おそらくは夢を

おそらくは夢を


※ifDR本編風SSの続きです。後半オリキャラががっつりでるので苦手な方はスルー推奨です。






 ああ、あれはもう駄目だな。

 鬼の子が臓腑を抉られた時、思ったことはただそれだけだった。



 真面目が祟り苛烈さを極めた友人がいる。彼に言わせれば、鬼の子は人間と並んで生きることなどできないらしい。

 生きることが罪。存在が恐怖。鬼の血を引く者は一生涯を追われる運命にある。だからこそ強く在り、支配する側にいるべきなのだそうだ。


「鬼ってのは要は世を脅かす大悪党のことだろ。鬼と人間が並べねェんじゃなく、人間にとって並んで生きることが困難だと判断した奴を鬼と呼んでるってのが正しい」

「哲学の話をしてるんじゃねェんだよ」

「いや、これは倫理の話だぞ。単純に考えて、全ての人間が強く賢くなりゃ鬼なんて生まれねェことになる。個々人の脆弱を集団で補う形でもいいだろうしな」

「絵空事だ。芯から弱ェ奴は在り方なんざ考える力もねェ。鬼だけに飽き足らず、鬼の子も恨んで祟るが弱者の法じゃねェか」

「今は、な」


 鼻で笑う友から視線を逸らし、この語らいの意義を考える。

 友は類稀な豪傑でありながら繊細な男だ。自らの子を暴力と拘束によって支配しようとしているが、その実、それは彼自身が学んできた経験則からくる愛情の表れでもある。

 勿論、愛情だからといって良き物とは限らない。また、事情は他にもあるようで、子の話題となると複雑そうな様子で酒を呷っていた。

 それでも、友は人の親だ。腹も立てるが案じもする。まるきり尊厳を無視するようでいて、子がその意志を通す時を待ち構えているようにも見えた。


「おれは鬼の子ってのに会ったことがある。親を心配するただのガキだった」


 鬼など所詮は人間でしかない。

 ましてや、その子など只人以外の何者でもなかろうに。


 生ける鬼と潜むバケモノ。視線だけを投げかけ先を促す彼との付き合いも随分と長くなった。

 予測ではあと数年。とある約束の上でもあと四年程。終わりを迎えるであろうこの関係は己の計画の歯車、その一つである。

 死者は敗者。無論、憐れみはしても弔い合戦などあり得ない。ただ、ここ数年抑止力となっていた己が消える。それだけで十分な結果が得られるだろう。

 悪いとは思わなかった。彼にとっては死ぬまでの暇潰し、己にとっては死んでからの隙潰し。彼とて察している。海賊らしく利用しあう関係なのだ。


「近々世が動く。今は細波程度でも、いずれは全てを巻き込む嵐になるだろう」

「またぞろ陰謀か? お前程の男がこそこそと面白くもねェことを」

「今回おれは噛んでねェ。おれが言いたいのは、あんた好みの時が来るってことだ」


 睥睨する瞳の奥、揺れる感情が波紋を呼ぶ。刹那の期待、そしてそれを打ち消す諦念。腹の傷に力が入るのを見て、友の語らぬ過去を思った。

 なんとも不自由な男だ。

 そう思いながら、手にした猪口を弄ぶ。呑めないと知りながらも律儀に注がれる一杯。澄んだ酒の底で蛇目が揺れていた。

 酒の質をはかるための蛇の目。

 しかし、上等な酒と違いこの世に見通せる未来などなく、何より、質良く澄んだ世界などあり得ない。

 血と煙に汚れた眼を擦り彷徨う友。彼のこれまでに捧ぐよう、猪口を掲げた。


「いずれ来る、あんたの死に時に」


