いいんですよ、貴女が安らげるというのなら。
ななしのだれか※自己解釈に基づいたサラダIFローにつき、解釈違いの可能性が高いです。コレジャナイ感を感じましたらブラウザバックでお願いします。
ベッドの上で、頭だけ動かして左右を見る。右手のナミ屋ちゃんはぐっすり寝てる。左手のニコ屋さんもぐっすり寝てる。よし、行こう。
そろそろとベッドから出て、忍び足で部屋から抜け出す。そっとそうっと階段を降りて、向かった先はアクアリウム。オシャレな内装してるよね、この船。
ドア越しに、微かに聞こえるヴァイオリンの音。今夜はいた。ちょっと安心する。ドアを開けて、部屋に入る。
「おや、ヨホホ、こんばんはお嬢さん」
「……こんばんは、ホネ屋さん。お邪魔だったかな?」
水槽のガラスに沿って敷き詰められたソファには、お目当てのホネ屋さん――麦わらの一味の音楽家・ブルックが、ヴァイオリンを構えて座ってた。何枚かの楽譜とペンが置いてある。作曲中かな、お邪魔しちゃったかな。
「いえいえ、トラ子さんのお越しを待っていましたので。お気になさらず」
「そっか、良かった」
「いつものように、でよろしいですね」
「……うん、おねがい、ね」
あたしの世界の彼らと違う「トラ子」という呼び名。本当はね、「トラ美」って言われるの、ラミのこと思い出しちゃうから苦手だったの。そんなこと言えないまま、彼らは殺されてしまったけど。
こーんこーんと、アクアリウムに足音が響く。あたしが近付く間に、ホネ屋さんがフリルシャツのボタンを、一つまた一つと外す。あたしはフリルシャツだいっきらいだけど、細身のホネ屋さんはよく似合ってて、見てて「いいなぁ」って思う。
ヴァイオリンを置いて、ころんとソファに寝転がったホネ屋さんに、あたしは馬乗りになる。骸骨なのに全体重をかけても折れないホネ屋さんは、見た目以上に頑丈だ。本人は冗談めかして「毎日牛乳を飲めばいいんですよ、ヨホホ」なんて笑ってた。あたしもつられてちょっと笑った。
手を伸ばして、脊柱を撫でる。ちょっとだけザラッとして、でも思った以上に滑らかな、冷たい触り心地が落ち着く。
ゆっくり、ゆっくり、体を倒して、ホネ屋さんに体を預ける。
ホネ屋さんの細身の肋骨に、あたしの頭のてっぺんが当たる。脊柱のとがりが頬に触れて、伸びてしまった髪が絡まる。肩が、ズボンに包まれた腸骨に収まる。
冷たくて、硬くて、真っ白な骨。ホネ屋さんに身を委ねたあたしの頭を撫でてくれて、背中をとんとん叩いてくれる手も、つめたい、かたい、骨の手だ。
「トラ子さん、せっかくですのでララバイはいかがですか?」
「いいよ、どうせ安眠できないから」
「では私の鼓動を子守唄代わりに……って、ワタクシ死んで骨だけですから、心臓無いんでした〜! ヨホホホ〜〜!」
「っふ……あははっ。心臓のない骸骨から鼓動が聞こえてきたら、あたし医学論文書かなくちゃだよ」
「おや、私学会デヴューですか」
「貴重な症例サンプルだから、全世界の医者が大注目だよ。トニー屋ちゃんと共同で論文書かなきゃ」
「なんと、チョッパーさんも学会デヴューですか! それは楽しみですねえ」
他愛もない、とりとめもない話と、ホネ屋さんの穏やかな声が心地よくて、あたしは目を伏せた。
ここは静かで、つめたくて、……霊安室みたい、だなんて、口が裂けても言えないや。
この世界のあたしは、トラファルガー・D・ワーテル・ローは、男に生まれてた。男のあたしは、コラさんの本懐を果たしてドフラミンゴを倒せた、誰も犠牲にしなかった。
そのことを知って、あたしはみっつ、自分に決まりごとを作った。
ひとつ、自分の感情を表に出さない。何があっても笑ったり泣いたりしないこと。
ひとつ、意思表示をしない。あたしの考えなんか必要ないんだから、伝えないこと。
ひとつ、誰とも仲良くならない。そんなことしたって無意味なんだから、絶対に心を開かないこと。
――――だって、あたしは生きてるべきじゃないんだから。
この世界に来て、まざまざと突きつけられた。女に生まれた時点で、あたしはもう間違っていた、って。だからみんな殺された。コラさんの本懐も果たせなかった。あたしがあたしであることは、いけないことなんだ。
でも、生まれてこなきゃよかったなんて、それだけは言えない。だって父様も母様も、あたしのことを愛してくれた。あたしが生まれてきた時、どれだけ嬉しかったのか、幸せだったのか、あたしにたくさん教えてくれた。あたしの自慢の、父様と母様。ねえ、あたし、あいたいよ。
