(おーいカイザー!調教しようぜ!)(ネスとかも出てくる)
マゾ犬は雄の死骸だ。
人権も有していなければ雌を征服してやろうという本能さえ失った、意気地無しで玉無しの畜生ども。
そのくせ性欲だけは溢れ余っていて、夏場の黒光りする害虫のように数も多い。
それでも1人で捌ききってみせられるのが糸師冴の女王様としての才能を物語っているが、そんな彼でも協力を募れる相手が見つかれば頼ることはたまにある。
「ってことでカイザー。久々に2人で豚野郎踏もうぜ」
「帰れ。そのリードに繋げたクソマゾどもを連れてUターンしろ」
遠征先で用意されたホテルの扉がノックされたからチームメイトかと思って開けると、そこにいたのはスペインに名を轟かせる稀代の女王様こと糸師冴と、彼の腰に巻かれたウエストリードから伸びる鎖に繋がれた1ダースばかりの半裸のマゾ犬どもだった。
酷い絵面だ。地獄百景の有様と言える。
咄嗟に口から出た言葉はもちろん拒絶を表すもの。しかし扉を閉めるより先に、冴が扉の近くにいたマゾ犬の尻を蹴り飛ばしてドアと枠との間に挟んだ。
なんなら勢いが良すぎてカイザーのほうにまで飛び込んで来そうだったから、思わず「クソキメェ」と罵倒しつつ真下に足を落としてマゾ犬の鼻を踏ん付けてしまった。
麗しの美青年2人がかりで臀部と顔面とを嬲って頂いたマゾ犬は、喜悦のあまり白目を剥いて涎を垂れ流している。痛みで失神したのか興奮で失神したのか。たぶん半々だ。
「まあ聞けよ。こいつら新しい俺のスポンサーどもなんだけど、股開けとか愛人になれとかほざいてきてウゼェからとりあえず犬にしたんだよ」
「お前のいつも通りの日常だな。で?」
「そしたらいっぺんに犬にしすぎたせいで躾すんのがめんどくせぇなって思っちまったから、近場にいる助っ人の力を借りることにした」
「やっぱり帰れ。俺にSMの趣味は無い」
力尽くで扉を閉めようとしているのに、冴が次々とマゾ犬どもを蹴り込んで邪魔してくるから肉の厚みと脂の滑りで全然達成できない。
冴の口振りからしてまだ躾は済んでいない筈だが、ケツにキックされて興奮している姿はもうだいぶ調教が終わっているように見えた。
ボールギャグと目隠しで顔がほとんど隠れていても、肌が汗ばみ頬が赤らんで欲情しているのがよく分かる。
「少しくらい付き合えよ。同じ変態旦那の嫁になった仲だろ?」
「その旦那はお前が犬にジョブチェンジさせたから、1日で新婚生活は終わったけどな」
初めて冴とカイザーが邂逅した日のことを仄めかす軽口。躍り出たワードに引き摺られて当時の記憶が蘇る。14歳になっていたかいなかったか、確かそれくらいの頃。サッカーの練習の帰り道に露骨な黒塗りのスモーク車に拉致され、意識が昏倒し、目が覚めた時にはパンツスタイルのウエディングドレスなんて着せられ──真横には同じ境遇の冴がいた。
あの頃はお互いの名前が糸師冴であることもミヒャエル・カイザーであることも知らず、これから共に稚児趣味の腐れ外道との生活に耐えながら活路を見出すことになる同士として、その言動の強かさと折れなさに親近感を抱いていたことも憶えている。
しかし冴は哀れな花嫁ではなく、恐るべき女王様だった。いざ覚悟を決めてカイザーが初夜に臨もうとした瞬間にはもうSの鬼畜をMの犬っコロに調教しており、暫くは扉を開けた体勢のまま困惑と驚愕で硬直したことも脳裏に鮮明だ。
なんならその数分後には冴に誘われるがまま、2人して女物のナイトガウン姿で男の尻や背中を一緒に踏んだことも、左右から男の耳元に「馬鹿みたいにブヒブヒ鳴いて早くイけよクソ豚野郎」「許可なく勝手にイくんじゃねぇぞお漏らしマゾ犬」みたいな相反する罵倒を吹き込みつつ握った短鞭で男の×××を色が変わるまで交互に打ち続けたことも焼き付いている。