 友は徳利を掲げ動作だけで乾杯の礼を返した後、自身の指先より尚頼りない猪口を奪って空ける。さらに自身の徳利を呷り、喉を鳴らした。

 重い音を立て、空となった徳利が床に叩きつけられる。


「いつかどこかの話なんざどうでもいい。海賊なら、まずは目の前にある馳走を平らげるのが筋ってもんだ」


 ゆらり立つ、その身の丈は見上げる程。

 遠雷の声が臓腑を震わせる。


「待たせたな、ジョーカー」


 口の端を持ち上げ応えれば、返ってくるのは獰猛な笑み。迸る覇気に心地良さを感じ、思わず眼を細めた。


 近々、七武海総員にかけられるであろう招集。己の目的を曲げてまで鬼の子の処刑を妨げる気は毛頭ない。何せ、自身の身分は政府の賢い飼い犬。役割の利を得ないうちから首輪を捨てるつもりなどないのだ。

 だが、少しばかりうんざりはしていた。


 思い返すのは遠き日に見た処刑台。笑いながら逝く男。彼の遺したモノに興味はない。気になるのは、遺された者が最期を迎える時、何を遺して逝くのかということ。

 死せる鬼にその子ども。友人も興味を持つかも知れない。


 死合いの後、互いに死に損ねていれば話してやるか。


 そう思い、黒衣の男は立ち上がった。





 ある者は信念を、ある者は忠誠を、ある者は願いを。

 それぞれに思いを掲げ、ドレスローザ各地で繰り広げられてきた戦いにも終わりの兆しが見え始めた。


 痛烈なビンタと少年少女の叱咤激励により心身共に我を取り戻したベビー5は、己の頬を張った男を改めて見上げる。

 背後を見れば、頭のへし折れた八宝水軍の首領がやたらに朗らかな笑顔を浮かべていた。

 何が何やら分からないが、デリンジャーの言葉に意識を取られている内に戦局が動いたらしい。


「そんな顔も出来るんじゃねェか」

「え、どんな顔なのかしら。あなたの好きな顔だといいのだけど」

「そういう意味じゃねェやい。でもまァ、さっきのツラに比べりゃ断然良い」


 頬を染める彼女を見つめ、サイが口を開いたその時、ラオG渾身の雄叫びが轟く。


「わしは認めん、認めんぞ! ベビー5はファミリーの子、余所者の若猿なんぞにくれてやるものかァ!」

「おれから妻にとは一言も言ってねェよ。こいつが」

「やはりィ! 貴様もそうか! ベビー5を誑かしおって……必要とされるだけで命をも捨てる、これほど便利な女は他にいまいからな!」


 便利。そう言われて唇を噛んだ。

 必要とされたから命を捨てようとした、それは間違いない。

 しかし、その前に、主の役に立てず捨てられたという思いがあった。

 デリンジャーと共に学んだ命の使い方を己はまだ上手く理解できずにいる。それでも、先程の自分は間違っていると分かっていた。分かっているからこそ痛みは増す。

 いっそ、便利な女になれれば良かった。望み傷付く心などない方が、きっと。

 だが、主が求めたのはただ平伏して仕える道具ではなく、自ら考え生きる人間。


 苦しい。

 どちらにもなれない自分が。

 悔しい。

 捨てられたからと諦めた自分が。


 潤んだ視界の端、不快げに眉を上げたサイと慌てふためくラオGが映る。


「泣いてくれるな、ベビー5。お前の好いた男を疑って悪いとは思っている。しかし、これまで百発百中でクズ男を拾ってきたお前を信じることGA出来んのじゃあ……の『G』ィ……」

