いたくして いたくしないで
鹿紫雲とのキスはいつだって痛い。
ん、と喉の奥から漏れた声が苦痛だけのようにはとても思えなくて、虎杖は内心で自分を笑った。まだ他人に触れることに慣れていない鹿紫雲の親指の皮膚は固く、目元をぎこちなく撫ぜていく。ぱち、と静電気の弾けたような小さな痛み。痛みに鈍くなって皮膚でも感じ取れる、けれどそれだけでは胸の奥で自分を責める声はかき消されない。消されていいとも思えない。
(俺が馬鹿だから伏黒は)
あの日からずっとその声が消えない。何をしていても、笑えていても。自分という罪をどうしたって許せやしないのだ。
色素の薄い鹿紫雲の髪に指を差し込み、強請るように引き寄せる。もっと痛くていい。指先も唇もやわい粘膜も、鹿紫雲が触れる場所すべて、全部痛くていい。そうしていて欲しい。いつまでも不慣れでいい。そうじゃなければ、きっとその内、気持ちよさが勝って、意味がなくなってしまうから。俺で練習したら、なんて提案しておきながら、本当はずっと不慣れなままでいて欲しいだなんて鹿紫雲にはとても告げられた本音ではない。他人を慈しみたいと、あまりにも優しげな願望を抱いたこの男に伝えるべきことではないだろう。
自分から舌を強く擦り付けて唾液を吸うと、興が乗ってきたのか鹿紫雲が肩を抱きながら覆い被さってきた。仕草ばかりは手慣れているようで、けれど絡めた舌からはまだ抑え損ねた呪力がびりびりと伝わってきていた。
二人分の体重が傾くのに耐えかねてシングルベッドがぎし、と乾いた後で鳴く。鹿紫雲を引き寄せたままゆっくりと体を倒して背をシーツへつける。一瞬離れた唇の隙間に一際鮮やかな青白い線が走って、虎杖の口元に赤くひび割れたような痕を刻んだ。今まで出会った誰とも違う、鹿紫雲特有の呪力特性。本人の感情によっても高まるその電荷は、触れる相手にとってはさぞ苦痛なものだろう。自分にはまだちっとも、痛いと思えないけれど。
「ん、…ぅ、んっ……」
口内を満たす二人分の唾液を少しずつ飲み干すと甘えたように喉が鳴る。それを聞いたのか、雷の獣は目元を上機嫌に細めてみせた。頬から首裏へ滑ったてのひらから頸へビリッと強い衝撃が来て目が眩む。痛い、気持ちがいい。痛い、いい。鹿紫雲は「気持ちいい」だけを虎杖に寄越さない。だから、いい。なんて卑怯なんだろう。
「おい、痛かったら言えって言ってんだろ」
「痛くねえし」
眉を顰める男の体を引き寄せる。頬に走る痕に気付いたのだろう。妙な男だ。
鹿紫雲のことをよく知らない。秤が連れてきた、何百年も前の術師。宿儺と戦いたいと言っていた、よくわからない男。あの邪悪な呪いに、強さの意味を問いたいという、本当に奇妙な願いを持つ受肉体。鹿紫雲といると、宿儺が本当に自分の中からいなくなったことをいつだって感じる。危険だと知っていて、本当の意味では理解できていなかった愚かな自分のことを、受けるべき罰を考える。だから、本当に痛くない。
「痛くねえから、もっと」
もっと強く、もっと痛くしていて欲しい。お前の温度を心地よいと俺が間違えないように、もっと。