……忘れられるエピソードなど1つも無い濃い1日だった。
「まあ旦那はペットにスライドして消滅したが、俺らは第一夫人のままだ。そのよしみで豚野郎叩こうぜ」
「結局そこに戻って来やがるのかよ。あんなクソ屋敷で未だに俺らの肩書きが『奥様』なのは今すぐ忘れろ」
眉間を指で揉みながらカイザーは唸るように呟いた。
暗黒で邪悪なお金持ちであったから闇オークションで人間を買った事実があっても刑務所に行かずに済んだあの元旦那様現マゾ犬は、今も屋敷にいて冴とカイザーのパトロンをやりながら、使用人たちに対して「2人ともボクの女王様と茨姫様でこの屋敷の奥様だからね! キミたちのトップはこの2人だよ!」と熱弁を振るい写真を見せつけていると聞く。
おかげでいつまでたっても第一夫人の称号が剥がれない。つまり冴との縁も切れない。
「……まあいい。お前に文句なんざつけても無駄なのは身をもってわかりきってるからな」
後頭部をガシガシと掻いてカイザーは扉を閉めるのを諦める。
実際のところ、この他人に甘えも弱みも見せようとしない腐れ縁の同年代が自分にだけは妙に馴れ馴れしく接して来るのを、カイザーは殊の外気に入っていた。
彼と一緒にトラブルに巻き込まれすぎた結果、吊り橋効果が蓄積されて友情や好意が誤認で上がっただけの可能性もあるけれど。まあ、それにしたって恋愛感情ではないだけ良い。
糸師冴に真剣に惚れるのは破滅への直線ルートだ。周りのマゾ犬どもを眺めているだけでひしひしとそれが伝わる。
「だとよ。ほら、良かったな豚ども。俺だけじゃなくて茨姫様にも虐めて貰えるぞ」
「クソ不愉快。女王様にその異名で揶揄われたくねぇよ」
名前は天使、苗字は皇帝、肌には青薔薇、愛称は茨姫様、プラスアルファでその他も諸々。
我ながら属性過多で胃もたれしそうだ。
「さてと。それで俺はどのクソマゾを躾ければ良いんだ? 言っとくがお前の持ち込みなんだ、半分以上はお前がやれよ」
冴が馬に鞭をくれてやるようにマゾ犬どものケツを蹴り上げて部屋の奥まで移動を促し、カイザーはそれを見届けてから部屋の扉と鍵を閉めた。うっかりスタッフやチームメイトに入って来られて、こんな室内を見られたらまた噂が出回る。
つい数日前だって、自分がネスを夜な夜な自宅に連れ込んでSMプレイをしているなんて眉唾モノの内容を弱小の暴露系YouTuberに動画にされたばかりだ。もちろん公開停止に追い込んだ。
「流石にわかってる。9匹は俺がやるから、カイザーはそっちの3匹の子豚を頼んだ」
リードを預けられた3匹は、確かに冴の言う通り子豚……なんて可愛らしい動物ではないが、この1ダースの豚どもの中では小柄で大して太ってもいないこじんまりした連中だ。
冴なら最悪ソファーに座り込んで「悪いが俺は疲れた、全員やっといてくれ」と宣うことも視野に入れていたからこれは意外だ。この男にも他人への気遣いはあったらしい。
「……いや、そもそも人のホテルに豚連れてくる時点で気は遣われてねぇな」
寸での所で冷静さを取り戻した。
冴とつるんでいると常識が狂う。彼に比べればスラム街育ちのノアのほうが真っ当な価値観を有しているだろう。
「それじゃあクソ豚ども、躾を始めるぞ。喜んで良い。──忘れられない夜にしてやる」
男女を問わず見惚れるほど華やかに、なれど鋭く、まさしく薔薇の微笑みをカイザーは浮かべる。
朗々と歌い上げるごとく放たれた調教開始の宣言に、豚どもは恐怖と……それ以上に劣情の滲んだ吐息を漏らした。