「謝るべき点はそこじゃねェだろう。ほら、お前も泣いてねェで……百発百中⁉︎」

「どうせ貴様もこの娘を便利に使うクズなのじゃろう⁉︎ 許せん! ファミリーの子は若の子同然! 即ち我らの宝!」

「なんだそういう意味か、良……じゃないやい! 待て、勝手に話を進めるな! 何も奪おうって話はしてねェって」

「たとえ若GAわしらを切り捨てようと! 横から奪うことなどまかりならん、の『G』‼︎」


 筋肉を極大に膨らませ、サイに突進を仕掛けるラオG。翁の蹴り付けた大地が割れ、ベビー5が膝をつく。それを見たサイの額に青筋が浮いた。


「宝なら! 傷付けるんじゃねェ‼︎」


 薙刀を軸にサイが跳躍。天光を背に四肢が回転し、黒く染まった武脚が空を割るが如く降り下ろされる。


「“錐龍錐釘”‼︎」


 奥義が炸裂。必滅の踵を脳天に喰らったラオGが地を陥没させて沈み、それでも殺しきれない衝撃が大地を裂いた。


「────若、ベビー5……すまぬ」


 無念の情を吐き大地の裂け目へと落ちて行くラオGに慌てて手を伸ばす。しかし、指先すらも届かない。青褪めるベビー5の目の前でサイが裂け目へと身を投じる。

 暫くしてよじ登ってきた彼は、小脇に翁を抱えていた。


「全く、世話の焼ける」

「ラオG!」


 駆け寄れば、ラオGは皺の寄った顔をさらに歪める。気を失ってはいるが命に別状はない様子だ。

 手を握った。硬い拳は温かく、過去惑う度に引き戻してくれた感触を思い出す。


「ありがとう」

「あァ?」

「ラオGを助けてくれてありがとう」

「よせやい。敵に礼なんざ」


 軽く手を振って応じたサイ。彼は一つ息を吐くとベビー5へと向き直った。


「さて、女。おれが勝ったからには宝はいただいていく」

「宝……?」

「お前のことだ。お前を妻に貰う」


 男の目がベビー5を真っ直ぐに見つめる。言われている意味が一欠片も頭に入ってこない

 妻?

 宝?

 役立たずの自分が?

 そんなはずがないと否定する一方で頬が赤く染まっていく。


「だが、事は婚姻。一生もんの契りだ。イエがごたついてる時に掻っ攫ったんじゃあケチが付く」


 サイはそう言って、後ろに控えどしりと構える先代棟梁を指し示した。


「おれはおれの家族に意思を示した。今度はお前の番だ」

「どういうこと?」

「『若様』ってのがお前の親代わりなんだろう」

「────え⁉︎ わわわ私と若様が親子⁉︎  そんな畏れ多い!」


 慌てふためきながらも、王宮のある上段へと視線を向ける。

 未だ続く戦闘。嵐の中心にあるはずのそこは不自然な沈黙を保っていた。また、先程全島に響き渡ったデリンジャーの言葉からして主は今自由に身動きが取れない状態なのかもしれない。


