きっとそれは、悪意ですらなく 後編①

きっとそれは、悪意ですらなく 後編①




あまりにも予想外のことが起こった時、人は動きを止めてしまう。目の前の状況を把握するということに自身の処理能力を全てつぎ込んでしまうためだ。

だが、それが永遠に続くことはない。徐々に状況を理解し、動き出せるようになった者たちが現れ始める。


「……大変だ」


最初に誰かが呟いた。そしてそれがすぐに周囲へと伝播していく。


「“天竜人”が殴られた!」

「海軍大将が来るぞ! 避難しろ!」

「あいつは誰なんだ!?」


爆発するような叫びがいくつも響く。その中心にいるルフィはしかし、そんなことは気にもしない。

今の彼にとっての関心は、目の前の大切な人にのみ向いているのだから。


「馬鹿、知らねぇのか!? “麦わらのルフィ”だ! 海軍の英雄だよ!」

「何で海兵が“天竜人”を殴ったんだ!?」

「お前見てなかったのかよ!?」


ごめん、と何度も何度も呟くウタ。その彼女にしゃがみ込みながらルフィは背を向ける。

その背に、震えながらウタは手を伸ばした。彼女を背負い、ルフィはその場から離脱する。



「“麦わらのルフィ”は“歌姫”を守ったんだよ!!」



世界にも広く知られたゴムの力。その弾力を利用し、モンキー・D・ルフィはその場から離脱する。


「掴まってろよ」


一言。彼は背負う人に向かってそう言葉を紡いだ。

最後まで、彼の耳に周囲の声は届いていなかった。



◇◇◇



その報告の意味が、最初はわからなかった。

報告を受けたセンゴクだけではない。その場にいた三大将も、ガープも。全員がすぐに次の言葉を紡げなかった。


「もう一度、報告してくれ」


それでもその言葉をセンゴクが紡げたのは、彼が海軍本部におけるトップにいるからこそだろう。背負ってきた責任が彼を踏み留まらせたのだ。

いや、もしかしたら期待したのかもしれない。

それが何かの聞き間違いであることを。


『モンキー・D・ルフィ大佐が天竜人を暴行しました! こちらは混乱しています!』


電伝虫でこちらに連絡をしてきている海兵もまた混乱しているのがわかる。それほどまでに衝撃的で、そしてどうしようもない状況だった。

世界政府における象徴でもある存在、“天竜人”。その存在に手を出すということは即ち、世界政府への宣戦布告と同義である。

──“天竜人には逆らうな”。

これは世界の絶対的なルールだ。それを保証するのが今この場にいる3人の海軍本部大将である。


「…………何が、あった」


絞り出すような声だった。モンキー・D・ルフィはセンゴクにとっての友人と同様、破天荒な青年だ。常識破りの問題ばかりを次々と起こすし、それによってセンゴクを含め多くの者が頭を抱え、胃を痛めた経験がある。

だがそれでも彼の行動には理由がある。無意味な行動をするような男ではないのだ。当初は理解できずとも、後から事情を聞けば理解はできることは多い。

だからこれにも理由があるはずだ。こんなことをしでかしただけの理由が。


「…………」


動揺が広がる中、無言で立ち上がったのはガープだった。つい先程までの笑顔ではなく、思い詰めたような表情をしている。彼がするにしてはあまりにも珍しい表情。しかし同時に尋常ならざる雰囲気を纏う彼に対し、三大将も何も言えない。