白一色の皮膚をタトゥーの青薔薇が横切る。目に染みるコントラスト。そんな美しい裸体をチラリズムがちに垣間見せる無防備なバスローブ姿で、カイザーは悠然とソファーに腰掛ける。
そして爪の一枚に至るまで丁寧に手入れの施された左足の指先で、眼前に跪く1匹の豚の顎を持ち上げた。
「もうシャワーを浴びた後なんだ、汗の匂いがしなくて不満か? お前は気色の悪い変態だからな。本当は俺の美しい脚についた汚れまで堪能したかっただろう?」
足の爪先が五指とも器用に動いて豚の顎先を擽る。それだけの動きさえ艶めかしく、5匹の白魚がゆったりと海中を遊泳している様を思わせた。
ボディオイルの芳香が鼻腔を侵す。花油とハーブの入り混じった格調高いそれは、一嗅ぎしただけで高級な品だと察せられる。単体ならば優雅なだけだろうが、これがミヒャエル・カイザーという男の身に纏われることで耽美さも醸し出していた。
「だが完全で美しい脚を豚の分際で汚すのも、お前にとってはご褒美だろう? 俺は飴も鞭もくれてやるタイプだ。まずは飴からくれてやる」
妖しく顎先で蠢いていた爪先が外れて、代わりに男の後頭部に回る。足の指の器用な動きだけでボールギャグの留め具も目隠しの結び目も解かれて、男の視界と呼吸が鮮明になった。
途端に飛び込んでくるのは目の前に咲き誇る麗しきブルーローズその人。
太古の妃も清らかなる聖母も原罪のイブも眠りの森の姫君も、皆が愛した『薔薇』という花の女王に相応しい美貌。色彩。格下を愛でて蔑む魔性の目元。
そんな生き物が自分の鼻先に足の裏を押し付けてくる。マゾには最高のシチュエーションだ。背後に控える目隠しだけ事前にとられた残り2匹の豚も、羨ましさのあまり開きっぱなしの口から壊れた蛇口よりもヨダレを垂らしている。
「舐めて良いぞ。これからお前を幸せにしてやる脚の、匂いも、形も、味も、しっかりと覚えろ」
カイザーの瞳孔が猫のように細められた。
豚の欲情を故意に燃やす声、笑み、眼差し。
「お前のように醜い家畜ごときでは、本来なら触れることの許されない尊い脚だ。それを与えてやっている俺の慈悲に感謝し、栄誉に咽び泣き、思う存分に崇拝すると良い。今日からこの脚がお前の神だ、クソ豚」
「ふぁいぃ……」
一点の曇りもない白磁の脚は筋肉の付き方も長さも彫刻めいて完成されている。
それをちゅぱちゅぱと頬張る男の顔は蕩けていた。目は陶酔に潤んで濁り、薔薇の匂いが肺を満たす。艶やかに全身を痺れさせる、麗しき青年の肌の甘み。あまりの興奮に味蕾が誤認しているだけなのか、事実として美しい生き物の肌は甘いのか。
舐め回す皮膚のしっとりとした滑らかさには、舌も魂も吸い込まれる心地がした。
「いい子だ。……いい豚だ」
御伽噺の魔女のような嘲笑を刻む唇の上で、何もかもを見下した蒼眼が愛玩を以って目尻を下げる。
本当に心底から下等だと思っているモノと接する時、人はわざわざ眉を吊り上げない。むしろ目元を緩めるのだ。
自分のプライドもアイデンティティも決して傷付けることのない、無害で無価値な生物を憐れみ蔑み慈しんで。
「お前は冴を鳴かせたがっていたそうだな。当たり前だが、アイツはこの俺と同じ新世代世界11傑に選ばれた価値ある男だ。そんな冴にお前みたいな無様な豚が、さも対等な顔をして関係を迫るなんて。それは間接的に俺を軽んじているのと一緒だ。許されることだと思うか?」
「いえ、思いましぇん、んっ……」
深い酩酊感に包まれ、男はカイザーへの返事もおざなりに足の裏や指の間、爪の表面や踝まで執拗にベロベロと涎まみれにしている。
