ここで踊ろう
それは、なんてことない一日になる筈の日の、終わりがけのことだった。
いつものように街に現れたポンチ吸血鬼をぶん殴り、「つまらんもう終わりかね」などとのたまう砂おじさんに蹴りを入れて、事務所に戻ろうとしたその時だった。
「キャアアア!」
闇をつんざくような悲鳴に、ロナルドは素早く振り向く。そして、
「……ッ!」
道路の排水溝から伸びてきた巨大なスラミドロの手が、通りがけの女性を今まさに襲おうとしている瞬間を目にした途端、目にも止まらぬ速さで走り出した。背後ではドラルクが「待ちたまえ、ロナルドくん!」と何事か慌てたように叫んでいたが、気にしてなどいられない。
間一髪のところで女性とスラミドロの間に割り込む。伸びてきた腕の一撃をモロに顔に食らったが、厚い覆面のせいで僅かにくらりとよろめいただけでダメージはほとんどなかった。踏みとどまったロナルドは、腰から抜いた拳銃の引き金を引く。
「ギィアアアアアア」
立て続けに弾を食らったスラミドロは、断末魔をあげて灰と化してゆく。ロナルドは小さく息をつくと、背後で腰を抜かし震えていた女性に手を差しのべる。
「もう大丈夫ですよ」
だが、女性はロナルドの顔を見た途端、ただでさえ青白い顔をさらに歪ませた。
「ひっ……」
大きく引き裂かれたカボチャの面から覗く顔は、『元は』確かに麗しく端正だったのだとわかるものだった──その右顔に大きく広がる、焼けただれた跡さえなければ。
宝石のような青い瞳は白く濁り、整ったかたちの唇は引き攣れ、まるで不気味に嗤っているようにも見えた。
半分だけどろどろに溶けた顔は、元が美しかったとわかるからこそ、よりいっそう無惨に、そら恐ろしく見えた。
「ば、化け物……ッ」
女性の唇から漏れた言葉に、ロナルドの動きが止まる。今ようやっと気づいたというように、自分の覆面に手をあてると、そこが大きく裂けていることに気づき──
「あ……」
青い瞳が見開かれる。その瞳に浮かんでいたのは、紛れもない恐怖の色だった。
「あ、あ、」
がくがくと震えだすと、
「あ……っ」
顔を覆い、後ろに一歩、二歩、下がる。そのあまりの取り乱しぶりに、怯えていた女性も僅かに冷静さを取り戻したのか、困惑したような表情を浮かべる。だが、ロナルドはそれにすら気づかないように、悪夢を見た子供のようにひたすら身を縮めて震えていた。
その時だった。
「──なーにが化け物、だ!!」
闇を切り裂くように、ぴしゃりとした声が辺りに響く。珍しく真剣な顔をしたドラルクと、その肩で目をつり上げたジョンが、ロナルドのすぐ傍らに立っていた。ドラルクはぐっとロナルドの肩を掴むと、憤懣やるかたない、といった様子で、女性に向かって指をつきつける。
「近頃の人間は助けられておいて礼も言えないのかね?手を差しのべられたなら『ありがとう』だ!5才の子供でもわかる理屈だろうに!」
「え、あ、」
「ヌー!ヌヌヌヌヌン、ヌヌヌヌヌッヌ!ヌヌヌ、ヌヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌ!ヌヌヌッヌ!」
「ほら見ろ世界一愛らしいジョンもこう言っている!ジョンの言うことが法であり正義だ!……命をかけて護ってくれた者に、唾を吐きかける。心がない化け物は、一体どちらかね」
「あ……」
低い問いかけに、女性が体を固くする。ドラルクは眼をつり上げたまま、今度はロナルドの方を見た。
「君も君だ、赦しがたいことを言われたのならまず怒れ!怯えるな、間違ったことなど何もしていないのなら胸を張れ!何を縮こまっているんだ、退治人ロナルド!」
