いつか出逢う日を楽しみに

いつか出逢う日を楽しみに


どうやら俺は“ついている”らしい。温和な父と愛情深い母がいて、一心に尽くしてくれるばぁやがいて、そもそも御影なんて立派な家に生まれたことも、恵まれた造形と能力を持つこともそうだけど……俺を護ろうとする“誰か”が憑いている、らしいんだ。

らしい、なんて不確かな物言いになっちまうけど、俺自身はその“誰か”を一切視たことがないので仕方がない。


御影は大きな家だから、縁によって骨董品を手に入れたり、その中に“曰く付き”の品が混ざっていたり、あるいはシンプルに御影に害意を持つ人間が呪いの類を行うこともある。それ等に対処する為に、本物の霊媒師と親しくするのは必然なんだ。

護ってくれている“誰か”について初めて教えてくれたのはその霊媒師だった。あの人は会うたびに俺を眩しいものでも見るかのように目を細めて言うんだ。

「相変わらず、とんでもない存在に愛されていますね」「こういった存在がここまで人間に寄り添って加護を与えてくださるのは珍しい」「貴方が世継ぎならば私の力は必要ないでしょう」って。まぁ、その通りだったとしても俺はあの人と縁を切るつもりはないけどな。為になる話を聞けるし、なんだかんだ相談とか乗ってもらって世話になってるし、もうその力は必要ないからと切り捨てるのはあまりにも人情に欠けるだろ?


んで、そうそう、護ってくれている“誰か”は姿が視えず、声も聞こえず、当然触れ合えもしない。

それでも「ああ、今護られているな」と実感することは多々ある。
例えば、不自然に薄暗い廊下でナニカを吹き飛ばすように熱風が吹いた時。
例えば、ナニカが俺を呼ぶ声をかき消すように相槌の音が響いた時。
例えば、誕生日プレゼントとして贈られてきた物に真っ二つになっている物が混じっていた時。
例えば……ってまぁ、こんな風に痕跡を残してくれてたのは昔だけで、最近は対処に慣れてきたのか殆ど無いけどな。強いて言うなら、俺が不安になって寝付けない日とかに、相槌の音が響くくらい。あれ、気持ちが落ち着いて好きなんだ。


でもまぁ、受け入れられてるのは今でこその話で、幼い頃は痕跡はあるのに姿すら分からないことに拗ねてさ、ばぁやに「どうして、護ってくれているのに姿すら見せてくれないの?姿すら見せないのに、なんで護ってくれているの?」なんて、聞いたことがあるんだ。

そしたらばぁやは「愛しているが故に、容易く触れられぬ者もいるのですよ。傷をつけないように、怖がらせないように、目隠しを施し自分諸共異形なる存在からの影響を遮断している。全てありのままの玲王坊っちゃまを愛しているからに他ならないのです。」そう教えてくれた。

ばぁやの言葉で姿を見せない理由について納得はした。したけどさ、それでも俺は感謝の言葉もまともに言わないような不義理な人間になりたくねーの! だからいつかはちゃんと、相手の顔を見て、名前を呼んで、感謝の言葉を言いたいワケ。


なんとなく、相手の正体は分かってるんだよ。護られ始めた時期とか、熱風とか、相槌の音とか……その辺から推測くらいは出来る。でも、いつかちゃんとした“初めまして”をするまでは俺から名前を呼ぶことはしねぇよ。例え姿が視えずとも、声が聞こえずとも、今も俺を愛して護ってくれていることは分かってる。その行動が俺を慮る故の最大限の優しさなら受け入れても良いかなって思えるようになった。

それに最近じゃ、いつかくる“初めまして”を待つのも楽しみになってきてるんだ。
もちろん“初めまして”をする日はいつか必ずくるぞ。一途に愛して護っている対象本人がこれだけ逢いたいと望んでいるんだ、その想いを叶えずにはいられないに決まってる! 当たり前だろ?


──だからさ、凪。お前だってそのままでいいんだよ。護ってくれる“誰か”と同じように、俺はありのままのお前を受け入れるからさ。


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