出会いは突然に

出会いは突然に

弟がいたシリーズ



 今日は、珍しく仕事のない休みの日だ。いつもは上司に明日も来るよう言われたり、呼び出されたりして結局仕事をすることが多いのだけれど、今の所は電話は掛かってきてない。

 …暇だ。 

 何もすることがない。普段ならば休日は洗濯や部屋の掃除、食料や消耗品の買い物と睡眠で一日潰せるのだが、今日は珍しくどれも終わっているし、今のところ眠気はない。運動も明日筋肉痛にならない程度にはもうやってしまったし、今日は本当にもう、何もできない。

 困ったな。こうも暇を持て余していると怠けているような感じがする。なにかしなければならないのだけれど、それが思いつかない。気がつけば、俺は卓上の電子時計をただじっと見つめ、時々会社からのメールが来ていないかを確かめるだけの時間を過ごしていた。


……


 昨日は夜遅くまで仕事だった。そして今日も仕事だ。確か本当は休みだった気もするが、来いと言われたから行く。休日出勤分の給料が出ないのはいつもの事だ。

 始発の電車を降りて、会社のビルへと向かう。まだ朝日の出ていない外は肌寒く、風が吹くたび体が震える。会社にはまだ、誰もいない。始業時間よりも遥かに早い時間だけれど、こうでもしなければ昨日からの仕事が終わらない。…いや、きっと今日も終わらないだろう。今日も上司のあの長い説教を聞く羽目になるのだろうか…気が重い。エアコンの効いていない部屋は外と同じくらいに冷え込んでいるから、手が悴んでキーボードを叩くのが遅くなる。手袋とか、持ってくれば良かったな。

 今日は残業がなければいいな。また、仕事終わりぐらいの時間に書類の山を押し付けられて終電まで残業してまた始発の電車に乗るのだろうけれど。


 中休み。今日も午前中は上司の説教と周囲から押し付けられた雑用で終わった。今は相手方に送った資料に不備があったとかで急遽訂正した資料を届けるためにタクシーに乗っている。勿論タクシー代は出ない。俺の責任だからと言われたが、この仕事はそもそも誰の担当だったのだろうか。失敗を押し付けられるのはいつもの事だからもう慣れてしまったけれど。

 近くにあったコンビニで簡単に昼食を買って仕事に戻る。バスが来る時間が近いのでそっちで帰ることにする。どうせバス代も出ないし。

 

 バス停に向かう道すがら考え事をしていたせいだろうか、向こうから来た人と正面衝突して倒れ込んだ。相手は学生服を着た男の子だった。慌てて立ち上がり、頭を下げる。


「すみません、怪我はないですか?」

「いえ、こちらこそすみませ……え…!?に、兄、さん…!?」

「え……?……もしかして、ルイ…?」


 顔を上げたその先には、かつて同じ城で過ごした前世での弟がそこにいた。



───────


 あれから数日後。兄曰くまた珍しく仕事のない休日に、俺は兄とファーストフード店の席で話すことになった。

「……久しぶり。元気にしてた?」

「…そう、だね。ルイも、元気そうで…良かった」

 沈黙が流れる。そうだ、別にこれは、感動の再会なんかじゃない。そもそも生前の兄弟仲は最悪だったのだから。


「……あのさ、」

 かつての兄が、浮かない顔色のままおずおずと話を切り出した。

「今まで…ごめん。ずっと酷いことして…」

「………。」

「無視したり…お父様と会話しているところに割り込んだり、会おうとするのを邪魔したり…それから、色んな人に嫌われるようなことして迷惑かけたり…ごめんね、今更こんなこと言ったって許せるわけ無いと思うけど…あの時のお詫びなら、何でもするから…」