ラミもあたしをお姉様、お姉様って、あんなにも慕ってくれた。あたしのかわいいかわいい妹。あたしが守ってあげれなかった、あたしのたった一人の妹。自慢のお姉様だもん、って、あたしのことお友達に自慢してさ。今でもだいすきだよ、ラミ。
だいすきな家族を傷付けてまで、生まれてこなきゃよかったなんて言えない。だいすきなひとを悲しませたくない。
だから“生きてるべきじゃない”の。
あたしはフレバンスで死んどくべきだった。珀鉛病で死ぬなり政府の連中に殺されるなりして、とっととこの世からいなくなってなきゃいけなかった。
そうすれば、小娘一人助ける為にコラさんが死ぬことはなかった。いくらドジっ子だからって、使い物にならないどころか味方を呪う疫病神でしかないDなんて、そんなハズレ籤を、コラさんが引くことはなかったんだ。
で、あたしが死んどけば、ウチのクルー達があたしの部下にならないんだから、ドフラミンゴに殺されない。あたしがいなくてコラさんの本懐が無事果たせてたなら、ドレスローザは滅びなかったし、麦わら屋さん達だって同盟自体が無いんだから殺されない。
なーんだ、やっぱりあたしが死ななかったのが全部悪いんじゃん。男じゃない癖に、なんで生き残っちゃったんだろ、あたしのバカ。
で、それで? 生きてるべきじゃない女が、居るべきじゃない世界で、共に在るべきじゃない人達に囲まれてる? ジョークにしたって、笑えないにも限度がある。
とっくの昔に死んどくべきだった女が、なに自分のせいで死んだ人達と仲良くなろうとしてるの。許されないよ、そんなこと。
あたしが作った決まりごとは、あたしへの戒めで、この世界のみんなを守る防波堤。関わりが深くなれば深くなる程、この世界のみんなを必ず傷つける。あたしが寂しいとか苦しいとか、そんなことよりこの世界のみんなの方が大事なの。
だから、何があっても距離を置く。この世界のみんなが、あたしを心配してくれてるのは分かってた。けど、何も変えず、何も返さず、氷の彫像のように在ろうと、そう決めて、貫いてきた。
冷酷に、冷徹に。ドライであれ。
仲間でも同盟相手でもないんだから、心を開くな。
一緒にいたい、救われたいだなんて、思うな。
(……そう決めたつもりだったんだけどね)
骸骨に抱きしめられて、頭を撫でられるなんて、この世で何人が経験してるんだろう。麦わらの一味はともかくとして、数えて二桁にも届かないんじゃないかな。
そんな貴重な経験を、こうやって時折させてもらってる。ホネ屋さんがあたしの髪を梳く手付きは繊細で、ヴァイオリンやピアノ、ギターを奏でる音楽家らしいな、と思う。つめたくてかたい、骨だけど。
――――父様は、母様は、医者のくせに人肌が怖くて、触るのも触られるのもダメになったって知ったら、あたしのことなんて言うんだろう。
ナミ屋ちゃんやニコ屋さんが、あたしを気遣って寄り添ってくれたって分かってる。
麦わら屋さんがあたしに巻き付いてきたのだって、悪気が無い、親愛を示してるんだって分かってる。
トニー屋ちゃんや男のあたしが、あたしの体を治したくて触診してるんだって、全部、全部、分かってる。
頭では分かってる、はずなのに。
感覚が消えない。消えないの。
あたしの肌をねっとり撫でるあの男の、人肌の熱が、肉の厚みが柔らかさが、つるりとした爪先が、生暖かい湿った息が、ぬるりとした舌先が、恐怖と嫌悪が今もあたしの肌を這いずり回ってる。
違うのに、あの男とみんなは違うのに。
触れられる度に、あの男に体を蹂躙されたことを思い出す。
触れようとする度に、あの男に心を汚されたことを思い出す。
何も果たせないまま、奪われるだけ奪われて、誇りも誓いも踏みにじられたことを、苦痛を絶望を恐怖を、肌に、心に刻みつけられたことを、思い出したくないのに思い出しちゃう。もう海楼石の枷はないのに、あの男にあたしを支配されて、今のあたしは能力一つまともに使えない。
こわい、こわいよ。
誰もさわらないで。
誰もさわりたくないよ。
だから一人になったのに。
なのに、……なのに。
……溺れ死んでもいいかな、って、ちょっとだけ思ってた。
思い出したくもない悪夢を見て飛び起きたあの夜。こっそりポーラータング号を抜け出して、波打ち際に身を投げ出した。寄せては返す裂けそうなくらい冷たい波に身を預けて、全身びっしょり濡れて。
あいつの熱を、肉を、冷たい海水で忘れようとしてたら、サニー号から海の上走ってあたしのとこまで来るとか、ホネ屋さん一体どうなってるの!? いくらホネで体が軽いからって、悪魔の実の能力者が海の上を走るとかおかしいから! ありえないから!!
