に着かないんだけど!!ねえコルン!あたいの頭がおかしくなったってわけじゃあないよねぇ!?」

「……大丈夫。おれも同じ。屋上つかない。疲れた」

 踊り場で二人して息を整えながら、二人は上ってきた階段を見下ろした。そしてまだまだ上に続く階段を見上げる。コンクリートでできた灰色しか見えない。

「キャンティ。下りよう」

「ああ、下見は明日にしてさっさと出るよこんなビル」

 二人は踵を返して階段を下り始めた。

 踊り場。階段。踊り場。階段。踊り場。階段。踊り場。階段……

 いくら下っても地上が近くなる気がしない。窓の外の景色は変わらない。ずっと同じ高さの、ずっと同じ夕暮れ。外のビルの形だけが黒く浮かぶ。

 体感的に三十分は下り続けた末、ついに二人は立ち止まり、踊り場に疲労で座り込んだ。

「何が起きてるんだよ一体!どうしてこの階段から抜け出せないんだい!?ありえないじゃないか!」

「……キャンティ」

「もしかして幻覚か?この階段に先回りで薬物でも散布されてた?もし敵対組織の工作だったら……」

「キャンティ!」

「なんだよコルン!」

「足音、する。下から……」

 言われて、キャンティは下り階段のほうを見た。コルンの言う通り、どこかはるか下のほうから、かすかだが、足音が響いてくる。ゆっくり、ゆっくり、階段を上ってくる足音。

 その音に背筋が粟立つ。あれはよくないものだ。キャンティもコルンも確信した。

「キャンティ、上!」

「わかってる!」

 二人して立ち上がり、下からの足音から逃げるために階段を上り始める。だがどれだけ上っても階段に終わりが無いのだ。なのに下からの足音は遠くなるどころか、どんどん近づいているようで。体力が削られてふらつきはじめたキャンティの腕をコルンが掴んで引きずるようにして階段を上り続けている。

「やばい、やばいよ!どうしようコルン!?い、いっそこのライフルで――」

 ほとんどパニックになりながらキャンティがライフルバッグの持ち手をぎりりと握りしめた時、ふいに一つの記憶が浮かび上がった。コードネームを賜ったころに、幹部としての心得だのなんだのの一つとして教えられたこと。


“我々の組織は恨みつらみを向けられやすい。もし、自らの正気を疑うほどの、理解できない出来事が起こった時は――”


“ジンに電話をかけなさい”


 そうだ。そうすればいいんだ。キャンティたちには何が何だかわからなくても、彼なら状況を把握してくれるはずだ。

 コルンと共に階段を上り続けながら、キャンティはスマホを取り出し、疲労で震える指で連絡先を選んだ。無機質なコール音が鳴り響く。早く出ろ。早く早く早く早く――

『俺だ』

 聞きなれた冷たい声が耳元でして、キャンティは心底安心した。電話にざらざらと奇妙なノイズがかかっていることなど気にすることもなかった。ジンに繋がった、重要なのはただそれだけだった。彼ならなんとかしてくれる。そのはずだ。

「ジン!なんかおかしいんだよ!コルンと来週の仕事の下見に来たらビルの階段が!終わりが無いんだよ!しかも下から何か来てる!あたいらはどうすればいい!?」

 ひゅうひゅうと上がる息の合間にほとんどわめくようにして説明しているうちに体力が限界に達し、踊り場の窓の前でコルンと二人して崩れ落ちる。足が震えて立ち上がれない。窓際の壁を背にして、並んで座った。

「あ、あたいら、もう動けない……ジン、頼むから……」

 階段の下から足音が近づいてくる。

 すぐ下の階まできている。

 そんなに近くに。

 どうしよう。

 どうし……

『キャンティ』

 深海のような低く冷たく暗いジンの声が、キャンティの中で沸騰する寸前だった恐怖心をするりと撫でつけ、嘘のように冷やして沈めた。

『スピーカーにして下り階段のほうに向けろ。できるな?』

「わかったよ……」

 ボタンを押して、通話をスピーカーモードにする。

 足音がさらに近づいてくる。

 何かがいる。今まさに階段の角を曲がって。一歩一歩階段を上って。ぼんやりしていてよく見えない。理解することを脳が拒んでいる。どこかで見たことあるような。そんなはずはない。だってあいつは――三週間前に狙撃してやった――ピッタリ額ど真ん中に当たって――