「あんたが死んでから、よく分かった事がある。お父様は誰もが認める偉大な王様だったけれど…俺達子供にとっては毒そのものだった、とかね」

 そう、あれは毒だ。甘く優しく、けれど決して逃げられないよう手足から腐らせていくような…そんな猛毒だった。

「あんたはそんなお父様の愛を一身に受けて育ってきた。だから、その愛が俺に向こうとする度あんたは阻止した。…俺を守る為、ただそれだけの理由で」

「……俺はあんたのこと嫌いだったよ。何もしてないのに邪険にされて、そのくせ何をしようとしても邪魔してくる。顔も見たくなかったし、死んだって聞いたときはざまあみろとすら思った」

「……うん」

「棺桶の中で、あんたどんな顔してんだろって覗き込もうとしたけど、見れなかったよ」

 たしか、被せられた布を取ろうとして、お父様に止められたのだったか。

「周りもさ、これで清々するっていうヤツばっかだったよ。それも結局さ、あんたなりにヤツらのためを考えてやってたことだったのにな」

「………。」

「これで満足か?あんたのやったことは何一つ報われず、死んでもあんたを散々苦しめたお父様以外からは悲しまれすらしない!」

「俺は、それでも…」

「俺分かんなかったよ。兄ちゃんが苦しんでたことなんか。同じ立場に立たされてさ、それでようやく理解したときにはもう全部遅くて…」

「俺が馬鹿みたいじゃん…あんなに守ってもらってたのに…嫌って、憎んでさ…」

「違う。俺が何も言わなかったのがいけないんだ。ルイが分かるわけないし、自分を責める必要なんて何一つも…」

「じゃあなんで教えてくれなかったの。なんでなんで誰かに分かってもらおうとしなかったの。こんな後悔する位なら、一緒に背負って支え合いたかった!」

「……ルイ」

「自分さえ我慢すればいい、自分だけが泥を被っていればいいなんて思ってたんだろ?残された人の気持ちも知らないで…!」

「…ごめん、俺のせいだ。俺がお前に全部押し付けてしまったから…」

「だからそういう…!……はぁ、もう…二度としないで」

「苦しいことがあったら相談して。何もかも抱え込まないで。全部背負おうとしないで。もう二度と…一人で、誰の手も届かない所に行かないで」

「─────え?」

「もう俺たち家族じゃないけどさ…それでもまたこうして巡り会えたんだから、もう一度やり直そうよ。今度はさ、俺が兄ちゃんの助けになりたいよ」


「あの時には出来なかったことをしよう。一緒に遊んだり、ご飯食べたり、たくさん話したりしようよ」








 ルイは俺に笑いかけた。弟の笑顔なんて、初めて見る。いや、初めてじゃない。俺は何度も見てきたはずだ。それでも最後に見たのは、いつだったろうか。


 ルイの笑顔を初めて見た時のことは、よく憶えている。ルイが生まれた時…まだ赤ん坊のルイが、俺に微笑んでくれたのだったか。そして、まだ小さい手で、俺の指を優しく握ってくれた。俺はその時に何があってもこの子だけは守ろうと、そう誓ったのをよく憶えている。

 やがてお父様は俺に過剰に干渉するようになり、取り返しのつかない事態になることが増えるようになった。俺は徐々に誰にも相談できなくなり、孤独になっていった。それでもルイは、その小さい足で必死に俺の後ろを追いかけては、にいさまと笑いかけてくれていた。その笑顔は、追い詰められた俺の心を確かに癒してくれたのだ。

 でも俺は、お父様がルイにも俺と同じ愛を向けようとしていることに気づいてしまった。幼いルイは、まだその愛が重すぎることを理解できていなかった。だから俺は、

──たとえルイから嫌われても、俺と同じ思いはさせない。そう、決意した。


 常にルイが決して追いつけない速度で歩き、呼びかけられても聞こえないフリをした。部屋の扉を叩いてきても開けなかったし、目が合えば顔を逸した。ルイは泣いた。その花が咲いたような笑顔が歪み、玉のような涙をボロボロと溢す姿を見ると、心が締め付けられるようで苦しかった。思わず抱きしめようとしてしまうのを必死で堪えた。

