そんな悲しいこと言わないで
薬の容量・用法は正しく使おう目覚まし時計をベッドから腕を伸ばして止める…が、今度はスマホからアラームが鳴り始める。スマホは…タンスの上だ。ベッドから離れている。仕方がないので起き上がり、アラームを止めて眠い目をこすりながら扉を開ける。するとそこには、ちょうど起こしに来たのだろう兄がいた。
「おはよ〜…」
「おはよう、自分から起きてくるなんて珍しいね」
兄はいつも早起きだ。仕事をしていた頃の習慣で、今も早起きはいいことだからと続けている。
「おはよう、シャルロ、ルイ」
父さんは日によってまちまち。早くから仕事がある日は凄まじく早い時間に起きるが、深夜遅くまで仕事で次の日が午後からのときは昼まで部屋から起きてこない。今日は三人で朝食がとれる日のようだ。
「シャルロ、今日の熱測ろうか」
「今日は大丈夫、どこも悪いところないから…」
「そう言ってこっそりトイレで吐いてたのいつだっけ?ほら、そこに座って…はい、測って」
「別に見てなくても、ちゃんと測るってば」
「そう言って嘘ついて誤魔化してた日もあったよな?…よし、平熱。身体に異常はないか?」
「ないよ」
「悪いところあったら電話ですぐ伝えろよ?」
「分かった」
兄は、体調不良をとにかく隠す。軽度の風邪のようなものから、激しい腹痛などの重い症状まで。そして病院や医者に行こうとするのをとにかく嫌がり、自然治癒や一般薬を飲んで治そうとしたがる。救いなのは嫌がっていても行こうといえば素直に従ってくれるし、薬もちゃんと飲んでくれるところだろうか。
ここ半年であまりにもそういうことが多すぎて、一日一回は熱を測ることが習慣の一つになった。兄はそれに不服な様子だが、それならちゃんと反省して隠さないで欲しい。ウサギじゃないんだから。
───気持ち悪い。吐き気が、する。
"は?気持ち悪い?知らないわよそんなの。こっちは予定あるんだからそれぐらい我慢できないの"
"ちょっと、私の服汚したの!?吐くならトイレでしなさいよッ!…行けなかった?ならビニールをなんで用意しなかったの!"
"ほら、薬。病院なんて高いし時間もかかるんだから、これでいいでしょ。まったく…世話かけないでよね"
大丈夫。薬自分で買えるよ。一人でできる。だから平気。大丈夫、大丈夫……。
「───えっ、に、兄ちゃん!?え、なんで、どうしたの!?ねえ…!」
「うわ、めっちゃ熱い…電話、救急車!」
───────
からだがあつい。頭がガンガンする。体温計で熱を測った。38℃。風邪、かな。どうしよう…。
───''気分が良くなかったり、体調が悪かったり…あとはケガ!したら連絡して。俺でも父さんでも良いから絶対な!''───
電話……でも、今日は二人とも大事な日だから、俺が一人で何とかしなくちゃ。とりあえず買い物は夕方でいいから…それまで寝て、二人が帰ってくるまでに体調を元に戻そう。家事は全然できないけど。確か、前に全部やろうとしたらお父さんにたくさん怒られたんだっけ。熱があるなら寝てていいんだって。でもこれぐらいしか家庭に貢献できないし、できることはやらないと。本当は全部やりたいけれど、でも今の俺がやろうとした所で終わらせるどころかむしろ余計な手間を二人にかけるだけだろうし、とりあえず体力を回復させてしまおう。
一人で暮らしていた時は体調不良なんかで仕事は休めないからいつも薬を飲んで熱を下げて出社していたが、この家に来てから同じように薬を飲もうとしたら二人に止められて、薬のリスクと危険性について詳しく聞かされたのは記憶に新しい。たくさんあった薬は捨てられてしまったから、今はもう大人しく寝るしかない。アラームを設定して、ベッドの上で瞼を閉じて眠りについた。
───
目が覚めた。起き上がって携帯で時刻を確認する。アラームを設定した時間の五分前。アラームを切って立ち上がる。
「……よし」
たくさん睡眠を摂ったお陰で体がずいぶん楽になった。これならルイ達が帰ってくる前に買い物を済ませて夕飯を用意できるだろう。
……
「あつい………」
………熱い。行きはよかった。でも、帰りがきつい。体を動かしたせいで体温がまた上がってしまったらしい。
でも、もうすぐ家に着くから、だからそこまで、がんばれば───。
「……あれ」
ここ、どこだ?ベッドの上?よかった、俺、ちゃんと家に戻れたんだ。早く起き上がって、ルイとお父さんにご飯作らなきゃ。二人ともきっとお腹空いているだろうから、だから早く……。
「兄ちゃん…!父さん、兄ちゃんが目を覚ました…!」
…あれ?