ハイエロフィリア。神聖な物に性的な魅力を抱く倒錯。男は今、カイザーの脚を神として崇めながら、同時に淫らな想いを捧げていた。
だが神は横暴なもの。カイザーは群青がかったブルーアイズを剣呑に細めると、男の口から脚を引き抜き、それから鼻先目掛けて爪先で蹴りを喰らわせた。
「俺の脚を崇拝しろとは命じたが、俺の声を無視しろとは言っていないぞ」
見下げ果てた眼差しで、茨姫様は豚野郎に失望を告げる。
カイザーインパクトを放つ右脚でなくとも、現役サッカー選手の蹴りの威力は相当だ。
されど男は骨にヒビの入りそうな痛みや鼻血よりも、強く美しい己の女神に見限られたことに酷く絶望した。
「あっ、あっ、申し訳ありませんッ!!」
「もういい。お前に飴なんて勿体無いな。次は他の豚にくれてやるから、さっさと消えろ」
男は指が氷のように冷えて震えだすのを感じた。捨てられる。この官能的な支配をくれる得難いミストレスに。それはドMにとって四肢の一本を失うよりも恐ろしいことだ。口から謝罪の言葉が次々と溢れ出すが、カイザーは意にも介さない。男の目頭が無闇に熱くなる。涙と鼻水が込み上げてきた。
自分たちも眼前のブルーローズから『飴』を頂戴するチャンスに恵まれた残り2匹の豚は、世界の終わりのような顔をした豚を差し置いて我先にとアピールをする。だがボールギャグを噛まされたままであるため、何を叫ぼうと喉から飛び出すのは唾液と喃語だけだ。
「ハッ。俺は人間だからな。豚語はわからん。……だがそうだな。お前たちは豚は豚でも、金を持った豚だ。その経済力に免じて1つ良い提案をしてやろう」
べとついた脚が室内の微かな電灯をねとりと照り返し、真っ黒なバスローブを背景にゆったり組み替えられる。モノクロのコントラストから仄光ってさえ見えるソレ。肌の白さが豚どもの網膜を焼いて、心と体に毒のように染み込んで行く。
「俺に喜んで捧げられる金の数だけ鳴き声を上げろ。一鳴きで1億だ。一番上手に、面白おかしく、たくさん鳴けたいい子の豚には──」
次いでカイザーの手が自身のバスローブの襟ぐりにかかり、ぐいと腰元まで引き摺り下ろされた。
露わになった左の半身。首筋から手の甲にかけて絡み付き、咲き誇る、茨と青薔薇。そして王冠。ミヒャエル・カイザーの華麗なる象徴。
刻まれたタトゥーを白皙の指先で撫ぜて、とんとん、と花弁の部分を魅せつけるように軽く叩く。同時に緩く首を傾げて、凄艶に囁いた。
「──この青薔薇に、口付けで以って赤を散らす権利をやる」
3匹の豚どもの表情が、揃って衝撃と興奮に塗り潰された。
それはつまり。キスマークを残してもいいと。この苛烈で美麗な青年の首筋に組み付き、噛み付き、吸い付き、己の色と形を肌に刻みつけることを許して下さると……。
狂気的な劣情で部屋が満ちる。催淫剤を思わす空気の中で、そのどれよりも婀娜めいて青薔薇の君は嗤う。
「さあ鳴け、豚ども」
瞬間、競い合って上げられた絶叫のような鳴き声で、部屋の窓ガラスはガタガタと揺れた。
「カイザー!? 部屋の中からこの世のモノとは思えないきったねぇケダモノみたいな叫びが聞こえてきますが、何があったんですか!?」
ブーブーと絶え間なく響き続けるマゾどもの鳴き真似をシャンパンを飲みながら傾聴していると、ドアを叩く激しい音と慌てたネスの声が聞こえてきた。
これは面倒なことになった。ネスは、というか他のチームメイトもそうなのだが、冴との関係性を聞かれて答えてから妙に心配性になって事あるごとににスポンサーを威嚇したり会話の内容に気を遣ってくるようになったのだ。そもそも話し始めようとしてすぐの段階で人に呼ばれて切り上げたから、本当に数文字しか喋っていないのに。何が彼らをあそこまで駆り立てたのやら。