 それから、お父様とルイが近くにいる時はそれとなく遮ったり、ルイの側に信頼できる人間を置いてお父様とは距離を置かせたり、俺がわざと問題事を起こしてお父様の関心を俺に向かわせたり…とにかくできることなら何でもやった。幸い、ルイはみんなから好かれていたので孤独になることはなかった。


 そして反対に、俺はみんなから嫌われていった。寂しいけれど、悲しくはない。俺が望んでやったことだから。お父様が退位したら、王権は俺かルイに渡る…お父様のときのように二つに分けて統治するようになるのかもしれない。でも、俺は王になる気はない。だからそのときは、俺は王宮を去ろう。大丈夫。俺がいなくても、ルイがいる。ルイが居れば国はきっと大丈夫。

──そんなことを、あの日までは思っていた。

 あの日。槍を持って武器も鎧も持たない相手に襲いかかり、返り討ちにされたあの日。眼の前にいたのは兄弟だった。そして俺が襲ったのは弟の方だった。そして彼の兄が、弟を守るため、卑怯な相手に怯むことなく果敢に戦ったのだ。

 俺は何をしているのだろう。弟を守りたいという気持ちがありながら他人の大切な人を奪おうとするなんて。

 そもそも…俺はルイを本当に守れていたのか?俺はただルイの心を傷つけただけで、何一つルイの為になんてなってなかったんじゃないか?

『………ごめんね』

 誓ったのに。絶対に、何があっても守るって。なのに、何も出来なかった。国も、お父様のことも、何もかもルイに押し付けて俺は死ぬのか。

 約束、したのに。何も守れなくてごめん。役に立たない兄でごめん。俺のこと、許さなくていいから、恨んでいいから…。

『もう二度と、家族にはならないから…だからどうか…幸せに…』




 そうだ、俺はもう二度と…。

「苦しいことがあったら相談して。何もかも抱え込まないで。全部背負おうとしないで。もう二度と…一人で、誰の手も届かない所に行かないで」

……あれ?

「もう俺たち家族じゃないけどさ…それでもまたこうして巡り会えたんだから、もう一度やり直そうよ。今度はさ、俺が兄ちゃんの助けになりたいよ」

 なんで?

「あの時には出来なかったことをしよう。一緒に遊んだり、ご飯食べたり、たくさん話したりしようよ」


「─────なんで?」

「え…?」

「なんで?なんでそんな…俺が悪かったのに、俺は結局、ルイのために何もできてなかったのに、なんでそんな優しい事ばかり言うの?」

「なんでって…」

「ルイはルイで幸せになっていいんだよ。俺のことなんか気にしなくていい。俺は謝りたかっただけだし、もう関わらなくたっていいんだ。嫌っていい、憎んだままでいい。だから無理しなくても───」

「嫌ってんのも憎んでたのも過去の話だよ!正直ずっと憎み続けるのって疲れるんだよ逆に無理させんな!」

「ご、ごめん…?」

「俺が!後悔したから、やり直そうって言ってんの!」

「ルイが、俺と仲良くしたいの…?」

「もう、なんで俺が無理して言ってると思ってんのかな…まあ兄ちゃんが嫌なら別に良いんだけど…」

「そんなことない!ルイがいいなら…俺も、もう一度やり直したい。もっとちゃんとルイと向き合って、今度こそルイの為に…いや、一緒に遊んだり、ご飯食べたり…話したり?しよう。だから…その、よろしく…?」

「うん、よろしく。兄ちゃん」


 俺が差し出した手を、ルイが力強く握る。その手は、俺の手よりも大きかった。





シャルロ:人生の指針を大きく変えた。ルイが「やりたい」といったことを叶えてあげたい。生前は交流がほとんど無かったこともあり、弟への「かわいい小さな弟」認識が抜けきっていない。


ルイ:兄ともう一度やり直したい。兄の空虚さにやや驚いている。このあと兄から貢がれまくってもう一度驚く。兄のことはもっと大人だと思ってた。


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