ある人とピアノの話
キーボードを買った。
きっかけは、特になんということはない。ただ少し、懐かしくなっただけ。最近ちょっとテンション低かったし、気分転換にって。別にすごく悪いことがあったわけじゃないけどさ、ちょっとだけトラブったり、ちょっとだけ上手くいかなかったり、ちょっとだけやる気でなかったり。そういうのたまたま重なるとなんかぱーっとお金使いたくなるじゃん。
言い訳じみた理由を誰にともなく脳内に並べ立てるが、考えれば考えるほど自分が見苦しくなっていくような気がした。
高価なものではないけれど、安い買い物だと言い切れるほどでもない。何か弾きたい曲があるわけでも、今ピアノの練習が必要なわけでもない。というか、そもそもここ数年鍵盤に触ってすらいない。
若干は冷静になった頭に釈然としない気持ちを抱えながら、鍵盤を軽く撫でる。
指を置いてみたところで、当然ながら音楽は奏でられない。ピアノを弾かなくなって10年くらいは経つから、もう指が何も覚えていないのだ。
―――ピアノって、途中から弾けないんですよね。流れで手が覚えているから。
数日前の声が蘇る。ああ、そうだ。そうだったな。
―――それ、分かります。右手だけでも、左手だけでも、曲の途中からも、弾けないんですよね。
その時は全然知らない人だったのに、あまりにも分かりすぎて、思わず口を挟んでしまったのだ。だって、今までその感覚を人と共有したことがなかったから。これがわかる人いたんだ、って。
ピアノは正直、苦い思い出のほうが多い。
私はピアノの練習が嫌いだった。弾ける曲を弾くときはそれなりに楽しかったけれど、弾けるようになるまでが辛かった。
練習しないから上手くならないし、楽譜を読むのも苦手だった。だから弾けるようになるまでが長かったし、よく分からない練習曲をずっとやるのも嫌だったし、それで余計に練習が嫌いになっていって、ピアノ教室もサボるようになって、遂に辞めた。
辞めてから、一度合唱コンクールの伴奏に立候補したことがある。夏休みの前に楽譜をもらった。
でも練習しなかった。もともと上手くないから弾けるようになるまで時間がかかるのに、全くやらなかった。やる気にならなかった。
夏休みが明けて、合唱の練習が始まった。私は弾けなかった。
それで結局、ほかの子に代わってもらった。彼はさらりと弾きこなし、私はそれから二度と伴奏をやるなんて言わなかった。
思えば、周りのピアノが弾ける子は、みんな上手かったような気がする。合唱の練習でどんなところからでも弾き始められたし、流行りの曲もたくさん弾いていた。羨ましかった。私も“ピアノが弾ける自分”になりたかった。
―――ピアノ弾きましょうよ。
―――いや、もう何も弾けないし、そもそも家にないし……
―――キーボード買いましょう。いいですよ、好きな曲好きなように弾くの。
知っている。それができたら手慰みに、右手でハ長調のスケールを弾いてみる。ドレミ、指をくぐってファソラシド。昔はもっとすらすら弾けたのに、今はこれすらたどたどしくて、一周まわって笑えてくる。
そしてそのたどたどしい手はなぜか自然と、ある黒鍵に伸びていく。
「何も弾けない」というのは、実はほんの、ほんのちょっとだけ間違っていて。どれだけ鍵盤から遠ざかろうとも、不思議なことに。
(猫だけは踏めちゃうんだな)
耳馴染みのあるメロディが不器用に紡がれる。と、ふいに白と黒とが曖昧に混ざりあって、頬が熱くなった。鍵盤がよく見えなくなったけど、指は自然にファの#を軽く押して締めた。
どうしようもなく拙い、しかし誰に聞かせるでもない自分だけの音が、ひっそりと私に寄り添っているように思えた。