ある鬼の独白
──負けた。
あの月の夜に焦がれた剣に、共に勝ち抜いた戦友に、──俺が余分だと斬り捨てたものに。
それでも心は晴れやかで、満足で、このまま逝けることに安堵した。
あの夜の月を思わせる剣術を持つ者と出逢い、盈月の儀という心躍る戦場にて数多の英雄英傑と鎬を削り合い己が剣を磨き、別世界の師に打ち勝ち──また凪のような日々に戻る。再び息が出来なくなることを魂が拒絶して、鬼に堕ちた結果死ぬこととなったが、最期の最期で得難き友を得た。
だからもう、十分だ。斯様な清々しい気持ちで剣として息を引き取ることが出来るだなんて、何て最高な終わりじゃないか。
そうして意識が薄れゆく中、何故か、ひとりの顔が思い浮かんだ。
清廉で美しい、新雪のように無垢なる者。果たしたい宿願の為に、盈月の儀に真摯に向き合っていた、本物の優しい存在。
──ああ、俺は。
あの、優しく美しい願いを──己が欲のために、踏み躙ってしまった。
それは、満足してしまったからこそ生まれた──唯ひとつの後悔だった。
* * *
──目の前には地獄があった。
霊脈の歪みが、数多の怨嗟が、怪異となって溢れ出す。
数多の英霊達が更なる地獄を生み出すべくくべられていく。
…………何よりも、赦し難いのは。斯様な場所に、彼女が居ることだった。悪趣味な呪いに塗れながらも清廉さが失われていない、彼女が利用されていることだった。
彼女の願いと対極にある結果を齎す災いに、彼女が使われること等あってはならない。
それは許されざることだ、それは全霊を持って阻ねばらぬことだ。
だが、鬼に堕ちた俺が行ったところで何になる?
あの場に行けば、儀の時のように数多の英霊英傑と死合うことは避けられない。それは、今は落ち着いている鬼を刺激することに他ならず、目的を為す前にあの場囚われることが目に見えている。
ならば如何するか──答えは直ぐに見つかった。
鬼《俺》を斬り捨てれば良い。余分《俺》だけになってしまえば、死合いに目が眩み囚われる事態にはならないはずだ。鬼と成った儀のことや核となるあの夜のことも持っていくため抜け殻になるだろうが、儀で得た剣術は遺していくのだ。訳が分からぬまま死ぬ──等ということは起きぬだろう。
* * *
消えた筈だった、死に絶えた筈だった。そうであらねばならぬのに、何故鬼《俺》は此処に居る?
その疑問を氷解させる前に身体が動いた。
最期の悪足掻きだと言わんばかりに彼女に襲い掛かった穢れを撫で斬りにして、ついでとばかりに彼女も斬る──その直前に、鬼《俺》の剣は余分《俺》に阻まれた。
余分《俺》を近くで見て漸く、鬼《俺》は全てを理解する。
鬼《俺》だけでは生きてはならず、余分《俺》だけでは生きることは適わない。ああだからこそ、鬼《俺》はこの瞬間にこの場に立ったのだと。
──まったく、本当に、酷《粋》なことをするものだ。
求められるのは余分《俺》であり、鬼《俺》ではない。とんだ出来試合であり茶番でしかない筈なのに、鬼《俺》は不思議と怒りを覚えなかった。寧ろ、感謝の念さえ覚えている。
ああ鬼《俺》は、今度こそ──
今度こそ、何の後悔も無く、剣として死ぬことが出来るのだ。他ならぬ、余分《俺》の手によって。裡から湧き上がる歓喜を抑えることなく口角が上がる儘に、鬼《俺》は余分《俺》へと剣を振るう。
ああ、本当に──鬼《俺》は幸せ者だ。
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【蛇足】
鬼は彼女を救えない。そのはずだったのに、最後の最後で鬼は彼女を助けることが出来た。だからこそ鬼は今度こそ、何の心残りも無く逝くことが出来たのです。
なお、ついでに彼女を斬ろうとしたのは可惜夜のセイバーみたいに「鬼は斬らねばならない」と余分に思わせるためです。本当にお前そういうところだぞ。