うたかた

うたかた


 未熟な愛は言う、「愛してるよ、君が必要だから」と。

 成熟した愛は言う、「君が必要だよ、愛してるから」と。(エーリッヒ・フロム)


〜〜〜


 二月二日。妹のゆみがニタニタ笑いを顔に貼り付けて僕に訊いてきた。


「お兄ちゃんに問題! 今日は何の日でしょう!」

「えっと…」


 ゆみは何かを隠すように両手を後ろに回しているけれど、真正面に座っている僕の位置からでも、その手に袋入りの炒り豆と鬼のお面が見え隠れしていた。


「えっとぉ……」


 僕はもう一度、カレンダーを確認した。うん、今日は二月二日だ。


「お兄ちゃん、わかんないんだ〜。春から中学生なのに〜」


 ゆみはにやにやと笑いながら煽ってくる。ちょっと前までお兄ちゃん大好き〜とか甘えてきたのに最近はすっかり生意気盛りだ。

 まぁ可愛いけどね。

 なので僕は可愛い妹のためにその勘違いは指摘しないことにした。


「わかった。節分だね」

「違いまーす。それは明日だよ?」


 じゃあその手に持ってるのは何なんだ?


「あ、これ? 今日図工の授業で作ったの。上手でしょ。お兄ちゃんにあげる」

「ありがとう」

「明日これ付けてね」

「僕に鬼役やらせるつもりで作ったの?」

「うん!」


 お面を付けて見せたら「きゃーイケメーン💕」って褒めてくれた。素顔が隠れてますがな。


「で、正解は何なの?」

「ふぇ?」


 ゆみは炒り豆をボリボリ食べながら小首を傾げた。その豆はただのオヤツなのね。


「あ、そうだった。あのね、今日は【夫婦の日】なんだよ!」

「へー」

「うん」

「………」

「………」


 そのまま何故か沈黙が降りた。

 でも別に話題が尽きた訳じゃない。僕はゆみがボリボリと豆を食べ終えるのを大人しく待った。ボリボリ。


「お兄ちゃんにもお豆さんあげる」

「ありがと」


 二人揃ってボリボリ。


「つまり夫婦の日なんだよ、お兄ちゃん!」

「うん。で?」

「パパとママたちのお祝いしようよ」

「話が急だなぁ」


 僕は苦笑いした。ゆみがお祝いしようよって言ったら、それはケーキ食べたいって意味と同義だと僕は知っていた。

 つまり妹はなんでも良いから記念日にかこつけて、僕にケーキを作らせたがってるんだ。


「わかったよ。じゃあ作ろうか」

「わーい、お兄ちゃん大好き💕」


 時計に目を向けて、父さんたちが家に戻ってくる時間を確認する。

 今日は金曜で、なご海亭はいつもより閉店時間が一時間遅い夜十時だ。その時間を過ぎてからケーキを食べるのも無理がある。


「父さんたちには明日、食べてもらおうね」

「うん!」


 二人でキッチンに並んで戸棚から材料を取り出す。ホットケーキミックスと卵と砂糖、生クリーム、そして菓彩さん家からもらったフルーツ盛り合わせ。


「あたし混ぜ混ぜ係やる!」

「じゃあ、お願いね」


 卵と砂糖を入れたボウルをゆみがうりゃりゃりゃ〜と気合いを入れてかき混ぜる横で、僕はホットケーキミックスをふるいにかけた。


「ただいま〜」


 縁側からもう一人の妹が帰ってきた。


「おねーちゃん! おかえり〜♪」

「おかえり、ソラミ」

「またケーキ作りですの? 今日は何のお祝いですやら」

「夫婦の日、だってさ」


 僕が答えるとソラミは呆れたように肩をすくめながら自分のエプロンを付けてゆみの横に並んだ。


「クリーム、私が作りましてよ」

「じゃあ頼んだ」


 兄妹三人で手分けしてケーキを作っていく。混ぜ合わせたスポンジ生地を型に入れて焼き上げる間、妹たちがフルーツを刻む。僕はその脇で簡単な夕食作りに取り掛かった。

 今日はシャケでも焼こうかな。ゆみもソラミもシャケ好きだもんな。

 ゆいさんもソラさんもシャケ好きだから、二人とも母親に似たんだろうな。

