“ありがとう”

“ありがとう”




「“神への大逆人”とはまた大層なことですねぇ」

「はい。見覚えは?」


吐息一つの音にさえも気を使いながら、ルフィとウタはその会話を聞いていた。二人がいるのは狭く、小さな空間だ。本来ならば食料の貯蔵庫としても使われるその場所は本来人が入るような場所ではない。だが隠れる場所はそこしかなかったのだ。

二人が訪れたのは小さな村だった。かつて訪れたこともあるその島に逃亡の末辿り着いたのだが、当初はすぐに移動するつもりだったのだ。だがそこで見覚えのある男性に声をかけられ、更に自分達を追ってきたのであろう海軍の姿を見たこともあって半ば強引にこの貯蔵庫へと押し込まれている。


「いやいや、あるわけないですよ。こんな凶悪犯見たことない」

「……そうですか」


二人は密着し、互いの心音と息遣いさえも聞こえる状態だ。だが共に無言のまま、上で繰り広げられている会話に耳を傾けている。


「もし見かけましたら連絡をお願いします」

「ああ、勿論。海兵さんに協力は惜しまないですよ。この村はね、昔海兵さんに助けてもらったことがあるんです」

「そうでしたか」

「ええ。ですから他の者も協力的だと思いますよ」


心臓の音がうるさい、と思った。思わずウタがルフィの服を掴む。ルフィもまた、不自由な体勢のまま彼女の服を握り締める。

万が一の時は、とルフィは覚悟を決めている。この手の中にいる人を、何を捨ててでも守らなければならないのだ。


「確かに他の方も協力的でしたが、そういうことでしたか。……夕食の準備中に失礼しました」

「いやァ、いいですよ。今日はカレーなんだが作り過ぎたんです。食べていきますか?」

「折角ですが……我々もすぐに発たねばなりません。この村にいないということは別の場所にいるということでしょうし」

「お疲れ様ですねぇ」


扉が閉まる音が響き、同時に複数の気配が遠ざかっていくのを感じる。それから少しの時間が経ってから、二人の頭上が空いた。


「すまない。狭い家でね。こんな場所しか隠れることのできる場所がないんだ」


そこでは申し訳なさそうな表情をしたこの家の主人の男がいた。その男が差し出す手を一瞬ためらいながらもウタが取り、そのまま貯蔵庫から出る。それに続き、ルフィもまた貯蔵庫から出た。

まだ周囲に海兵がいるのではないかとルフィは周囲の気配を探る。だが気配はない。本当に立ち去ったようだ。


「いやはや、夕食前に珍しい来客だ。こんな村に海兵が来るなんてあの時以来かねぇ」


言いつつ、カレーの準備を始める男。座って座って、という男の促しに従い、二人は席に着く。

しばらくは無言だった。疲労もあったし、追っ手が立ち去ったことの安堵もあっただろう。二人はぼんやりと夕食の準備を進める男の背中を見つめていた。

不意に小さな音が鳴った。ウタのお腹の音だ。


「…………あ」


慌ててお腹を押さえるウタ。ここ数日、まともに食べれていなかったのだ。そこに美味しそうなカレーの匂いを嗅いでしまったせいで体が反応したのだろう。

次いでルフィのお腹の音も鳴る。控え目なウタとは違い、豪快な音だった。


「体は正直でね。どんなに苦しくても、しんどくても、泣きたくてもお腹は空くんだ。むしろそういう時こそ食べなくちゃいけない」


笑顔と共に言う男は二人の前にカレーの盛られた皿を置いた。次いで自分の分も用意し、席に着く。


「ちょっと予定外の来客があったけど──」

「おっちゃん」


遮るように言ったのはルフィだ。彼は未だ疑いを捨て切れぬ自分自身に対して嫌悪を感じながら、それでも言葉を紡ぐ。

裏切られたことは何度もあった。

助けられたことも何度もあった。

この人は──どちらだ?


「なんで」

「なんでも何も。聞いていただろう?──“海兵さんに協力は惜しまない”」


カレーを一口食べながら男は言う。なんでもないことのように。


「それは市民の義務だろう。ここは辺境ではあるし貧しい村だが、一応加盟国の一部ではあるんだから」

「だったら。おれたちを助けたりなんかしたら」

「──僕たちにとっての“海兵さん”はキミたちだよ」


男は微笑んでいた。

何を今更とでもいうように。


「ここは貧しい村だし、人も少ない。海軍は勿論、国も守ってくれないような場所だ。……正直ね。あの時、僕らは死を覚悟した。奪うものなんてないこの村を襲った海賊は腹いせに僕らを殺すんだろうって。そう思ったんだ」


かつての記憶。

多くの偶然が重なって、ルフィとウタはこの村を襲った海賊たちを討ち取ったのだ。

それはまだ二人の名が世に知れ渡る前の出来事。数年前の話である。


「でもそれをキミたちは助けてくれた。何もない、国にさえも見放されたこの村をなんの見返りも求めずに。──“当たり前だ”って、そう言って」


ポタリと、一つの雫が机に落ちた。


「だから今度は僕たちの番じゃないか。それが──“当たり前だ”」


溢れる涙が、机を濡らす。


「ありがとう、ございます」


絞り出すように、ウタは言った。

その一言を紡ぐだけで、精一杯だった。


「こちらの台詞だよ」


苦笑して。

その人は、やはり言うのだ。

それが、“当たり前”であるかのように。


「あの時、助けてくれて。──ありがとう」


ゆっくりと、カレーを二人は口に含む。

久し振りのまともな食事で。

温かい……食事で。


「……ッ、ぐ……」

「……ああ、ッ……」


押し殺したような涙声が響いている。

それをその人は──かつて彼らが救った人は、優しく見ている。


何もないことなんて、なかった。

何もかもを失ってなんて、いなかった。


二人が積み上げてきたものは、確かにここに残っている。

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