「シャルロ、良かった…本当に!心配したんだぞ!?」
ここは…病院?おかしいな、来た記憶が全然ない。もしかして……。
「道端で倒れてたんだよ。兄ちゃんすごい熱あるし、もし俺の帰りが遅かったらって…どうして、どうして何も連絡してくれなかったの?どうして熱で辛いのに買い物になんて言ったんだよ、なあ!?」
「ルイ…!シャルロは病人だぞ?それにここは病院だ。お前の気持ちも分かるが今は……」
「…ごめんなさい、ごめんなさい。いつも迷惑かけてごめんなさい。もうこれ以上、お母さんに迷惑かけたりしないから…」
「え?お母さん?」
「一人でお留守番できるよ。泣かないよ。…学校行けるよ、大丈夫だよ。お父さんのお酒も、ご飯もちゃんと買えるよ。大丈夫、すぐ買って帰るから……」
”また熱?受診料だってバカにならないのに……!”
“はい、薬。ドラッグストアでも買えたわ。大人は1回2錠なんだから…あんたは子供だし1錠飲むといいわ”
“はあ?薬?んなもん自分で買ってこい。あと酒。それと、俺のメシも。アイツはいなくなったんだから、お前が母親の代わりをするんだよ、いいな?”
“ぼく、大丈夫?おつかい?この薬はぼくが飲む薬なの?この薬は子供が飲んじゃいけないやつなんだけど…君のお母さんかお父さん、お店に来れないかな…って、待って!”
“ごめんね、これお酒だから、大人の人しか買えないんだ。保護者の人と一緒に来てね”
“ああ!?買えなかった!?…なに、子供じゃ買えない?知るか、甘ったれたことを言うヒマがあったら自分で何とかしろよ!”
“警察?俺は何も…万引き?アイツが?おい〇〇!テメエ人様の店で何やってんだ!ああ?酒?んなもん頼んでねえ、アイツが勝手に——”
ごめんなさい、ごめんなさい。悪いことだって分かってたんです。お酒盗んだのは俺だから、全部俺のせいだから、お父さんは悪くないから…。
お父さんとはもう暮らせないの?…そっか、お父さんも俺のこともう要らないんだ。俺、全然駄目だなぁ…。
早く大人になりたいな。そうすれば、仕事してお金稼げるし、お酒も薬も自分一人で買えるのに。
何でもやるよ、どんなことでも言うこと聞くよ。だから捨てないで。誰でもいいから俺のことを必要としてよ。そのためだったらなんだって頑張れるよ。だから誰か…。
ふと意識が浮き上がり、瞼を開く。いつの間にか寝ていたみたいだ。カーテン越しに差した日差しが心地いい。何だか長い間寝ていた気がする。早く起きて、仕事に──。
「────え?」
ぐい、と手首が引っ張られるような感覚。この感覚には覚えがある。引っ張られているわけではなくて、俺が固定されている帯の挙動範囲を超えて引っ張っているだけ。そう、固定されている。ベッドに、縛り付けられて、いる。
「な、何で……どうして、こんな」
「あ、兄ちゃん起きた。体調はどう?悪くない?」
「た、体調は大丈夫。ねえルイ、これどういうこと?何で俺また……」
「兄ちゃんがわる……いや、悪いわけじゃないんだけど、しばらくは安静ね。食欲は?」
「えっと…あるけど…ルイ、俺もう大丈夫だよ。熱も下がったし、多分いつも通り動けると思う。迷惑かけたのは謝るからさ、これほどいて…」
「うん、夕飯作ってあるから持ってくるね」
「ま、待ってルイ、話を聞いて…」
…
「ルイ、俺が言うのもなんだけど、シャルロは罰とか与えても効果がないぞ?そろそろ解いてやっても…」
