おれのこども④
まるで排便するかのような感覚、しかし普段のそれとは違って有り得ない程の激痛を覚えながら、黒名は必死に息を吐く。
「ふ、ぅーっ、ぅ"、っ……」
腹がさすられる。痛みでぼやけた視界に、紺緑の手が腹の上に添えられているのが映った。
今まで感じたこともない、数日前に経験したものよりもずっと強い痛みに思わず気を失いそうになるが、必死に踏み留まる。今意識を飛ばしてはいけない。そんな気がする。
内蔵全てが潰れるような圧迫感はどんどん酷くなり、それから尻も裂けるような痛みを訴えてきて、いよいよ本当に死ぬかと薄い意識の中思ったところで。
ずるりと尻から何かが抜ける感覚と共に、一気に圧迫感から開放された。
同時に、腹上の手が離れて、足の付け根へと……恐らく生まれた子を抱き上げに向かう。
「ん、ぁ、は、……」
黒名は残った体力を振り絞ってどうにか起き上がった。痛みはまだ尾を引いていたが、幸福感であまり気にならなかった。早くわが子を見たくて。
逸る気持ちについていけずにゆったり起き上がって、そのまま、紺緑の恵体を辿るように視線を持ち上げて、
「ぇ、……」絶句した。
__黒名よりも幾回りも大きいその手に抱えられていたそれは、明らかに生物の形を成していないものだったからである。
手らしきものは胴体に巻き付くようにくっついていて、足は片方ない。頭と思しき部分は半分に潰れている。
赤子どころか、肉塊でもない、まるで粘土の塊みたいだった。
「……な。ぁ、」
これが正常なんだよな?
そう問いかけるように彼の顔を見上げるが、首を捻っているのが見えて、黒名は目の前が真っ暗になる心地がした。
……どう見ても、"これ"がまともに生まれてきていないことは確か、で。
ゾッと総毛立つ。嘘だ。嘘だ。だって、昨日まであんなに元気に。
「おぇ"、ぅ、」激しい吐き気に襲われて、黒名は胃の辺りを抑えながら丸くなった。その折に触れた下腹部はもうすっかりへこんでいて、"あれ"がこの腹で育っていた自分の子だということを否が応でも自覚させられる。
腹の中には何も無いため、胃液や胆汁液が押し出される。痛い、苦しい、辛い、色んな感情を綯い交ぜてげえげえと吐き出したそれは、喉や口をひりひりと傷つけながら床に広がっていく。
……最初重心を抑えていた手が苦しさに段々と位置を上げて、いよいよ首元に差し掛かった時、
霞む視界の端に、黒名とは反対方向にくるりと踵を返した足が見えて、黒名はハッと我に返った。
「なに…」するつもりだ?
黒名の声に足が一瞬立ち止まる。一瞬。しかし、すぐに歩き出した。
「おい、」
何をしようとしているか、黒名はすぐに察した。
__こいつは俺の子を、持っていこうとしている。
「まて」黒名は手を伸ばして、その足首を掴んだ。「だめだ。おれのこ、おれのこ。つれてくな」
バランスが上手く取れず這いずる体勢になったせいで、先程の吐瀉物が胸の辺りを濡らしていたが、気にしている場合ではない。
とにかくこの子を守らなければ、いけない。この姿をしていても、黒名はこの子を見捨てることは出来なかった。
「やめろ、つれてくな」
黒名は振り返った顔を見上げて、目__はっきりとそれがある訳では無いが、たぶん視覚を司っている場所__を見て、懇願する。つれてくな、いい、おれのこだから。なぁ、おねがい、おれからうばわないでくれ。
疲労で呂律の回らない言葉を、頭も回らない稚拙な言葉を、繰り返す。すると。
「……」異星人は、子どもを抱えたまましゃがんだ。それから、片手に子の身体を寄せて、もう片方の手で黒名の頭を撫でる。
「え」
「……菫コ縺後←縺�↓縺九☆繧�」
初めて、奴が声を出した。全く言っている言葉は分からなかったが、暖かい響きを持ってそれは黒名の鼓膜を震わせた。