 主は助けを求めるような人ではない。

 だが、いいのだろうか。

 求められずとも、彼の為に走っても。

 そう願う自分の為に、走っても。


 ひりりと痛む頬へと指を伸ばす。


 何かに惑う時、ベビー5は決まって頬に手を当てた。そこに触れれば、母と主が思い出されるからだ。

 冷たい手の温もりと優しい嘘。これまではその記憶さえあれば生きていられた。

 今、指に感じるのは導きに重なり宿る新たな熱。


「どうもお前ら家族は、話を聞かねェ上にすれ違ってるように思えてならねェ。しっかり腰据えて親子喧嘩してこいやい。結婚はそれからだ」


 ベビー5の変化に気付いたのだろう。サイが笑みを浮かべ、腕を組んだ。


「まァ、今から行ってもらっちゃ“麦わら”達の邪魔になる。しばらくはおれのそばにいろやい」

「あなたのそばにいていいの? うれし……いえ、でも、私は若様に会いに行かなくちゃ」

「カッカッカ! なら、止めさせてもらう。嫁候補だからって容赦はしねェぞ」

「嫁候補! う、だめよ、いけないわ、私にはすべきことが」


 求められる喜びという生存本能、自ら動こうという新たな思い。板挟みになって身悶えるベビー5の側で朦朧としたままのラオGが唸った。


「うう、どこの馬の骨とも知れん若猿GA、嫁にはやらんぞ……の『G』ィ……」

「ふん。馬だか猿だか知らねェが、好きに呼ばれるのもすわりが悪ィ。おれは“八宝水軍”第十三代棟梁、サイ」


 “八衝拳”奥義の伝承を以て名実共に棟梁となった男、サイ。

 漲る力を示すがごとく手にした薙刀の石突で地を穿ち、男は立つ。


「『首領』と呼べやい」


 見栄を切って見せた彼に熱視線を送るベビー5と魘されるラオG。そばでは好々爺然とした笑みを浮かべたチンジャオが何度も頷いていた。


 刹那。

 そこはかとなくうまくまとまったかのような空気が漂うそこを、一迅の風が駆け抜ける。

 風の向かうは王宮。主の座す場所。


「────ミンク族?」

「まっ、待て! ここは通さねェぞ!」


 叫ぶサイに構わず突っ走るミンク族の海兵は、さらに上段へと駆け上り混沌を生み出した。


「ぬああ⁉︎ どこの誰だべ危ないべ! “バーリア”‼︎」

「爆風を背に戦場を駆けるとかちょっと格好良いじゃないか! おのれ海兵、ぼくより目立つなァ!」

「お前は確か若の、何故ここに!」


 口々に叫ぶ猛者共の声が爆発音によって掻き消える。爆風から庇うように皆の前に出た未来の夫の背にときめきを覚えつつ、ベビー5は上段を見上げた。

 最後の声には聞き覚えがある、というより間違いなくグラディウスだ。爆発の規模から言って中々の大技を仕込んでいたのだろうに、駆け抜ける海兵によって全てを無に帰されたらしい。


 何にせよ、戦況は佳境。歓声や悲鳴の渦がドレスローザ全土で巻き起こり、駆け巡る情報など我関せずと人は征く。


「海賊がなんぼのもんじゃあ! 海は船乗り、こちとら生まれてこの方波に揉まれとるんじゃ! トラ坊には負けてられん!」

「先生の言った通りだ……声が聞こえる、聞こえるぞ! 待ってろ、今助ける!」

「あらやだ、ロー先生に教わった護身術すごいわ。本当に動きがゆっくり『見える』じゃない」

「子ども達に手を出してごらんなさい。悔い改めるまでおしりぺんぺんですよ!」


 少年少女の声が呼び覚ましたドレスローザの風。近年みられない規模で海賊同士の衝突があったにも関わらず、一人として死者はいない。怯えるどころか、むしろ士気は鰻登りの国民達である。

