「あまり見ないでくれ」
「えっ」
高専の廊下に俺の間抜けな声が響き渡る。
しまった、という風に口を押さえあからさまに目を逸す日車。
「なんで?目ぇ見れるようになったんじゃなかったの?」
「いや、それはそうなんだが…うん…」
「声ちっさ」
あの永遠にも一瞬にも思えた決戦の日。
託されたものを受け取ったあの時、確かに目が合ったのを覚えている。
◇
「日車」
決戦の日からしばらく経ったある日。
初めて使用した反転術式で欠損部位を再生するという無理が祟り、外部の病院で入院生活を送っていた日車。退院して高専術師として活動開始するための諸々の手続きに高専に来ていると聞き、ちょうど休憩中らしかった彼に声をかけた。
互いの近況報告、彼から託されたものやその行方、そして決着。話す内容は尽きない。
しばらくして、そういえば自然と目を見て話せているなということに気づいた。
「もう目がどうとかはいいん?」
「…あぁ」
何か唇の端をムズムズとさせ、自分のうなじを撫でさする日車。
「改めて言われると恥ずかしいな…あの時は死地を前にしてどこか妙なテンションだったんだ。忘れてくれ」
「いやしばらくは定番ネタにする予定」
「忘れてくれ……」
本当に恥ずかしいようで、目を掌で覆って俯いてしまった。
それでも少しささくれが目立つ大きな掌が退けられた時、きっとその目はしっかりこちらを見てくれるのだ。
失ったものは数え切れない。けれどその確信のように、新たに得たものも確かに存在していた。
◇
「日車!」
スチールの扉を開けた先、光を反射する大きな猫目と出会した。
「なんか校内で会うの珍しいね。誰かに用事でもあった?」
ああ、と返事をしながら事務室——学生達や高専OBは職員室と呼んでいるらしい——の中を見渡し、目当ての姿がないことを確認する。
「報告書の提出に。ついでに日下部がいればと思ったんだが…いないようだな。急ぎではないしメールでも入れておく」
「おっ、じゃあこの後なんもない感じ?ちょうどいいや、一緒に飯食おうぜ!」
夕飯仕込みすぎちゃったんだけど、今日はみんな任務で出ててさぁ。そう言って学生寮の方へ向かう彼の後を、近くにいた補助監督へ報告書のファイルを預け慌てて追う。
「待ってくれ、君が作るのか?車を出すから外に…」
「いいって。任務終わりなんでしょ、後は火ぃ通すだけだから外行くよりすぐ食べれるよ」
「いやそう言うことではなく」
いいからいいから、と跳ねるように進む後ろ姿。短いとは言えなくなった付き合いで、こう言う時は自分が折れざるを得ないとわかっている。諦めて横に並ぶと、こちらを見てへへっと笑いかけられた。
「そういえば今日さ、伏黒が任務に行く時——」
…本当によく笑う。出会った状況が状況であるし、その後も怒濤の日々だった。友人達と些細なことで笑い合う彼を遠目で見ることはあっても、俺の前では彼はそこまで笑顔を見せなかった。そしてそれはどちらかというと俺の方に問題があったのだと思う。
きっとこの明るく朗らかに、くるくると表情を変える彼が本来の姿なのだろう。
ふとした拍子にその顔に影が差すことはまだある。それでも生徒達がちゃんと笑えている、それが嬉しいのだと語っていたのは伊地知だっただろうか。
そんなことを考えていると、またこちらを振り仰いだ彼と目が合った。
「——って、なんか俺ばっか話しちゃってんね。日車は?最近なんかいいことあった?」
教えてよ、知りたい。“日車のこと”。
いや待て、最後のは幻聴だ。思わず目頭を押さえた俺を、虎杖が不思議そうに覗き込んでくる。
「日車?」
俺の自惚れならどれだけ良かっただろう。
しかし感情豊かな彼の表情が、身振り手振りが、声色が、これでもかと全身で雄弁に伝えてくる。
何よりその目が、本当に——。
「あまり見ないでくれ」
そんな、喜びと慕わしさを込めた目で。