__大丈夫だ、とでも言っているような。甘く、脳がぼんやりする、そんな響き。
「……」黒名が思わず手を離すと、彼は頷いて再び大事に赤子を抱え、部屋の入口の方へ歩いていった。
扉の閉じるバタンという音で、黒名の脳の靄がふっと晴れた。
同時に、ぷっつりと涙腺が崩れた。
「ぁ、あ、っ……」黒名は顔を歪めてしゃくり上げる。
ごめん、ごめん。俺のせいだ。そんな言葉をうわ言のように繰り返しながら、ぽたぽたと灰色の床に染みを作っていく。
ごめん。ごめん、ごめん。俺の、大切なのに。
本当に遠くの方で、何かが叫ぶ声がした。自分の嗚咽に塗れて、黒名は気づかない。
大きい何かが倒れる音がした。ほんの僅かなその音は、黒名の涙が床に落ちる音に呑まれて消えた。
__どれくらい経っただろうか。黒名が散々涙に暮れて、涙の水溜まりと吐瀉物の水溜まりが触れ合った頃だった。
がたんと、部屋の外で物音がした。黒名は瞠目して入口の方を見る。
帰ってきた。大丈夫だったんだ。
逸る黒名を焦らすかのように、部屋の扉はゆっくりと開く。
扉の向こうには、複数の異星人の姿があった。
その中に、"彼"の姿はなかった。
end.
おまけエピローグ
⚠️宇宙船内の楽園の設定と、雪宮ママの設定を借りました⚠️
爽やかな風が吹き抜ける楽園で、黒名はふと背中に違和感を感じてきょろきょろと周りを見渡した。
「……蘭世?どうかした?」
低く艶のある声に、黒名はふいと我に返る。見上げると、丸眼鏡の奥で心配そうに揺らぐ橙の瞳がこちらを覗いている。
「なんでもない、なんでもない。」
黒名は首を振って、花摘みを再開する。「何の話をしてた?」
「えっとね、蘭世が生まれた時の話だよ」
雪宮は、本当に幸せそうな笑顔を浮かべた。「嬉しかったなーって、思って。」
「……そうか」
「うん。」
__連れていかれなくて、本当に良かったよ。
雪宮の言葉に、黒名は目を見張った。
じりりと頭の奥が焼け縮れるような小さい痛みを覚える。
「…………そう、か」
黒名の反応に、雪宮は不安そうに眉根を下げた。
「蘭世、調子悪い?さっきから、ぼーっとしてるみたいだけど……」
「…や、なんでもない、大丈夫」
本当に、心配ない。元気、元気。黒名がはっきりとそう答えると、雪宮はやんわりと口元を緩めながら、
「……体調悪かったら、すぐに言ってね」
そう言って、こちらに手を伸ばした。
白い柔らかな手が、黒名の頭をそっと撫でる。どこか懐かしい感じに、黒名は目を伏せて、応えた。
「あぁ、もちろん。」
向こうの花を摘みに行くと言って、黒名は少し雪宮から離れた。ふっと自分の背中の方へ目を向ける。さっき、視線を感じた方向に。
そこには何もいなかった。ただ、ホログラムで延々続くように見える、花いっぱいの公園の風景が広がっているだけだった。
補足
旦那は黒名に対して家畜・苗床それからペットよりも上級の好意的な感情を抱いていました。発端はフェチによるものですが、一度殴られてから大人しくなったのも大きいと思います。そのため黒名は大部屋の人に比べてずっとマシな扱いを受けていました。
しかし、出来損ないの出産によって黒名を囲っていた旦那は責任を負って殺されてしまいました。黒名も"赤子のひとつもまともに産めない"レッテルを貼られ、大部屋に引き戻され、周り以下、モノ同様の扱いを受けるようになります。
そんな時、雪宮が十数回目の出産から帰ってきます。せっかく産んだ子供をまた奪われ、精神が疲弊している最中でした。そんな雪宮は部屋の隅で小さく丸まる黒名の姿を、自分の子供のように錯覚します。
雪宮はもう何匹も子供を産んでる立派な苗床だったので、精神の安定剤として黒名を傍に付けることを特別に許されました。
黒名には雪宮のメンタルケアという仕事が増えましたが、陵辱は全て雪宮が守ってくれるようになり、徐々に心の傷も薄れていきます。