「ト〜ラ〜子〜さあぁ〜〜〜ん!」ってあたしのこと叫びながら真夜中の海の上ダッシュしてるアフロヘアの骸骨とか、めっっっっちゃくちゃ怖かったんだからね! あいつとは別方向に怖かったよ! やだ、ホラーやだ!! 夢に出そう、というか出て泣いた。ナミ屋ちゃん達、絶対あいつ絡みの悪夢見て泣いたんだって勘違いしてるよ。お宅の骸骨のせいだよ。
まあでも、その骸骨はとっても紳士的で優しくて、あたしを慰めてくれたんだけどね。
自分でも盲点だったよ、白骨死体……死体ではないよね、動く生きた骸骨なら、触るのも触られるのも平気だなんて。
ホネ屋さんは骨だけだ。文字通りの骨。皮膚も筋肉も神経も無いのに動くし、髑髏の表情がコロコロ変わるのは、摩訶不思議すぎて医学を投げ出したくなる。とにかく、本当に骨だけだった。
だから、いくら触れられても、あいつを思い出さなくて済んだ。
だってホネ屋さん、冷たいし硬いし細いし呼吸してないし、あいつを連想する要素全然無いんだもん。あいつみたいな気持ち悪い、いやらしい触り方だってしない。パンツ見せてくださいとか言う割に、そういうとこは紳士なのだ。
あの日から、あたしとホネ屋さんの、内緒の夜は、不規則に続いている。
目を閉じて、その冷たさに身を委ねる。
(ああ、つめたい)
あたしが大好きな、もう二度と触れられない仲間達。ふわふわであったかいベポの毛皮とは違う。ぎゅうぎゅうに抱きしめてくれた、布越しに柔らかい温もりが伝わる、クルーのツナギとも違う。
(つめたいなあ)
あたしの、家族の、故郷の全てを蝕んだ珀鉛のようで。コラさんと死に別れたあの日の、芯まで凍てつく雪のようで。
(つめたくて、いい、なぁ……)
あんなに嫌っていたはずの、つめたい白に、救われてる。
いけないことだって分かってるのに。男のあたしが見たら心底蔑むし、麦わら屋さん達だって唾棄するような所業をしてるって、分かってるのに。
あたし、もう、ホネ屋さんに依存してる。人肌が怖くて仕方なくて、ホネ屋さんのつめたい白い骨に触れてる時だけ、心の底から安堵できる。
あたし、だめだ、壊れちゃった。
もう、医者を名乗ることさえおこがましい。父様と母様に顔向けできない。コラさんに合わせる顔が無い。どんな面をさげても、クルー達に会うなんてできない。
(ごめんなさい、ごめんなさい……)
ホネ屋さんに触れ合ってると、いつも泣きそうになる。その度に、涙だけはと必死にこらえた。ホネ屋さんの体を、あたしの涙で汚したくないから。
つめたくてやさしいホネ屋さん。あたしの世界のあなたは、あたしのせいで殺された。仲間も皆殺しにされた。
あなたが船長と仰いだ人は、あたしの目の前で、首を落とされて、殺された。
そう知っても、あたしを甘やかして慰めてくれる、こちらの世界のホネ屋さん。出会うはずのなかった人。つめたくてやさしい骸骨さん。
自分に課した決まりごとを破って、あなたに甘えて、依存する、秘密の夜を終わらせられない、弱くて狡い臆病者で、ごめんなさい。
いつか、ちゃんと、おわかれするから、いまだけは、みのがして。
一粒だけ零れた涙は、気づかれないよう、服で拭った。
※IFロー♂が「あったけえなあ……」なら、IFロー♀は「つめたくていいなぁ……」になるのかな、と思ってしまったのがきっかけでした。ごめんね、トラ子ちゃん。