ひとまず鳴くのをやめるように豚どもにジェスチャーで伝え、言うことを聞いたのを確認してから扉に視線をやる。左脚は豚の唾液まみれだ。このまま立ち上がると床が汚れるので座ったまま応える。
「そう騒ぐなネス。ただ俺の脚を穢した豚どもが、今度は俺の花に想いを遂げられるかもしれない予感に興奮するあまり身も心もいきり立っているだけだ」
「穢……ッ!? 花!!?? 想いを遂げる!!!!????」
事実をそのまま伝えたのに、扉越しのネスは裏返った大声でオウム返しして余計にパニックになっている様子だ。カイザーはサイドテーブルのシャンパンを飲みながら、アイツは本当に落ち着きを失い易い奴だなと呆れてみせた。
ご覧の通りネスのほうが可笑しいみたいな態度のカイザーだが、恐らく街角でアンケートをとればこの場合ネスよりカイザーに非があると皆答える筈だ。
穢すは元より、想いを遂げるだってオブラートに包んだ『そういう意味』だし、花もこの流れで出てくると菊だの薔薇だのが隠語に使われることもある尻のほうで想像するのに充分であろう。
つまりネスは、カイザーの正直すぎて逆に分かりづらい発言を「俺の足に×液ぶっかけた奴らが次は俺のケツに突っ込もうと昂ってチ×コをバキバキにしてる」くらいのニュアンスで捉えた。
こんなもの恐慌状態になって当然だ。もはやネスの脳内では、親愛なるカイザーがむくつけき男どもに無理矢理ベッドに押さえつけられて白濁の体液で肌を汚している。
「そんな状態で何を冷静にしてるんですか!! 早く逃げて下さい!!」
「? 物忘れがクソ激しいぞネス。穢されたと言っただろ、今歩くと床が豚の体液で汚れる。そもそも立てない」
「ミ゛ッッッ」
廊下のネスは首を絞められたインコのような悲鳴を上げて顔色を最悪にした。
悍ましい光景が脳裏を駆け巡る。脚どころかその付け根までレイパー野郎どもの出したドロドロのものがこびり付き、ベッドから立ち上がろうとするとつぅーと内腿からそれが垂れて地面に落ちる。なんてビジョン。あの強靭な足腰を持つカイザーが立てないということは、これから犯されるどころか下手したらもう何ラウンドか終了して……。
顔も知らないクソどもが不敬罪すぎて、あまりの憤りにネスは爪が白くなるまで拳を握り締めて唇を噛んだ。どちらも肌に食い込んでうっすらと血が滲んでいる。
「なんだ、ネスがいるのか。中に入れるか?」
心の中でクソ男たちにレッドカードを喰わせて窒息させていると、カイザーと豚どもしかいないと思っていた室内から『あの』糸師冴の声までしたから驚きだ。
かつてカイザーが言っていた──言いかけて、切り上げたことを思い出す。冴と2人して同じ金持ちの慰み者に。そこから先は聞けていなくても想像がつく。まだ今のカイザーほど精神も肉体も完成されておらず、けれど今と同じくらいに美しかったあの頃に。ミヒャエル・カイザーは糸師冴と共に、どこぞの腐れ外道イかれ暗黒富豪によって揃って手篭めにされた。そうに違いない。
そんな2人がこの扉の向こうでも一緒にいる。しかも推定レイパーの男達と。ネスの顔からは生命維持に支障が出そうなレベルで血の気が引いた。そんなのもう完全にクロだ。震える手でボトムのポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出す。
「こ、殺し屋……。スナイパーを雇って、カイザーに手を出すクソ野郎どもを人生から強制退場させないと……」
