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【トレーナー室に下世話なウマ娘雑誌があった時のナカヤマの話】


 沸騰を報せるケトルを傾け、ミニサイズのカップ麺に湯を満たす。待ち時間は三分。フードストッカーの一角から取り出した割箸を重しにしつつミーティングテーブルまで運ぶ。

 午後からのダンスレッスンはいとも簡単にカロリーを消費する。地味に鳴り続けていた腹の音は、沸き立つ湯気とともに香る醤油ベースのスープを前にして、一刻も早く啜れとばかりに鬱陶しい。へーへー、もう少し待ちやがれ。パイプ椅子を引っ掛け脚を組み腰を下ろした所で、視界の端に見覚えのある装丁の雑誌を見つけた。

 表紙を飾るのはつい先月に行われたG1高松宮記念にて戴冠したカレンチャン。私からすると一世代下のスプリンターだ。直接関わりを持ったことはほぼないが、フラッシュと一緒になにやら華やかな風情で会話をしているところをたまに見かけるな。

 腰を浮かし雑誌を引き寄せた所で、ラーメンタイマーが食べ頃を報せる。目次が見えるよう表紙だけめくり、割箸を割って「いただきます」。食前の一言を口にするのは、他人がいようといまいと関係ない。担当トレーナー不在のトレーナー室に、麺を啜る音が響いている。


 ライブ楽曲別ベストアングル(スカート衣装編)だの新人ウマ娘気になるスリーサイズ、だの、雑誌の内容は相も変わらず下世話なもんだ。スープを飛ばさないよう注意しつつも雑誌のページをめくっていく。トゥインクルシリーズなどのレースが国民的エンターテイメントである以上は、スポーツとしてだけではなく華美な娯楽として視聴する層もそれなりに存在はしているもんでさ。需要があるから供給されるのであって、供給があるから消費される。思ってもみない物差しで測られるのは、マスコミによる偏向報道と似たようなものなのかもしれねぇな。

 だからといって、その狭い領域で判断された価値に囚われるのは、バ鹿らしいというもので。


「ごちそうさんでした」


 一滴残らずスープを飲み干し、両手を合わせる。直前にめくったページに視線を遣ると、表紙でも大きく掲げられていたとある特集の見出しが踊る。


【彼女にしたいウマ娘・最新版】


 さて、今回は一体誰が選抜されているのやら。食べ終わったカップ麺の器と割箸を避け、改めて雑誌を引き寄せる。あの栗毛の後輩か? それとも黒鹿毛の絶景か? ページをめくろうとした、その瞬間だった。





2


「ナカヤマ、ごめん遅れた──、……っ、うわああああ!」


 背後の扉が勢いよく開かれて、トレーナー室の主が帰還する。カップ麺貰ったぜ、と告げる前に絶叫が部屋を満たすものだから反射的に耳を絞るしかない。振り返るとトレーナーは目をかっ開いてわなわなと震えてやがる。一体どうした。耳奥のハウリングが収まるより先に、らしからぬ勢いでトレーナーが部屋に踏み入って──いままさにめくろうとした雑誌をひっ掴んで取り上げた。


「ナカヤマこれ読んだ?」

「大声出すなるっせぇな。読んでたが? つかまだ読んでる途中だ。返せ」

「駄目」


 私の担当トレーナーは私と出会ってから盛大にぶっトんだものの、基本的には物腰が柔らかなタイプだ。腕っ節は強くねぇクセに度胸だけは一丁前。そのくせ後からぶるぶる震え出す、小動物みたいなさ。そんなトレーナーが、はっきりと拒否の意志を示しているのは、なにやら珍しい。

 しかし私からすりゃわけもわからず叫ばれてわけもわからず読んでた雑誌を取り上げられて、ジョーダン風に言やあ『イミフの不意味丸』だかなんだか……そりゃどうでもいいか。

 ともあれ、返却を求めるものの、トレーナーは大きく首を横に振る。


「これは君が見ちゃいけないものだ」

「アンタが買ったんじゃないのか?」

「午前中に訪ねてきた雑誌編集者が置いていったんだよ」

「へぇ。だが、見るなってのはどういう了見だ。アンタに指図される謂れはないぜ?」

「この雑誌は君たちを貶めてる。そういうものから君を守るのは、トレーナーとして当然だから」


 絶対に離すまいとばかりに雑誌を両腕で抱き締めて、トレーナーは強く眉を潜めている。流石にさ、何年もの付き合いがありゃあ、その憤りがどれほどのものか窺い知れるもんだ。

 言い争いも辞さないつもりの矛先は、まぁ、納めた方がいいだろう。……そうは思ったものの。



3



「……く、……ふふ」

「ナカヤマ?」

「ハハ、……ハハハ! あァ、すまねぇな、堪えきれねぇわ」

「なんで笑って」

「安心しろ、茶化すつもりはねぇよ、……ふふ……過保護かよ、ハハ」


 納めた矛の代わりにじわじわと滲むのはえもいえぬ面白さ。やべ、ラーメンが逆流したらどうすっかな? そのくらいの勢いで笑いがこみ上げる。腹を抱えそうになるのはなんとか押し留めた視界の端で、トレーナーがぽかんと呆気に取られていた。

 まぁな、こいつが過保護なのは今に始まったことじゃねぇよ。どんな時でも私の盾になる。こいつはそういうバ鹿だ。

 ひとしきり笑って、目尻の涙を拭って、発作みたくぶり返しかねない笑いを抑えるために頭を振る。アブないクスリでもヤったのかってばかりに爆笑する担当ウマ娘を見つめるトレーナーの表情は、呆気にとられたものから不安げなそれに変わっていた。そんな表情すんなよ、いま説明してやるからさ。


「その雑誌のバックナンバーがな、私のよく通ってる飯屋にあるんだよ」

「……!」

「飯屋の常連にもよく言われるぜ? 今号も彼女にしたいウマ娘に選ばれてねぇじゃねーか、ってな!」

「な……!」

「怒るな怒るな。最後まで話を聞け。だが私は言ってやるのさ。テメーらが彼女にしたいウマ娘は、今目の前にいる私だろ、ってな?」



4



 確かに私は、同期の絶景みたいに風光明媚の綺羅びやかさはないさ。表紙を飾るカレンのような『カワイさ』なんて程遠い。フラッシュのような凛とした風情もないだろう。ウマ娘である以上は悪くない見目はしているが、どっちかっていえば男受けより女受け。この手の雑誌で爪弾きにされるのも、まぁ、頷けるってもので。


 でも。


「アンタはどうだ、トレーナー。顔も知らねぇ大衆の意見なんてどうでもいいよ。……アンタは?」


「……!」


「アンタが彼女にしたいウマ娘は、この特集の中にいるのかい? ……いねぇだろ?」


 ほら、そんな狭い世界を象徴するようなもんはさっさと捨てちまえ。


 大切なのは、アンタがどう思っているか。──アンタにどう思われてるか、なんだからよ。







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