「そもそも兄ちゃんは「休む」ってことをしないんだよ。休んでるように見えてもそれは消費した体力を回復させるために仕方なくやってるだけ。きっと疲労しない体が手に入ったら不眠不休でずっと働いてるんだろうね」
「ゲーム一緒にしようって言ったらやってくれる。でも自分からは誘わないし一人でやろうとは一切考えない。本を読むのは文字に触れておくべきだとかどっかの先生だかが言ってたからでしょ。シャワー浴びて、歯磨きするのと変わんないの、兄ちゃんにとっては」
「……でもお前とゲームしてるシャルロは楽しそうだし、本だって感想を聞くとすごく面白そうに読んでいるように見えるぞ。確かに体調が悪かろうがなんだろうが誘われたら無理してでもやろうとするんだろうけど、日常のタスクや仕事とは天と地の差があるんじゃないか?」
「どうかな。仕事だって家事だってやってる時の兄ちゃんはすごく楽しそうじゃん。自分を顧みないと無理しすぎていつか何もできなくなるかもしれないって分かって欲しいよ」
「時間をかけて向き合うしかないさ。さあ、夕食の時間だ。今日はリビングで食べるからシャルロを連れてきてくれ」
「…わかったよ」
明日は休みだ。こうなったらとことんまで付き合ってもらおう。一緒にゲームして、一緒に家事をしよう。そのうち兄は勝手に家を出ていくのだろうけれど、その時に寂しくなって戻ってきてしまうくらいにこの家で楽しい思い出たくさん作ってやるから。せいぜい服とか本とか私物を増やしまくって、家を出る時に断捨離できなくて苦しむといいんだ。だから、
「”誰でもいい”なんて、もう言わせないから」
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あとがき
シャルロの父:不況の煽りを受けてリストラになるや否や妻に逃げられ子供の世話を押し付けられた人。そこまでならただの被害者だが、その後酒に溺れて残されたシャルロに当たり散らし、ネグレクトするようになる。児相の介入によってシャルロが保護され、時が経つに連れ持ち直して生活を立て直す。しかし、ついぞシャルロのことを思い出すことはなかった。
シャルロ:傷ついた父親のために尽くしたかった。酒買ってこいと言われたときは流石に困ったけど。仕方がないので店にお金と「ごめんなさい、お金は払います。」のメモをこっそり残して持っていっていた。近い場所でなければどこで油売ってやがったと怒られるため近くの店から何度もやらざるを得ず、警察に補導された。シャルロはこの件で父親に負い目がある。
なお、父親を手酷く捨てて傷つけた件に関しては母親のことを許していない。
(余談)
一人暮らしを始めたシャルロは解熱鎮痛薬を買い溜める癖があった。熱や体に痛みのあるときしか服用していなかったが、体を酷使したせいでガタが来て手放せなくなってしまっていたり。
そのためタンスの引き出しにはおびただしい数の薬があり、それを見た二人がODを疑ったほど。シャルロは熱があると勝手に服用して体調不良を隠そうとするため家には最低限量のみを隠して置くようになった。ちなみに初めの頃のシャルロはこっそり買ってきて貯めることがあったが、その度処分されてしまうため最近は買わなくなった。
シャルル:どうあれシャルロを傷つけて捨てた奴は許さない。