いつか夢見た月の夢

いつか夢見た月の夢


ぎこちない様子で里の民に手を振る青年はお世辞にも火影服が似合うとは言えなかった。さながらお遊戯会の主役のようであり、服に着られているという言葉がふさわしい。それでも瞳には力があった。光があった。先代に恥じない火影であろうという強い意志があった。この景色を一番見たかったであろう女はこの場にいない。青年、猿飛ヒルゼンにとってもこの一世一代の晴れ舞台を一番に見せたかった相手だっただろうに。ヒルゼンの師千手扉間は弟子の晴れ姿を見ることは無い。女の盲いた目は二度と光を灯さない。平和の為に赴いた雲隠れでクーデターに巻き込まれた女は弟子を逃がす為に囮となった。命からがら帰ってきたものの傷は深く治る見込みはなかった。瞳は光を失い、身体は傷だらけで歩くのもままならなくなってしまった。


若き火影を称える拍手の雨の中、家路に戻る。弟子の晴れ姿を見届けて欲しい。女の頼まれ事はもう充分に果たしたからだ。正直な所あまりここに長居はしたくはなかった。女の命を削り五体満足で戦場から帰還した弟子達に心無い言葉を口走りそうで恐ろしいからだ。そんなこと女は望んでいない。女、千手扉間は己の妻だ。妻の犠牲に成り立った新しい火影の誕生を祝うことが俺には出来ない。


それより早く帰らなくては。白く儚げな見た目通りにすっかり儚くなってしまったあれは目を離したら散ってしまう花のようだから。一刻も早く戻らなくてはならない。いつ散ってもおかしくない花だから。一分、一秒でも長く傍にいたかった。


眠っているかもしれないので静かに戸を開ける。真っ先に寝室へ向かう。薄暗い寝室は酷く静かだ。あまりに静かなので恐ろしくなった。心音を聞きたくて横たわる女の胸元に耳を押し付ける。とくん、とくんと命の音がした。安堵の息を吐けば、白い手がぺたぺたと顔を触る。目、口、鼻をなぞって最後に髪を撫でる。


「…マダラ?」

「お得意の感知はどうした」

「今朝から上手くチャクラが練れん。サルへの引き継ぎも終わって気が抜けたからかもしれんが」

「感知は柱間より上だとあれだけ誇っておきながらなんだその体たらくは」


皮肉を言ってやれば女はムッと唇を尖らせた。女が拗ねている時の仕草だった。久方ぶりの元気そうな振る舞いに少し安堵する。


「少しは優しい言葉をかけてくれてもいいだろう。綱の優しさを見習え。大叔母様へと金木犀の匂い袋をくれた。これなら今の大叔母様でもわかるでしょうと」

「あの砂利娘が来ていたのか」

「姉者と一緒に来てくれた。サルの晴れ姿を私の分まで見届けると」


女は力なく微笑んだ。こんな笑い方をする女ではなかった。今までは弟子に火影を引き継ぐまではと気力で持っていた。しかし、それも終えてしまった今奮い立つものがないのだろう。刻一刻と命の灯火が小さくなっていく。弟もそうだった。俺に目を託してからは早かった。役目を成し遂げたとばかりに命の灯火は小さくなって遂には消えてしまった。瞳に包帯を巻いた女の姿はかつての弟に瓜二つだった。女は因果応報かもしれないな、なんて言っていたが冗談じゃない。憎みながらも愛した女だった。始まりはうちはと千手とをより強固に繋げる為の婚姻だったかもしれない。それでもいつしか女は大切なものの一つになっていた。今更女が弟を殺めたことを罰するなら何故俺に女を愛してしまう時間を与えたというのだ。怒りに震える俺の頭を女はたどたどしく静かに撫でる。



「サルの火影姿はどうだった?」

「あれはダメだ服に着られてる。威厳も何もあったもんじゃない」


先程のぎこちない青年の様子を思い出す。柱間や女ほど貫禄はない。どうしても近所の助平な砂利のイメージから離れられない。女は面白そうにくすくすと笑う。


「…サルは愛くるしい顔をしてるからなあ。でも今にあの服が似合ういい男になるさ」

「どうだかな…」

「…見たかったなぁ」


いつか目指した無限の月の夢を夢想する。その世界ではお前にも見せてあげられるだろうか。あの青年の姿を。とくんと響く心音をもっと良く聞きたくて女をかき抱いた。


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