このあとロストヴァージン

このあとロストヴァージン


※ちょっとだけやらしい




 ――試されているのだろうか、と思うことが度々ある。

 今この瞬間も御剣は、間近に感じる親友の温度によって生じてしまった悶々とした感情を抑えるのに必死になっているのだ。

「ニュースお笑い、動物グルメお笑いお笑いグルメ動物グルメショッピング……ははっ、クソつまんないなあ」

 何が面白いのか御剣には理解し難いが、成歩堂はリモコンを連打しながらケラケラと笑っている。自らクソつまんないと評したのにも関わらず、だ。とはいえ成歩堂の奇妙なテンションには理由がある。数時間前まで矢張と御剣と成歩堂の三人で飲み歩いていたのである。三軒ほどハシゴした後に御剣は成歩堂に家に来いと誘われ今に至る。

 ちなみに矢張は二軒目でコユキちゃんだかミユキちゃんだかに呼び出されてさっさと帰っていった。

「……嫌なら見なければいいだろう」

 薄々勘づいてはいたが、そんな事を言っても無駄なようで、成歩堂は無心でリモコンを弄り回している。酔っ払いの奇行だ、満足するまで放っておこう、と御剣は安い発泡酒を口に含んだ。

 ちら、と目線だけ動かして何気なく横の成歩堂を伺い見る。アルコールで身体が火照って暑いのか、シャツ姿の彼はネクタイを緩めていた。普段はきっちりと閉められている第一ボタンが外されて鎖骨が見え隠れする様は目に毒だ。皮膚の薄い部分がほんのりと赤色に染まっていて妙に艶っぽい。御剣は無意識のうちにごくりと唾を飲み込んだ。

 ――人の気も知らないで。

 自然とそんな言葉が脳裏に浮かんで、御剣は心の中で自嘲の笑みを浮かべた。何を隠そう、成歩堂龍一こそは御剣がこの世でたったひとり、特別な思いをよせる相手なのである。

 恋に落ちたきっかけはごくシンプルだ。御剣の青春は決して甘酸っぱいものではなかった。齧ればきっと、生々しい汗と血と涙の味がする。そんな風に青春時代を勉強に費やし、そのまま20歳で検事となった御剣はそれ以降、世に蔓延る犯罪者たちと死闘を繰り広げる日々を送っていた。愛だの恋だのと甘っちょろい世迷い言をぬかす暇などこれっぽっちも無かったのだ。

そこに颯爽と現れたのが成歩堂だった。 厳密に言えば再登場したと表現するのが正しいのだが、とにかく彼は御剣の前に現れ、そしてあっという間に御剣が抱えていた闇を追い払ってしまった。特に頼んだ覚えも無いのに勝手に人の過去とトラウマの真相を暴くなど傍若無人にもほどがあるが、その傍若無人に御剣が救われたのもまた事実であった。そんなこんなで御剣は、ヒーローのごとく自分を救ってくれた成歩堂に心を奪われてしまったのである。

「うーん…飽きたぁ……」

 散々チャンネルを取っかえ引っ変えした成歩堂はついにリモコンを投げ出してしまった。物を投げるなと御剣が小言を言ってやろうと口を開きかけたところで、成歩堂は御剣の肩に頭を預けるようにして寄りかかってきた。そのままぐりぐりと甘えるように額を擦り付けられ、汗とアルコールに混じってふわりと香った成歩堂の匂いに御剣の心臓が大きく跳ね上がった。

 成歩堂に好かれている自覚は、ある。人生の進路を180度ねじ曲げてまでその対象に無関心というのは考え難いからだ。一度姿をくらませた時など成歩堂は相当荒れていたようで、御剣は後にそれを知って心底驚いたものである。

 しかし、その好意の中に御剣と同じように性欲が含まれているのかと問われれば、それは違うと御剣は思っている。なんせ御剣は知っている。過去に成歩堂が首ったけだった彼女を。そしてその彼女も本気で成歩堂を想っていたことを。成歩堂は間違いなくヘテロだ。間違っても自分に欲情することなど無いのだ、私と違って……と御剣は、抱いた恋心を肥らせるばかりで、それを昇華させてやることなどとっくに諦めているのだ。

「よせ、くっつくなっ……やめろ!」

「いーだろ別に。減るもんじゃないし」

 だと言うのに、御剣の気も知らないで成歩堂はこうやってじゃれついてくる。まるで犬のようにすり寄ってくる成歩堂を押し返そうと腕を伸ばすと、逆に掴まれてしまい引き寄せられる。密着した身体から伝わる体温に、御剣はもう泣きたい気分になった。

 普段からこうなのだ。何かと距離の近い成歩堂を引き剥がそうとしても、親友ならこれくらいフツウだろ、としれっと言い放つのが成歩堂龍一という男だ。こっちがどんな思いで耐えていると思っているのだ、と御剣に理不尽な怒りすら抱かせてしまう。

「んー…お前、いいニオイする……」 

 ――とろけた瞳で見上げられ、御剣の中の何かがぷつんと切れた音がした。

 気が付けば成歩堂の身体は床に押し倒されている。御剣が成歩堂を組み敷いているのだ。突然の事態に驚いているのか、成歩堂は目を見開いて固まったままだ。

 いっそのこと、ここで私の気持ちを思い知ってもらおう。そうすれば、流石の彼も警戒してキョリを置くだろう。御剣は成歩堂の頬をするりと撫でて、こんなことを思った。彼も成歩堂に負けず劣らず酔っていたのだ。

 押し倒された成歩堂の身体に、御剣の影が重なっていく。

「みつる……んむっ」

 何か言おうとしたところを無視して唇を重ねた。触れるだけのキスを済ませれば、御剣は大人しく身を引いていく。夢にまで見た成歩堂の唇は想像していたよりもずっと柔らかく、熱かった。

これで少しは懲りただろう。さあ、離れてくれ。何なら突き飛ばして、顔を一発殴ってくれ。それで全てがスッキリする。

 御剣は祈るような気持ちで閉じていた両目を開いた。

  ――どんっ!

