あなたと幸せなら

あなたと幸せなら

◆ZrONIBKxMk

「彼女のリハビリ、調子はどうですか?」


「順調ですよ、補助器具ありならある程度の外出許可はすぐにも出せますし、退院も予定より早く出来そうです。無理は禁物ですけどね。」


「ええ、ありがとうございます。」


壁側の椅子に座り、医師とやり取りをしているのは、スーツ姿のラウダ・ニール。その視線の先には、日常生活への安全な復帰のためにリハビリを行うペトラ・イッタとそのスタッフ達がいる。


「ラウダ先輩、いつの間に来てたんですか?」


丁度一段落ついたタイミングで、ラウダの存在に気がついたペトラが声をかける。治ってきているとはいえ、怪我人に動いてもらうわけにはいかないと、ラウダの方が立ち上がって、周りのスタッフに目配せで確認を取った上で彼女の方に近づいた。


「予定より早く会議が終わったんだ。まだリハビリ中だろうと思ったから、先生に無理を言ってここで待たせてもらってる。」


「アハハ……正直恥ずかしいから、あまり見られたくはなかったんですけどね……」


確かに言葉通りの反応として、ペトラの頬は少し赤みを滲ませている。一方で、そうは言っても表情は非常に穏やかな笑みであった。彼女の内にある感情は二律背反というわけではないのだから。


「あともう少しだけかかりますから、こっちは気にしないで、どこか行って時間潰してきても……」


「いや、先生ともう少し話はしておきたい。それにここのスタッフを信用してないわけじゃないけど、万が一何かあったら……その、心配だから。」


ラウダがそう言いながら少し顔を逸らすと同時に、周りのスタッフが「そろそろ宜しいですか?」と声をかける。それに応じてラウダは元の椅子に戻り、ペトラはスタッフに連れられリハビリを再開した。


「つかぬことをお聞きしますが、お二人は……?」


「……へ?」


ペトラを担当している医師の思わぬ発言に、身体も思考も硬直するラウダ。何拍かおいて、ようやく声を出す。


「いえっ!その、ペトラとは、まず同じ寮の先輩後輩であって、それから自分のモビルスーツを担当してもらってるメカニックであって、ええ」


待たせた分の帳尻合わせのように、やや捲し立てて言葉を並べる彼の様子に、医師は思わず笑い出した。


「ええ、ええ、すみませんね。こんな意地悪な質問をしてしまって。別に無理に関係を詮索したいわけじゃないんですよ。」


「は、はあ……」


容貌からして、その医師の年齢はラウダの父であったヴィムに近いと感じさせる。一方で物腰の落ち着いた態度と人当たりにおいて柔和な雰囲気は、父を思わせる要素を持たない。

それ故にラウダはこの医師に対してどう対応すればいいのか、答えを出せずにいた。


「ですが怪我でも病気でも、順調な回復をもたらすのは決して我々医者の何も適切な処置だけではありません。むしろそれより大事なのは、周りの人間がその人に対してどうやって接してあげるかです。」


医師の笑顔は変わらず、しかしその声色は優しくも真剣に語る。決して専門的な話をしているわけではないが、確かに医者としての顔をしており、ラウダもその話はしっかり彼の眼を見て聞いていた。


「お二人の関係性がどういう呼び方のものかはともかく、お互いに大切な人だというのは見ていてわかります。違いますか?」


その問いは、あくまで誤魔化しの効く質問だった。笑って済ませても問題ない類のものである。それでも、ラウダは一拍だけ間をおいてから、医師の方を向き直し、はっきりと答えていた。


「ええ、彼女は……ペトラは僕にとって、大切な人です。」


「ははは、それなら結構。我々が責任を持てるのは病院での話だけですが、これからも支えてあげてください。……まあでも、呼んでくれれば式には出ますよ?」


「式……!?そんな話は一言もしてないんですが!?」


ラウダはただ、狼狽えるしかなかった。


「ラウダ先輩、何の話してたんですか?」


「ペトラ!?その……なんでもない!」



──



リハビリを終えるとペトラは自身の病室に戻り、ラウダもそれに続く。ペトラがベッドで落ち着くと、ラウダは鞄の中から道中で購入したりんごを取り出した。出てきたのは赤々とした果実……ではなく、既にカットされたりんごが入ったパックだったが。