「待てガープ」


だが、この男だけはそんな彼に対しても声をかけることができる。それだけの年月の付き合いがあり、信頼があるのだから。


「なんじゃ」

「貴様は待機だ」


三大将。海軍本部の最高戦力たちでさえも思わず身構えるほどの気配だった。

これは──ただただ純粋な、怒気。


「ルフィは馬鹿じゃが、考えなしの馬鹿ではない」


その言葉一つ一つから凄まじい圧を感じる。改めてこの場の者たちは理解した。

かつて世界最悪の“悪”を討伐した“伝説の海兵”。その歩んできた人生、そして積み上げてきた力を。ありとあらゆる海賊が恐れる存在の意味を。


「わしと同じであのクズどもを嫌ってはおるじゃろうが、だからといって気分で危害を加えるような奴ではない。何か理由がある」

「……何だというんだ」

「それはわからん」


言い切るが、ガープには心当たりがあった。おそらくは『あの子』だろうという確信に近い思いがあったのだ。

シャボンディ諸島で“天竜人”相手に事件を起こしたという事実。嫌な想像などいくらでもできる。


「いずれにせよ現場に行かねばならん。それがわしの」

「駄目だ」


遮るようにセンゴクは言った。


「これは貴様の管轄ではない」

「そうじゃな。だからこれは一個人の我儘じゃ」

「今の貴様は海軍本部の中将だ。軽率な行いは認めん」

「それは命令か、センゴク」

「そうだ」


即答だった。

強い意志を込め、センゴクは言う。


「──私は、海軍本部元帥だ」


その言葉には、とてつもない重さが宿っていた。

言葉から滲んでくる覚悟が周囲に伝わってくる。ガープは振り返ると、正面からセンゴクを見据えた。

海軍における“伝説”二人。互いに譲らぬ視線のぶつかり合い。

今にも二人が激突しそうな空気の中で。



「──わっしが行きましょう」



響いたのは、そんな言葉だった。

ゆっくりと立ち上がるのは黄猿だ。ボルサリーノ、とガープがジロリと黄猿を睨む。そのガープに対し、黄猿は苦笑を浮かべた。


「落ち着いて欲しいですねェ、ガープさん。“天竜人”への暴行は大罪。それは子供でも知ってることでしょう?」

「…………」

「わっしらは秩序側の人間です。それがルールを破ったら示しにならんでしょう」


それに、と黄猿は言葉を紡いだ。自身の同僚である大将二人へと視線を送り。


「わっし以外の全員が『理由』を探してるでしょう?」


その言葉に赤犬と青雉が小さく拳を握った。黄猿の言葉は図星だったのだ。

皆無意識のうちに『理由』を探していた。何かがあったのだろうと。だからこそこんなことが起こっているのだと。

そう思ってしまうくらいには、あの二人を知り過ぎていた。


「どんな事情があろうと罪は罪。情状酌量ってものがあるとしても、それはわっしらの仕事じゃないでしょう?」

「……そうだな。我々は定められた法に基づいて動く組織だ」


センゴクが応じる。その言葉に頷くと、黄猿がそのまま部屋を出ていこうとする。しかし、出ていく前に彼は小さな笑みと共に言葉を紡いだ。


「誤報、って線もあるかもしれないねェ。……それこそ、海賊に襲われた“天竜人”を守ろうとした流れ弾であったとか」


黄猿が出て行く。残された四人のうち、最初に呟きを零したのは青雉だった。


「……下手な冗談だ」

「誤報、か」


応じるように呟くのは赤犬である。そこには祈るような感情が込められている。

だがわかっている。そんなことはか細い希望であることなど。わかっているのだ。


「…………」


その場に座り込み、右手で顔を押さえるガープ。彼は呻くように言葉を紡いだ。


「──海兵になれ、と」


何も言えなかった。

ただ黙して、“英雄”の独白をその場の者たちは聞いている。


「わしが……そう言ったんじゃ」


その、あまりにも重い言葉だけが。

室内に、やけに響いた。



◇◇◇



60番GRは混乱に包まれていた。

あと一時間もすれば明日のイベントの事前挨拶が行われる予定であり、現場の総責任者でもあるモモンガは常に忙しく動き回っていたのだ。

件の二人はまだ到着しておらず、そろそろお目付役に連絡を入れようとしていたところであった。


──“麦わらのルフィ”が“天竜人”を殴り飛ばした。


突然入ってきたその報告に、普段落ち着いているモモンガも一瞬思考が止まったくらいだ。

何故、どうして、何が。

どんな理由が。

そこまで思考したところで、二人の挨拶を待っていた市民たちの間にもざわめきが広がり始めたことに気付く。


(止まっている場合ではない)


