お労しい伊正
私は伊織殿に何か残せただろうか?
私と伊織殿は敵として出会った。私は伊織殿の命を奪おうとした。
出会いとしては最悪だ。
それから何度も会話と戦を重ねた。運良く今は一緒にここにいる。
夢のようだ。
本当に夢のようだ。
私は幸せだった。
だけど、それは私だけの幸せではなかろうか?
布団の中で独り想う。
伊織殿は幸せだっただろうか?
忘れて幸せになってほしい。
——忘れてほしくない。
——彼を独りにしてはいけない。
——誰にも渡さない。
考えるとぐちゃぐちゃになる。
今の私では伊織殿の顔は見れない。声だけで判断する。だが、答えはない。優しい伊織殿は厳しい言葉を言わない。気を遣った言の葉は私に真意を悟らせない。
優しいのだ。
だからこそ、不安になってしまう。
身体は動かない。日々の体調の不調は不安を募らせてしまう。
答えなんてないのに……。
私は伊織殿の優しさに浸ってさえいれば良いのに……。
私が死んだ後、伊織殿はせいせいしたと私を忘れてしまわないか。
——それが伊織殿の幸せになるとわかっているのに!
籍を入れた訳でも、子がいた訳でもない。それなのに私は伊織殿を浅ましく束縛しようとしている。
忘れてほしくない。覚えていてほしい。独りにしたくない。誰にも渡したくない。
伊織殿には、伊織殿だけには!
魔術回路を起動——。
もう錆びて使い物にならないそれを命を削って行使する。
「おき、て……」
私は声を絞り出す。
死の間際になって気がついた。森宗意軒先生は教えられてなかったが、私には増殖機能がある。
霊脈に接続——。
魔力さえあれば、私は『私』増殖できる。江戸の霊脈には盈月で使われなかった魔力が溜まっている。
それらを全て、魔術回路に流す。
血管、神経、器官……内側から焼けていくような感覚。全ての感覚が遠のいていた私には意識が飛びそうなくらい眩い感覚だった。それでも最後まで魔力を通し尽くす。
———
成功の手応えはない。ただ成ったと備わった機能が告げる。
新しい『由井正雪』が生まれた。
本当はこんな事したくはなかった。私自身が伊織殿と生きていたかったから……。
もうそれも叶わない。ならば、せめて伊織殿に『私』を残したい。
私は『私』にぐちゃぐちゃになった心を託す。
どうか、どうか……。
森宗意軒先生、私は純粋ではいられませんでした。
あぁ、でも、
「私が、伊織殿と生きて、いたかった、な」