 ちまみれのかお。

 目をきつく閉じて突き出したスマホのスピーカーから、いや違う、電話越しなんかじゃない、すぐ目の前から、はっきりと、深海の声が、






「S̷̶ͦ̇̇̌̒̈́ͥÇ̶̴̐ͧ͗ͧ̉̒͊ͩ͌̇́͒͛ͤ̂ͧ̅̕͜Ā̧̄͐͛͗ͧ̇̈T̷̋̐͊̌̎͒́͛ͫ̃͡T̄͑̇̍̅ ̸̡ͥ̈͗̎̇͆̋̚͝E̡̛̍ͨ̓ͭ̓́҉҉Ŕ͋̓͐ ̇͒̏ ̈́͆̎̀ͥ͊̐ ͣ͜͏̢̨͜ ̅̅͐́ͤ͒ ͆̀̃̔̏͏̵̛́͜N̽ͨ̂̂͛ͨ͗͐̔̾̃ͯ͂͛͒ͯ̃ ̆͜͠҉̀Ǫ̡̛̔͋ͩ͋̔̂̏̽ͮ͂̋͋Wͧ̆ͪͮ̏͗̌̀͟͡」








「あ?」

 キャンティは目を瞬かせた。コルンも横で首をかしげている。いつのまにか窓の外では日が落ちていて、夕暮れの気配が遠ざかって夜が目の前という暗さになっていた。

 コルンと顔を見合わせて立ち上がる。

 二人以外は何もいない。階段は静かだ。

『キャンティ。コルン。下見はすませたのか』

 手の中のスマホからジンの声がしている。ノイズのひとつもない明瞭な声。何事もなかったかのようだ。本当に何事もなかったのかもしれない。すべては幻だったのかも。疲れがたまっていて。キャンティはしばし考えて、それから答えた。

「まだだよ。でももう暗いし、明日でもいいだろう?なんだかやけにくたびれちまって」

『……まァいいだろう。狩りはまだ先だからな』

「明日また連絡するよ」

『あァ』

 通話は切れた。

 キャンティがしばらく下り階段を見つめて立ち尽くしていると、とんとんとコルンに肩を叩かれる。二人は見つめ合い、頷き、ライフルバッグを抱え直し、おそるおそる階段を下っていく。

 大した時間もかからず、二人は地上に着いた。

 はああ、と特大のため息をついて、キャンティはコルンを連れて愛車に向けて歩き出した。

「浴びるように酒を飲みたい……」

「おれも」

 明日の下見に響くかもしれないとは思っていても、今はとにかく酒の呼ぶ酩酊でこびりついた不可解さの名残を洗い流したい。そして、ついでにジンを見かけたら、何かおごってやろうとぼんやり思った。



「何だったんですかい、兄貴?」

「くだらないトラブルだ……蛆虫ってのはどこにでも湧いて出るからな……」

 キャンティとの通話を切ってスマホをしまったジンは、それですべての説明はすんだとばかりに煙草に火をつけて黙りこくった。ウォッカもそうですかいと頷いてそれ以上尋ねるようなことはせず、黙ってポルシェを運転する。

 兄貴とやっていくには、何事をも受け入れる心が必要だ。

 たとえば電波が繋がらないはずのトンネルの中で電話がかかってくるとか。とっくに抜けているはずのトンネルの中を通話中ずっと走っていたこととか。すぐ隣にいるはずの兄貴の声が奇妙に遠く聞こえたとか。トンネルのライトの明滅の加減で兄貴の輪郭がゆらめいて見えたとか。そういうことだって、起こる時は起こるものだ。

 ようやく長いトンネルを抜け、夜景が広がった。



(※ジェネリック怪異VS怪異ニキ。恨みつらみを集めまくる組織なんかに所属しているネームド幹部はみんな一度くらいは似たような目にあっている。バーボンとかも多分被害にあってる。ただし兄貴に残る傷を与えられるレベルの銀弾概念が宿っているライは被害を受けたことは無い。ちなみにバーボンはそしかい後に運悪く怪異に巻き込まれた際に無意識に前回したようにジンの番号に電話かけたらとっくに使用不可になってるはずの番号なのに普通に繋がって死ぬほどビビるし普通に助けられてもっとビビる。そのうち怪異に襲われたらこの番号にかければ助かるという都市伝説と化す)


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