 そういえば母さんの好物ってなんだろう? 母さんは何でも美味しそうに食べるからなぁ。

 料理する時はこうしていつも家族のことが思い浮かぶ。父さんは言ってた、大切な人の笑顔に答えはある、って。

 スポンジケーキが焼き上がった頃、ちょうど夕食の準備も終わった。ケーキが冷めるまでの間に三人で食卓を囲む。


「「「いただきます」」」


 父さんや母さんたちは店やゲストハウスの仕事で忙しくて、夕食を僕らと一緒に摂ることは滅多にない。

 忙しいなら僕も仕事を手伝おうか、って申し出たことがあるけど、それは父さんに断られた。


「お前まで店に来たら、ゆみとソラミだけの夕飯になっちまうだろ」


 って。

 父さんの代わりに家族を守るのが、僕の仕事って、父さんは言ってくれた。

 父さんを手伝えないのは残念だけど、でもそう言ってくれるのは嬉しい。


「ん〜、デリシャスマイル〜♪」

「ゆみさん、ほっぺに悟飯粒ついてましてよ」


 ゆみのほっぺについたお米をソラミが指で取ってあげた。

 ソラミはそれをティッシュに包もうとしたけれど、


「あー、捨てちゃだめぇ!」


 はむって、ゆみがソラミの指を咥え込んだ。


「ゆみさん!?」

「ママ言ってた! お米一粒も残しちゃダメって!」

「だからって指に食いつかないで欲しいですわ!?」


 賑やかだな。

 食事を終えて、三人で食器を洗って、いよいよケーキのデコレーション。

 スポンジ生地にクリームをたっぷり塗って、刻んだフルーツをこれでもかと並べて、そしてクリーム縛りを使って飾り付け。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、あれ作ろ、お人形!」


 ゆみが冷蔵庫から市販のマジパンペーストを取り出した。


「誰のお人形を作りますの?」

「夫婦の日だから、パパとママたち!」


 以前ケーキを作った時に使った数色のペーストを三人でこねて、粘土細工のように形を整える。

 出来上がったのは雪だるまみたいな四体の小さなお人形。

 ピンクの胴体に茶色の長髪で三角おむすびを抱えたゆいさん。

 青い胴体に青い髪で背中にマントをつけたソラさん。

 そしてピンクの胴体にボブカットの髪型で隣のピンクのウサギと手を繋いでいる、僕の母さん。


「のどかママだけクオリティ高い!」

「我が兄ながらマザコン度が高くてドン引きですわ」


 父さん仕込みの料理の腕が良いだけです。たまには素直に褒めて欲しいな。

 マザコン扱いは片手オチなので父さんのマジパン人形も僕が作ることにした。

 白い胴体に白い髪。背にはマント、目元には黒いマスク、頭には鍔広の帽子。

 僕のヒーロー、香辛料売りさん。

 その間に妹二人も、自分自身を模したマジパン人形を作っていた。

 そうやっていっぱい人形を作ったせいで、もう夜の十時を過ぎていた。

 もうすぐ父さんたちが帰ってくる時間だ。


「パパ、これ見たらびっくりするかな」


 わくわくしながらゆみがケーキの上にマジパン人形を並べていく。

 香辛料売りさんが真ん中。その向かって左側にゆいさん。その隣にゆみ。

 香辛料売りさんの向かって右側にソラさん。その隣にソラミ。

 香辛料売りさんと向かい合うみたいに、母さんとウサギさん。

 家族の人形たちはケーキの上で輪になって手を繋いでいるみたいだった。

 ソラミが笑った。


「これでは夫婦の日ではなく、家族の日ですわ」


 そうだね、と僕は笑って、何故だか急に泣きたくなった。

 視界に映るケーキが滲んで、頬をつたい落ちる涙を拭おうと思って、自分の頬に指で触れようとした。


 だけどその指先は、硬いお面に防がれた。


 ああそうだった。僕、ずっとお面を付けていたんだっけ。


──ただいま。


 と、店から父さんと母さんたちが帰ってきた。


──おっ、今日もまた凄いケーキ作ったな。いったい何の日だ?