それは最早、本能的な感覚であった。

ここで動かなければ──動けなければ。一生後悔することになる。自分自身の直感がそう告げていることにモモンガは気付いていた。

電伝虫を取り出し、二人の『お目付役』へと繋ぐ。数度のコールの後、相手が出た。


『はい。こちらオリンです』

「モモンガだ。落ち着いて聞いてくれ。──ルフィ大佐が“天竜人”を殴り飛ばした」

『────』


絶句する気配が伝わってきた。当たり前だ。こんなこと、モモンガも信じたくはなかったのだから。


「起こったのはジャボンディパークの近くだ。おそらくは既に移動を始めていると思うが……そちらに連絡はないか?」

『い、いえ。何もないです。まだ時間もあるので私も気にしておらず』

「そうか。……まあ、そうだろうな」


二人の部下である彼女が悪い部分はないとモモンガは思う。彼女の役目はお目付役ではあるが、それは遅刻しないようにという程度のものだ。まさかこんなことの責任を彼女に問うわけにもいかないだろう。


「二人がどうするかはわからないがそちらへ戻る可能性もある。大尉、確認だ。どこに船はある?」

『……79番GRです。ホテル街でもあるので人の出入りも多いですから……その、紛れるにはいいと』

「承知した。大尉はそこで待機するように。──すぐに向かう」


言い切ると、モモンガは周囲に視線を向ける。すると、こちらに駆け込んでくる人物が見えた。

その人物はモモンガの直下として彼の部隊の副官を務める人物だった。彼は焦った様子で言葉を紡ぐ。


「大変ですモモンガ中将!」

「ああ。聞いている。本部は?」

「大将黄猿がこちらへ向かっていると連絡が!」


その言葉に、そうか、とモモンガは頷いた。海軍本部の大将が動く──つまり、“天竜人”が害されたことは事実であるということだ。

誤報ではないのだろう、とモモンガは思った。ならば動かなければ。

今の自分は──“海軍本部中将”だ。


「指示を出す。部隊を三つに分けるんだ」

「三つ、ですか」


頷く。やるべきことは三つだ。


「一つはこの場に残す部隊だ。既にこの件の情報が流れ、市民たちに動揺が広がっている。それを止める役目が必要だ」

「なるほど……」

「荒事の必要はない。経験の少ない新兵を中心に組み立てろ。そしてもう二つだが、一つはシャボンディパークに向かう部隊。もう一つは79番GRに向かう部隊だ。こちらの目的は言う必要はないだろう」


急げ、とモモンガは言った。すぐに、と副官は応じる。そんな彼に対してモモンガは背を向けた。


「私は79番GRに先行する。大将黄猿にはそう伝えてくれ」


普段の彼からすると非常に珍しい、焦りすら混じった言葉。そのまま副官の言葉を待たず、モモンガは地面を蹴った。

二人の“英雄”を待っていた市民たちの間にははっきりと動揺が広がりつつある。それだけではない。前代未聞とも言える大事件を察知したこのシャボンディ諸島そのものが混乱しつつあるように思えた。