ショックと怒りと悲しみのあまり110番の文字さえ頭からすっぽ抜け、ネスはGoogle検索で「スナイパー 雇い方」「殺し屋 依頼方法」という阿呆の検索ワードを用いて望みの情報を探し始めた。
一方、中のカイザーと冴は急にネスが静かになったことに目を合わせて首を傾げ合っている。冴はとりあえず開けるかとマゾ犬を置いて扉に近付いた。
「おい。いつまでもんなコトいないで入れよ」
一心不乱にヒットマンを雇う手口を調べるネスに、ドアを開けた冴が手招きをする。
やっと辿り着いたダークウェブのサイトで評判の良い殺し屋の口コミを確認していたネスは、その声で少しだけ平常心を取り戻して顔を上げた。
……そして固まった。
「な、な、なななななななな何て格好してるんですか!?」
冴は前面にファスナーの付いた黒いラテックスのキャットスーツに身を包んでいた。
その上から更に色の濃い赤の手袋をはめ、コルセットで胴を絞り、足にはほとんど爪先立ちに近い造形のバレエヒールを履いている。頭には飾りのようにドミノマスクを斜め掛けしていた。
そして片手にはSM用と思われる長尺の真っ赤な体温ロウソクが握られており、火の灯ったソレから垂れる蝋を、冴の足元に這いつくばってシッポのように尻を振っている知らない中年男が舌を伸ばして美味しそうに受け止めている。
「ああ、これか。犬どもの持ち込みだ。こういうのが好きなんだと。流石に胸とか尻とか丸出しのボンテージ持って来やがった奴は蹴り飛ばしたが」
ネスの絶叫と狼狽を受け流し、女王様の典型パターンの1つと言える装いをした冴が自身を見下ろす。
恥ずかしがるでも誇るでもない、こんなものは着慣れていると言外に主張する落ち着きぶりだ。
見物料も取れそうな仕上がりではあるものの、なんだか見てはいけないモノを見てしまった気がしてネスは逃げるように視線を奥に向けた。
そこでもっと目を疑う光景が飛び込んでくる。
「カイザーーーー!!!!????」
膝上丈の黒いシルクのバスローブを大胆にはだけさせたカイザーが、均整のとれた美しい左脚を1人の男に太腿まで与えて舐めさせてやっている。かかっている薄く色付いた液体は床にボトルの転がったシャンパンだろう。
更にもう1人の男はカイザーに向かって自分の貧相な尻と局部を晒け出してドギースタイルをキープしていて、それをカイザーがホテル備え付けの靴べらで交互にバチンバチンと強く叩いてやっている。男は悲鳴と唾液を口から迸らせて喘ぎ悶えていた。
ネスの敬愛する青薔薇に集る3匹の羽虫どもの最後の1匹は、恐れ多くもカイザーの椅子そのものとなり背中に乗られ揺すられ、ぽっかり間抜けに開いた口内を指先で弄ばれていた。
「うるさいぞネス。お前は豚じゃないんだから、鳴き声くらい我慢しろ」
カイザーはうんざりとした表情でネスを見遣るが、そうしている内にも左脚は豚の唾液に濡れて、生々しく光っている。ぐちゅぐちゅと湿った音に混じって、ちゅぱちゅぱと肌を吸う音も聞こえた。舐めるだけではない。豚の1匹はカイザーの左脚に鬱血痕を幾十にも咲かせている。
純白が真紅に侵される極彩。目が体が頭が、ネスの全てがその光景に怒りを覚えた。それは白目を剥いて倒れ込みたくなるほどのショックさえ乗り越えさせ、ネスの足を動かす原動力と化す。いっそ現実感を欠いた激情に支配されるまま、扉を押し除けて部屋に入ったネスはカイザーの下に近付き──その足元にいる男を全力で殴り飛ばした。
「触るなッ! お前なんかがッ、カイザーの本当の凄さも理解してない奴なんかがカイザーの脚を穢すな!!」
ふーふーと肩で息をする。拳は熱く痛んだ。でも構わない。