「ラウダ先輩がりんご剥いてるのとか見たかったんだけどなぁ、駄目ですか?」


「悪いけど僕はそこまで器用じゃないし経験もない。多分兄さんなら出来ると思うけど。」


「そういうことじゃないんですよ先輩、私は先輩が、私のためにりんご剥いたりとかしてくれるのが見たいわけであって……」


「その、やりたい気持ちはある。ただ出来ないだけだ。」


小さな楊枝でりんごを食べるペトラと、そんな他愛もない話をする。すると彼女は突然ある行動に出た。


「ほら、せっかくだから先輩もどうぞ。」


「なっ……」


りんごの刺さった楊枝を、ラウダの顔の前に持ってくるペトラ。……古典的なシチュエーションに、ラウダの顔は果実の代替品として赤々と染まる。

ラウダとしては、彼女が年頃の女の子として相応にこういうことに憧れる気持ちがあることは理解していた。一方でペトラとしても、彼はこういうことをされると恥ずかしがるだろうなということは分かっていてやっている。

こうなればもはや、ラウダに抗う術はない。ただペトラを満足させるために、自身の羞恥心を捧げながら従うほかないのだった。


「……美味しいな、これ。」


思っていたよりりんごが美味しくて、素直にそれに対する反応だけを出来たのは彼にとって幸運だった。

一方で予想外だったのは、ペトラの反応が良好だったことだ。ラウダからすればそこで自分がどうしようもなく悶えるような面白い反応を求められてたと思っていたところ、彼女は自然な反応でも微笑んでいた。

ペトラも色々な経験を経て一皮剥けたのは事実である。一方でフェルシー共々以前のいたずらっ子の根は割と健在であるし、気の知れた人間に対するちょっとした嗜虐心、俗っぽい言い方をすればSっ気のある部分も変わらない。


それでも彼女の欲求が満たされないであろう反応で好感触を得られた理由に、ラウダはまだ思い当たらなかった。


「あ、カミル先輩からだ。……寮のトレーニングルーム、全部の機能再開できるみたいですよ。」


端末に届いた、ちょっとした連絡を見るために楊枝を置いた隙を、ラウダは見逃さなかった。日頃こうして彼女の求めに応じているのだから、少しくらいは仕返ししてもいいじゃないか。普段の彼なら思いもしないやり方で、それは実行に移されたのだ。


「ペトラ。まだ食べるだろ?ほら。」


「ラウダ先輩!?ちょっ、そういうのは……!」


ペトラの目の前には楊枝に刺さったりんご。持っているのはもちろん彼、ラウダ・ニール。よく見ると、ラウダの顔も少し複雑な表情をしているのが分かる。慣れないことをしているという自覚や恥じらいはあるのだろう。そしてそれとは別に、彼の気遣いや優しさも垣間見える。


どうしたものかと考えた結果、ペトラはそのりんごを一口で勢いよく口に入れた。


「ほへへひひへふは?」(これでいいですか?)


敵わないな、と言わんばかりにラウダは後ろ首を小さく掻いていた。



──



「そういえばペトラ、さっき先生と話していたんだが外出許可なんかはいらないか?」


「外出許可……ですか?」


いきなり話を振られたもので、キョトンとした様子で訊き返す。同時にこれはちょっと真面目な話をしているのだな、と思い至るペトラ。


「補助器具と介助者がいれば現状問題なく申請は通るだろうって言ってくれた。そうだな、例えば寮の方に顔を出すとか、そうじゃなくてもペトラが行きたい場所があれば……」


「待ってください、介助者ってもしかしてラウダ先輩が?」


「そのつもりだが……僕じゃ不満か?」


「そうじゃなくて、ラウダ先輩、元々はグエル先輩が休学してた分を取り戻すまで代わりに会社の方を見てるって言ってたのに、私のために時間使ってもらって大丈夫かなって思って。」


そう言ったペトラの手が無意識に拳を握る。そしてそれを見たラウダが彼女の握り拳をそっと手で包むのもまた、無意識からくる行動であった。


「会社は大事だ。でもそれくらいの時間を捻出するのはどうにでもなる。それに、この程度じゃ埋め合わせはまだ足りないだろうし……さっき先生に言われたんだ。こういう時は、周りの人間が支えてあげるものだと。」