──夫婦の日! これパパとママたちだよ!


──拓海の隣りはこれ、あたし? あはは、おっきなおむすび抱えてるね。


──拓海さんの反対に居るマントをつけてるのって私? これソラミが作ってくれたの!?


──ふわぁ、ウサギさん可愛い〜……


 あったかい家族の光景を僕は鬼のお面越しに、遠くから眺めていた。


 そう、遠く、遠くなって行きながら……


 …………


 ………


 ……


 …


 目覚めれば、そこは雪原だった。

 黒く重そうな雪雲が頭上を覆い、広がる雪原の先には高い山が聳え立っている。


「おはよう、雅海」


 木陰の下で幹に寄りかかってうたた寝していた俺のすぐそばで、アースラが呆れた目を向けていた。


「何分寝ていた?」

「五分くらいよ。立ったまま眠れるなんて器用ね」

「俺の特技さ」


 デリアンダーズから追われ逃亡を続けていた幼少期に身についてしまった習性だ。他にも眠ったまま攻撃を避けたり無意識に反撃したりと、トラウマ染みた経験から身についた自慢にもならない特技が数えきれない程ある。


「ヒーリングアニマルたちの準備は?」

「もう間もなく集結するわ。準備が整い次第、総攻撃が始まる」


 その言葉に、雪山へ目を向ける。あの山の中腹に口を開けた巨大な洞穴。その奥深くにデリアンダーズの本拠地があった。

 今、ヒーリングガーデンは総力を結集してそこを攻撃するべく準備を進めていた。

 しかしデリアンダーズもその攻撃を予期し、既に多くのメガデリビョーゲンを集め防御を固めている。

 ヒーリングアニマルの大軍をもってしても、正面突破は恐らく不可能。

 だからこそ、俺たちがここに居る。


「アースラ。最後にもう一度、作戦の確認だ。戦闘が始まったら、俺たちは戦場を大きく迂回して洞窟に接近する」

「そしてあんたが洞窟内に侵入したら、私がその周りを破壊して入り口を塞ぐ……」

「後は俺がヤツを始末する。外に締め出した敵は任せるよ。ヒーリングガーデンと協力して駆逐してくれ」

「私も一緒に行く」

「洞窟内部はアンダーグエナジーで満ちている。俺以外に耐えられる者は居ない」

「一緒に行くって、あんたが言い出したことでしょ!? 修羅地獄の果てだって、二人は一緒だって!」


 それは、俺が家族から記憶を奪って、代わりに父さんを甦らせたあの日の前日に、二人で交わした約束。

 でも俺は、いつだって約束を守れた試しがない。


「アースラ……ゆみたちのことを頼む」

「バカ……ッ!」


 遠く、獣たちの遠吠えが上がった。峰々に谺する咆哮が、雪原を震わせる。

 それに抗うように怪物たちの大群も唸り声を上げた。

 聖なる獣と、邪悪な怪物。光と闇の軍勢が激突する。


「始まった…」


 俺はデリシャストーンを構え、ブラックペッパーへの変身を開始する。

 光に包まれながら、ふと夢のことを思い出した。

 あれは記憶にない過去。望んでいた未来。そして──


 ──叶えた現実。


 だけど、そこにもう俺の居場所は無い。

 無くていい。


(父さん……みんなのことを頼みます!)


 父の血で赤と黒に染め上げられた銃士服を身に纏い、俺はキュアアスラと共に戦場へと駆け出した──

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