 自ら突き進んで海賊を捕らえるわけではない。隙あらば貶めようとしてくる賞金稼ぎを懲らしめるでもない。

 ただ、自らとその友を守るためだけに奮われる拳にもはや迷いはなく、相手方が怖気付くものだから、結果的に防衛の戦線が迫り上がっていた。


 歓声のうねりは広がり、そして、悲鳴を塗り替えていく。




 四皇の手が去った港町。歓声と声援に湧く他の土地とは違い、そこは緊迫した空気に包まれていた。


 風が吹き、男二人の頬を撫でる。


 一拍おいて撃ち抜かれる鉄の拳。豪腕の一撃をよろけながらも受けきり、伊達男が地へ潜った。

 一瞬の静寂の後、鉄人の足下より飛び出した男は巨躯を担いで立ち上がる。自身と鉄人双方に回転をかけ地へと倒れ込めば、上がる地響きと土煙。

 背から投げ出された鉄人が軋みを上げ、眼光を光らせながら起き上がる。


 数多の技を互いにぶつけ合い、避けることなく全段受け止め続けた二人。服も身体も襤褸同然と化し既に満身創痍ながら、揺るぎなく彼らは立つ。

 男二人の周囲では国民はおろか、拘束を受けた海賊らまでが涙を流して戦いの行く末を見守っていた。


「このままじゃ埒があかねェなァ」

「違いない。次で決めよう」

「互いの技を受け切る。最後に立ってた方が勝ちだ」


 身体に付いた埃を払い、背筋を伸ばす。逆光を背に輝く鋼鉄の身体と、影にて艶めく洒落たスーツ。不敵に笑む無頼にあてられ、観客らがふらふらとへたり込んだ。


 先攻はセニョール・ピンク。


 伊達男が飛沫をあげて大地を泳ぐ。魚雷もかくやの勢いに誰もが息を呑む中、対する鉄人は腕を広げ、友を迎え入れるかのように口の端を上げた。


 鉄人の胴に飛び込んだセニョールは鋼鉄の偉丈夫を抱え込んだまま塔を泳ぎ登る。高く、高く、何処までも高く。早く、早く、決して見失わないように。


 体勢を組み替え、鉄人の背を抱えた。

 始まった自由落下、迫る大地を前に胸の内で思いは巡る。

 愛する妻子、出会いと別れ、続く縁。失われたもの、遺されたもの、変わらないもの、変えるべきもの。

 立場も役割も、身一つで抱えられるものなどそう多くはない。選べなかった道を切り捨て振り払いながら、男は進む。

 されど、愛は。愛だけは、全て抱えて泳ぎ切るのだ。

 そうでなければ彼に合わせる顔がない。

 この思い、この願い。決して嘘にはしないと、愛しき人々に誓う。


「“ニャンニャンスープレックス”」


 雨を引き連れ吹き荒れる嵐。瓦礫と嘆きを残し、虚空へ消える天の猛威。

 しかし、ひとたび空を見上げれば、生ける者は知るだろう。

 嵐とは青空を呼ぶもの

 晴天を遺し、去るものなのだと。


 だが、土砂降りの雨の中でも人は生きていける。愛しき者と出会い、時に泣き別れながら、雨と共に歩んでいける。


 晴れ間など来なくていい。

 だから、嵐になどならなくていい。


「────“ストームバスター”‼︎」


 大地を揺らがす一撃が決まった。

 轟音と共に石畳を突き破り、土を抉り、なおも止まらぬ破壊の嵐が鉄人を襲う。


 おさまらぬ土煙の帷。その内側より水音が響き、伊達男が姿を現した。

 丹念に整えられていた髪は崩れ、スーツもタイも捻れ曲がり、それでもなお立つ背に芯がある。

 彼は唇を引き結び、緊張の面持ちで土煙の奥を睨み付けた。


 セニョール、ドレスローザの民、トンタッタ族、海兵、海賊、賞金稼ぎ。立場も目的も違う人々が固唾をのんで見守る中、突如、赤い光が灯る。

 ぎりりと鳴るは鋼鉄か、魂か。

 薄れゆく土煙の中、立ち上がる影。


「約束通り、次はおれの番だな」


 不敵に笑む男が拳を構えた。

 セニョールは肩を竦める。そして、誓いを深めるようにカフスボタンに口付けと愛を贈り、腕を組み顔を上げた。

 砂塵を突き抜け向い来る鉄の男、その拳を受け止めるために。


「“フランキーアイアンBOXING”‼︎」


 降り注ぐ礫の拳。