だってこんな男、一度も自分たちの練習や試合を観に来ていないのに。カイザーに惹かれたのだって、きっとサッカーの腕よりも容姿や肢体を評価しただけのニワカなのに。そのくせカイザーをこんな風に扱うなんて。
……昔酷いやり方で花を散らされて、それでも薔薇として再び咲いた気高いカイザーの、強く美しい花弁を性欲なんかで毟ろうとするなんて。
(女王様なんて、綺麗に梱包された娼婦だ。それでもプライドの高いカイザーは、自分が陵辱されて心に傷を負ったなんて認められなかったから。だから平気なフリをするためにこうするしかなかったんだ。もうあんなことなんて気にしてないんだって、世間に……何より自分に言い聞かせるために、奔放で苛烈な茨姫様をやりきるしかなくなってしまったんだ)
それはきっと、共に犯されたらしい糸師冴にしても同じことで。
故にこうやって男を誘い込み誑し込む行為は、自分たちの精神の安定のためにも必要なことではあるのだろう。
あくまで己を保つために、カイザーや冴がそう振舞っているのだと理解した上で。
それでもネスは、カイザーの周りの男どもが振る舞いをそのまま受け止めて彼を青薔薇の君という名の高級娼婦として扱うのが許せなかった。
己にとっての世界一強く麗しい人が侮られているのが、悔しくて悲しくて仕方がなかった。
「カイザーはッ、凄くて、強くて、美しいのに……どいつもこいつもそれを本当にわかっちゃいない……ッ」
ポロポロと涙がこぼれる。ネスの草食動物のような丸い目には潤んでいない箇所が無かった。
泣いたからといって体の内で荒れ狂う憤りが収まることはなく、次はカイザーに靴べらで叩かれていた男に落ちていたシャンパンの空き瓶を投げつける。鈍い音が響いて尻にぶち当たり、男は痛みのあまり四つん這いの姿勢のままで数十センチ飛び上がった。
「おいネス、落ち着け。何をクソ取り乱してやがる」
「うわぁあああぁん!!」
普段は大人しい従者の暴れぶりに流石のカイザーも宥めに入った。
だがネスは止まらない。メソメソしたままカイザーから靴べらをひったくると、それを四つん這いの男の勃った股間目掛けてありったけのパワーでスイングする。
ちょっと急所から聞こえてはいけない打撃音が鳴ると同時に、男のイチモツは下手をすれば永劫に使い物にならなくなった。
「どいてくださいカイザー! そいつ潰せない!」
連続で男2人を仕留めたネスが最後の獲物と見ているのは、もちろんカイザーの椅子になっている男だ。
ジリジリとにじり寄って来るネスの狂乱ぶりに一滴の冷や汗が頬を伝う。
まさか自分が悲惨なレイプ体験をした過去を持つと誤解されているのを知る由も無い、何より長年こういう豚どもと冴を経由して接してきたことで性的な方面での価値観や倫理観が無自覚に歪んだところのあるカイザーは、この期に及んでも「何でこいつこんなに怒ってやがるんだ?」と従者の感情の本質を理解していなかった。
「ストップだ、止まれアレクシス・ネス。SMプレイならともかく暴力沙汰は事件になるぞ。今ならまだ俺とカイザーから犬どもに言い聞かせて無かったことにできる、血が流れる前に落ち着け」
ハイハイで付き従うマゾ犬の背中に蝋を垂らしてやりながら、部屋のドアを閉め直した冴が室内に戻って来る。
冴が相手していた他の8匹のマゾ犬どもは既に調教され終えていて、あまりの興奮に絶頂しすぎた結果全員が部屋の片隅に積み上がる形で気を失っていた。
快楽と引き換えに人権を失いし家畜の屍の山である。最後の1匹も履いたままのズボンから染み出すくらい股間の周りがビチャビチャだ。カイザーと冴が良い匂いでなければ地獄の臭害になっていただろう。