いっそ悪魔的かつ芸術的なひらめき
――タイミングが悪かったと言えば、ただそれだけの話なのだろう。
やせ細ったローは、花が開くように笑った。
「うん、ドフィ兄様はやさしいんだよ」
その瞬間の空気は、未だに誰も忘れていない。
あくる朝。突如小児のように振る舞い始めた異世界の「ロー」について、我らがキャプテンが「環境の変化、心的外傷後ストレス障害の一端」と診断を下したのが一週間前。いろいろあって麦わらの一味と共に航行することになったのが今朝。
当然隠し通せる訳もなく、ならばと開き直ったキャプテンが、チョッパーにも診察してもらう手筈を整えたのが数分前。
船医には、何故だか船長も着いてきた。
ローには毎日交代で数人の世話係がついている。だが、キャプテンがその場にいたので今日の彼らは何も案じず部屋を離れた。そして人数分の茶を持って戻った時、重ねて何故だか、麦わらとローはすっかり打ち解けていた。
「へー、お前にも兄ちゃんがいるんだな!」
会話の意味は分からなかったが、険悪な空気は無い。無邪気に笑う麦わらに、ローも、花が開くように笑って返した。
「うん、ドフィ兄様はやさしいんだよ」
その瞬間の空気は、未だに誰も忘れていない。
覇王色と見まごうほどの――あれは、何と呼べばいいのだろう。怒気、殺気、憎悪、悲嘆。そのどれにも当てはまる気がしたし、どれでもない気もした。
シャチが思わずたたらを踏んだ。その肩は危なげなくペンギンに支えられたものの、彼の手はがちがちに強ばっていた。ベポはおろおろと二人のローを交互に見た。
――我らがキャプテン。
能面のような……などとはとても言えない。およそ人の顔ではなかった。
はちきれんばかりのマグマを孕んだ、噴火寸前の活火山――でもない。
野火が焼き尽くした草原のような。
無限の焦土の平坦さ。
海王類を擁する凪。
あらゆる感情の一切がそげ落ちた、無機質で非生物じみたただの肉の凹凸。
今のローの表情は、それだった。
遠くサニー号にいたゾロとブルックが鯉口を切り、サンジとジンベエが片足のかかとを引いて構えたほどの。
この場の人間への敵意ではなかった。だからなのか、だれもが息を飲んだキャプテンの変貌に、麦わらだけが我関せずと首をひねっている。
「……んー? どふぃ…………? どっかで聞いたような……」
「麦わら屋」
地を這うローの声音を、当然ルフィは斟酌せずに。
「…………なんでミンゴがトラ男の兄ちゃんなんだ?」
……ああ麦わら、お前の天衣無縫が今ばかりは恨めしい。
三人はたった一言で全てを悟った。そして巣穴で捕食者をやり過ごす草食動物のように、息の音すら殺してキャプテンを見守るしかなくなったのだった。
おわり
2022/12/10追記
同じ小説を2022.11.10. 19:28:54付けで「ぷらいべったー」に投稿しています。非公開です。
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