 一撃一撃が必殺の雨霰、並大抵の男であれば初撃で吹き飛ぶであろうその拳を余すことなく全身で受け止める。

 痛みが熱を呼び、熱が記憶を呼び覚まし、記憶が信念を強固にした。

 しかし、肉体は既に限界を迎え、流れ落ちる血で視界が歪む。

 走っても走っても追いつけない背中がまた遠ざかる。掴めない手が空を彷徨う。


 一際強く、引き絞られた拳が頬を撃った。


 傾ぐ身体。足の裏が地を離れる。

 身体はぴくりとも動かない。

 気付けば、空を見上げていた。


 荒い息を抑えることもせず、鋼鉄の男が太陽を背に立っている。


 今日も空は青く、遠いまま。

 本当に止めたいものは遥か遠くに走り去り、目の前の青き息吹一つ押し留めることすらできない。


「……参ったよ」


 ここに勝敗は決した。

 誓いは破れ、嵐は去る。

 サングラスの吹き飛んだ視界、滲む青。


 フランキーが問う。


「なァ、あんた。どうしておれを止めたんだ?」

「……うちのボスは悪党だ。生きてるだけで世界を壊しに行っちまうような、どうしようもねェ悪党なんだ。だがな、それでもおれは、おれァよ」


 どんな背景があろうと、どこかで人を救うことがあろうとも、トラファルガー・ローが成すは世界を切り崩す大悪事。

 彼が死んで喜ぶ者は山といるのだろう。

 だが、己は。己にとっては。


「あいつに生きててほしくてよぉ……」


 主は自らの曖昧な願いのままに死んでしまう。それがひどく悲しかった。

 こうなると分かっていて、だからこそ、彼は早く離れろと言い続けたのだろう。

 だが、分かっていても離れがたかった。離れたくなかった。失いたくない。

 ルシアンもギムレットも、ローも、己にとっては皆、家族だった。

 己が腕に抱えるべきものなのだ。


 だが腕は上がらず、溢れる涙を拭くことすらできない。何とも情けない話だ。


 恥も外聞もなく咽ぶセニョールのその隣、鉄人は静かに腰を下ろした。まるで友に語らうような軽い口調で彼は言う。


「生きてるだけとあんたは言うが、ただそこに存在するだけで悪党になれるわけがねェ。嵐や雷じゃねェんだ。あんたの大事なボスにゃここがあんだろ、違うか?」


 彼はそう嘯いて振り返り、自らの胸をこつこつと叩いてみせた。

 継ぎ接ぎ歩んできたその身体の奥、揺れては傷付き折れながらも再起するもの。

 主が雪の中に置き去りにしたもの。


「確かにアニキってのはカッコつけてなんぼだ。だがよ、時にゃ情けねェ背中を晒して胸の開き方を教えてやるのもおれ達の仕事じゃねェのか」


 トラファルガー・ローは強大な悪である。技術も能力も遥か高みにあり、もう教えることなど何もないと思っていた。

 虚飾と礼節。強かに生きる方法。生き抜くための偽りと、嘘から自らを守る方法。

 だが、どうだろう。


 弱音の吐き方を、教えただろうか。


 涙を垂れ流し空を見つめるセニョールの耳に小さな呟きが届く。


「みっともねェくらいの泣きっ面に引き留められることだって、あるんだしよ」


 そう言って、フランキーはどこか遠くを眺め、耳を澄ませるように目を細めた。

 視線が向かうは西。

 天災と共に生き、決して沈まぬ水の都。

 聞こえくる忘れじの槌の音。


「さて、あんたはどうしたい────なんてのは野暮だよな」


 そんなことは決まっている。


 動かぬ身体を震わせ、何とかうつ伏せに移行。肘と膝を踏ん張り胴を持ち上げるが、ここからが難しい。

 呻きを上げるセニョールの腕をとり、フランキーが笑う。


「肩貸すぜ、兄弟」


 感涙に咽び見送る人々を背に、二人の男は歩き出した。

 向かうは王宮。

 それぞれの信念を胸に、歩みは続く。




 ああ、成程。シュガーの能力か。


 トンタッタ族の二人を送り出し、王座の男はため息を吐いた。

 遠のいていた寒気が戻り、薄紅の毛皮を引き寄せる。手触りが良いため無意識に触ったもののドフラミンゴの外套だと気付いて目を伏せた。