言葉を紡ぐにつれて、ラウダの首が垂れる。そこにあるのは後悔。大事な時に、支えることを失念していた後悔だった。


「僕はあの時、ずっと側にいるべきだったんだ。なのに……」


「先輩、その話はやめましょう。もう解決した話ですし、周りの人が大事だって話なら、一番近い先輩が辛気臭いと私の治りも遅くなるかもしれませんよ?」


見えにくくなったラウダの顔を覗き込むような態勢になりながら、ペトラは彼を諭すように語る。今度はまた無意識のうちに、ラウダが作った拳にペトラがその手を、指を添えていた。

それは互いにある種のシグナルをやり取りする行為だったのかもしれない。思考の追いつく話ではなく、ただ言語化できない何かの感情を、2人の間で疎通する手段なのだと言える。


「外出許可は当分いりません。別に先輩の時間を使うのが申し訳ないってことじゃありませんよ?」


「それは、どういう……」


ラウダが発言の真意を訊ねようとしたその時、来客のインターホンが鳴った。



──



ペトラの病室は、ロック機能のついた個室であった。医師や看護師であれば緊急時のために即座にロックを解除できるものだが、そうではない見舞いの客に対しては、面会の是非を患者自身が決められるようになっていた。

そのため、解錠を求めるインターホンが鳴らされたのである。


「来客っすね。誰だろう……?」


「カメラを見せてくれ。……兄さんとフェルシー、それに、水星女までいる。」


ペトラの端末に移されたインターホンのカメラ映像には、グエル・ジェタークとフェルシー・ロロ、そして水星女──スレッタ・マーキュリーの姿。ラウダにとっては3人目の来客がなんとも言い難かった。


「ラウダ先輩、スレッタですよ。ほら、この前グエル先輩やフェルシーと一緒にもう『水星女』って呼ばないって決めたじゃないですか。」


「そう、だった。スレッタ・マーキュリー、兄さんたちはともかく、なんでこいつまで来たんだ?」


「ほら、私あの時彼女と一緒にいたからじゃないですか?というか先輩、鍵開けますよ?」


そう言って、ペトラが電子ロックの解除ボタンに指を触れようとした時。


「待って、ペトラ。」


口をついて出たのは、ラウダすら予想外の言葉だった。別に水星女が嫌なわけじゃない。彼とペトラの関係は、グエルやフェルシー、そしてスレッタにも隠し立てするようなものでもない。

にも関わらず、兄すら止めようとしたその言葉に、ペトラはただ言葉も出せず呆然と彼の顔を見つめる。


「…………どうしたんですか?」


「いや、その…………」


当の本人すら、困惑するしかない。そうして何とも言えぬ沈黙が訪れると、少し間をおいて今度は外からそれを掻き消した。


扉の向こうで、3人の声が聞こえる。応対用のマイクは付けていなかったので、扉越しの会話ははっきりとは聞き取れない。しかし、少し話が続くと、その声の元はやがて離れていった。

端末の映像を見てみると、グエルたちが部屋の前から去る様子が映っている。2人に詳しい流れは分からなかったが、どうやら応対がないのを不在か何かと勘違いして去ったようである。



「先輩、なんで鍵開けるの止めたんですか?」


「ごめん、僕にも分からなかった。もし兄さんたちに話があるなら、今から連絡すれば……」


そう言って、ラウダが自身の端末を取り出そうとした時。


「待って先輩!」


ペトラから出たのもやはり、お互いが予期せぬ言葉であった。グエルやフェルシー、そしてスレッタとも話したいことはある。よしんば話題がなくてもただ会うだけでもいいはずなのに。

それでもグエルたちを呼ぶのを止めたペトラ、今度はラウダが言葉も出さずに見つめる。


「…………ペトラ。今気づいたけど、多分同じ理由だと思うよ。」


「でしょうね、先輩。あ、でも次来たらちゃんと開けましょ。」


お互い何かを示し合わせるように見つめ合ってから、静かに微笑む。言葉にせずとも、それだけで十分だった。




今はただ、一緒にいられれば。

そんなささやかな願いが、2人を固く結んでいた。




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