ある一日
窓から差し込む朝日で目が覚めた
ベッドを出て、いつも通りのしんと冷えた朝の空気に身震いする
体を冷やさないようにまだ眠っている同居人に毛布を掛け直し、朝食の準備を始めた
昨夜の残りのシチューを温め直し、パンとチーズをちぎり入れてパン粥に
細かく刻んだ果物をヨーグルトと混ぜたものも皿に盛り付ける
朝食を作り終えて寝室に戻ると、彼女は既に目を開いていた
「…おはよう、ヒナちゃん。朝ごはんできてるよ〜」
笑顔を作って声をかけるが、返事は無い
虚な目で天井を見上げ続ける彼女をそっと抱え上げ、車椅子に座らせる
ゆらゆらと揺れているズボンの裾を縛り、上から膝掛けを巻いて暖かくさせた
これで準備はいいだろう
「いただきます」
そして車椅子を食卓まで押して行き、彼女に前掛けを掛けさせて食事を始めた
なんてことはない、いつも通りの朝食
…彼女の食事には、もう砂糖や塩は入れていない
禁断症状が出るはずの期間を過ぎても何の反応も示さなかったことを善しと取るか悪しと取るかはまだ決めかねていた
彼女が口の中を火傷しないようにスプーンで掬ったパン粥に息を吹きかけ、彼女の口に運ぶ
口を開かせてそれを飲み込んだことを確認したら、もう一口
「…今日は天気が良さそうだね〜、ご飯を食べたら散歩に行こっか〜」
彼女の分を食べさせ終え、一度窓の外に広がる雪に包まれた木立に目を向けてから話しかけた
返事は無い
すっかり冷めてしまった自分の分に塩と砂糖を放り込み掻き込んだ
手早く食器を片付け、彼女の排泄と着替えの世話も済ませて家を出る
今日はどこを回ろうか、小川は危ないから避けてクルミ林を見に行こうか…
そんなことを考えながら雪かきを始める
レッドウィンター自治領、その辺境
あの戦いの後、砂嵐に紛れて包囲網を掻い潜りアビドス砂漠から逃げ出した私たちはしばらく各地を転々としていた
顔を隠し、身元を隠し…動けない彼女を連れて毎日捜索者に怯えて旅を続けた
そうして最後に辿り着いたのが…この雪の大地だった
あまりに広く、寒さの厳しい自治区には人が住むどころか行政も支配していない土地も多く、何よりあの騒動が始まってから情報的・物理的に鎖国状態に近い態度を取っているレッドウィンターには私たちのことを知る者が少なかった
連邦生徒会や対アビドスに連合を組んだかつての三大校も今は秩序を失ったアビドスへの対処に忙しくわざわざここまでは調べようとはしていない
私はようやく彼女が落ち着いて暮らせる場所を見つけた
散歩コースの雪かきを終えて家に戻る
「大丈夫?寒くないかな〜」
彼女に防寒着を着込ませ、マフラーを巻いて手袋もつけさせる
「…ちょっと行ってくるよ」
車椅子を外へ押していき…ドアを閉めようとして目に入った、写真立てに収められた三人の写真に声をかけた
「うへ〜…クルミの冬芽がついてるよ、そのうちクルミが食べられるかもね〜」
ゆっくりと車椅子を押して歩き、取り止めもないことを話す
意味があるのかはわからないが、私は頑張りすぎた彼女にそうしてあげたい
「ご馳走様でした、と…よし…」
お昼ご飯を食べ終え/食べさせ終えたら彼女をベッドに座らせて、マッサージを始める
自発的に動くことのない彼女は放っておくと体が弱っていってしまうかもしれない
そうならないように、関節や筋肉をほぐして動かすマッサージを…
手、腕、肩、胴、股、膝、足…もう一度
手、腕、肩、胴、股、膝、足………
…いつのまにか眠っていたようだ
先程と同じ体勢でベッドに腰掛けたままの彼女の膝から頭を上げて、微かな違和感を感じた
「…ぁ……」
肩に毛布がかけられている
「うっ…ぐぅぅ……ぅぁ…」
偶に、彼女が正気を取り戻すことがある
大抵は目覚めたばかりのように夢うつつで、二、三度言葉を交わすうちにあの時のことを思い出して失意と絶望の内に自我を手放してしまう
今回は目の前で眠る私に毛布を掛けて…そして、再び彼女の心は死んだのだろう
違うんだ、私は一人になるのが怖くて君の絶望を、苦しみを徒に引き延ばしているのに
責めてくれて…いっそ寝ている間に縊り殺してくれたってよかったのに
なんで、なんでこんな
「うあぁああぁあ──────!」
彼女の腰に手を回し、跪いたまま縋り付いて嗚咽する
悲しいのか、悔しいのか、苦しいのかもわからない重苦しい感情が溢れて彼女のズボンを濡らしてしまう
「ごめん、ごめんなさい…わた、私が巻き込んだせいでみんな…!ヒナちゃん…ハナコちゃん…ぁぁぁ…!」
ぐすぐすと鼻を啜り、みっともなく泣き喚く
返事はなく…それでも、彼女の温もりは優しかった
…泣き疲れて眠ってしまうなんて、まるで子供みたいだ…
だが夕飯にはちょうどいい時間になった、今日はカレーにしよう
「ふぅ…そろそろ寝よっか、ヒナちゃん」
夕食を食べ終えたら彼女の体と髪を洗い、自分もシャワーを浴びた
それから寝巻きに着替えさせてベッドに運び、一緒の毛布に包まってしばらく本を読む
聞こえてはいないだろうが、それでも彼女に聞かせるように本を朗読して…そのうち彼女の瞼が閉じたのを確認してから自分も眠りにつく
「おやすみ、ヒナちゃん…」
どうか、君がもう一度目覚めて笑える日が来ますように