「……79番GRか」


混乱の中を駆け抜けながら、モモンガは呟く。


「──いい部下を持ったな」



◇◇◇



モンキー・D・ルフィはかつてないほどに全速力で駆け抜けていた。

自分自身が起こした事件による混乱が伝播し、真っ直ぐに進むことは難しい。だが泣き言は言っていられない。


「ごめん」


何度も何度も自分の背中で謝り続ける大切な人を守るためには、今は走るしかないのだ。


「謝るんじゃねぇ。ウタは何も悪くねぇだろうが」


それは心からの本心だった。彼女は何も悪くない。悪いはずがないのだ。

ルフィはよく周囲から破天荒と言われる。騒ぎを起こすことは毎度のことであるし、説教や始末書などは最早日常だ。

しかし、そんな問題児である彼はそれでも秩序側の人間だ。

だから自分がしたことの意味はわかっている。個人の好悪は関係ない。世界のルールにおいて、彼は許されないことをしたのだ。


「悪いってんなら、それはおれだ」


積み上げてきたもの。

背負ってきた人と共に歩み、成し遂げてきたこと。

その全てを捨て去る行為をした彼は言う。


「だから気にすんな」


──だから、笑っていてくれ。

いつだって、ウタには笑っていて欲しいから。


それを彼が口にすることはなかった。だがそれでも長い付き合いだ。彼女にも伝わっていると信じた。


「……ルフィ……」


こちらを背中から抱く腕の力が、少しだけ強くなった。

大丈夫だ、ともう一度ルフィは呟く。

どんな相手が来ようとも、守ってみせる。

──覚悟なんて、十年前に終わっているのだから。


「……オリン」


息を切らし、汗を流しながら辿り着いた場所。

73番GR──そこにいたのは、二人にとって信頼できる部下であるオリンだった。

正義のコートを纏い、右手には彼女の獲物である長銃を下げている。


「何があったかは、聞いています」


声は震えていた。いつもの彼女からは想像もできないような、聞いたことない声だ。


「言いたいことも聞きたいこともたくさんあります。でも多分、大佐がそうしたっていうことは……そうするしかなかったんだ、ってことなんだと思います」

「……言い訳をするつもりはねぇ。時間もねぇしな」


ルフィのその言葉に、服を掴むウタの手の力が強くなった。


「オリン。おれたちは──」

「行ってください!」


ルフィの言葉を遮るように、オリンが叫んだ。背後の小舟を──ここに来る時に使用した、本当に最低限の機能のみを有した船を示しながら。


「あまり、持ち合わせがなくて」


その瞳から、大粒の涙がいくつも流れ出る。


「本当に最低限しか……それ以下しか、用意できませんでした。でも、集められるものは詰め込みました」


だから、という彼女の言葉に頷き、ルフィはオリンの横を通り過ぎる。

その時、すれ違い様に。


「ありがとう」

「ごめん」


二人はそう、小さく呟いた。

一度顔を俯かせるオリン。そして彼女は涙を拭うと、船に乗り込む二人を追いかける。


「本当に最低限のものしかありません。だから──」


言いかけた彼女の言葉が止まった。オリンが持っていた子電伝虫が鳴ったのだ。

船の上にウタを降ろしたルフィがオリンの方を見る。ウタもまた、怯えたような目でオリンの方を見ていた。


「……はい」


オリンは人差し指を口元に当てる合図を送ると、そのまま呼び出しに応じた。

相手は誰だ、とルフィは思う。その答えはすぐに来た。


『モモンガだ。……そちらにはまだ、二人は来ていないか?』

「はい。まだ来ていません」


何の澱みもなく言い切るオリン。そうか、とモモンガは応じた。


『私が先行してそちらに向かっている。もう一度確認するが、79番GRで間違い無いんだな?』

「──はい」


79番GRという言葉に、思わずルフィは自分達がいる場所を見た。近くにある木には『73』という数字が書かれている。


『……承知した。私が着く前に二人が来た場合、足止めを』


僅かな沈黙の後、モモンガがその言葉と共に通話を切った。オリン、とルフィが彼女の名を呼ぶと、苦笑と共にその部下は言う。


「私のことは気にせず。まあ……この混乱ですから。報告を誤ったとか、お二人に出会わなかったとか。言い訳並べて何とかします。大丈夫ですよ」


行ってください、とオリンは言った。ごめんなさい、とか細い声でウタが言う。

何度も、何度も。


「いいんです。私は──」


そんなウタへ、オリンが言葉を紡ごうとしたところで。



「──いい部下を持ったな」



響いたのは、そんな言葉だった。

その場の全員がそちらを見る。そこにいたのは、一人の海兵。

息を切らしながら、大量の汗を掻きながら。

それでも、その鋭い気迫に衰えはない。


「行かせるわけにはいかん」


海軍本部中将、モモンガ。

二人にとって、恩師とも呼べる人物がそこにいた。







Report Page