あんたを連れて行こうと言ったのはコラさんだ
掌に息がかかった。生き物の気配を間近に感じるのは随分久しぶりだが、感情は平坦なままだった。
無骨で頑丈な首輪を着けられてからというもの、定期的に打たれる鎮静剤のせいで意識はあるのにどこか他人事だ。感情も感覚も遠のいていき、映像電伝虫を介して遠くの出来事を見ているのと変わらない心地になっていく。
自分のことなのに。余興と称して体に傷をつけられるのも、歩みが遅いと鞭で打たれるのも、這いつくばって残飯を口にするのも、全て自分のことなのに――――。
掌に目を向けると大きな犬がいた。長く、健やかな前足をスッと伸ばしてお座りの姿勢を取った犬が、自分の拳に顔を近づけていた。赤い毛糸の帽子を被って、鴉を思わせる黒い上着を纏った犬は先程店内に入った気だるげな男の連れだった。
「少し待っててくれよ、コラさん」
そう言って置いて行ったのは自分から距離のある場所だったはずなのに、リードで拘束されてもいない犬はこちらに来てしまったようだった。
ふんふん、と鼻を鳴らして人懐っこい様子を見せる犬を手で追い払った。
自分は天竜人の所有物だ。所有者の機嫌次第で明日の朝日も拝めないような生活を送っている。以前所有者の前を通り過ぎただけで、何の罪もない子供が銃殺されたのを見たことがある。
所有者と下手に関わればどんな火の粉が降りかかるか分からない。己の奴隷に畜生が触れた汚らわしいと騒ぐのは、所有者の常の様子からして想像に難くない。
思いやる義理はなくともこの呑気そうな犬が惨たらしい目に遭うのは避けたかった。自分が置かれた状況がどうであれ、他者を引きずり下ろして充足感を得るような外道にまで成り下がる気はなかった。身分は奴隷でも心まで卑しくなるつもりはない。その決意だけは、今でも薬で平坦にされていく意識を僅かに波立たせる。
言葉にしても分かるまいと思いながらも、こちらをじっと見つめる犬にかろうじて持てる矜持を語った。自分から遠ざけるために。
「気高いな。それが船長ってやつなのか?」
いつの間にか目の前にいた気だるげな男がそう言った。わふ!と主人の帰還に尾を振って迎える犬を撫でる。同時に首から派手な音を立てて、長く己を拘束していた忌々しい輪が外れた。
「おれと来るか?海賊キャプテン・ジャンバール」