 宝箱の中、妹の服に包まれていた少年。元天竜人が随分と優しくなったものだ。


 追憶に溺れるように目を閉じる。


 妹がバケモノを殺し損ねた日。

 彼女の言葉に夢の終わりを悟った。


 火の海に消えた命。死んだはずの妹が生きていると知った時は、夢でも見ているのかと思ったものだ。

 生きていた。

 生きていてくれた。

 隣にいる。何らかの思惑があろうとそばにいてくれる。強く、美しく成長してくれた。その姿を見ることが出来た。

 それがどれほどの奇跡なのか、他の誰にも理解できないだろう。


 きっと、ただ単純に幸せだった。

 許されないことだと気付きながら夢の続きを願ってしまうほどに。


 だが、妹は違ったのだ。彼女にとって、悪党となった兄のそばに居る日々は恐怖と苦痛の連続だったのだろう。


『全部、夢だったら良かったのにね』


 彼女がそう言った時。

 改めて理解した。

 夢のような奇跡の日々。

 しかし、それは妹にとってただの悪夢でしかない。それを我欲のままに引き留めて、夢なら良かったと望むほどに苦しませてしまったのだ。


 分かっていた。知っていたはずなのに。何度も思い知ったはずだというのに。


 それでも。


 トラファルガー・ローは、おそらく、この瞬間ひどく傷付いてしまった。

 そして、やっと。

 やっと、諦めることができた。


 幸い、夢の終わりは決めていた。いつでも終えられるように整えていたのだ。

 もう少しだけ夢をみていたかった。

 ただ、それだけだったから。


 夢は覚めるものだ。

 だからこれで良いと思ったのに、死は訪れず子守唄に溶けてしまった。

 そして、彼女は去り、雪が────


 知らず外套をかき抱き、ふと気付く。


 思えば、いつも彼がいた。

 ドンキホーテ・ドフラミンゴ。

 妹の遺志を継ぐ者。


 あの夜、バケモノを殺し損ねたナイフは彼に受け継がれているだろうか。

 そうであればいいのだが。


 しばらく夢想に耽り気怠さに身を任せていると、足音が聞こえた。それは驚くべき速さで謁見室の前を横切って何処ぞへと遠ざかり、再び駆け戻ってくる。

 目を開ければ、息を切らせた海兵が立っていた。


「待ってろ、今助ける」

「少将殿、コートはどうした」

「嫌味か。私がここにいる意味、分からないはずがないだろうに」


 普段は眼鏡に隠れた鋭い眼光が混乱と焦燥に揺れており、思わずため息をつく。


「せっかくエリート街道に乗せてやったのに、泥舟に乗るとは」

「お前の息がかかっている時点で行く先々は蟻地獄も同然の道だ。泥舟と何も変わらん。それに」

「それに?」

「どうせ沈むなら信ずる者と沈みたい」


そう言って、彼は鍵を取り出した。


「よく見つけたな」

「お前には言っていなかったか。私には特技があるんだ。見聞色の応用なんだが、そうと決めれば目的までの道が見える」


 特殊な未来視だろうか。種族由来の発達した五感との合わせ技かもしれない。

 少将が錠を開ける。軽い金属音と共に枷が外れた。


「十年だ。十年、欺かれていた者の気持ちが分かるか? お前は海賊であっても腐ってはいない、志の高い人間だと信じ続けた者の気持ちが」

「悪ィが分からねェ」

「なら教えてやる」


 襟首を掴まれ持ち上げられる。間髪入れずに頬を抉る拳。抗わず受け入れれば、少将が顔を歪めた。


「────十年。十年、ずっと考えていた。正義とは何なのか。救う救わないを選別する他ないとして、その天秤は本当に正しいのか」


 言葉と共に玉座に降ろされる。

 少将は静かな声で続けた。


「覚えているか? 二年前の戦争、鬼の子と呼ばれた青年が死んだ時のことを」


 言われて記憶を探る。

 特段、変わったことがあったわけでもなければ、さして感慨もない。ただ七武海として武力を奮い、もののついでで怪我人を治療した。いつも通り政府の犬ごっこを全うした、それだけだ。