「……どら、るく」
「ああそうだ、私はドラルク、真祖にして最強の血を引く吸血鬼だ。その吸血鬼の相棒である君が道理のわからんアホにくだらん戯れ言を言われたくらいで震えるな。そんなものに怯える暇があるなら私を畏怖れ崇め奉れ!」
「ヌン!」
ロナルドの肩に飛び移ったジョンがよしよしとロナルドの頭を撫でる。ロナルドはしばらく黙っていたが、やおら小さく息を吐くと、ふ、と笑みの形に唇を歪めた。
「……なんでテメーを畏怖らなきゃならねえんだ、クソ雑魚砂おじさんが」
「舐めるな私の方が10000兆倍は君より畏怖いわグェー」
「殺したわ」
「殺すな!」
ナスナスと砂から復活するドラルクと拳を繰り出したロナルドを交互に見ていた女性は、ぎゅっと唇を引き結んだ。
「……ごめんなさい」
耳に届いた小さな声に、ロナルドはほんの少し黙り、それから同じくらい小さな声で言った。
「いいえ。俺こそ、怖がらせてすみませんでした」
「いえ、……いいえ。本当に、本当にごめんなさい。ありがとう、ございました」
深々と頭を下げた女性の目からはらはらと溢れた透明な滴が、地面に染みをつくる。ロナルドはしばらく迷ったあと、その肩にそっと手を置いた。
その後、何度も頭を下げながら帰っていく女性を見送っていたロナルドの姿を、ドラルクはつまらなそうに腕を組んで見ていたが、
「……今、替えの覆面を持ってきてやろう」
「は?」
思わず横を見ると、『不服です』という表情を全面に出したドラルクが、立て板に水とばかりに話し始める。
「言っておくがね、私はその顔を見苦しいから隠せと言いたいのでは、断じて!断じてないからな。勘違いして勝手に卑屈モードになられても困る。……だが、外野にとやかく言われるのは、君の好むところではないだろう」
一気にそう言うと、「はードラドラちゃんマジ気の遣える男全人類が崇めてもやむなし」などと言いながら肩をすくめるドラルクに、殴っていいのか礼をのべていいのか判断に苦しんでいたロナルドだが、ふいに後ろからぱさりと髪に何かがかかった。
「おっと、見てねえから安心しろ。……それ、貸してやる」
背後から聞こえたのは先程退治(という名の成敗)した野球拳の声だった。見れば髪にかかっていたのは、野球拳がいつも顔を覆っている手拭いの色ちがいで。
「ふん、精々感謝しろ、愚かな人間。……私も見ていないからな」
ついでビキニの声がしたかと思うと、彼がいつもつけているマスクをぐいっと顔に被せられる。
「……お前ら」
「お前みてえな遊びがいのある退治人はなかなかいないからな」
「今度あったらぶん殴る」
けらけらと笑い声が遠ざかってゆく。その中には「ロナルドさんの怯えてる姿、なかなかエッチでしたよ」などという聞き捨てならないものも混じっていたが。
「……ロナルドくん」
「……なんだよ」
「手拭いにマスクってその格好なんか変態みたいだねグェー!!」
「死ねやクソ砂ァ!!」
「ヌー!」
ダスダスと踏みつけてくる足音に混じって、「ありがとう」という声が聞こえた気がしたが、ドラルクは知らないふりをしてやった。
『退治人ロナルド、本日の覆面はカボチャではなく手拭いとマスク!?』
週ヴァンの表紙を大きく飾る文字にうんうんと頷きながら、カメ谷はデスクに置かれた写真立てに手を伸ばす。そこにはカメ谷と半田、そして、よく晴れた青空のような笑顔を浮かべる銀髪の少年が写っていた。
「いつかお前の一番かっこいい素顔が撮れるのが、俺の夢だよ」
どこかさみしそうに、でも優しく呟くと、カメ谷は写真立てをことりと置いた。