この後滅茶苦茶ブートキャンプした
加茂家の屋敷の奥の奥、部隊の男に与えられる大して広くもない部屋で一人の男がスマホを覗いていた。
「あいっだぁ!?……はぁ…」
手から滑り落ち顔面に黒閃を決めたスマホを拾う事すらめんどくさくなって、布団に顔をうずめる。外から聞こえて来る刀を打ち合う音が余計に自分の惨めさを強く自覚させてきて、仕方なくフラフラ立ち上がり襖を思いっきり音をたて閉めた。
(…掃除でもするか)
掃除機をかける音だけが響く女中すら立ち入らない部屋で、ワイは現実から逃げるように深く深く思考する。
周りから、理解できないものとして見られるようになったのは五歳のころからだった。実際、古臭い御三家にとっては訳の分からない術式だっただろうし、なんなら本人としても全くもって理解できない。術式を知った家の外の人からは変態扱いされる。誠に遺憾である。
それからは死んだように生きてきた。暴力を浴びることなく放逐されたのは幸運と言えるだろう。部屋に電子機器を置こうと服装を乱そうと何も言われないし、何をしているかも気にされない。Wifiはさすがに駄目だったが、このクソみたいな家の中で最も現代的なのは自分の部屋だという自信があった。
幼いころは、自分を悲劇の主人公か何かだと思っていた。誰からも見捨てられた可哀そうな自分という役柄に酔っていた。その気持ちは自分より年少の子が鍛錬という名の暴力を受けているのを見て消え失せた。自分は哀れでも何でもない、惨めで醜く怠惰なクズであると自覚するころにはもう誰も自分を見ていなかったのだ。
「……はは」
その自己嫌悪すら自己陶酔の範疇ではないか、とふと思考が回る。もはや笑いしか出なかった。
幾分か綺麗になった部屋にまた寝転がり、スマホで漫画アプリを開く。
読んでいたのは少女漫画だった。
可愛らしく元気な主人公とそれに恋するクールなイケメンというベタな内容だが、作者のギャグセンスが自分に合うようで気に入り、今日出た新刊も配信開始と同時に購入したのだ。
実際は性的な要素が精々キスくらいで術式を想起させないところと眺めることしかできなかった青い季節への憧れもあるのだがそれはさておき。
Prrrrrrrrrrrrrrrrr
「おわっ!?せやった任務入っとるんやったはよ出な!」
今日の任務は楽すぎた。おそらく等級ミスだろう、あの呪霊はせいぜい三級だった。術式を使わずに済んだのは嬉しいが等級確認はもう少し念を入れてほしいものである。
無言の車内でスマホを起動し、G〇oglechromeを開く。呪術関係者掲示板、の文字が目に飛び込んでくる。
『上層部アンチスレpart291』
『一万円で売ってたらギリ欲しい術式上げてけ』
『呪術お悩み相談スレpart173』
そんな有象無象の中にあるいつものスレを開いたところでようやく今日が呪術高専交流会の日であったことを思い出す。レスを遡り状況を見ていくと東京校の優位がよくわかった。無下限六眼はチートが過ぎる。
そんなレスの中で、一際目に付くものがあった。
「今度、格闘技の稽古してあげるよ
蹴り技は最強なんだ、誰が何と言おうと最強なんだ」
スレの中で続々と高専生が参加を表明(一部強制)しているその訓練は、まだ始まってすらいないというのに随分と眩しく映った。もうとっくに手遅れになってしまった青い春が、今手の届くところにあるかもしれないと思うといてもたってもいられなくなりそうで、自分の単純さがよくわかる。
文を打ち込んで三分経って、ようやく震える手で「投稿する」のボタンを押した。
それだけで心の靄が幾分か晴れた気がした。