 少将は力なく笑った。


「知らないだろう。あの時、自分がどんな顔をしていたのかなど」


 あの時の顔などと言われても。

 さらに記憶を辿れど表情の制御が緩む理由などない。強いて言えばヴェルゴの策に驚かされた、その程度のものだ。


 赤犬の挑発に振り向く鬼の子。言い争う二人の傍、乱入者が膝をついた。海侠の助け虚しく燃える拳が乱入者に向けられる。

 そして、鬼の子が乱入者を。

 弟を庇い。

 ああ、あれはもう駄目だな。

 そう思って。


 次の瞬間、ヴェルゴの放った吹き矢による爆撃が足下に直撃。

 視界と進路を遮られ、巻き添えを喰らった海兵らを引き摺り後退している間に鬼の子は死んでいた。


 頂上戦争においては名実ともに同陣営であったはずのヴェルゴ。それまで清廉潔白で売っていた彼が、よりにもよってあの戦争の場で己を攻撃したのだ。

 『戦争の隙をついて味方諸共七武海を殺そうとした』などと悪評を立てられながらも、『海賊トラファルガー・ロー』との対立を公々然たる構造へと昇華する。その思い切った策に感心したものである。


 何度思い返しても変わらない。やはり、特別なことなど何もなかった。

 そもそも自分の顔など見えるわけでもなし、分かるはずがないではないか。


 不審に思い、少将を見上げた。

 正義の海兵は泣きそうな顔で一音一音を噛み締めるように言う。


「私はあの時、本当の善を知った」


 首を傾げた。

 あの場に善悪などなかった。ただ、秩序と混沌があっただけだ。

 何を見たのかと問う間もなく、少将が続ける。


「本当の善や正義とは形振り構わぬものなのだろう。誰かを救いたいなどという我欲を遥かに越え、我知らず走り出してしまうような愚かさをいうのだ」

「ただの考えなしじゃねェか」

「そうだ。だから愚かだと言った」


 開き直ったのか、少将は普段通りの生真面目な顔で頷き、手を差し伸べた。


「お前たちの前には愚か者が現れなかった。私はそれが悔しくてならない」


 何故か、タラップの上、ドレスローザへと手を引いた嫋やかな指を思い出す。

 手を取れないでいると強引に腕を引かれた。仕方なく立ち上がり、ため息をつく。


「あと少し夢の中にいても良かったんだがな」

「私だって、もう少し騙されていても良かった。お前にも、この世界にも」


 投げかけられる皮肉に俯いた。

 ああ、だが、確かに。


「おれもずっと騙されていたかった」


 幸福に満ちた故郷。

 ただ盲目に、ヒーローに憧れた幼年期。

 偽りの再会。

 互いを助け合うという幻想。


 夢は終わる。

 いつも己だけをのこして。


 感傷を振り払うように、手足を振り全身の感覚を確かめた。能力、覇気共に問題はなし。強制的に睡眠と休息を取らされたおかげで、むしろ調子が良いとさえ言える。


「────“ROOM”」


 こちらに駆けてくる若者二人。

 どうやらまだ少し距離がある。

 気になるのは地下。師匠ともあろう者が何をしているのか。


「行ってくる」

「ああ、また後でな」

「後なんかねェ。さっさと身の振り方考えた方が賢明だぞ」

「なに、心配無用だ。私は目的までの道を間違えない」


 何故かすっきりした様子の少将はそう言って颯爽と走り出した。言葉通り、迷いなき足取りだ。


 左手を振るう。


 変わる視界。立ち込める血の匂いにどこか安堵する己を感じ、黒衣の男は人知れず笑った。






(蛇足)

 原作のサイは文句なしに格好良いのでもう太刀打ちができません。何とか嫁入り直行だけ回避しました。


 ifDRのifロー戦がプロレス路線かもという概念もあり、プロレス技主体のセニョールのポジションを上げたわけですが、フランキー側というか、アイスバーグさんも親のような師匠を政府のあれこれで喪い、かつ死んだと思ってた弟分が生きて目の前に現れ、スパイに出し抜かれつつも政府の目を欺いてやり通してる人なんだよな……とセニョール戦を組み立てています。

 この√だとギムレットはすくすく成長してるため、技名も改変。


 ちなみに、枷の鍵は二本あり、一本はifローの部屋にありました。隠したのはトレーボルで、ifローはどこにあったかすら把握していません。

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