「………え?」

 一瞬、何が起きたのか、御剣は理解出来なかった。今まで見下ろしていたはずの成歩堂の顔を見上げているこの現状に、脳の処理が追いつかない。

 なぜ私は今、天井を見ているのだろうか。なぜ目の前に成歩堂がいるのだろうか。どうして成歩堂は、私の上に乗っているのだろうか。ぐるぐると疑問が脳内を駆け巡る中、成歩堂の目線が絡みつく。先ほどまでのぽやんととろけたものとは全く違う、完全に据わりきった眼差しだ。

 これは、マズい。非常に、まずい。

本能的に危険を察知した御剣は、咄嵯に身を捩って逃げようとした。しかし、それよりも早く成歩堂に両手首を捕まれ、頭の上で固定されてしまう。

「なにをっ……んむっ?!ンッ、ふぅ……っ!」

 噛み付くように唇を塞がれ、舌を差し込まれる。酒臭い息とぬるりと熱い感触に御剣は背筋を震わせた。歯列をなぞられ上顎を舐められ、呼吸ごと奪われそうな勢いで口内を蹂躙される。

「んん……っ、む、ぅ……っ!」

 抵抗しようと身を捩っても、今度はがっちりと後頭部を掴まれびくともしない。成歩堂の口づけは執拗で、御剣が酸素を求めて口を開けばすかさずその隙間に肉厚な舌をねじ込んでくる。ぴちゃ、と唾液の混ざり合う音がいやらしく響いて、御剣は耳を覆いたくて仕方がなかった。

「ふぁ、やめ、んぐっ……!」

 やっとのことで解放されたかと思えば、間髪入れずまたすぐに口を吸われる。何度もそれを繰り返されるうちに、御剣の思考は徐々に融解していく。

「まさかお前の方から誘ってくれるなんて……うれしいなあ」

 耳元で吐息混じりに囁かれて、その甘い響きにぞくりと肌が粟立った。いつの間にボタンの外されたシャツの合わせから侵入してきた指先に鎖骨の周辺を優しく撫でられて、御剣は声にならない悲鳴を上げた。しかし御剣はなけなしの理性を振り絞って身を捩った。ここで何か間違いが起こっては、今後成歩堂に顔向け出来なくなると思ったからだ。

 成歩堂が自分に向ける感情は、あくまで友愛のはず。普通は友人にこんな情熱的な口付けはしない。ならば他の誰かと間違えているに違いない。なんせ彼は強かに酔っているのだから、と御剣はあたりを付けた。

 ……というより、自分に言い聞かせた、と言った方がより正しい。

「ま、て…っ!誰と、カン違いして……っ」

 どうにか絞り出した声で制止をかけると、成歩堂はわずかに攻めの手を緩めた。そして、うっそりと目を細めて笑うと御剣の顎から喉仏にかけてをべろりとひと舐めし、首の付け根辺りにちゅうっと吸い付いた。そこを甘噛みされれば、ピリリとした痛みと共に御剣の身体が小刻みに震えた。

「あのね。お前が何を考えてるか知らないけど、ぼくはカン違いでこんなことしない」

「ぁ、ひゃ……っ」

 かりっ、と甘噛みされた拍子に漏れ出た御剣の声は甘く蕩けていた。それに気をよくした成歩堂は御剣の首筋や胸元にいくつも痕を残していく。

「ぼくがお前を間違えるわけないだろ、御剣」

 まるでマーキングだ。成歩堂の所有物だという証を付けられているようだ、と思うと、御剣の側坐核はドバドバと快楽物質を分泌していく。それはアルコールよりもずっとタチが悪く、御剣をどんどんだめにしてしまうものだった。

 このまま身を委ねてしまいたい、と頭の片隅では思っていても身体は拒絶する。半ばやけくそである。成歩堂の身体を突っ撥ねるようにして両腕を伸ばすが、ふにゃふにゃになった身体ではそれも難しい。あえなく無駄な抵抗に終わった。

「ちがうっ、これは…っ!ちがう、ちがう……」

 半泣きになりながら、違う違うとうわ言のようなことを繰り返す御剣。もはや何が違うのか、そもそも自分が何を言いたいのかもよく分からなくなっていた。ちょっとしたパニックに陥っていたのだ。

「ん、何が違うの?……お前から誘ってきたんだろ?」

 ふうっと熱い息が耳に吹きかけられ、身体の芯まで溶けるような感覚に襲われる。もう何が何だか分からない御剣はただ成歩堂に翻弄されるしかない。だんだん抵抗を諦めていく御剣に、成歩堂は舌なめずりをする。

「……言いたいことがあるなら、ベッドで聞くよ。異議は無い?」

 こくん、と御剣が小さく肯けば成歩堂は犬歯を見せて笑った。さながら獲物を仕留めた肉食獣だ。その牙で獲物……御剣を貪り食うのだろう。

 さて、この後御剣がどうなってしまうのかは言うまでもないが、この一連の流れのどこからが成歩堂の思惑通りに進んでいたのかは彼のみが知る事実である。

Report Page